151話 大義
目指すべき、場所。
ルワが目を覚ましたのは、小さな部屋だった。あるのは簡易ベッドとロッカーぐらいの殺風景なもので、窓も何もない壁で四方を囲まれている。
ベッドを軋ませながら寝返りを打ち、枕元に置いていた携帯電話で時間を確認する。予定していたよりかは少し早く目が覚めたようで、起きるのをためらうように低い声で唸り声を小さく上げてみる。
夢を見ていたはずだったが、何も覚えていない。登場人物も、場所も、何もかもが消え失せてしまった。任務に出ていたようにも思えるが、はっきりとしなかった。夢とはいつもそんなものかと、意を決して体を起こす。
一目で寝起きとわかるような顔のまま、部屋を出てた。廊下には同じようなドアがいくつも並んでいる。ここにも窓はなく、まばらに設置されている蛍光灯が薄暗く光っている。私服で歩いていると、自宅のように思えるぐらいには馴染んだ場所になっていた。
階段を上ってドアを開けると、一気に華やかな空間に出た。ルワの登場に先客たちが声を掛ける。
「あれ、ルワいたんだ」
「いつからいたの?」
「昨日の夜から泊まってて今起きた。ていうか、何でいるんだよ」
中心に楕円形のテーブルが置かれた広い部屋は、それを囲むように円形にソファが置かれている。そこにレナとヴァルエがいた。机には紅茶と、積み上げられた教科書や参考書があった。
ロイヤル・カーテスの任務はここから始まり、ここで終わる。既死軍にとってのルキの事務所と同じような場所だ。しかし、小さいながらも仮眠用の個室が与えられていることや、自由に使えるこの大部屋があることから、任務がなくても気軽に来られる場所になっていた。
「見ればわかるだろ」
「また家庭教師ごっこか」
隣り合って座る二人の正面に座ったルワは一番近くに会った歴史の教科書を手に取ってめくってみる。数か月後に大学受験を控えたレナは頻繁にここで勉強している。大学生や社会人をしている人生の先輩たちに勉強を教えてもらおうという考えだ。今、それに捕まっているのがヴァルエだ。自分も確かに勉強したはずだが、何も覚えていないものだなとルワは写真の部分だけに目を滑らせていく。
「ここは塾じゃないってレナに言ってやってくれよ」
「家より捗るって返されるだけだ。まぁ、勉強してるのは偉いんだし、いいじゃん」
「だってよ、レナ。そう言ってくれるルワに数学でも教えてもらえ」
ヴァルエはやっと解放されるとでも言わんばかりに、残っていた紅茶を飲み干す。初めは湯気を立てるほど熱かったのに、今はすっかり冷たくなってしまっている。どれほど時間が経ったのかを温度で知ることになるとはと、恨みがましく寝こけていたルワを見る。
「いや、俺、これから任務行くんだけど」
「時間まだまだあるじゃん。ていうか俺も任務だよ」
「復帰戦?」
「そうなるな。前回も、前々回も、シドにこっぴどくやられたから、今日会えたら三度目の正直だ」
「前回って、もしかして」
「ヴァンが死んだときだ」
一瞬の沈黙が訪れた。レナは聞こえていないふりをして穴抜きにされた問題の空白を埋めていく。それでも、聞きたくない単語が頭を通り過ぎた。集中していたはずなのに、筆記用具を持つ手に少し力が入る。
「静かにしてよ」
「ほら、女王様がお怒りだ」
「店のほう行くか? 新しい紅茶欲しいし」
ルワは「賛成」と座ったばかりの腰を上げる。
ヴァルエも手にしていた古典の解答を伏せて机に置き、立ち上がった。ルワのことはあまり好きではないが、ここでレナの相手をしているよりかは幾分か有意義に思えた。
「何か用あったら来てくれよな」
優しいルワの気遣いの言葉にレナは顔を上げて「いってらっしゃい」と小さくぞんざいに手を動かした。
ドアを開けると、こぢんまりとしたバーに出た。営業時間前の店内はクラシック音楽が静かに流れているだけで、当然客はいない。カウンターの内側でグラスを磨いていたマスターは二人が来たことに気づき、湯を沸かし始める。何か話しかけてくることはない。
カウンターチェアに座ったルワは「それで」と先ほどの話を続ける。
「一応聞いてるけど、前回は随分やられたらしいな」
「ヴァンは気付いたら死んでた。チャコと相打ちかと思ってたんだけど、思い込みはよくないな」
ロイヤル・カーテスは体系だった報告書があるわけではない。自分が行っていない任務での出来事はこのバーのマスターである盡无から聞くだけだ。ルワは王の名を冠しているという自負から全てを聞くようにしているが、他のメンバーがどこまで聞いているかは知らない。ヴァンが死んだということは全員知っているようだが、それもどうやって情報を手に入れたかまではわからなかった。
「ヴァルエは刺されたんだっけ」
「いや、撃たれた。刺されたのはシドのほうだ」
痛そうな単語の羅列に、自分は運よくまだ大怪我をしていないだけで、いつかは血を流す日が来るのだろうかとルワは思わずしかめっ面になる。
「俺、あんまりシドと戦ったことないけど、ヴァルエはよく攻撃当てられたなって素直に尊敬するよ」
「火事場の馬鹿力ってやつだ。最終的にはユネに助けられたし、ホント最悪」
ひそめていた眉が更に深くしわをつくった。泣きっ面に蜂を体現したような出来事に思わず同情する。
「その前はディスに怒られたし、シドに会うといいことない」
「疫病神ってやつ?」
「俺からしたらな」
殺伐とした会話に、ふわりと華やかな香りが広がった。盡无が注いだ紅茶は温かく白い湯気をたて、二人の前に穏やかな空間を作り出す。
「そういえば、最近既死軍と会わないな」
「ルワも?」
「二か月ぐらい会ってないかも。まぁ鉢合わせしたら戦わなきゃいけないし、いないほうが気楽なんだけど」
「俺はさっさと全滅させてやりたいけどな。それがロイヤル・カーテスの存在意義だし」
「もし今日現れたらどうする?」
「さっきも言ったけど、もしシドなら三度目の正直。どっちかが死ぬまで戦う」
「ヴァルエが死ぬ可能性もあるんだ」
意外と弱気な発言にルワは驚きを含んだような声をあげる。
「ないに越したことはないけどな。別に初めから敵視してた訳じゃないけど、こう何度も戦ってると、ちゃんと決着はつけたいと思う。もしそれで俺が死ぬことになっても、納得できる、かもしれない」
語尾を濁しながらヴァルエは飲み慣れた味の紅茶に口をつける。
「ルワだって、ヒデと戦うなら勝敗はつけたいだろ」
「それも思うけど、何というかさ、ロイヤル・カーテスと既死軍の目指す場所は同じなんだから、とも思う」
「璽睿に告げ口案件だな」
その名が出た途端、ルワは駄々をこねる子供のように首を横に振る。その反応を小バカにしたようにヴァルエは鼻で笑った。
「いや、ちょっと待って、今の撤回。というか付け足し」
「聞こうか、弁明」
「確かに目指す場所は同じだと思う。平和で安全で、悪い人間がいない帝国ってやつ。けど、既死軍は皇のことをないがしろにしてるのと同じだ。ここは皇が統治する国で、皇には既に帝国軍がある」
ヴァルエは静かに紅茶を飲みながら聞いている。不器用なルワが必死に言葉にして伝えようとしている内容はよく理解できた。皇がこの国の全てを統治している以上、既死軍のような自由意思を持った「反逆者」を許してはならない。言いたいのはそういうことだろう。
ルワは続ける。
「俺たちロイヤル・カーテスがいるのは、それを正すためだ。目指す場所が同じでも、大義は俺たちにある。皇のために、この国のために、既死軍は倒さなきゃいけない敵だ」
そこまで聞くと、ヴァルエは満足そうにうなずいた。どこか優柔不断なルワがはっきりと「既死軍は敵だ」と言い切ったのは褒められる発言だ。
「そこまでわかってるなら、告げ口はしないでやるよ」
「助かる~。ありがとう」
今までの真剣な表情はどこへ行ったのか、安心したように腑抜けた表情をしている。ヴァルエはその王らしくない顔を横目に、いつかディスに言われた言葉を思い出した。
「王に必要なのは強さだけではありません。戦況を瞬時に判断する能力、部下である我々を使役する才能。そして、人心を掌握する人柄。いわゆる王の器、ってやつです。ルワは間違いなく王ですよ」
その時は肯定も否定もしなかったように思う。だが、今はディスの言っていたことが少しはわかる。人柄があまり好きではないのは変わらない。出会う場所が違えば、あまり話をしないような関係だっただろう。少なくとも、こんな場所に並んで紅茶を飲む関係にはならなかった。
空になっていた紅茶はいつの間にか新しいカップに取りかえられ、再び温かい香りを広げていた。
「ヒデはいいやつだと思うよ。同じクラスにいたら友達になってたかもしれない。けど、こうして出会った以上は、どっちかが倒れるまで戦わなきゃいけないんだ。もしかしたら、ヴァルエにとってのシドも同じなのかもな」
「それなら出会わなきゃよかったって、思ってるの?」
急に聞こえたレナの声に二人は視線を向けた。
「お前、勉強は」
「休憩。あとでディスが来てくれるから」
「ディスはディスでお人好しだよな」
「それには全面的に同意」
横に並んだ三人は、それぞれがそれぞれの人間に思いを馳せていた。無感情に仲間と敵という区別をして人間関係を継続していくのか、それとも運命というあやふやな言葉に心を預けるのかは未だに答えが出ないようにも見えた。
しばらく黙ったあと、ヴァルエが口を開く。
「出会わなきゃよかったかどうかは、今から確かめて来る」
「既死軍が来るかは知らないけどな」
「既死軍に限らず、お前ともだ。ルワ」
「ヴァルエもレナも出会えてよかったに決まってんじゃん!」
「俺はそうは思わんけどな」
「私も」
「仲良くしてくれよ!」
絶叫にも似た懇願と同時に、レナに呼び出されていたらしいディスが入店してきた。見慣れた光景に呆れたように一言「ルワはまたやられてるんですか」とこぼした。