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Blackish Dance  作者: ジュンち
159/208

159話 潔く

前を向け、先を見ろ。

 シドの髪を掴んでいたヴァルエの指先から鮮血が吹き出す。みるみるうちに白い手袋が赤く染まり、それと同時に軽い音を立てるようにして、どこかの指が一本地面に落ちた。

 わざわざこんな局所的な攻撃をしなくても、致命傷を与えることもできた。しかし、シドにとっては自分に触れているその穢らわしい手を離させるほうが先決だった。

 誰の手にも届かない場所にいたつもりだったのに、こうも簡単に敵の手に触れられたのは自分が落ちぶれてしまったような気がして、到底許せるものでも我慢できるものでもなかった。その怒りはヴァルエに対してなのか、自分に対してなのかはわからない。

「俺に触るな」

 手を押さえて数歩後退したヴァルエには恐らく聞こえていないだろう。自分自身の行動を肯定するためだけに、シドは呟きながら短くなった髪を手で梳くように流す。腰まであったはずだが、今は半分ほどの長さになっている。敵の手を離させるためとはいえ、まさか拳銃で髪を短くすることになるとは思ってもいなかった。

 髪を伸ばしていることに大した意味はない。間違いなく、きっかけになる理由があったはずだが、今は無意識の内に切るのを拒んでいる。自分の行動に何か理由や意味があるとしたら、幼少期にミヤに何か言われたぐらいしか思いつかないが、あまりに幼少期の出来事だったからか、重要性が低かったからか、今は何も思い出せない。ミヤに聞いたところで、いちいち覚えているとも思えず、真相は不明だ。

 それに、今は過去に思いを馳せている場合ではない。帰ってからゆっくり考えればいいかと、もう一度髪に触れた。いつもの癖で、ないはずの場所までをも指で触りそうになる。何かを失うとはこうも呆気ないのに、頭や身体がそれを受け入れるまでには時間がかかるのかと、行き場を失った手を静かに下ろした。


 傷口からとめどなく溢れる痛みを気力だけで押さえ込み、ヴァルエは軍刀を強く握った。左手は痛みで痺れているのか、神経が麻痺しているのか、感覚を失ってはいるが、利き腕である右手が無事だったのは不幸中の幸いだ。だが、安堵することはできなかった。目の前には銃口を向けているシドがいる。引き金を引く動きを見切れたとしても銃弾を避けるのは不可能だ。

 軍刀を離してしまわないようにしっかりと握り直したヴァルエは深く息を吸って、シドに立ち向かう。銃を構えたままシドは微動だにしない。この距離であればシドなら外すことはない。敵だというのに、何故かそんな信頼感だけはあった。

 無理かと思われたが、一発目は辛うじて避けることができた。死の淵に立たされた人間というのは不思議な力が出るものだなとヴァルエは自分のことながら感心する。

 シドの拳銃が連射できないことは知っている。数秒にも満たないが確実に隙が生まれる。一撃を喰らわせられるとしたら、そこしかない。全てを賭ける。シドが引き金を引くよりも早く、軍刀を振り下ろした。

 その刹那、まっすぐにこちらに視線を向けるシドと目が合った。

「ヴァルエ、お前はこの俺が殺す」

 それは二人が初めて対峙した時、ヴァルエの去り際にシドが放った言葉だった。ヴァルエは同じように「俺のセリフだ」と鼻で笑って返した。

 あの時、雌雄は既に決していたのかもしれない。

 自分が生きてこの場所を去ることはないだろう。きっと、近くにいるルワやノーフとでさえ、話すことは二度とない。そんなことはヴァルエにはわかりきっていた。だが、今日こそは今までのすべてを雪がなければならない。ただの自己満足だと言われれば反論の余地はない。

 犬死に。無駄死に。

 自分が遂げるであろう無様な死を罵倒する言葉が頭をよぎる。負けを認めてしまった時点で、このまま死んでも文句は言えない。それでも、今ヴァルエをこの地に立たせているのは、軍刀を握らせているのは、意地以外の何物でもなかった。

 遠くにルワが見えた。こちらの状況はどうやら気付いているようで、一瞬目が合った。

 ルワならヒデとの戦いを切り上げて、こちらを助けに走ることもできるだろう。曲がりなりにもロイヤル・カーテスの王だ。戦局を見極め、適切な行動をとるなど造作もないはずだ。だが、その眼差しが含んでいるのはヴァルエに対する信頼と許しだった。

 ここまで死力を尽くして戦ってくれたシドと、そして、最後まで一対一で戦うことを許してくれたルワに、ヴァルエは万感の思いを託して再び軍刀を振り上げた。

 どうやらロイヤル・カーテスとして生きた時間に意味はあったらしい。

 脳天を震わせるような破裂音がした。


 自分の拳銃をホルスターに収めながらゆっくりと歩を進めたシドは立ち止まり、地面に向かって手を伸ばした。差し伸べたところで、その手を掴み返す人間はいない。今はもう主を失った軍刀と拳銃を手にすると、一瞥をくれることもなくその場を離れた。

 惜別の情など持ち合わせてはいない。

 攻撃命令こそ出ているものの、今回の任務内容はロイヤル・カーテスを倒すことではなく、情報媒体を奪い、情報屋を捕まえることだ。

「ヤン、二歩左にどけ」

 使い勝手を確かめるようにしてからヴァルエの拳銃を構える。すぐさま指示した通りにヤンが動き、ノーフの全身を視界に捉える。

 それと同時に、ノーフには自分に向かって来るシドの遥か遠くにヴァルエの無残な姿が見えた。

「ルワ、撤退! ヴァルエがやられたっぽい!」

 すぐさまノーフはそう叫びながらシドの攻撃を避けるも、ズキズキと痛む足で思うように動けない。いくら何度かヤンに傷をつけることができたとはいえ、このままシドに加勢されてはヴァルエと同じ道を辿るしかなくなる。

 脱兎のごとくその場を離れ始めたノーフの後を追いかけながら、ヤンは「逃げるな!」と月並みな言葉を投げかける。

「そう言われて立ち止まるとでも思う?」

「なら、そうさせるまでだ」

 ヤンは鞭を放ったが、ノーフは足元に転がっていた男を再び軽々と投げつけて自分の盾代わりにして防いだ。

「だからどこにそんな力があるんだよ!」

 先ほどの仕返しでもするかのように、宙を舞って地面に叩きつけられた男の腹をわざと踏んで乗り越えながら毒づいた。


 ノーフに言われるまでもなく、ヴァルエがどんな状況かはルワにはわかっていた。数か月前にヴァンを見送り、最近やっと気持ちに整理がつき始めていたというのに、またあの出口の見えない日々を過ごさなければならないのかと一瞬目を閉じた。

 ロイヤル・カーテスで軍刀を賜っている人間は四人しかいない。全てを束ねる(ルワ)をはじめとして、敵に対して慈悲も容赦もない女王(レナ)、最強の名をほしいままにする(ユネ)、そして家来(ヴァルエ)だ。

 ヴァルエは任務に於いては表立って褒められるような成果をあげたことはなく、軍刀を持っている四人の中ではあまり目立たなかった。窮地に追い込まれた仲間の手助けをすることが多く、ヴァルエではない別の誰かが任務を終わらせることがほとんどだった。元々は勝気な性格で、その行動から考えられるような冷静沈着、泰然自若といった言葉からは程遠い。それでも、自分に与えられた名とその役割は十分に理解していた。

 だが、シドの前では全てをかなぐり捨て、一人の人間として戦っていた。その戦い方を誰かはただの執着だと嘲るように言っていた。確かに賛成できる部分もありはするが、ルワにはそう思えなかった。ヴァルエがシドに対して抱いていたのは、そんなドロドロとした感情ではなかったはずだ。それこそ、自分がヒデに持っているような晴れ晴れとした穢れのない感情とでも言うべきものだったように思う。

 視線を戻し、ヒデを見据える。

 いつかは自分たちも決着を付けなければならない。その瞬間、どちらかには必ず死神が微笑む。

 目の前のヒデは、今は慣れない拳銃を構えている。手元に残っていた矢は全て叩き切った。その度に悲痛な声を上げていたが、流石に攻撃手段を残しておいてやるようなお人好しをやるつもりはなかった。何本かは折れないまま地面に落ちているが、ヒデが拾うには遠すぎる場所だ。

「なぁ、ヒデ」

「何ですか。今日も終わりですか」

「そういうこと。ヒデだって助かったって思ってるんじゃないのか」

 ルワは武器を片付けて両手を上げて見せる。

既死軍(キシグン)の怖い人たちが来る前に俺は帰るよ」

 矢を折られ尽くしたヒデは反撃の一つでもしたかったが、白旗を上げているルワを撃つ気も起きなかった。シドやヤンならそんなことお構いなしどころか好機とばかりに攻撃をするに違いない。また後でヤンからチクチクと言われるのだろうなと思いながらヒデも腕を下ろした。

「俺たちどっちかが死ぬときはさ」

 ルワは声を震わせた。負けた人間が死ぬのは当然で、ヴァルエは納得してその生を終えたはずだ。その名誉のためにも、その生き様を称えるためにも、笑顔で送ってやらなければならない。

 うつむいて唇を噛んだ。泣くのは冒涜に値することはわかっている。だから、今は必死でこらえるしかない。

 勢いよく息を吸って顔を上げた。

「お互いの目の前でしか許さないからな」

 急に一体何を言い出すんだとヒデは怪訝な顔をする。その背中で一つの戦いが終わったことにはまだ気付いていない。

「僕は死にませんけど」

 ルワはうなずいてヒデの横を通り過ぎる。その姿を見送ろうと振り返ったヒデはやっと事の顛末を知った。

 空はまだ明るい。


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