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Blackish Dance  作者: ジュンち
169/208

169話 一縷

振り返って、残るもの。

 慌てた様子のヤンは脱ぎっぱなしにしていたコートを引っ掴んで袖を通した。この季節は日が傾き始めたかと思うと、あっという間に暗くなり、寒さを呼び込む。

 ダムの爆破を阻止するという久々に大規模な任務は翌朝にでも出発すれば十分だった。しかし宿に戻ってしばらくすると、急にケイから無線が入った。それは今すぐミヤの事務所に行くようにとの指示だった。

 ドタバタと居間を通り過ぎ、上がり(がまち)に座って振り返る。ヤンが通ったときに作り出した風が、わずかに囲炉裏の火を揺らした。

「任務行ってくる!」

「さっき言ってたやつか? やけに早いな」

 囲炉裏の近くに寝ころんで本を読んでいたゴハは上半身だけを起こす。

「何か、先にミヤのところに来てくれってさ」

「ミヤさんが絡んでるって、何事だろうな。詳細は」

 ヤンは「さあ」と首を傾げるとスニーカーの紐をきつく縛る。任務であれば、いつもは堅洲村(カタスムラ)から既死軍(キシグン)の制服を着ていくのになと、ゴハは私服のままのヤンに不思議そうな視線を向ける。

「任務はどれぐらいかかりそうなんだ」

「そんなもん、すぐだよ。すぐ。さっさと蜉蒼(フソウ)ぶっ潰して、さっさと帰って来る」

「期待せずに待っててやる」

「そもそもゴハの期待なんて要らねぇよ」

 そう笑ったヤンは玄関を開けて飛び出し、「じゃあな!」と一度だけ振り返る。片手で頬杖をついて横になっていたゴハの姿はあまりよく見えなかったが、気だるげな返事が小さく聞こえた。


 同じころ、ヒデも出かける準備を終えて玄関でアレンと話していた。アレンはゴハと違い、下駄を履いて玄関先まで見送りに来ている。

「それじゃ、行ってきます」

「お気を付けて。ご無事をお祈りしています」

 その言葉にヒデはマフラーで少し顔を隠す。そう言ってもらえるのは嬉しいことだが、無事に戻れるかどうかは任務が終わってみないことにはわからない。

 絶対不可侵のようだったシドですら、絶望的とも思える傷を負った。自分が今まで治る傷程度で済んでいたのは、堅洲村(カタスムラ)に帰ることができていたのは、ただの奇跡だったのかもしれないと、初めて任務に対して恐怖心のようなものを感じた。だが、そのきっかけをアレンに話すわけにはいかない。シドの負傷は口外するなと釘を刺されている。

「ありがとう、ございます」

 歯切れの悪い感謝にアレンはどうしたのかと言いたげな顔をする。それに気づいたヒデは慌てたように理由を付け足した。

「何となく、今回の任務は不安で。僕は強いわけでもないし」

 口ごもりながら話すヒデに、アレンはいつもの笑顔を見せた。この表情はどんな時でも安心感を与えてくれる。

「私がここで精神論を持ち出して励ましても、ヒデくんは納得しないでしょう。ですが、ヒデくんはそう簡単には負けません。努力と経験はいつか必ず実を結ぶものですよ」

 アレンの一言一言がヒデを取り巻いていた負の感情を中和していく。ヒデは強張っていた顔をわずかに緩めた。

「私は待つしかできませんが、ここでいつまでもヒデくんを待っています」

「ありがとうございます。行ってきます」

「行ってらっしゃい」

 ヒデはぺこりと頭を下げ、宿を出る。しばらく歩いてから、ちょうど玄関が見えなくなるところでアレンに手を振り返した。


 ヤンとヒデが宿を出たのはほとんど同時だった。堅洲村(カタスムラ)の出口まであと少しというところでヤンは後ろから名前を呼ばれた。

「一緒に行こ」

 横に並んだヒデの姿を認めると、ヤンは曖昧に返事を返した。

「二人だけ早く来いって、何だろうね。私服だし」

「理由なんて、気付いてるんじゃないのか」

 いつになく落ち着いた声のヤンは前を向いたまま少し早足になる。

「シドのこと、かな」

「俺はそう思ってるけど」

「今、シドがどうなってるか、何か知ってる?」

「何も。どこにいるかすら知らない」

 ヤンは小さい声で「ヤヨイのところだと思うけど」と付け足した。いつもより素っ気なく感じるのは、この話題を避けたがっているからのように思えた。

「ケイから緘口令(かんこうれい)敷かれてるし、シドのこと話せるのはお前ぐらいだけど、わざわざ話す気にはならない」

「じゃあ、やめとこ」

「そうだな。今は任務に集中するべきだ」

 夕暮れを過ぎた樹海は既に真冬のように寒く、木々がわずかな陽光すら遮って夜のように暗い。そんな中を二人は黙々と歩いた。五里霧中を現したような雰囲気の中を、一歩ずつ、きちんと前に進んでいると思うしかない。


 ルキの事務所には何となく久しぶりに来たように思えた。実際、ヒデにとってはシドが負傷した任務以来だった。いつも通りへらへらと笑っているルキが二人を黒い紋付袴に着替えさせた。

 そして、なぜこんな格式高い礼装なのか理由も知らされないまま移動器に放り出され、やがてミヤの事務所に着いた。

 移動器の降り場から繋がっている部屋は書斎だ。天井まで届く本棚に囲まれた部屋の中心にソファがあるだけの殺風景な地下には、同じく黒い羽織袴姿のイチが既に到着していた。

「ミヤさんが来るまでに、僕から説明する」

 イチが淡々とした声で説明したのは、今からロイヤル・カーテスに会いに行くということだった。てっきりミヤからシドのことについて何か言われると思い込んでいた二人は、考えもしなかった話に声を合わせて驚く。それぞれ聞きたいことは山のようにあったが、とりあえず最後まで話を聞いてほしいと早々に制された。


 元帥が急に(スメラギ)に呼び出されたのは、予想通り既死軍(キシグン)とロイヤル・カーテスが「打倒蜉蒼(フソウ)」を掲げて手を組んではどうかという提案だった。元帥も(スメラギ)もそれぞれの私設軍の名前をはっきり出しはしないが、何を言わんとするかは互いに理解した。二人きりの空間でも(スメラギ)は変わらず御簾の向こう側で、どちらの表情も伝わらなかった。だが、自分が統べる国をいいようにされている(スメラギ)も、被害が出れば軍を動かさざるを得ない元帥も、このまま蜉蒼(フソウ)を野放しにしておくのは我慢の限界だった。

 口約束で終わらせてもよかったが、それだけでは有耶無耶になり、既死軍(キシグン)やロイヤル・カーテスの面々が約束を破る可能性もあった。それならばと決まったのが調印式のようなものを執り行うことだった。形式的ではあるが、一定の効果はあるだろうという判断だ。

 そこに選ばれたのがヤンとヒデ、そしてケイの代弁者であるイチだった。

「で、俺は(イザナ)の中で一番歴が長いから呼ばれたのはわかるけど、それなら何でヒデが一緒なんだよ。ジライが来るのが筋じゃないか?」

「二人なら、何でこの場にシドがいないか説明が要らないから」

「今、シドは」

 はっきり「いない」と言われると、心臓を突き刺されたような心持になる。探りを入れるようにヤンが問う。ヒデにはその声がわずかに震えているように聞こえた。最悪の事態を想像して、覚悟はしているのだろう。あの惨状を見れば、その考えに至ってしまうのも無理はない。

「今はまだ麻酔(まほう)にかかって眠ってる。けど、いつか、目覚めはする」

「じゃあ、その内、任務にも」

「目覚めは、する。僕の言い方の意味が、わかりますか」

 刺すような視線と感情のない冷たい声がヤンを仕留めた。

 ヒデはちらりと横目でヤンを見遣る。絶望的な表情をしているかと思っていたが、理解の範疇を超えているのか、納得したくないのか、一縷の望みすらたった今断ち切られたというのに、その表情はどこか落ち着いているように見えた。

 そこに頃合いを見計らったかのようにミヤが入って来た。

 シドのことで一番疲弊していそうなものなのに、その様子はいつも通りだ。今回の一件を何とも思っていないのか、それとも感情を閉じ込めるのが上手いのか、ヒデにはその腹の内がわからなかった。

「説明ご苦労。何か質問は」

「ない。俺たちは黙ってればいいんだろ」

「そうだ。ケイの代わりにイチが全て話す。お前らはただの数合わせだ」

「ミヤさんは来ないんですか?」

「俺は送迎役だ。お前らのほうがロイヤル・カーテスと顔なじみだろ。そのほうが話が早い」

 そんな話をしている時間も勿体ないのか、他に何かあれば車内で聞くとミヤは今降りてきたばかりの地上に続く階段を上って行った。


 車はあっという間に目的地に着いた。街中のどこにでもあるビルの貸し会議室がその場所だった。(スメラギ)と元帥が噛んでいるにしては質素すぎるようにも思えたが、あまりに畏まった場所でも気が引けてしまう。それに、この場に(スメラギ)と元帥が現れるわけでもない。

 ミヤは近くに車を停め、そこで万が一に備えて待機している。既に(スメラギ)と元帥の間では協定を結んだことになっているため、その「万が一」は起こり得ないが、念には念を入れてとのことだった。

 エレベーターを降りた三人はスチール製の薄い灰色をしたドアの前で足を止めた。フロア全てを貸切っているのか、同じようなドアがいくつか並んでいるが、しんと静まり返っていて、人がいる気配は感じられなかった。

 ヒデは小さく息を吸った。この扉の向こう側には、恐らく王の名を冠するルワがいるだろう。毎度決着がつかないのに、このまま休戦になるのは何となく歯痒い思いだ。しかし、蜉蒼(フソウ)さえ倒してしまえばまた敵対関係に戻る。それまでにできるだけ弱点でも見つけておくしかない。

 馴れ合うつもりはないが、しばらくは顔を合わせても戦わずに済むことに少しだけ安心感も覚えた。ルワとゆっくり話してみたいと思ったことは一度や二度ではない。

「ケイさん、今から入ります」

 イチが小声で連絡を入れると、すぐに返事があった。ケイも無線の向こう側でこの時を待っていたことがよくわかる。

『まぁ、今日は顔合わせみたいなもんだ。気楽にとは言わんが、肩肘は張らなくてもいい。よろしく頼んだ』

「わかりました」

 イチが静かにノブを回し、そっとドアを開けた。


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