149話 阿吽
言わず、語らず。
二人で無言のまま移り行く時間を眺める。時折鳥が空を横切ったり、野生生物の鳴き声が聞こえる以外は変化のない穏やかな景色だった。これほどまでに何もないと、まるで堅洲村の宿で縁側に座っているように錯覚する。吹き抜ける肌寒い風も、それにざわつく木々も、雰囲気はよく似ているが、人間の存在が感じられない埃っぽさだけは似ても似つかなかった。その空気感が今は任務中なのだと現実に引き戻してくれる。
隣に座るシドは誰に対しても口数が少なく、苦手意識を持っている人間の方が多いだろう。しかし、ヤンにとっては居心地のいい相手だった。作った表情で無理矢理探した話題を話す必要もない。無言なら無言で満足だった。
高い秋の空には雲がゆっくりとのどかに流れていき、ぼんやりと見ていると思わずあくびが出そうになる。
このまま誰も現れず、任務が終わればいいのにとヤンが思ったのもつかの間、儚い夢を打ち破るケイの声がした。
『車が二台、そっちへ向かった。車種からすると乗っているのは多くて十六人、およそ十分から十五分で着くだろう。俺がカメラで追えるのはここまでだ。全員殺して構わん。頼んだ』
ヤンは「了解」と久しぶりに立ち上がる。一時間近くはぼんやりと座っていただろう。相棒である武器の鞭を手に、背伸びをした。
「俺は下に行く。シドはここに残るだろ?」
体勢を変えないまま、シドは軽くうなずく。その反応を見たヤンは部屋を後にした。シドなら、まず前の車を正確に撃ち抜き、相手の動きを封じるはずだ。その後は自分には当てないように、敵を倒していく。長年共にいれば、シドが任務中に何を考えているかは大体わかるようになってきていた。そして、概ね正しい。
それはシドの行動が理解できるようになったのか、それとも効率的な任務の遂行をするためには同じ思考回路になるのか、理由はわからなかった、できれば前者の方が嬉しいとヤンは少しだけ笑った。
一階の物陰で息をひそめていると、段々と唸るような機械音が聞こえ始めた。体感で十分ほど、ちょうどケイが言っていた時間だ。少し大きめの白い車が二台連なって敷地内に入って来る。ケイによると人数は最大十六人だ。シドと二人なら十分相手にできる。
ヤンはシドの一発目を待つ。狙うとしたら前を走る車の運転手か、タイヤだ。上階にいるシドの息遣いがすぐ隣で聞こえるようだった。
敷地内に入る坂から平坦な駐車場になり、車が少しスピードを上げたところで銃声が聞こえた。選ばれたのは後者だったようだ。タイヤが空気を失い急停止したところに後続車がぶつかり、音を立てる。その衝撃音にかぶせるように二発目が聞こえ、フロントガラスがひび割れ白くなる。
自分たちを狙う敵がいることを察知した人間たちはすぐに車から降りず、様子をうかがう。そこへヤンが堂々と姿を現した。
「葦原中ツ帝国既死軍。違法薬物取り扱いにつき、厳重に処罰する」
この台詞を口にした以上、何人たりとも生きて帰すわけにはいかない。ヤンは幾度となくしてきたこの名乗りが好きだった。生きるか死ぬか、腹を括る時なのだと覚悟を決めるしかない。
車内から男が一人、恐る恐る顔を出した。行く手を阻む謎の男が一体誰なのか、状況が呑み込めないらしいが、その行動は間違いだったことにすぐに気づく。間髪入れずに眉間から血飛沫が上がった。
流石の命中率にヤンは歯を見せて笑い、車の方に向かって走り出す。車から出て来ないなら引きずり出すまでだ。輪のようにまとめていた長い鞭を解放した。
動かなくなった仲間を蹴り落として無理矢理車を動かそうとするも、運転席に座りっぱなしの死体とパンクしたタイヤ、白く濁ったフロントガラスという状態では速度も出ず、蛇行しながら少しの距離を動いただけだった。ヤンがボンネットに飛び乗り鞭を叩きつけると、既にひび割れていたフロントガラスは簡単に砕け散った。車内に飛んだ破片が助手席からハンドルを握っていた男の顔面に突き刺さったようで、うめき声を上げながら手で覆っている。
拳銃に持ち替えたヤンは隙を与えず、全員に風穴を開けた。シドがいくら銃の名手だとしても、回転式の拳銃は装填数が六発だ。援護してくれるとはいえ、たった三発しかない残弾を自分のために使わせるわけにもいかない。予備の弾も持ってはいるらしいが、込め直しているところなど見たことがなかった。一方、ヤンをはじめとする他の誘が持っているのは自動式で、装填数は倍近くにもなる。それに、シドと違ってそれぞれ拳銃以外の武器も持っている。装備としてはシドのほうが圧倒的に不利なのに、いつも助けられるのは何故か自分のほうだった。最終的な目標はシドを守れるぐらい強くなることだ。それにはまだ遥か遠く及ばない。
「こっちは全員死んだ。あとは後ろのやつらだ」
『承知した』
意を決したかのように、後続車から男たちが威勢よく降りてきた。人数はたった三人だ。ヤンはボンネットからルーフに移り、男たちを見下ろす。
「生きてる価値なんてねぇんだよ」
そうつぶやくが早いか鞭を振り上げた。風を切る音がする。勢いをつけて飛び降りる。
しなる鞭をまるで生き物のように操るヤンは男たちを薙ぎ払った。音速を超える先端は顔面の皮膚を一直線に引き裂く。それと同時に血が爆ぜるように舞い、季節外れの桜吹雪を散らす。
既死軍の白い制服が赤いまだら模様に変わっていく。
全員に攻撃は当たったが、致命傷には至っていない。一人が痛みに耐え、隠し持っていた短刀を振りかざす。しかしあっさりとその腕を鞭に絡めとられ、引っ張られるまま腹部から地面に身体を打ちつけた。顎が砕ける鈍い音が聞こえた気がした。
短刀を握り締めている手を蹴り、奪い取る。
「俺に勝てるとでも?」
笑顔を見せたヤンは自分を攻撃しようとしていた男の右手のひらに短刀を突き立てる。断末魔のような悲鳴に満足げにうなずきながら引き抜くと、すぐさま脳天にとどめを刺した。
その一部始終を目にしてしまった男たちは恐れおののくも、なす術は持ち合わせていなかった。
威嚇するように鞭を地面に打ち付けると、張り裂けるような音が鳴った。この音だけが、戦いだけが、絶対的な高揚感を与えてくれる。
「終わらせようぜ、シド」
後方からゆっくりと近づいてくる足音が血だまりに水音を響かせる。ヤンは残っている二人に向かって走り出した。
その髪をかすめるように、先ほどまで男の頭に刺さっていた血まみれの短刀がヤンを追い抜いて立っている男の喉元に突き刺さる。残った最後の一人に狙いを定めていたヤンは足元に鞭を巻き付けて転倒させ、走った勢いそのままに地面を蹴り腹部に着地する。地面で強打した頭からは血がドクドクと生温かく流れ出ている。
「俺が来るまでもなかったな」
「いや、シドが撃ってくれたおかげだ」
そう言いながらヤンは後方の車のドアを開け、運転席でハンドルに倒れ込んでいる男に一発撃つ。前の車にぶつかった衝撃で気絶しているのか、それとも絶命しているのかは判別がつかなかったが、念には念を入れておく。発砲音に驚いた数羽の鳥がギャアギャアと騒ぎ立てながら飛び立った。
「ケイ、終わった。全員死んでる」
『了解。堕貔が行くまで待機しててくれ』
「これ、死体片付けたほうがいいか?」
ヤンは地面に転がっている死体を足で小突く。このままでは野生の生き物を寄せ付け、食べられてしまうかもしれない。悪人の身体がどうなろうと知ったことではないし、死体処理をする堕貔には見慣れた光景かもしれないが、自分が帰る時にここを通らなければならないことを考えると、車にでも押し込めておいたほうが幾分か気持ちがいいように思えた。しかし、シドはそんな気は元からないようで、車内を簡単に調べると、さっさと保養所の方へと踵を返していた。
『少しでも身体が軽くなってくれてたほうが、堕貔にとっては助かる』
考えていたことを見透かしたようなケイの返事に、ヤンは小さく「うわぁ」と漏らす。何度か見たことのある無惨に荒らされた死体を思い出し、顔をしかめる。
「ぐちゃぐちゃのやつ、俺はノアみたいな耐性ないからな」
シドの背中を追いかけながら、いじわるく笑っているケイに愚痴をこぼす。皮膚を切り裂くような攻撃をする自分が言うのもお門違いに思えるが、好き好んでグロテスクなものを見たいわけではない。
『その辺りに人間の味を覚えるような害獣はいないはずだ。堕貔も到着までにそんなに時間はかからんから放置でも大丈夫だろう』
「それならいいけど」
『とりあえず、もうしばらく頼んだ。で、車内は見たのか』
「俺から報告する」
ヤンからシドへと話の主導権が移る。報告が終わるころには、さっきまで座っていた部屋に戻って来ていた。
男たちが乗り込んで来る前までは穏やかだった窓から見える景色に、今はいくつもの血を流した死体が加わっている。堕貔が来るまでの間、よそ者や援軍が来ないか見張るためにしばらくは時間を潰さなければならない。
ふわりと植物の臭いが風に乗り漂ってきた。すぐに鉄臭い血の臭いと混じり合う。不穏な空気には慣れているが、不愉快であることに変わりはない。
ヤンは窓枠から外に足を放り投げて、シドの隣に座った。