147話 紡ぐ
時も、想いも。
少し離れたところの木々が風でざわめいた。その音でミヤは目を開け、顔を上げる。
目の前には揺れている花と、か細い線香の煙が変わらずにあった。ろうそくの火は先ほどの風で消えてしまったらしい。
合わせていた手をほどき、しゃがんでいた腰を上げた。
平日の昼間とあってか、ここにいる唯一の生者はミヤだけのようだった。再び煙が揺らめく。
今日は予定の上では休日だ。しかし、ミヤにとっては休日などあってないようなもので、普段は堅洲村へ行くか、もしくは元帥をはじめとする軍の誰かに呼び出されるかが常だ。まったく一人で過ごすのは、前回がいつだったか思い出せないほど久しぶりだった。
今、ミヤの目の前にいるのはヒデに譲った軍刀の最初の持ち主だ。ここへ来たのは、その報告をするためだった。特段、死後の世界や霊魂を信じているわけではないが、何となく、きちんと墓前で報告したほうがいいように思えて足を運んでいた。
上官の生前をよく知っている人間は最早片手で数えられる程度だ。ミヤもその内の一人ではあるが、印象的な出来事こそ覚えているものの、取り立てるほどでもない日常の記憶は日に日に薄れていく。出会ってから亡くなるまでと、亡くなってから今までの期間は前者の方が長い。だが、それが逆転するのももうすぐだ。思い返してみれば、全てがあっという間だった。思い出というものは、いつもそうだ。
軍刀をヒデに譲ったと言われた上官は、今一体どんな表情をしているのだろうかと空を仰ぐ。恐らく、彼がいるのは天国ではなく地獄だろう。それらがどこにあるかは知る由もないが、自分がいくのも地獄で間違いない。それならば天にあってくれたほうが地上が見やすくて助かるなと、柄にもなく死後の世界について空想してみた。
上官の性格は一言で言えば「厳しい」だった。もちろん優しいときもあったが、己にも他者にも、甘えは一切許さなかった。自分が叱責されたことや殴られたことは当然、そのような場面を目撃したことも数え切れないほどある。そういう時代だったということもあるが、それを抜きにしても、人一倍の厳しさはあったように記憶している。だが、暴力的な行動に理不尽さを覚えても、なぜか嫌いにはなれなかった。そういう人を惹きつける魅力を持っていた。だからこそ、今なお、こうして定期的に墓参りをしているのだろう。
一方で、身内の人間は存命ではあるが、訪れている形跡はない。葬式での取り乱した様子を考えれば当時は死を受け入れられていなかったのは明白だ。しかし、今もまだ現実から目を背けているのかと思うと、上官も、その身内も哀れだった。
そう考えたところで、ふと、自分も家族の墓参りにはここ数年行っていないことを思い出した。たまには行ってみるかと、一つ深く呼吸をしてから、地面に置きっぱなしにしていた線香やマッチの箱を手に墓地を後にした。
同時刻、堅洲村では予定表通り会議場に集まったヒデたちが、新しくアヤナという名の誘が増えたことを知った。ヒデにとっては閉鎖的な高校生活をしばらく共に過ごした見知った顔だったが、声を掛けてみるも素っ気なく「はじめまして」と言われただけだった。そう言うようにと躾けられたのか、本当に忘れているのか、ヒデには判別がつかなかった。だが、アヤナの本名が思い出せない自分もお互い様かと、去っていく背中を見つめる。
あからさまに冷たくされているヒデを見ていたヤンが笑いながら肩を叩いた。
「ヒデが迎えに行ったんだな。アヤナのこと」
「うん。けど、覚えてないみたい」
「覚えてないと言うか、こんなところに知り合いがいるとは思わねぇだろうよ。まぁ来たばっかりで全員初対面だって思い込んでるだけかもだし、その内思い出すかもな」
「別に忘れてるならそのまま思い出してもらわなくてもいいんだけどね」
「そうだな。生前の記憶なんて忘れるに越したことはない」
宿までの道のりを肩を並べて歩く。秋らしく澄み渡った高い空に、薄い雲がゆっくりと流れていく。堅洲村でののんびりとした時間を視覚的に表しているようだ。
ヤンの言う通り、既死軍へ来るまでの記憶は忘れたいことの方が多いくらいだ。実際は忘れていることや思い出せないこともあるが、克明に刻みつけられていることもある。それは既死軍の人間であれば誰しも同じだろう。既死軍として生きることの安心感は、その共感性の高さが要因かもしれない。誰にも理解されないと思っていたことが、ここでは容易に伝わり、受け入れてくれる。それが居心地のよさに繋がっているのだろう。
「思い出なんて、あってもしょうがないしな。どうせ俺たちなんて明日は死んでるかもしれないし」
あっけらかんと笑っている言葉にヒデはどう返せばいいかわからず、ただ苦笑いで「そうだね」と答えた。
確かにここでの生活は居心地がいい。だが、それは一歩間違えれば死が待ち受けている危うさも孕んでいる。代償といえば納得できそうなものだが、一体「何の」代償なのだろうかと首をかしげたくもなる。
そんな話をしていると、分かれ道になった。ヒデとヤンの宿は別の道だ。二人は足を止めることなく、それぞれの方へ進む。
「じゃあな、また何かで会おうぜ」
「うん。任務、がんばってね」
ヤンは「当然」と笑って返した。次の任務はヤンとシドが行くらしい。任務には立候補制ものと、ケイからの指名制のものの二種類がある。今回は前者で、数名が手を挙げたが、選ばれたのはその二人だった。相変わらず仲がいいんだなと全員が思う反面、任せておけば間違いないという安心感もあった。
ヒデも手を挙げはしたが選ばれることはなく、鍛錬でも積んでおけというケイからの暗黙の指示だと思うことにした。
ミヤから軍刀を譲ってもらえたことはアレンも自分のことのように喜んでくれた。保管や手入れの方法も丁寧に教えてくれて、終始笑顔だったのが印象的だった。ヒデの努力が正当に評価され、実を結んだのが嬉しかったのだろう。
だが、譲り受けてそれで終わるわけにはいかない。実戦ではまだ使う機会が訪れていないが、木刀から持ち替えて振ってみただけで真剣の重みがずしりと伝わった。今はまだスタート地点に立っただけで、使いこなすには一層の努力が必要だと自分でも理解していた。
宿に帰ったヒデはアレンにあいさつをすると、その足で自室に入って軍刀を手に取り、再び靴を履いた。そんなヒデの様子を目で追っていたアレンは驚いたように声を掛ける。
「もうお出かけですか?」
「ジュダイが練習付き合ってくれるんです。夕方には戻ります」
「わかりました。ジュダイくんにもよろしくお伝えください。お二人とも、ケガのないように」
「ありがとうございます」
ゆっくりすればいいのにと休息を提案したいアレンだったが、やる気を出しているヒデを止めるわけにもいかない。それはきっと今ジュダイの宿家親も同じ気持ちだろう。ただ、「いってらっしゃい」と送り出すしかできない。
見送りの言葉にヒデも笑顔であいさつを返し、射撃場へと向かった。
射撃場では一足先にジュダイが到着していて、準備運動を始めていた。ベルトに見慣れた刀が差されてはいるが、普段着のジュダイには不釣り合いに見えた。
「来てくれてありがとう。よろしくね」
「別に今日はすることもないし、いいよ。刀と軍刀では戦い方も違うんだけど、教えられることがあるなら俺としても勉強になる」
ジュダイは軍刀を見せてほしいとヒデに歩み寄る。代わりにジュダイの刀を持たせてもらったが、軍刀よりもやや長く、その分重さもあるように感じた。
「かっこいいだろ。理愛っていうんだ」
得意げなジュダイは一瞬子供っぽさを覗かせた。自分の武器をわざわざ他人に見せることはほとんどないが、自慢のものなのだろう。確かに、芸術作品として飾られることもある刀は、実用性のみに特化した軍刀にはない美しさを持っていた。
再び自分の武器を手にしたジュダイは鞘から抜いて、視線を煌めく刀身の鍔から切っ先の方へと滑らせる。
「刀と軍刀は見てわかる通り長さも、持ち方も違う。それから、作り方というか、材料も違う。だから別の武器って考える人が多い。あと、刀は腰に差すのが普通だけど、軍刀は吊るすのが一般的だ。違いといえばそれぐらいか」
少し考えるような仕草をしたが、それ以上何も出て来なかったらしい。何度か自分で納得するようにうなずいたジュダイは「せっかくだし、始めるか」と早速刀を構えた。
数時間後、日が暮れ始めて周囲が赤く染まり始めたころ、二人はやっとその場に座り込んだ。先ほどまでは滴り落ちるほどの汗で暑さを感じていたが、動きを止めると、吹き抜ける風が身体を冷やしていき、気温以上に肌寒く感じられた。
真剣同士の練習ということもあり、安全面を考慮してかジュダイは半分ほどの実力も出していないようだった。それでも、流石得物を刀にしているだけあって、洗練された動きはシド以上のものだった。シドはどんな武器でも難なく使いこなして平均以上の動きを見せるが、他の誘は一つの武器に特化している。どちらが優れているというわけではなく、どちらの才能も必要なものだ。
「ヒデの動きはやっぱりシドっぽい。習ったのが同じミヤさんだから当然か」
「シドが軍刀使ってるの見たことあるの?」
「ほら、俺、刀使うからさ、軍服着る系の任務は他の人より多いと思う。軍刀なら使えるだろって感じで。それでシドも一緒になる」
なるほどといったようにヒデは理解を示す。屋外が多い自分がそうであるように、それぞれよく行く任務や場所というものがあるらしい。ケイが任務を決める場合は武器の相性を考えているだろうから、言われてみれば当然のことだ。
「シドは軍刀だろうとめちゃくちゃ強いから自信なくすんだけどさ、毎回帰って来たら負けないように頑張ろーって思えるから、シドと行くのは割と好きなんだよな。何て言うの? 発破かけられるって感じ」
シドは多くは語らないが、誰もが言葉以外のところで何かを感じ取っている。シドには積極的に近づきたいわけではないが、ヤンがよくシドと任務へ行くのも気持ちもわかる。
「僕もジュダイに発破かけてもらったから頑張る」
「ヒデはいい線行ってると思うよ。まぁ、俺には及ばないけど」
一瞬褒められたかと思ったが、そうでもないらしい。ヒデは皮肉っぽく笑っているジュダイに笑い返した。