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Blackish Dance  作者: ジュンち
143/208

143話 玲瓏

打てば、響く。

 その足で二人は射撃場へと向かった。ヒデはシドの少し後ろを歩き、その背中を眺める。釣竿と魚籠を持っているその姿は、鬼神のごとき戦いぶりには結び付かない。鈍い色をした青っぽい浴衣は戦うのには不向きそうに見えるが、そんなことはシドには関係ないのだろう。

 滝壺から射撃場まではほとんど真反対に位置しているが、遠いわけではない。目的地に着いてもなお太陽は空に高くあり、二人の影を短く地面に落とす。

 物置から誰がいつ使ったのかわからない木刀を出し、シドに手渡す。やはり釣竿よりは武器の方が似合う。のどかな生活よりも戦いに身を投じているほうがシドらしい。この人はきっと、この堅洲村(カタスムラ)で死ぬことはないんだろうなとぼんやりと思った。

「今日は俺たちを止めるミヤもいない。お前が倒れるまでやる」

「わかった」

 自分が負けるという発想がないのだろう。勝負は「どちらかが」ではなく「ヒデが」倒れるまでらしい。

 普通に話しているときでさえ威圧感のあるシドが、今、目の前で木刀を構えている。纏う空気は異様の一言で、ヒデに注がれている双眸(そうぼう)は殺意とも狂気ともとれる色を静かに湛えている。ヒデは手汗で木刀が滑るような気がして、何度か握り直した。

 何かのきっかけさえあれば、お互いに足を踏み込んで攻撃をする態勢だ。しかし、シドは構えを解き、視線を射撃場の入り口の方に向ける。

「ケガはケイさんが許しませんよ」

 そう言いながら現れたイチは目こそ笑っているように見えるが、音声は相変わらず無感情だ。自分たちの会話がケイに筒抜けであることは承知していたが、まさか介入してくるとは思っていなかった。だが、ケイは戦い自体を止めるつもりはないらしい。

(イザナ)が少ない今、少しでも負傷されては困ります。僕が立会人をするので、ケガをする前に止めさせてもらいます。異論は認めません」

 ケイの代弁者であるイチには従うしかない。シドも不服そうではあるが、一応はケイが定めたルールを受け入れているようだ。

「シドたちには勝敗が大事かもしれませんが、僕らには二人の身体のほうが大事なので」

 ヒデはシドの分も含めてうなずき、視線をシドに戻して木刀を両手で構えた。

 外野から見れば、既に結果は火を見るよりも明らかだろう。戦いにおいてシドの右に出る者は少なくとも(イザナ)にはいない。とはいえ、ヒデにとっては自分で望んだ戦いだ。もちろん負けるつもりでは挑んでいない。

 イチが少し離れた場所に移動する足音が聞こえる。その足音が止まった瞬間、シドとヒデは同時に動いた。

 木刀がぶつかる乾いた音があたりに響くも、ヒデの刃は易々と受け流された。焦る必要はないとわかっていても、攻撃は最大の防御だと言わんばかりにヒデは一方的に攻撃を繰り出す。しかし、まだ無駄な動きが多いのか、シドは余裕をもって全てを避けていく。

 シドは勝敗を決めるのはたった一撃で十分だとでも言うように、呼吸を乱すこともなくただ黙々と打ち合い、受け流し、避ける。シドから見ればヒデは取るに足らない存在だった。任務にいれば多少役には立つが、それでもある程度信頼のおけるヤンの足元には及ばないし、(イザナ)として生きていくためには感情を表に出しすぎていて面倒な人間だとさえ思っていた。

 だが、刀を一振りするごとに何かを感じ、その刹那に試行錯誤をしていることが窺える。どうして自分のオヤであるミヤがヒデに肩入れするのかと不思議でしょうがなかったが、その理由の一端を見た気がした。

 ヒデはヒデで、やはりシドには遠く及ばないかと荒くなりつつある呼吸を抑えようと試みる。前回の一戦から自分なりに努力を重ねたつもりだったが、何事も一朝一夕では成らないものだなと、一瞬思考を外した。だが、それが(あだ)となった。

 わずかに弛緩したその瞬間をシドは見逃さず、木刀をヒデの腕に降り下ろす。

 以前ならヒデはその速さに追いつけず、されるがままになっていただろう。前回も木刀を弾き飛ばされ、結局、続行不能と判断したミヤが間合いに入って勝敗が喫した。勝てないとわかっていても、悔しくないわけではなかった。

霽月(せいげつ)は雨が上がったあとの月。曇りなく澄み渡った心。霽月(せいげつ)流は静けさを纏った静の流派」

 ミヤから聞かされた由来が頭に響いた。必要なのは深い森のような静寂であって、燃え盛るような闘争心ではない。それこそ、シドがいつも纏っている静かで穏やかな狂気に満ちた殺意だ。

 思い返せば、今までシドが激昂している姿は見たことがなく、常に泰然自若としている。それはシドが幼少期に霽月(せいげつ)流を教え込まれたからだろう。この既死軍(キシグン)で最も曇りなく澄み渡った心を持っているのはシドに違いない。

 それに気付いたとき、ヒデの世界は動きを止めた。

 ヒデの腕に、今まさに木刀が叩きつけられようとしている。このままではイチが止めに入るか、それも間に合わず腕が叩き折られるかのどちらかだ。

 そんな不格好な負けは認めるわけにはいかない。

 時間がわずかに動き出す。ヒデは両手で持っていた木刀から片手を離し、シドの攻撃をかわした。空気を切ったシドはすぐさま状況を理解し、再びヒデの隙をうかがうように体勢を変える。ヒデの何かが明らかに変わったように思えた。


 少し離れた場所から見守っているイチにケイから『戦況は』と無線が入った。

「予想通りです。けど、ヒデの成長には目を見張るものがあります。既死軍(ここ)へ来たばかりのときはもっとひ弱な感じで、きっとすぐ死んじゃうんだろうなって思ってたんですけど」

 イチの評価にケイは思わず笑い声を上げる。(イザナ)を選ぶのはミヤだが、最終決定を下すのは自分だ。もしかすると、当時のイチは自分に対してとんでもない人間を連れて来たものだなと思っていたのかもしれない。数年前の自分に味方するように、ケイはイチの言葉を補う。

『シドに負けず劣らず、ヒデも既死軍(キシグン)きっての天才だからな。それに、努力する天才は誰よりも強い』

「そうですね。それなら僕はヤンも天才だと思いますけど、ケイさんはどう思いますか?」

『ヤンは人並みというか、どちらかと言えば元々の才能はない。あいつの強さはひたむきに努力し続けた結果だ』

「確かに、ゴハさんといつも戦ってますもんね」

『いや、あれはただのケンカだ。俺としては物壊されていい迷惑だよ。ケンカするのは構わんが、もうちょっと大人しく戦えないのか、あいつらは』

 イチにはケイが今どんな表情をしているのかが見えるようで、ふふっと小さく笑った。

「相変わらず、既死軍(キシグン)は色んな人がいて面白いですね」

『ミヤが色々と見つけて来てくれるからな』

「新しい(イザナ)も早く来てくれたらいいですね」

『来たら来たで忙しいけどな。特にヤヨイが』

「大丈夫ですよ。最近はケイさん、ちゃんと寝てくれるから、ヤヨイさんもきっと余裕ありますよ」

 既死軍(キシグン)のためなら徹夜も厭わないケイは、定期的にイチに睡眠薬を盛られては健康管理のためにと医者であるヤヨイのところまで引きずって連れて行かれている。最近はイチの出来ることが増え、ケイの負担は徐々に減りつつあるが、それでも他の追随を許さない忙しさであることに変わりはない。

「折角ですし、ケイさんも見に来ますか? 勝敗がはっきりつくことはないんですけど」

『残念だが、ルキとの連絡がある』

「わかりました。では、そろそろ終わらせますね」

 イチは懐に手を入れ、久方ぶりに使う己の武器に触れた。


 ヒデの動作は、わずかずつではあるが無駄が削がれて洗練されていく。シドにとってはまだ恐れるには至らない存在だが、飲み込みの早さとその学びを正確に再現できるのは強力な武器となる。ふとした瞬間に合う視線からは、今までの気弱で遠慮がちな色は消え去り、時折ヤンが見せるような修羅と化した眼光を感じるようになっていた。

 シドが(イザナ)の中で唯一ヤンに心を許しているのは、その情け容赦のなさを買っているからだ。ヒデにもその素質を感じた。いつかはヤンと同格になるかもしれないという考えがよぎった。

 そんな胸中を知る由もないヒデは、愚直なまでに勝機をうかがっている。勝てるわけはないと知っていても、追い求めずにはいられないようだった。

 ヒデからの一撃を刀身で受け止めたシドはそれを流そうとする。しかし、刀を動かそうにも、押さえつけられたような重みで自分の腕がぴくりとも動かない。シドは少しだけ奥歯を噛んだ。

 その瞬間、シドとヒデの眼前を閃光が走る。それを終了の合図ととらえた二人は力を緩めた。

「そこまでです。これ以上の戦闘は認めません」

 二人の間を通り過ぎて行ったのは、イチの武器である錐刀(すいとう)だった。名前に刀とついているが、鍔がないためにその形状はどちらかと言えば針に近く、長さは肘から手までほどと短い。折りたためることからも刀と名付けるには不適当にも思えるが、的確に言い表せる名称もないらしい。イチは滅多に任務に出ないため、ヒデは今初めて銃以外の武器を持っていることを知った。

「僕らにとっては勝敗は重要事項ではないので、どうぞご随意に」

 そう言うと、イチは笑顔を残して遠くの地面に突き刺さっている錐刀を拾いにその場を離れた。

 ヒデは頬を伝って顎からしたたる汗を手の甲で拭う。

「ありがとう、シド。僕のわがままに付き合ってくれて」

 それとは対照的に息一つ上げていない涼しい顔のシドはヒデに木刀を投げて寄越し、少し乱れた襟元を直した。

「満足したか」

 ヒデは笑顔でうなずき、同じ質問を返す。だが、シドはそれに答えることはなかった。代わりに数秒()をおいてから口を開く。

「俺でもミヤには勝てない。守る以外の動作ができれば及第点だと思えばいい」

「わかった。けど、やっぱりシドでもミヤさんが相手だと苦戦するんだね」

「知ってるだろ。(イザナ)宿家親(オヤ)には勝てない。それは俺も例外ではない」

「もちろん知ってるけど、それってどうしてなの」

「そう決まっているからだ。それ以外に答えはない」

 これは既死軍(キシグン)では暗黙の了解である「知らないほうがいいこともある」内の一つなんだなとヒデは自分を納得させた。シドは続ける。

「ミヤは俺のオヤだ。相手が誰であろうと容赦はしない」

「忠告ありがとう。ケガしないように気を付けるよ」

 珍しく会話が成立したものの、シドは返事もうなずきも返さず、竿と魚籠を手に取ると射撃場を後にした。

 一人残されたヒデは深く呼吸をする。吹き抜ける一条の風がヒデの短い髪を揺らした。


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