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Blackish Dance  作者: ジュンち
163/208

163話 怨(えん)

赦すとは、愚か者の逃げ道だ。

 そこは何度来ても、嫌な臭いが染み付いているように感じる雑居ビルだった。人々が行き交う大通りからほんの少し外れただけの路地にその入り口はあった。外からは事務所か何かにしか見えず、わざわざ気に留める人間はいない。スーツを着たミヤは建物に入り、ノックもそこそこにドアを開ける。ケイが連絡をしていたらしく、パソコンに向かってキーボードを叩きつけていたジンが驚く様子もなく顔を上げた。

「自白剤はまだ使ってません」

「それは重畳」

「すぐ降りますか? 今はセンがいます」

 ぞんざいに置かれていたパイプ椅子を動かし、ジンの正面に座る。ジンは少し居心地が悪そうに、ミヤの座っているパイプ椅子よりかは幾分か上等な椅子から立ち上がり、隣の部屋へ移動する。

「治療中か?」

「終わってるはずです。交代して三時間ぐらい経ちますからね」

「そうか。それで、情報は」

「あの様子だと、大体は吐いたように思います。最後に一応自白剤は使いますが、やっぱり自分の意思で吐いてくれた情報って言うのは格別ですよね」

 隣室のジンは姿こそ見えないが、その声色からは満足そうな様子がうかがえる。

「俺はお前のそういうところ、尊敬する」

「そういうところ、って何ですか」

ミヤの言いたいことを汲み取っているらしいジンは笑いながら元の場所に座り直し、タオルにくるまれている道具を机に並べる。どれもジンが愛用している尋問用の道具だが、使い古されている感じは全くない。手入れをするように、くるんでいたタオルの端でくすんでいる刃先を拭き始める。

「どれか使いますか?」

「いや、いい。そんな冷たい金属では俺の言いたいことは伝わらない。感情は直接ぶつけてこそ、だ」

申し出を断られたジンは「素敵な愛情表現ですね」とつまらなそうにタオルからペンチに持ち替えた。

「俺はいつもこいつら使うんで、ミヤさんが何も使わないって言うなら後学のために見学にでも行きたいぐらいです」

「半分以上は私用だからお断りだ。あとで音声を切った録画でもケイに見せてもらえ」

「ケイさんも一緒に見ますか?」

『報告書だけで十分だ』

「いつもジンのすら見てないケイが俺のなんて見るはずないだろ」

「思ってるより平和的ですよ」

『感覚が麻痺してる堕貔(ダビ)どもに言われたくないんだよ』

「そりゃあ堕貔(おれたち)は死体をバラしたりして慣れてますけど、麻痺してるとまでは」

「いや、その点に関してはケイに同意する。麻痺してるからこそできる仕事だ」

『助かってはいるけど、俺にはできん』

「適材適所ってやつですよ」

 ジンは青白い顔で穏やかな笑みを湛えながらペンチを何度かカチカチと鳴らして見せた。


 何度目かの治療を終えてからしばらく、センは見張りとして相楽の前に胡坐をかいて座っていた。気絶しているのか、眠っているのか、椅子に縛り付けられた相楽は相変わらずぴくりとも動かずに項垂(うなだ)れている。

センにとってはこの男がどういう理由でここにいるのかは興味がなかった。ただ命令されるがまま、死んでしまわないように治療を繰り返している。治療相手が辛うじて人の形と精神を保っているのも見慣れたものだが、ジンも面識のない人間によくここまで痛みを与えられるものだなと感服する。あとから来るミヤのために普段より手加減はしていると言っていたが、それでもセンにしてみれば容赦のない仕打ちだった。

 ただ肺の部分が小さく動いているのをぼんやりと見ていると、不意に廊下に続く扉が開き、ミヤが現れた。その手にはスーツに似合わず、なみなみと水を湛えたバケツがあった。

「下がれ。あとは俺がする」

 言い慣れた「しょーちしました!」という言葉を残して、センはヤヨイから借りている商売道具をかばんにまとめて退室する。しかし扉を出るとすぐに足を止め、どうせ数十分後には再び呼ばれるだろうと、部屋の前に再び胡坐をかいた。

防音になっている尋問室は扉を閉めてしまえば外からは何が行われているかはわからない。情報統括官であるケイはカメラ越しに見られるが、好き好んで見ることはしなかった。ここで聞き出された内容は報告書として手元に届くから、わざわざ長時間に及ぶ尋問を見る必要はないというのが言い分だが、実際は見るのも聞くのも堪えられないからだった。尋問室へ来るのは手荒く尋問されて然るべき人間で同情することは一切ないが、人には向き不向きというものがある。ジンの言う適材適所という言葉がちょうど当てはまる。

ミヤはバケツの水を勢いよく相楽にかける。涼し気な水音に反して、ドロドロとした悪臭を放つ液体が水と一緒に床に滴っていく。

「久し振りだな、相楽。年貢の納め時ってやつだ」

その声にゆっくりと顔を上げた相楽は力のない、諦めたような表情で「縊朶(イシダ)か」とか細く呟いた。今更、この男の登場に絶望したところで、これからそれを凌駕する絶望が襲って来るのはわかりきっている。

ミヤ、もとい帝国陸軍の大佐である縊朶(イシダ)樹弥(ミキヤ)の黒い噂は絶えることがない。だが、決して尻尾を出すようなことはしない。表向きは清廉潔白な気高き軍人であり、帝国を束ねる元帥の側近だが、この国が元帥の都合のいいように動いているのはこの男がいてこそだ。縊朶(イシダ)樹弥(ミキヤ)という軍人がどれほどの屍の上に立っているのかは想像に難くない。

ミヤは相楽の前髪を掴み、きれいに整った顔を近づける。

葦原中ツ帝国アシハラノナカツテイコク陸軍縊朶(イシダ)大佐殿、だろ。立場をわきまえ、敬意を込めて呼んでくれんと困るな」

「やはり、縊朶(イシダ)が」

噛んでいたのかと続けようとした相楽だったが、そんな悠長に長ったらしい言葉を吐くのはミヤが許さなかった。手を離すが早いか勢いをつけて顔を殴る。

「聞こえなかったか? 縊朶(イシダ)大佐、だ。お前ごときに呼び捨てにされる筋合いはない」

衝撃で相楽が椅子ごと横に倒れると、続けて滑らかに光る手入れされた革靴でその頬を踏みつける。

「だが、だいぶ吐いてくれたらしいじゃないか。お前のことは気に食わんが協力には感謝しよう」

称賛するような言葉とは裏腹に、頬を離れた革靴が腹に蹴り込まれる。靴と椅子の背もたれに挟まれた内臓と骨が悲鳴を上げた。最早何かもわからない液体を吐き出した相楽は犬のように短い呼吸を繰り返す。

「だからといって見逃しはしないし、赦しもしない。お前はこのまま俺に殺される。家族も仲間もな」

 それまで何の反応もなかった相楽だったが、腫れあがった目を見開きミヤを睨みつける。その目が約束と違うと語っているのは一目瞭然だった。

「吐けば他の人間は助けてやるなんて約束は、さっきの男としただけだろ。俺はそんな出来もしない約束はしない。お前はこの帝国に楯突いた。一族郎党って言葉がこの国にある以上、報いは受けて当然だ」

ミヤはしゃがんで「それはそうと」と醜く歪み切った相楽に笑いかける。

「俺は帝国のことよりも大事な話をしに来た」

動揺と困惑が混在したような相楽が表情筋を動かす。

元帥のために人生を捧げた殺人すら厭わない従順なイヌ。それが相楽の縊朶(イシダ)樹弥(ミキヤ)に対する認識だった。今こうして自分が痛めつけられているのも、元帥や軍のことを嗅ぎまわった報いだと信じきっていた。

縊朶(イシダ)が帝国以上に、元帥以上に守りたいものなどあるはずがない。

「お前、俺の(せがれ)に手を出してくれたんだってな」

 その言葉に相楽は耳を疑った。いよいよ自分の気が変になってしまい、幻聴が聞こえたのかとすら思ったほどだった。

 相楽にとって縊朶(イシダ)樹弥(ミキヤ)は今でこそ元帥の側近として軍内で名を馳せているが、元々は取るに足らない一介の軍人という印象だった。先の戦争ではかなりの武勲を立てたらしいが、平時では目立つわけでもなかった。

数十年ほど前、縊朶(イシダ)には子供がいると噂で聞いたことがあった。元帥の側近に秘密があるとなれば暴かないわけにはいかない。隠し通せるならいくらでも金は出すだろうと目をつけたが、どれだけ調べても情報は出て来なかった。徹底的に調べたところで、まさか側近の子供が出生届も出していない無戸籍であるはずがないと、結局は「単なる噂でしかない」と結論付けた。

そこまで思い返したところで、相楽の脳内には一人の顔が浮かんだ。あのとき自爆の道連れにしようとした男は、確かに若い時分の元帥に似ていると思った。だが、果たして似ているのは本当に元帥だったのだろうか。

男と元帥とが結びついたのは、元帥にも子供がいるという噂があったからだ。これも信憑性はかなり低く、結局は縊朶(イシダ)と同様に単なる噂だと調査を終わらせ、すっかり忘れていた。それなのに、なぜかあの時はふと口を突いて出てきた。

かなり近い関係の二人に同じような噂があったとすれば、誰かが元帥と縊朶(イシダ)とを間違えたとしか考えられない。だが今思えば、この言論も情報も全てが監視され統制されている帝国では、元帥の手にかかれば書類で始まり書類で終わる人の一生などどうにでもできる。本当は、どちらかは噂ではなかったのかもしれない。

それなら、どちらが真実だったのか。

 眼前に見えるおぼろげな男の姿は、死を全身に纏っているかのようで、まさしく今目の前に立っている縊朶(イシダ)そのものだった。

「元帥の子じゃ、ないのか」

「俺のだ。俺のたった一人の大事な息子だ。それをお前は傷つけた」

あの男が誰の子か、などという真相は今の相楽にとってはどうでもよかった。今はただ、縊朶(イシダ)の言い分を真実とすることで長年の謎が解けたことにするしかない。長考したところで、最早金にもならない。

そんなことを考えていた相楽はミヤの顔を少し見上げる。先ほどまでは嫌味ったらしく張り付いていた作り物の笑顔は既に消え失せていた。

 これが数百の屍の上に立つ人間の顔だ。

「帝国軍人としての尋問など、はなからするつもりはない。俺がここへ来たのは」

 腰を上げたミヤは相楽の腹を再び蹴りつける。水で濡れていた床に赤い血がじわじわと混じっていく。

「ただの私怨だ」


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