170話 交差
手を取るのは、今だけでいい。
イチがドアを開けると、さほど広くもない室内には長机が向かい合わせに並べられ、一つの大きな島のように置かれている。そして、そこには既にロイヤル・カーテスが座っていた。
「あ、あんたー!」
既死軍の三人を見るなり、上座に座っていた女が立ち上がってヒデを指さした。そのあまりの勢いに椅子が背もたれの重みで後ろ向きに倒れる。
「ヒデ!! あたしの肩ぶち抜いたの、まだ赦してないんだからね!!」
化粧映えするその顔をはっきりと見たのは初めてだったが、長い金髪のポニーテールには見覚えがあった。
「炯懿さん、でしたっけ。その節はどうも」
初めて遠目に見たのは今から二年近く前、真冬の頃だった。既死軍によって負傷したロイヤル・カーテスを助けに来たのがバイクに乗った炯懿だった。そのときに肩を矢で射抜かれたことを彼女は未だに根に持っているらしい。次に会ったのはそれから半年以上経った秋だった。ロイヤル・カーテスを率いているらしい男と戦っているとき、またしても助けにやって来た。そのときに同じような台詞を吐かれている。
「どうもじゃないって! ホントに赦せない! 最悪!」
「あの、前も言いましたけど、敵は敵ですし、敵に女も子供もないので」
台詞の凶暴さとは裏腹に、ヒデは小さく「すみません」と付け足す。
「まぁまぁ、今までのことはお互い一旦水に流してさ、仲良くしようよ。今日ってそういう日なんだよな。俺たちもしばらくは仲間だろ」
その隣で苦笑いして炯懿を座らせようとしているのが、思った通り同席しているルワだった。もう一人はディスだ。羽織袴の既死軍と違い、三人ともスーツを着ている。
わかりやすい膨れっ面をしながら炯懿は椅子を直してどかりと座った。それと同時に既死軍も椅子に座る。それぞれ三対三で向かい合うような座席だ。
一息つく間もなく、イチが目だけで笑いながら先ほどのルワの言葉に噛みつく。
「仲間ではありません」
イチの声に正面の三人はぎょっとする。既死軍には聞き慣れた機械合成音だが、やはり初めて聞く人にとっては不自然極まりないのだろう。
「利害の一致。僕らを繋ぐ理由はそれだけです」
「まぁ、仲良くしようっていうのは言葉の綾みたいなもんだから、そんな突っ掛からなくてもいいじゃん」
同意を求めるようにルワはヒデを見る。ヒデならはっきりではなくても、賛同はしてくれるだろうと期待していた。しかし、ヒデはその期待に気付きながらもふいと視線を外した。
「ルワは黙ってなさい」
今まで黙っていたが、呆れを通り越してイラつきさえ見せるディスがそう遮った。この中できちんと話ができそうなのはディスだけだなと、イチたち三人は視線を送り合う。
「お呼び立てしたのは我々ロイヤル・カーテスと聞いております。それなら、炯懿さんが取り仕切るべきでは」
「じゃあとりあえず自己紹介でもしとく? 今更だけどね〜」
場に見合わない軽い返答にディスは先が思いやられると言わんばかりに渋い顔をして眉間にしわを寄せて目を閉じた。
突然集められたのはどちらも同じだ。何も話すなと言われているヤンとヒデは、先にそう命令されておいてよかったとロイヤル・カーテスのやり取りを聞いて胸を撫で下ろした。
「では、僕だけ初対面だと思うので自己紹介しておきます。僕はイチと申します。既死軍の指令代理で、任務に出ることはほぼありません。ですが、今後連絡を取り合うのは僕だと思うので、以後お見知りおきを」
そう簡潔に言い終わるが早いか、正面からの何か言いたげな視線にイチは付け足す。
「この電子合成の声こそが、僕が既死軍に尽くす理由です。これ以上の詮索は不要です」
目だけでにっこり笑い、イチは炯懿を見る。この女を知らないわけではない。ロイヤル・カーテスを率いる男と双璧をなす存在であることは確かだ。しかし、詳しいことは何もわかっていない。
「あたしの名前は炯懿。イチさん? と同じで、ロイヤル・カーテスの指令と、それから救出とかもやってまーす! よろしくね」
「もう一人、指令がいますよね」
ロイヤル・カーテスはトランプを元に、一から十三までの十三人と、ジョーカーに当たる二人の計十五人で構成されているというのがケイの考えだった。そして、それはどうやら正しいらしかった。
それなら、ジョーカーの一人である炯懿だけが指令を出しているはずがない。
イチからの鋭い視線を躱すように、炯懿は真ん丸な瞳を何度か瞬かせ、「さあ?」と首を傾げた。それ以上話すつもりがないらしい炯懿の言葉をディスが引き継ぐ。
「確かにイチさんのおっしゃった通り、我々は協力関係ではありますが仲間ではありません。お互い明かせないことは明かさないままでいいでしょう」
「そうですね。どうせ一年後はまた敵対関係です」
少しだけディスに同意するような視線を向けたイチだったが、すぐに炯懿の手元に動かした。そこにはいつの間にか誓約書らしい物が二部置かれている。仰々しく製本されてはいるが、大して厚いわけではない。
「それで、あたしたちが集まったのは調印式ってやつのためなんだけど、一応形式的とはいえ誓約書があるから、イチさんが代表としてサインしてね」
手渡された紙には小さい字でびっしりと約束事が書かれている。最終ページの下部には既に今日の日付と、炯懿のサインがあった。
誓約書を口に出して読み、ヤンとヒデに聞かせるふりをするが、実際は無線でケイにいち早く内容を伝えるためだ。元々この誓約書の文言に意味などないことは全員が承知しているが、既死軍が不利になるような内容は万に一つでも見逃すわけにはいかない。
しかし、その文章はどこかから引用してきたのかと思うほどありきたりな契約書のようなもので、結局のところは「情報はできる限り共有する」「負傷や死亡しても互いに責任は取らない」ということだった。
「ここに記載されている事以外で何か不都合が生じた場合は」
最後まで読み終えたイチは炯懿に渡された万年筆を一旦机に置き、顔を上げた。
「その場合は協議ね」
「ロイヤル・カーテスは気が長いとお見受けします」
「褒めてる?」
返事をする代わりに、イチはすでに見慣れた目で笑った。
耳元でケイからサインを許可する旨が告げられ、イチは万年筆を手にする。
「それでは、署名します。これから一年、どうぞよろしくお願いいたします」
いやに説明口調のイチはサラサラと二部ともに名前を書いた。ケイ以外の既死軍が書いた字を見るのは意外と初めてかもしれないとヒデはその数秒にも満たない筆の運びを見ていた。
返却されたロイヤル・カーテス分の誓約書を受け取りながら、炯懿は「ありがと」と笑顔を見せる。
「それで、貫流の爆破って、既死軍はどんな作戦?」
ビジネスバッグに誓約書をしまい込みながら炯懿が尋ねる。
「蜉蒼は既に爆発物を設置し終わっているというのが僕たちの考えです。当日は警備の軍を撤退させて戒厳封鎖令を出し、周囲の安全を確保します。それから、那由他は間違いなく現れるでしょう」
「爆発物が設置済みというのは、俺たちも同意する」
炯懿の代わりにディスが話し始める。作戦の説明はディスが端的でわかりやすいという賢明な判断だ。
「しかし、俺たちは那由他は現れないと思っている。爆破は時限装置か遠隔操作だろう。わざわざ危険を犯してまで俺たちに近づく必要はない」
「蜉蒼の目的はもちろん帝国への攻撃です。が、それだけではありません。僕らを弄んで嘲笑するために、必ず現れます」
「那由他について、何か知ってることある?」
「そちらは?」
心理戦は得意だと言わんばかりにイチは口を開いたルワではなく、ディスにちらりと視線を向け、質問を返す。蜉蒼を倒すという目的で手を組んではいるが、どこまで開示するかは腹の探り合いをするしかない。
「見た目はお互い知っていると思います。二十代前後の細身の男で、肩ぐらいに切りそろえられた髪に、服装は背中に六十と書かれた赤い羽織、武器は円月輪です。ロイヤル・カーテスが知っているのは恥ずかしながらこの程度で、ほぼ情報を持っていません。付き合いは既死軍の方が長いですよね」
イチはしばらく押し黙る。ロイヤル・カーテスには、その沈黙は答えに窮しているのか、言葉を選んでいるのかわからず、待つしかなかった。
既死軍の三人にはケイからの無線が聞こえている。
『右腕のことは伝えろ。戦う際の弱点ぐらいにはなるだろう。今共有して有益な情報はそれぐらいだ。黎裔のことは話すな。以上だ』
「蜉蒼、及び那由他が謎に包まれている存在であることは既死軍も同じです。ただ、那由他に関しては一つ、お伝えしておきます」
そう前置きすると、那由他が右腕を失うに至った経緯と、今は誰かの腕を継いで申し分なく動くことを告げた。
「ですが、我々も那由他に最後に会ったのは半年以上前の春のことです。現状はわかりかねます」
「わかりました。では、那由他のことは一旦置いておいて、作戦会議とでもいきましょうか」
調印式だけだと聞いていたヤンとヒデは顔を見合わせた。「そうですね」と予定調和のように話を進めるイチはどうやら知っていた様子らしい。しかし、その場を離れるわけにもいかず、どうせ自分たちも行く任務だと耳を傾けておく。
炯懿がカバンから小さく折りたたまれた紙を取り出し、広げる。それは貫流水力発電所の見取り図だった。それをもとに、イチとディスで話がどんどんと進んでいく。
ふとヒデが顔を上げると、ルワと目が合った。ルワはこのような場は苦手と見えて、困ったように笑いかける。
「また明日な」
そう口だけを動かしたように見え、ヒデも少しだけ笑顔でうなずいた。