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Blackish Dance  作者: ジュンち
164/208

164話 共犯

身命を賭して、偽り続けろ。

 そこまで見たところでケイはカメラを切り替え、無線を切った。耳元で聞こえたミヤの声がこだまするように響いている。

「俺のたった一人の大事な息子だ」

 それが答えだった。

 ミヤは頭主ではなくシドを選んだ。自分もこの選択を望んでいたのかはわからない。だが、心のどこかでは安心していた。

 シドが負傷したことを伏せた報告書を作り上げた自分は既に共犯者だ。頭主に初めて吐いた嘘だった。こうなれば身命を賭してミヤの想いに従うしかない。それで物理的に首が飛ぶことがあっても本望で、一年前にも覚悟したはずだ。全てが元通りになるまで時間はかかるかもしれないが、このまま貫き通すしかない。一度嘘を吐いたならば何度吐こうと同じだ。

 あの様子だと、ミヤはしばらく帰って来ない。代わりにシドの顔でも見に行こうと、イチに交代を頼んで外に出た。しばらく歩いたところでケイは足を止め、空を見上げる。満天の星空で、空気は澄み渡っている。ちょうど冬と秋の境目のような肌寒さだ。まだ息は白くならない。

 シドが生まれたのはどこまでも青空の続く冬の日だったと聞いている。正確な日付は知らないが、恐らくもうすぐだろう。その日をミヤとシドはどのような心境で迎えるのだろうか。

 もし、ルキが依頼を受けなければ。もし、自分がシドを行かせなければ。さまざまな「もし」が頭に浮んでは泡沫(うたかた)のように儚く消えていく。しばし感傷に浸ってみるが、そんなことをしても状況が変わるわけではない。

 不意に、ミヤがいつも言っている「仮定の話はしない」という言葉が頭をよぎった。

 ミヤがシドを手放さず、既死軍(キシグン)として生かすつもりなら、自分も共犯者として手を打たなくてはならない。頭を働かせ模索するべきは、二人に納得できる人生を歩ませる方法だ。

 ケイは再び歩き始める。

 遠くからでもヤヨイの宿(イエ)は見つけやすい。真っ暗な世界でぽつんと電気が灯っている場所が目的地だ。

 玄関を開けると、薬品とタバコが混ざったようないつも通りの空気がケイを出迎えた。煌々と明かりの漏れ出る診察室を覗いてみるも、そこはがらんとしていて誰もいない。シドが寝ている病室、居間もしんとしていて、珍しいこともあるもんだとヤヨイの自室と廊下とを隔てる襖を開けた。

「遅かったな」

「人違いだ」

 胡坐をかいた足の上には分厚い本が広げられている。布団の上だというのに、そんなことはお構いなしに手には火のついたタバコがある。余程熱心に読んでいたのか、ケイの声に驚いたような表情ではっと顔を上げた。

「センかと思ったか?」

「いや、俺はミヤを待ってる」

 ページの端を折って目印をつけ、分厚い本をわざとらしくパタンと音を立てて閉じる。

「残念だが、どっちもまだかかりそうだ。センはあと数日は見といたほうがいい。ミヤはわからん」

「報告どうも。けど、そんな連絡しに来たわけじゃねぇだろ」

「シドの顔を見に来た」

 そう言いながらもケイは座ろうと何冊かを動かして場所を確保する。医学書が山積みになって所狭しと置かれているヤヨイの部屋は、同じく本や書類であふれかえっているケイの部屋と雑多さではいい勝負だった。場所の確保に悪戦苦闘しているケイを一切手伝わず、ヤヨイは思い出したように長くなっていたタバコの灰を落とした。

「ケガ人の寝顔を見に来るとは、物好きなやつらだ」

「何とでも言え」

「バーカ」

 子供じみた返事に、ケイは再び「何とでも言え」と笑う。その時、ふと閉じられた本の表紙に目が行った。本のタイトルから得られる情報は少ないが、どうやらヤヨイはヤヨイでシドのことを気にかけているようだった。

「治るのか」

 単刀直入にケイはヤヨイを見る。当然、自分でもそれなりに調べはしたが、はっきりとした結論は出なかった。付け焼き刃な知識を信じ込むよりも、曲がりなりにも医者であるヤヨイのほうがいくらかは正しいはずだ。

「一命は取り留めた。俺に言えるのはただ、それだけだ」

 冷めきった目がケイに向けられる。ヤヨイはいつも淡々と事実だけを述べる。優しさや配慮といった言葉とは無縁で、相手が自身の発言でどんな気持ちになろうが知ったことではない。ヤヨイは好かれてこそいないものの、その腕は確かだと信頼されている。既死軍(キシグン)の人間であればだれでも一度は世話になる。今までどんなケガも病気も、不満を口にしながらもきちんと治してきたヤヨイが、ほとんど「不可能だ」とも聞こえる返事をした。藁にも縋る思いだったのか、一縷の望みをかけていたのか、ヤヨイの言葉に落胆とも愕然ともいえない表情になる。

「キョウみたいに、義足とかも無理なのか」

「無理とは言わんが、四肢の切断っていうのは関節が残っているかどうかが重要だ。キョウの場合はふくらはぎの半分程度が残っていたから機能回復訓練も比較的早く終わった。だが、シドは違う」

 一度ケイは大きく息を吸った。肺がタバコの煙で満たされていく。

「今後、満足に歩けるようになるのかさえ俺にはわからない。精神的なもの、身体機能の変化、そもそも、五年後、十年後も生きられるかどうか」

「ここじゃなくて、例えばどこかの病院とかででもか」

「医学にも限界ってもんがある。不治の病が未だにこの世に存在するのと同じだ。どこで治療しても変わらねぇ」

 突き付けられた現実が改めて全身を突き刺さしてくるような思いだった。このことをミヤは知っているのだろうか。シドが(イザナ)に復帰し、既死軍(キシグン)として生きていくことを望んでいるミヤにとっては死の宣告にも等しい。

「それをどうにかするのがヤヨイ、お前の役目だろ」

「だから、その俺がどうにもならねぇっつってんだ。医学じゃなくて魔法でも勉強しとけばよかったな」

 目の前の男は小馬鹿にしたように鼻で笑い飛ばしタバコを吸っているが、ケイは愛想笑いもできなかった。

「ヤヨイは、何とも、思わないのか」

「この世界は簡単に俺たちを裏切って突き放す。一喜一憂しててもしょうがないだろ。気持ちや祈りなんかで人は救えない。お前だって、前に話してたじゃねぇか。祈りによる顕著な回復はなかったっていう結果、知らないとは言わせねぇからな」

 すぐに返事はせずに黙り込む。歯に衣着せぬ物言いは嫌いではない。それでも、元々尖っている刃を更に鋭利に磨き上げたような言葉に急所を貫かれたように思えた。

「シドは既死軍(キシグン)から去る方が幸せだと思うか」

「そんなの、本人が決めることだ」

 拳を固く握り直してみる。爪が食い込む痛みなど、取るに足らない。

「どいつもこいつも、他人の人生に口出ししすぎだ。ミヤにも言っとけ。全てはシドが自分自身で決める。レールを敷いてやるのが優しさ、宿家親(オヤ)の務めだと思ってるなら大間違いだ」

 そこまで言うと、ヤヨイは邪魔だからとケイを部屋から追い出した。治療は困難だと言いながらも、あの様子だとヤヨイなりに何か解決策を探しているのだろう。何が正解なのか、正解があるのかすらわからないまま歩き続けなければならないのは自分とミヤだけではない。

 ぴしゃりと襖を閉められたケイは病室に顔を出す。ろうそくがか細く灯っているだけの室内はいやに冷え切っている。

 ベッドの隣に座ってシドの顔を見ていると、ため息ともつかない息が漏れた。ミヤほど思い出が多いわけではないが、赤子時分から知っているのは同じだ。

 数十年前、まだ歩くことすら覚束ないシドを一緒に見ていた周りの大人たちは既にこの世にいない。もし生きていたら、何と言っただろうか。優しく慰めてくれるのか、烈火のごとく怒りをあらわにするのか、それとも無関心を決め込むのか、一人ひとり顔を浮かべては反応を想像してみる。最後に頭に浮かんできたのは先代の情報統括官だった。ケイの宿家親(オヤ)であり、既死軍(キシグン)での身の処し方を教えてくれた人だ。真偽不明の噂はいろいろと聞き及んでいたが、ケイにとってはただただ優しい宿家親(オヤ)だった。

 小さくその名を呼んでみる。久しぶりに口に出した名前は懐かしい響きがした。

 確かにヤヨイの言う通り、去就を決するのはシドであるべきだ。たとえ親であるミヤでも決められることではない。きっと、先代もヤヨイに賛同しただろう。

 ケイはうつむいていた顔を上げる。

 仮定の話をしている場合ではない。過去も、思い出も、神や仏すらも助けてはくれない。決めることができるのは、前に進むことができるのは、今、ここに生きている人間だけだ。

「俺は、ミヤとシドが決めたことに従う。どんな結末になっても、二人が出したなら、それが正しい答えだ」

 まるで誰かに誓いでもするかのように口に出さないと決意が揺らいでしまいそうで不安だった。ケイは続ける。

「俺はシドにもミヤにも恨まれて当然のことをした。任務に行かせたのは俺の責任で、報復されても文句は言えないし、それで気が済むなら殺しに来てくれてもいい。けど、こんなに一緒にいるんだ。幸せぐらいは祈っても(ばち)は当たらんだろ」

 祈りには何の効力もないことぐらい知っている。だが、遥か昔から人類の営みの一つとして受け継がれてきたことは間違いない。元々は効果の有無などは関係なく、祈るという行為そのものが意味を持っていたのかもしれない。

 ケイはヤヨイの宿(イエ)を出た。

 見上げた先は、変わらず満天の星空のままだった。


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