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Blackish Dance  作者: ジュンち
165/208

165話 噤む

深慮は、黙する。

 天気のいい早朝、ゴハはそっと襖を開け、盗み見るようにヤンの様子を窺った。任務が終わってからというもの、あからさまに様子がおかしい。いつも通りケンカをふっかけてみても乗る気配は一切なく、ただ「あぁ」と覇気のない返事があるだけで、木刀を持とうともしなかった。いつもより強い語調で用事を言いつけてみても反論せず、掃除も料理もなんでも受け入れた。

 任務で何かあったのは想像に難くないが、ケイに聞いてもはぐらかされるだけで、詳細はわからないままだ。知らないほうがいいこともあるとはいえ、長年ともに暮らしてきたヤンが初めて見せる様子にゴハは気が気ではなかった。

 今も縁側に座ってぼんやりと外を眺めているだけだ。こんな時はどうするのが正解なのか考えてみたところで、今更優しく接することもできなければ、発破をかけることもできなかった。

 結局はそっとしておくのが一番だと襖を閉めた。

 そうこうしているうちに、ヤンが任務から戻って早五日目、ケイが宿(イエ)へやって来た。玄関を開けるなり、ヤンの自室へ直行する。

「任務だ。詳細は割愛、今すぐルキの事務所へ行け」

 虚ろな目をケイに向けたヤンは曖昧な返事をして立ち上がった。のろのろと支度を済ませたヤンを半ば追い出すようにして任務に行かせたケイは居間に座り込んだ。

 囲炉裏ではパチパチと火が燃え、室内をわずかに温めている。

「帰らないのかって言いたそうな顔だな」

「そんなことはないですけど」

 軽く否定しながらゴハは囲炉裏を挟んで正面に座る。ケイが居座るのは想定外だったが、何か吉報を持ってきたとは思えなかった。

「ずっとあんな感じか?」

「そうですね。心ここにあらず、ってやつです。何かあったのはわかるんですけど、下手に刺激して」

 今から自分が言おうとしていた言葉の恐ろしさが不意に襲ってきて、ゴハは咄嗟に口をつぐんだ。だが、どんな言葉を続けるつもりだったのかケイにはよくわかっていた。

「死んだら困るもんな」

 ゴハは唇を噛む。これは情報統括官として言い切らなければならないことなのだろうか。有耶無耶にしてくれてもよさそうなものだが、こうもはっきり言い当てられてしまうほど表情と声色に滲み出ていたかとうつむいた。

「そこまで想像できるなんて、死に損ねた者同士仲良くやってくれてるようで何よりだ。ゴハをわざわざ宿家親(オヤ)にした甲斐があったってもんだ」

宿家親(オヤ)(イザナ)って、既死軍(キシグン)へ来るきっかけは同じなんですか」

「いや、そんなことはない。だが、ヤンの宿家親(オヤ)にはお前がいいと思っただけだ。意外と既死軍(キシグン)には自殺未遂者は少ないもんでな」

「今更ですけど、ヤンって何で死のうとしたんですか。飛び降りかけたっていうのは知ってますけど」

「俺から『情報』として聞いていいのか? 流石に長い付き合いだ。ヤンの口から直接聞くべきだと思うけどな」

「そんな弱みみたいなもの、俺には見せませんよ」

「既に見せてるだろ。虚勢すら張れてないんだから、今の状態が立派な弱みだ。だから、今なら案外すんなり教えてくれるかもしれないぞ。お前が傷口を抉ってやりたいって言うなら、聞けばいい」

「俺は、そんなつもりは」

「それなら、さっきみたいに黙ってることだな。いくら時間が経とうが、傷は傷だ。跡形なく、きれいに消えることのほうが珍しい。ゴハなら、分別ぐらいつくだろ」

 またていよく断られてしまったとゴハは黙り込んだ。

 共に暮らしてもう何年になるのかわからない。それなりに会話はしてきたが、過去のことはお互いに詳しく話さないままだ。察する部分は多くあるが、それでも確証が持てないことも多い。様々な言葉を飲み込んで、ゴハは「わかりました」と頷いた。

「まぁ、今日の任務は憂さ晴らしぐらいにはなるだろ。こんな何の変化もないところにいても、要らないことを考え込むだけだ」

「俺たちに言えることじゃないですけどね」

「それもそうだな」

「ケイさんも、何かずっと、考えてるんですか」

 自分を見つめる視線から逃げるようにケイはふいと立ち上がった。

「俺は考えるのが仕事だからな」

 普段から頭が破裂しそうなほどだというのに、今はシドの負傷にかかわる人間たちのことも気にかけなければならない。唯一の救いの時間といえば、こうして何も知らない宿家親(オヤ)たちと話すときぐらいだ。既死軍(キシグン)の人間特有の鋭い観察眼からさえ逃げ切ってしまえば、さほど気にすることはない。

「立ち直ると言うのか、とりあえずヤンのことは頼んだ。今日の任務はどうにでもなるだろうが、放心状態のままでは今後に差し支える。それが宿家親(オヤ)の務めだ」

 再び同じ返事をしたゴハを残し、ケイは宿(イエ)をあとにした。


 それから数時間後、ヤンはジライとともに人気のない工場の跡地に立っていた。だんだんと空が暗くなり始め視界は悪くなっていくものの、足元では歩くたびに血だまりがぴちゃぴちゃと水音を立て近くに死体が転がっていることを教えてくれる。

「うわ~。俺、ここまでは耐性ない」

 地面に倒れ込んでいる人間の皮膚や衣服はヤンの鞭で切り裂かれ、めくれ上がるようにして中身をずるりと露出させている。そういう武器だと言ってしまえばそれまでだが、ジライにはいつもよりも傷が深いように思えた。

 鞭を器用にくるくると輪のようにまとめているヤンは表情一つ変えていない。返り血がかかった顔はやけに落ち着いていて不気味に映った。

「別に、容赦してやるような相手でもねぇだろ。殺していいって言われてるし」

「それにしても、だな。恨みでもあんの?」

「ないけど、イラついてはいる」

「イラつくような暇もなかっただろ」

 ジライは笑いながらケイに任務完了の連絡をする。ロイヤル・カーテスや蜉蒼(フソウ)が絡まなければ、任務はすぐに終わるものが少なくない。今回も始まってしまえばあっという間だった。

 堕貔(ダビ)が来るまでのわずかな間、近くに座って周囲を警戒する。誰かにこの凄惨な現場を見られでもすれば、死体をその人数分増やさなければならない。

 ジライの隣に座ったヤンは鋭利な刃になっている鞭の先端を自分の制服の裾で拭いている。

「自分自身にだよ。何ていうか」

 眉間にしわを寄せ、うーんと唸ってみる。前回の任務以来、久しぶりに人ときちんとした会話をしているように思える。ふさぎ込んでいても仕方がないことはわかっていても、今まで散々ケンカをしてきたゴハに心境を打ち明ける気にもならず、胸中で渦巻く感情が吐き出せずにいた。ジライは(イザナ)の中では付き合いが長いほうだ。完全ではないにしても、多少は考えを汲み取ってくれるのではないかと、続ける言葉を探す。

「肝心な時に役に立てないんじゃあ、何のために今まで数え切れない人数を殺してきたんだろ、ってな」

頭主(トウシュ)さまのためだろ」

「それはそうなんだけど」

「もしかして、いっちょ前に生きる意味とか探してる? それなら宗教はやめとけよ」

「今更、神になんて頼るわけないだろ」

 久しぶりに少し笑ったヤンだったが、すぐに「あぁ」と納得したような間延びした声を出す。

「でもジライの言う通りかもな。生きる意味、なんて大それた言葉使うつもりはねぇけど。役割っていうか」

「自分探しか?」

「それも違うな。何か安っぽい」

「ワガママだな」

 全ての意見を否定されたジライは呆れたような顔で話を続けた。

「生きる意味も何も、既死軍(キシグン)なんて志願して来たやつなんていないだろ。それなら、成り行き任せでもいいんじゃないか」

「成り行き任せ、ねぇ」

「神様なんていないから。俺たちは別に見放されてもいないし、見守られてもいない。なるようにしかならない」

「そのなるようにしかならない、っていうのを司ってるのが神様なんじゃねぇの?」

「神様ってのはな、ペテン師に都合よく利用されるだけの存在だ。ヤンはペテン師の肩を持つのか?」

「持つ気はねぇけど、任務で一回やった縁ならある。それなら」

 会話を遮るように無線が入り、もうすぐ堕貔(ダビ)が到着することを告げられた。二人は立ち上がる。

「神様ぐらい、ペテン師(このおれ)が使ってやるよ。運命ってやつは俺が握る」

 ジライが一瞥したヤンの横顔は薄暗くてよく見えなかった。


 宿(イエ)に戻ったヤンは囲炉裏の近くでうたた寝をしていたゴハを「飯」と蹴って起こした。既に朝日は昇り、朝焼けもとうに過ぎてしまっている。

「それが人にものを頼む態度か」

 悪態を突きながらも、すっきりとした表情のヤンに安心感を覚えた。どうやらケイの言う通り、憂さ晴らしができたらしい。そっとしておくことが薬になるとは限らないのだなと、ケイに感謝した。

 ヤンは自室へ着替えに行こうとゴハに背を向ける。その背中を「ヤン」と呼び止めた。

「何年一緒に暮らそうが、他人は他人だ」

 足を止めて言葉に耳を傾けるも、振り返ることはしない。

「けど、俺はお前の宿家親(オヤ)だ。お前を守るのは、その、えっと」

 歯切れの悪いゴハをわざわざ見なくても、どんな顔をしているのかは容易に想像できた。迷いや気恥ずかしさが混じったような、時折見せる表情をしているに違いない。堅洲村(カタスムラ)で一番うるさいとまで言われた宿(イエ)がしんと静まり、時間までもがゴハの言葉を待っているようだった。

「義務、いや、違う。任務、も、違う。何て言うか、え? わざわざ言わなきゃいけないか?」

 遂に自問自答を始めたゴハにヤンは少し笑みをこぼし、すぐさま表情を戻してからやっと振り返った。

「俺たちは語り合うような仲じゃねぇだろ、ゴハ。言いたいことあるなら、かかって来いよ。どうせ、ゴハの言葉なんか俺には響かない」

 お互いに言わなかったこと、言えなかったことは山ほどある。しかし、今はその全てを口にする必要はない。

 いつも通りの挑発的な口調にゴハは口角を上げ、歯を見せて笑う。ここ数日のふさぎ込んでいたヤンは、何かがきっかけで吹っ切れたようだ。無理をしている可能性もゼロではないが、日常を取り戻しそうとしてくれたのならそれで十分だった。

「飯の前に一勝負だ」

「何賭ける」

「今季の雪かき全部」

「望むところだ」

(イザナ)宿家親(オヤ)に勝てない。絶対にな」

「聞き飽きた」

「言い飽きた」

 お互いに顔を見合わせる。

 ジライの言う通り、ここでは予定調和などはなく、全てが成り行き任せで一寸先すら見えはしない。それでも、立ち止まってしまうわけにはいかない。

「吠え面かくなよ」


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