157話 口上
自分で出した答えこそが、真理だ。
シドが放った銃弾は、予定通りの軌道でヤンを押さえつけている男に当たった。頭ではなかったものの、脇腹から貫通した痛みは相当なもので、男はうめき声と共に思わずヤンを締め付けていた手を離した。その程度の隙しか生まれなかったのは流石用心棒とでも言うべきなのかもしれない。
誰かからの助けは諦めきっていたが、何が起こったのかすぐに理解したヤンは好機を逸するわけにはいかないと男の腹を思いっきり蹴り上げてどかした。これ以上の援護はもう二度とないことはわかっていた。シドの貴重な銃弾はシド自身のために使うべきだ。
素早くホルスターから自分の拳銃を取り出し、手始めに間近に立っていたノーフの足を撃ち抜きながら立ち上がった。
ノーフは誰もこちらの状況を把握していないと思い込んでいたらしく、痛みを感じたころには生温かいどろりとした感触が肌を伝っていた。呆気にとられたように足元に視線を落としたノーフが顔を上げる。先ほどは少しの切り傷でわかりやすく激昂していたが、今の表情は青い炎が静かに燃えているようだった。
炎は激しく燃え盛る赤よりも、青のほうが遥かに熱い。
華奢な身体のどこにそんな力があるのか、使えないなと愛想を尽かした用心棒の襟首を掴み、ヤンのほうに投げつける。体格のいい大人の男が呆気なく、細身のノーフにされるがままだ。
辛うじて避けたヤンだったが、その先にノーフが攻撃を仕掛けてくるのは予想通りだった。身体をひねり、構えられていた銃を高く上げた足で蹴る。しかし、そう簡単には手放さなかった。ブレた照準を瞬時に合わせ直し、銃弾がヤンの頬をかすめる。
軌道に合わせて薄く血が後方に飛んだ。
ヤンは舌打ちをして着地した足を軸に、地面に手をついて再び蹴りを入れるも、今度は腕で防がれ失敗に終わった。
やはり接近戦や拳銃よりも、少し遠い場所から優位を取れる鞭を取り戻したいと顔をしかめる。だが、それは情報屋が乗った車の後部座席だ。ノーフにおもちゃのように使われた男は地面に叩きつけられた衝撃で気絶しているが、残る用心棒の二人はどちらも事の成り行きを警戒しながら見ている。更には情報媒体もアタッシュケースも車内に取り込まれたままだ。任務としては成功が危ぶまれる状況だ。
腕で跳ねるように後方に飛び、間合いを取ったヤンはそれぞれの位置を確認する。その間も、雨あられのようにノーフは弾丸を浴びせてくる。拳銃の構造上次の発砲まで少しの間があるが、連射できる銃だったら既にハチの巣になっていたなと、ロイヤル・カーテスの武器に初めて感謝した。
射撃の腕はあまりよくないようだが、何発かは身体をかすめていった。この程度なら痛みは感じなかった。かい潜ってきた死線はこんなものではない。
「照準合わせてから撃った方がいいぞ。俺の命はそんな雑な銃弾じゃ奪えない」
「挑発には乗らないことにしてるから、ごめんね」
申し訳なさそうに眉を下げながら笑っているその顔は作られた仮面のようにぴったりとノーフの顔に張り付いている。その微笑みは戦いの場には不釣り合いで、何となく不愉快だった。
睨み合いながら車を中心にして円をかくように移動する。ヤンの方が車に近い今の場所からであれば手っ取り早く情報屋を人質にすることはできそうだが、ノーフに情報屋を撃ち抜かれてはたまらない。恐らくロイヤル・カーテスの目的は情報媒体の奪取と情報屋の保護だが、既死軍ほど命令に忠実なわけでもなさそうだ。何をしでかすかわからない相手は爆弾のようで、どう扱ったものかと頭を悩ませる。
ちょうどトランクとノーフの間に自分が位置したところで、ヤンは行動を起こした。
走って車体の反対側に周り、運転席側にしゃがみ込む。後部座席の後ろにある大きな窓から車内を一瞥したところ、どうやら自分の鞭は後部座席に置かれただけのようで、取り返す機会は大いにありそうだ。
一旦車の陰に隠れてしまえばノーフからも車内に残った男からも見えはしない。ヤンが走ったのと同時にノーフと外にいた男も後を追いかけて走り始めたが、まだ自分の姿が見えるまでには時間がある。
残弾数を数え、顔を上げた。
まず、ヤンは運転席から少し顔を覗かせた男を撃ち抜いた。顔の半分も出していなかったが、この距離であれば外すことはない。少しでもシドの役に立てるようにと、射撃練習は怠らなかったつもりだ。憧れもあったのかもしれない。
今度は頬を地面につけて、車体下のわずかな隙間から向こう側を確認する。ノーフはヤンの攻撃を警戒してか、軍靴は一旦歩みを止めていた。だが、用心棒のほうは愚直なまでにこちらに向かって来る。いくらで雇われたのかは知らないが、あまり質のいいものではないなと、一直線にこちらに向かって来る足を隙間から撃つ。靴の爪先からかかとに向けて貫通したようで、男はバランスを崩す。そして足に力が入らなくなったのか膝をついた。
ノーフと用心棒は何も協力しているわけではない。少し利害が一致しただけで、ノーフには別に守ったり助けたりする義理はなかった。
先ほど投げ飛ばした男よりかは幾分か小柄な男は、難なくノーフに襟首を捕まれ宙を舞った。敵ではあるが、その力技は見事なものだなと空から降って来る男を避けるために後部座席のドアを開けて車内に入り込んだ。
手で頭を守り、身体を折り曲げるようにして防御姿勢を取っている助手席の情報屋は誰が乗り込んだかも理解していない。
ヤンは数分ぶりに自分の分身に再会した。分身というには大げさな気もするが、数多の任務には必ず帯同していた。ともに任務に出る誘は毎回変わるが、武器だけは変わらない。有象無象への攻撃は、攻撃さえできれば武器にこだわりはない。しかし、気に食わない相手に一撃を与えるのは手に馴染む自分の鞭が良かった。
入って来たドアとは逆、ノーフ側からおもむろに降りたヤンは地面に足を付け、鞭をしならせる。破裂するような目の覚めるような音があたりに響いた。
「何か、お前はムカつくから倒す」
「僕も、その武器には恨みがあるから、君のこと倒すね」
ヤンが嫌いな光り輝かんばかりの笑顔をノーフは再び見せた。
ヒデの手を握ったルワは「始めるか」と立ち上がって軍刀を抜いた。
お互いに守るものは違う。
ロイヤル・カーテスには既死軍を使役するのが元帥であることはわかっている。だが、この帝国がいくら軍事国家とはいえ、国を統べるのは皇であって軍ではない。だからこそ、ロイヤル・カーテスは道から外れた行動を繰り返す既死軍を正さなければならない。
一方、既死軍の考え方はその一歩先を行っていた。
皇が帝国を統べるといっても、ただそれだけでは他国から攻め入られて歴史の闇に葬り去られてしまう。皇が君臨し続けるためには、国内外に対する抑止力として強大な力が必要だ。それの一つが帝国軍だ。しかし、先の戦争では当時から最強と謳われていたにしては戦況は芳しくなく、想定以上に長引くものとなった。その原因は明白で、軍内での衝突と諜報員の暗躍だった。
当時の劣悪な状況を憂えた今の元帥が創設したのが既死軍だ。どこにも属さず、元帥の意のままに操れるその組織は最強の軍を維持させるために必要だった。元帥の理想とは、単純に、皇を皇として帝国の頂点に座らせ続けることでしかない。
既死軍もロイヤル・カーテスも目指すものは千代にも続く帝国の安寧だ。
だが、どこかでボタンは掛け違えられたままになっている。
「助けてもらっといてこんなこと言うのも申し訳ないんですけど」
まっすぐ自分に視線を向けるヒデを制し、ルワはその言葉を続ける。
「任務だから、ヒデは俺に仕方がなく敵意を向けてるんだろ」
ヒデはうなずいた。確かにルワは敵であり、倒さなければならない。ルワにとっての自分も同じ対象だ。ルワが一瞬、自身の放った言葉に対して小さく笑ったように見えた。それは諦めなのか、覚悟なのか、それとも自嘲しているのか、ヒデには見当がつかなかった。
「わかってるよ。わざわざ言わなくてもいい」
「じゃあ、ルワはどう思うんですか」
「ヒデなら『任務だから』としか答えないだろ。既死軍のやつらって俺らと違ってバカみたいに任務の遂行にこだわるもんな」
「僕はルワの答えが聞きたい」
「そんなの、言葉にしなきゃダメか?」
間合いを詰めたルワは薙ぐように軍刀を横に滑らせる。すぐさま回避したヒデは自分も軍刀を持って来るんだったと少し後悔しながら、ちょうどいい距離を探る。
「言わなくてもわかるなんて、ルワにしては、何と言うか弱気な考えですね」
ヒデは静かに弓を引いて矢を向ける。まるで睨み合う二人の視線を具現化したような矢はまっすぐにルワに向けられている。
ちらりと視線を落とし、ルワは弓を引くヒデの手を見た。そこには速射用の矢がまだ握られている。初めの一矢をかわしても、すぐに第二、第三の矢がルワを捕らえる。この場合は逃げるよりも立ち向かうのが吉だ。懐に潜り込めるほど近づいてしまえば少なくとも矢に撃たれる心配はない。
「俺には、なんというか、上手く言えるだけの言葉がない」
姿勢を低くして矢をかわし、ヒデに向かって走る。第二の矢は軍刀で叩き切り、その次は身を翻してかわした。
「言葉さえ知ってたら言えるってことですか?」
「そんな簡単な問題じゃない」
距離を縮められたヒデは拳銃に持ち替えた。有耶無耶にしたそうな言葉とは裏腹に、軍刀を振り上げていたルワの動きがぴたりと止まる。
銃口と目が合った。
「本当に、僕のこと叩き切ろうと思ってますか?」
「思ってる。俺だって任務だから」
「そんな迷ってるのに?」
まっすぐな瞳に全てを見透かされたようで、ルワは視線を外した。