168話 惟う
歩んだ道は、裏切らない。
さっきまで自分の部屋にいたと思ったミヤは、別れの挨拶もあいさつもそこそこに慌ただしく出て行った。携帯電話を見ていたところから、どうやら頭主に呼び出されたようだった。滞在は一時間にも満たなかっただろう。まだ昼にもなっていない。
ミヤと話した結果、蜉蒼の貫流水力発電所の爆破予告には、既死軍だけで行くことになった。もしロイヤル・カーテスと鉢合わせたとしても、互いにダムの爆破阻止を優先するだろうという見込みでの決定だった。
そうと決まれば、することは山積みだ。二日後に迫った任務の計画書はまだ書き上がらず、しばらく頭を悩ませているとミヤから無線が入った。
『今から禁裏に行く』
その言葉が意味することをケイはすぐに理解した。
「ってことは」
『そうだ。十中八九、貫流の話だろうな。皇のほうから呼び出すとは、青天の霹靂とまでは言わんが意外だったな』
「皇も考えることは同じだったか」
『それでも優位に立てる。俺たちは提言を受け入れてやる側だ』
「けど、まだ手を組むと決まったわけじゃない。とりあえず、どちらでも対応できるような計画は立ててるけど」
『ちなみに、アヤナは行かせるのか』
その名前にケイは眉間にしわを寄せながら息を吐く。自分でもどうしたものかと考えている人物だった。
アヤナと呼ばれるその誘は二か月ほど前に既死軍へ来たばかりだ。このような大規模な任務へはまだ行かせられるほど経験がないことはミヤも十分承知している。しかし、その名前が出されたのにはわけがあった。アヤナは、ミヤの見立てでは幼少期に黎裔から買われてきた人間だ。その人生の辻褄を合わせるために、生まれてからの歩みを記す書類が役所と共に燃やし尽くされた過去を持つ。蜉蒼と何か関係があるかもしれないというのがミヤとケイの考えで、監視するために既死軍に引き入れようなものだ。
「行かせない、つもりだ」
ケイは額を拳で軽くトントンと叩きながら話す。
「蜉蒼に関係があるかどうかさておき、まだ誘として任務に行かせるには早すぎる。今回は流石にしくじるわけにはいかない」
『そうか。それじゃ、詳しいことはまた連絡する』
「禁裏で揉めないようにね」
『お高くとまったクソ野郎どもの出方次第だな』
「そういうところ」
ミヤからの返事を聞かずにケイは無線を切った。どうせ「うるさい」と返されるに決まっている。
パソコンの画面には無機質で何の感情も持ち合わせない文字情報がダラダラと羅列され、こちらを睨んでいる。しばらくは平穏な日々だったというのに、この半年でチャコとシドという戦力を失った。自分が作るこの書類で誘は任務に行く。行かせるのは自分の意思だが、帰って来るかどうかはその範疇を超えたことで手出しできない。「まるで地獄行きの片道切符だな」と一人で画面を睨み返した。
嫌味を返そうとしたところで、それを察知したらしいケイに一方的に無線を切られてしまった。聞こえていないことはわかっているが、とりあえず「いい度胸だな」と言葉を変えて毒を吐いておく。
ハンドルを握り直して、少し緩めていたアクセルを制限速度などお構いなしに踏み込む。
頭主、もとい元帥とは禁裏で落ち合うことになっている。何故急に呼び出されたのか、予想が外れることはないと思っているが、確証があるわけでもない。
今までも蜉蒼からは大規模な爆破予告はあったが、実行されたのは数えるほどだ。少ないと言ってしまえばそれまでだが、隠蔽しきれないほどの被害があったことは確かだ。ビルの倒壊や多数の死傷者は流石に元帥の権力を以てしても緘口令だけでは留めきれない。
国民は、蜉蒼は何の前触れもなくテロ行為を起こし、軍はその被害が拡大しないように尽力してくれていると思っているが、実際はそうではない。どれも予告を受けた既死軍が対処しきれなかった結果で、何も知らない軍がその後始末をさせられているだけに過ぎない。軍に対して早く蜉蒼を捕まえられないのかという声も当然散見されるが、声を大にして軍を批判できるような人間もいない。
確かに今回の規模を考えると、たった数人しかいない既死軍よりも何万人もいる軍を動かした方がいいに決まっている。ケイの意見は至極真っ当なものだった。しかし、ケイにも言った通り、軍を動かして失敗した時、国民から元帥へ向けられる目を考えると簡単に首を縦にも振れない。
ロイヤル・カーテスと手を組んだところで、全員が今回の任務に出るわけでもないだろう。多くて十人前後とするなら、やはり人海戦術が使える軍を出すべきだったのかと考え直してみる。万が一のことがあったら町一つが水の底に沈む。今までの蜉蒼の被害とは比べ物にならない。
既死軍内では頭主の秘書ではあるが、ただの伝達役で何の権限もない。自分の人生に与えられた役割がそれだけなら、ケイに賛成していただろう。しかし、軍人の立場としては元帥を守らなければならない。ケイとは住んでいる世界が違うと突き放すこともできるが、顔を見るとそう簡単に冷たくも当たれない。
ケイとの会話を終えてから三十分ほど車を走らせると、見慣れた街並みが広がり始めた。そこから更に数分走り、やっと禁裏に着いた。堅洲村から直行するのは初めてだが、思ったより近いものだなと十二時を少し過ぎた時計を見て思った。ただ、スーツから軍服に着替えるのだけは面倒だと、着替えのためだけに寄った自分の事務所に脱ぎ散らかしてきたスーツに思いを馳せた。
禁裏の外にある駐車場には既に第一秘書が運転して来た車が停まっていた。運転席をノックして二、三言交わし、秘書を軍に帰した。
「皇からの呼び出しとはいえ、葉山さん、よくお時間がありましたね」
後部座席では元帥が腕組みをして疲れた顔をしている。帝国は皇が統べる国ではあるが、権限を持ち実際に国を動かしているのは元帥だ。その心労は計り知れない。
「流石にこの私でも皇は最優先だ。全てが後回しになったのはいただけないが、仕方ないだろう」
「やはり、蜉蒼、というかロイヤル・カーテスの話ですよね」
ミヤはアクセルを踏み、再び運転を始める。目と鼻の先にある禁裏は誰でも入れるわけではない。運転手が第一秘書のままでは禁裏の敷地内にある駐車場にすら入ることは許されていない。ミヤ自身も元帥がいなければ立場は同じだ。
「内容はそれで間違いないだろう。しかし、禊は手を組むと言っていたが、皇はどうだろうな。反対に手を出すなと言われるかもしれない」
「俺はケイの案に一票ですけど、まぁ、なるようにしかなりませんね」
「そうだな」
「ところで、葉山さんは星宮長官はロイヤル・カーテスに絡んでると思いますか」
「いや、あれは単に禁裏庁の長官だと思っている。だが、禁裏も謎に包まれた場所だからな。私にも何とも言えない」
「同意します」
たったそれだけの会話をしている内に目的地についた。
世界で最も厳重だとも言われる警備体制が敷かれた禁裏では、ミヤでも口を開くのを躊躇う空気だ。身体検査を受け、一切の武器を預ける。
「お待ちしておりました。急なお声がけで大変申し訳ございません」
丸腰の二人を待ち受けていたのは、皇の全てを支える禁裏庁の長官、星宮だった。元帥とさほど年も離れていないが、細身でしなやかな星宮は少し若く見える。
ミヤは禁裏という秘匿された異様な世界が不気味で、禁裏もこの男も雰囲気が好きではなかった。
「皇のこととなれば、どこからでも馳せ参じます」
外向きの笑顔を作った元帥は軽く会釈をする。それに合わせてミヤも軍帽を脱いでうやうやしく頭を下げる。
「元帥閣下、わたくしはここでお待ちしております」
ちらりと元帥から星宮に牽制するような視線を向けた。敵とは言わないが、禁裏もミヤにとっては信用できる場所ではない。元帥を一人で行かせるのは毎度のことながら不安になる。ミヤが立ち入れるのはここまでだ。
元帥と星宮はお互い作ったような笑顔で話しながら奥の方へと向かった。
これから皇と元帥はどんな話をするのか、何時間かかるのか、見当もつかないが、ミヤはこれから直立不動で元帥の帰りを待つしかない。
窓から見える日の光が徐々に傾いていくのを眺め続けた。
ミヤが禁裏で元帥の帰りを待っているころ、ケイは誘を会議場に集めていた。何人かは任務でいないが、シドがいない理由を勘ぐられずに済むから好都合だった。
「急で悪いが、蜉蒼の話だ。任務中のやつも今は時間があると思うから、そのまま無線で聞いててくれ」
そう前置きをしたケイは手にした紙束に視線を落とす。
ざわついていた室内がしずまり、隙間風が時折寒々しい音を立てるだけになった。
蜉蒼に対しての想いは一人ひとり違う。任務で少しケガをしただけだというおぼろげな記憶から、仲の良かった誘を殺された恨みまである。
だが、蜉蒼の壊滅を望むのは全員が同じだった。
「久しぶりに蜉蒼が大規模な爆破予告をしてきた。貫流っていう堰堤で、俺たちが爆破の阻止に失敗すれば近くの町が沈む。概算ではあるが直接的ではなくとも数万人が被害に遭うだろう。当然、被害額も相当だ。この前も街中を爆破すると予告があって何人かには行ってもらったが、予想通り嘘だった。だが、今回は違う。恐らく蜉蒼は本気だ。少なくとも那由他は出て来るだろう」
その名前にヤンは顔を上げた。那由他とは何度か戦い、言葉を交わした。
蜉蒼は帝国に見捨てられた黎裔という地で暮らす裔民で構成されている。帝国に牙をむくしかなかった可哀想な人生だと上から目線で慰めてやるのは簡単だ。しかし、蜉蒼にかかわる人間はそうやって同情できるようなものではない。特に実質の実行役である那由他はケイに言わせれば極悪非道な人間だ。
ヤンは目を閉じ、その顔を浮かべる。またしても目の前に現れると言うなら、戦うだけだ。
それに、シドがこの任務には出て来るとは思えなかった。あれからケガの治療がどうなっているのかは当然知らされていないが、仮に順調に進んでいたとしても間に合うはずがない。それなら、今、既死軍を率いることができるのは自分しかいない。
ヤンは目を開ける。
「俺に行かせてくれ」
珍しく立候補したヤンをケイは笑って歓迎した。
「言われなくても」