150話 累々
それぞれの、救い。
数十分前までと同じ体勢で二人は窓の外をぼんやりと眺めている。ヤンは古びた窓枠から投げ出した足を暇そうに揺らし、ケイからの撤退の無線を待つ。任務後の後始末、主に死体の処分をしてくれる堕貔が到着するまではここにいなければならない。堕貔は任務には一切関与しないが、近くで待機しているため現れるのは比較的早い。しかし、その人物のことは既死軍でも一握りしか知らず、何人いるのかすら定かではない。
そんな堕貔が来るまでのわずかな時間が、任務が終わったという開放感が一番味わえる時間だ。
「二人で任務って、久しぶりだったな」
ヤンは隣で静かに一点を見つめているシドに話しかける。返事を期待していないのはいつものことだ。たまに相槌が返って来たらいいほうで、自分が一方的に話しかけるのは今に始まったことではない。
そんなヤンの考えに反して、珍しくシドが口を開いた。
「そうだったか」
「なぁ、ケイ。そうだよな」
『暗殺の任務以来だな。大体一年前だ』
「すぐ出て来るの、相変わらず流石というか、怖いというか」
『お前から聞いといて随分な言い草だな』
吐き捨てるように笑うと、ケイは「忙しいから」と無線を切った。常に多忙を極めているケイだが、話しかければいつ何時も答えてくれるという安心感があった。それはケイが誘に対してこつこつと積み重ねてきた信頼の証でもある。
「これからはもっと減るのかもな。シドと俺が二人で行くより、それぞれ別のやつと行ったほうがいいっていうかさ。新しくアヤナも入ったし、しばらくは俺たち別々かな」
どこか寂しげな視線をシドに向ける。
誘の中でシドの右に出る者はいないが、他の追随を許していないわけでもない。他から見ればヤンも抜きん出た存在で、シドに次ぐ実力者であることは間違いない。そんな二人が共に任務に出るよりかは、別の誘と組ませて能力の平均値を上げたほうが効率的だろう。それが既死軍にとって有益だとはわかってはいるが、素直に賛成したくない気持ちもあった。自然と呼吸が合うのはシドぐらいなものだ。
「けど、俺はやっぱりシドと任務するのが好きだな。チャコも割と容赦なくて一緒に行くの好きだったけどさ。あっさり死んだし」
それまでいつも通り話していたヤンの表情が少し曇った。身近な人の死を初めて経験したわけではなかった。それでも、素性を知らない人間が死ぬのとはわけが違う。本名も既死軍へ来るに至った経緯も知らないが、何度も顔を合わせて話し、共に任務に出ていれば多少の情は湧く。
ヤンはぽつりとこぼすように続けた。
「もう季節も変わったのに、今でもたまにいないんだなって思う。チャコに限らず」
「死んだ人間のことを考えても仕方がない」
「それはそうなんだけどさ。でも、せっかく育てても死んだんじゃあ、ケイも宿家親も浮かばれないよな。いつも思うんだけど」
「俺たちは報われるために生きているわけでもないだろう」
「理不尽なことのほうが多いもんな」
胡坐に組み替え、ヤンはけらけらと笑う。しかし、すぐさま表情を戻した。
「シドは、いなくならないよな」
「人はいつか必ずいなくなる。俺も、お前も」
「そんなこと言うなよ。たとえ、それが事実でも」
「死ぬのは怖いか」
「わかんねぇ。けど、今はまだやること残ってるから、死にたくはない」
ヤンは窓の外に視線を動かし、遠くを眺める。シドの「そうか」という短い納得が聞こえた。
「シドは?」
「既死軍にいる以上、俺の命は頭主さまのためにある。自分では決められない」
「それが既死軍としては正しい答えだな。俺もこれからはそう答えるようにしよっと」
口元だけで笑ったヤンはそれきり黙った。
再び数分の沈黙を経て、やっとケイから無線があった。毎回募る堕貔を見てみたいという気持ちを押し殺しつつ、ヤンは立ち上がった。そして、さっさと歩き出していたシドの背中に声を掛ける。
「なぁ、シド。俺はチャコが死ぬとは思ってなかった。だから人なんていつ死ぬかわからないって、改めて思ったんだ。シドが死ぬなんてことは絶対ないんだろうけど、一応言っとく。シドが死にそうなときはさ、俺が絶対守るし、死なせない」
呼びかけに振り返ったシドは何か言い返そうとしたのか、少し口を開く。だがそれを遮るようにヤンは続ける。
「だって、それが俺の強くなりたい理由だから。前に黎裔で言っただろ。シドは俺の生きてる意味なんだよ」
窓から差し込む光が逆光になって、目の前にいるはずのヤンがよく見えない。だが、纏っている空気は満足そうでもあり、強い決意を持ったようでもあった。
シドは白い制服の裾を翻して背中を向け、歩きだす。
「勝手にしろ」
その返事を都合よく許可ととらえたヤンは「勝手にする」とどこか嬉しそうに小走りで横に並び、先ほどのことばに注釈を付け足していく。
「勘違いしないでほしいんだけどさ、俺はシドが負けるとかそういうことを言ってるんじゃなくて」
そうして二人は施設を後にした。
いつも通りパソコンに囲まれた部屋に座っているケイはヤンから施設を出たという連絡をすぐさま堕貔に伝える。ケイは立場上、当然堕貔のことを知っている人間だ。うっかり口を滑らしてしまいそうになる時もあるが、今のところは極秘のままやり過ごせているはずだという自負があった。別にここまで徹底的に素性を隠す必要もないかもしれないとたまに考えるが、宿家親にも誘にもあまり多くの情報は与えないほうがいいと思い直すのだった。
しばらくしてから堕貔から無線が入る。
『頼まれてた献体用ですが、どうしてもと言うなら一人二人は何とかって感じですけど、どうしますか』
「それなら不要だ。ただのついでだから、わざわざ手伝ってやる義理もないだろう。いつも通り始末してくれ」
『わかりました。彩色四百二十と機材類は当初の通りに』
「頼んだ」
無線の向こう側で堕貔が指示を出している声が聞こえる。
堕貔は正体不明の存在ではあるが、任務のたびに後始末に駆り出されていることから、堕貔は複数人、しかもそれなりの人数がいると思い込んでいる既死軍の人間もいる。だが、実際はそうではない。堕貔は少人数ながらも精鋭で、間違いなく始末をつける。万が一邪魔が入るようなことがあっても、適切に対処できるだけの臨機応変さも持ち合わせている。ケイにとっては誘の任務と違い、堕貔が活動する時間は気が楽だった。そこにあるのは命を持たないものだけだ。取って食われることもない。
指示が終わったようで、再び会話の相手がケイになった。何の作業中かは音から推測するしかないが、どうやら肉を断ち切っているようだ。自分から命じておいて顔をしかめるのも申し訳なく思うが、何の躊躇もなく人を解体できるのは堕貔にしかできないことだ。そんな感謝と恐怖が混ざったようなケイの思いとは裏腹に、生々しい音と共に聞こえてくるその口調は実に明るいものだった。
『しかし、彩色四百二十は根強い人気ですね。治持隊も相当数検挙してるのに、一向に無くならないのが不思議なぐらいです。一体何人捕まれば気が済むんでしょうね』
「今治持隊が発表している最新の検挙数は約二千四百人だ。毎年同じような人数が捕まっている」
『毎年そんなにいたら、帝国民全員がやってるんじゃないかと疑ってしまいますね』
「同感だ」
耳を傾けながら、ケイは任務の報告書を書き上げていく。任務の前後は頭主へ渡す報告書を書かなければならない。面倒ではあるが自省するためには必要なことだと割り切ることにしている。だからこそ、堕貔が活動中にしてくれる雑談は気が紛れてちょうどよかった。
しばらく中身のない会話をしていると、植物を育てるために使われていたライトなどが運ばれてきた。今までと違い、ガチャガチャと堅い音を立てている。
再び近くにいる堕貔に指示を出し、足音が遠のいたころに無線に話し始めた。
『そうそう、堕貔って増えないんですかね』
「足りないか?」
『いや、増えれば助かるってぐらいです。サナも十分働いてくれますけど』
「もし」
そこまで言いかけて、ケイは少し間をおいた。
堕貔になるには特殊な能力は必要ない。ただ間違いなく後片付けをしてくれたら誰でもよかった。作業内容を考えれば、損壊した死体に耐性のあるノアは適任かもしれないと時々考えてみる。しかし、堕貔というのは孤独な存在で、他の宿家親や誘との接触は基本的に禁じられている。ノアはその環境には合わないだろう。
だからこそ、堕貔になれる人間は滅多に現れない。
「もし、堕貔が増えたとして、その人間は意思があるほうがいいと思うか?」
『それ、サナのこと言ってますか?』
苦笑しているような声色だった。
二人には蘇る記憶があった。サナが堕貔になった経緯は実に悲惨で、そうなることを期待していた人間はいなかった。当時のことを思い返すと、ケイは未だに選択が正しかったのかと思い悩む。
『サナは堕貔になってよかったんじゃないですか。既死軍に二回も助けてもらえた果報者。俺はそう思うようにしています』
ケイはどう答えていいかわからず、ただ相槌を打った。
しゃがんでいた堕貔は立ち上がり、手にしている重い肉塊をまじまじと見つめる。
『新しい堕貔が来るなら、働いてさえくれれば意思の有無はどっちでもいいです。まぁ意思がないほうが俺が扱いやすいっていう利点はあります。だから、サナのことは気にしないでください』
質問の意図を言い当てられ、ケイは眉間にしわを寄せて固く目をつぶった。既死軍に関するすべてに対して決断するのが役目とはいえ、こうして誰かが自分を肯定してくれても、ケイは素直になれなかった。その悩みは尽きることなく、累積していく一方だ。
『少なくとも、俺は幸せですよ』
この言葉が本心かはわからない。慰めるための常套句で、その場しのぎのようにも聞こえた。だが、疑っても仕方がない。
目を開いたケイは無線に向かう。
「この話はここまでだ。さっさと始末を終わらせてくれ」