140話 奉仕
痛みを感じるほど、与えろ。
ケイは「それで、誘のほうだが」と話を続ける。
新しい誘を受け入れる準備は宿家親さえ決まればほとんど終わったようなものだ。しかし、その肝心の誘が本当にミヤが言う少年でいいのか訝しむ。身元がはっきりしない人間を入れるのは当然リスクが高すぎる。しかし、ミヤはどうもこの少年に固執しているように見えた。決定権こそ自分にあるものの、ミヤの意見を尊重したい気持ちもある。
「何もこんな危ない橋を渡らなくても、他にいくらでも死体なんかあるんじゃないのか。そこまでしてミヤがこの人間を推す理由は」
「簡単に言うと、監視だ」
「監視って、やっぱり曰く付きじゃないか」
予想は概ね当たっていたかと、呆れた視線を送る。一億人以上いる国民からなぜこんな素性の知れない怪しい人間を選んだのかは資料に目を通したときから気になっていたが、合点がいった。匿う目的か、そうでなければ常に目の届く範囲に置いておきたいという考えなのだ。詳細を問いただすような目に、ミヤは口を開く。
「こいつ、焼失前の人生がないんだよ。俺が調べた限りではな」
わかりやすく眉間にしわを寄せたケイが「は?」と短く聞き返す。人生がないと言っても、区役所が放火されたのは生後一年程度のころだ。そんな時期の人生など初めからあってないようなものだろう。そう思ったのもつかの間、ミヤの言わんとすることを理解した。
「出生届とか、そういう話か?」
「そうだな。母親が産院へ通っていた形跡もなければ、赤子時分に済ませるはずの予防接種履歴も一切ない。当時から診療録の保存期間は最低二十年と法律で定められているし、接種に関しては、当然そういう考え方の親がいることも知っているが、それにしても真っ白すぎる。あまりにも不自然だ。まるで放火事件のあとから突然この世に存在しているみたいにな。どうだ? 興味あるだろ」
ケイは理解したように首を縦に振るが、賛成したわけではない。完全に賛成するには、まだあと一押しが足りなかった。
「今の話、俺も裏取りはするけど、ミヤの言うことはある程度信用してる」
「ある程度、とは手厳しいな」
「既死軍に於いて、最終判断はこの俺が下す。自分で完全に納得するまで、全ては仮定にすぎない」
たまにしか立てない情報統括官という優位な立場にケイは口角を上げて笑う。だが、その表情ができたのも短いもので、すぐにミヤは言葉を返す。
「その仮定は真実になる。俺が言ったんだからな」
ミヤの報告書によると、少年の現在の保護者は父親の兄である伯父だ。しかし、一度も共に暮らすことはなく、引き取られてすぐに全寮制の小学校に入れられている。そこから転校を繰り返し、今の高校に至る。母親は専業主婦だったが、少年が「生まれて」すぐに死亡している。だが、ミヤが言うにはこの母親自体も存在したかは怪しいらしい。
結局、人間というものは出生届で生まれ、死亡届で死ぬんだなとケイは考えた。実際には生きていても、それは社会的な生とは違う。既に出生届も死亡届も受理されている自分と、まだ出生届しか受理されていない目の前のミヤには超えることのできない壁があるように感じられた。
ミヤの話は続いている。
「父親は表向きはうだつの上がらない会社員ということになっていたが、裏では人身売買の仲介人だった。今は謎多き獄中死を遂げている」
父親が逮捕されたとき、治安維持部隊は関係を徹底的に調べ上げた。何人かの関係者が芋づる式に逮捕されはしたが、結局元締めまではたどり着けず、捜査はほとんど打ち切り状態だ。
最後まで調べ上げなかった治安維持部隊が不満なようで、ミヤは「とんだ職務怠慢だな」と愚痴をこぼした。
「人身売買ってことは、つまり黎裔の人間と係わりがあるってことだよな」
「だろうな。人身売買なんて百発百中で黎裔絡みだからな。この父親、括弧仮、も何かで子供が必要になり、黎裔から連れて来たか買うかしたんだろう。罪悪感のない人間を育てるなら赤子からがいいに決まっている。しかし、表向きは一般市民として生活を営んでいる。この監視社会では自分の子供だという証拠、要するに戸籍がなければ、ゆくゆくは不都合が生じる。だから役所を襲撃してでも、子供の人生の辻褄を合わせる必要があった」
「戸籍の偽造ぐらい、もっと穏便にできるだろとは思うけど」
「景気よくド派手にやるのが十八番だろ。蜉蒼が噛んでたかは知らんがな」
苦笑いしたケイは今まで自分が偽装してきた様々な公的な書類を思い返してみる。今回ヒデを高校へ入れることができたのもケイが作った書類のおかげだ。手がけた数えきれないほどの枚数を思い浮かべ、もし自分が任務のたびに役所をはじめとする関係各所へ火を放っていたのでは、あっという間に国中が焼け野原になってしまうなと思考を脱線させる。
百まで話さずともいいだろうとミヤは「これで納得できたか」とわずかに首をかしげる。
「そうだな。黎裔出身の可能性があるなら既死軍で監視する必要がある」
「ほら見ろ。結局、禊は俺の言うことに従うしかない」
「裏取りはする」
得意げなミヤに先ほどと同じ言葉で少しばかりの反撃をしてみるも、ほんのわずかも効いていないらしい。短く鼻で笑われるだけで、呆気なく次の話題に進んだ。
「黎裔出身だとして、ケイはどう思う」
「イチは黎裔の記憶こそあるが、害があるとは思えない。キョウも断片的に思い出してはいるようだが、同じく無害だろう。だから生まれてすぐにこちらに来ているなら、尚更じゃないか。黎裔という場所を知っているかも怪しい。もちろん警戒はするに越したことはないが」
「リヅヒは当分息苦しい生活になるな」
「代わりにミヤが宿家親になってもいいんだぞ」
「俺にはシドがいる」
さっきと同じような申し出を今度ははっきりと断り、ミヤは続ける。
「まぁ、俺の調査が外れて黎裔出身でなかったとしても、小学生の時に同級生を殺している。これは動かしようのない事実だ。治持隊は事故死で片付けているが、状況から見るに明らかに他殺で、犯人はこいつしかあり得ない。これだけでも既死軍へ来る価値はある。既死軍にいると、未成年が加害者っていう殺人事件の多さを改めて肌で感じるな」
「去年の治持隊が認知してる殺人事件は千三百件程度、単純計算で一日に三、四件だ。だれが加害者でもおかしくはない」
「検挙率は」
「殺人に限れば、ここ数十年は九割九分を下回ることはない」
「すぐに情報が出て来るのは流石だな」
珍しく褒めるような発言にケイは二、三度瞬きをする。ミヤは褒めたつもりはなかったのか、何を見ているんだと言わんばかりの不思議そうな視線が返って来た。その視線にケイは少し表情を曇らせる。褒めてほしいわけではないが、どこかで期待していた自分に言い聞かせるように口を開く。
「樹弥くんが俺を既死軍に連れて来たのは、この脳ミソのためだもんな」
その顔と言葉から、ミヤにはケイが拗ねているように見えた。自分が都合のいい物扱いされているように感じたのだろう。だが、物扱いしているのは事実で今に始まったことではないし、わざわざ言うまでもないことだ。今更何を不貞腐れることがあるのかとミヤは短く吐き出すように笑う。
「俺の目的が何であれ、ついて来たのは禊の意思だ。後悔もしてないんだろ」
「それはそうだけど」
「禊の人生には俺がいて、離れては生きられない。だったら、何も考えずに禊の全てを俺のために使え」
「わかってるよ。今までもそうしてきただろ」
「足りないな」
何かを言おうとしたケイだったが、代わりに「この話は終わりだ」と乱れた前髪を掻き上げた。しかしすぐに元に戻り、長い前髪が目にかかる。
「とりあえず、この誘の第一候補が高校生なら、誰かを監視に行かせる必要がある。規律の厳しい全寮制となると、ヒデぐらいしか無理じゃないかと思うんだが、ミヤはどう思う」
「同意見だ。誘どもは基本的に血の気が多いからな。波風立てない、っていうのは貴重な才能だ」
「この次の誘はそんな人間を探してきてくれ」
「考えとく」
そう言ってミヤは茶を飲み干した。
昼休みの開始を告げるチャイムが鳴り、委員長が号令をかける。一気に学校中が騒がしくなり、バタバタと廊下を走る足音さえ聞こえ始めた。
ヒデも既に行き慣れた食堂へ向かおうとしたところで「秋岡」と名前を呼ばれた。「いっしょに行こうよ」と笑顔を見せているのは、監視対象である白河だった。他にも数人の男子がいる。
「ちょうど僕も声かけようと思ってた」
笑顔を返したヒデは白河たちと歩き始める。何とか一緒に行動できる程度には仲良くなることはできたが、まだ人となりがわかったわけではない。こればかりは時間をかけて会話を重ねるぐらいしか方法はない。
本格的に授業が始まった日ということもあって、食堂は気だるげな雰囲気が外にまで漏れ出ているようだった。一日三食を取る食堂では、暗黙の了解のように座席が決まっている。ヒデは白河たちがいつも座っている場所に何とか入れてもらうことに成功していた。昼ご飯を食べながら他愛のない話をするが、話題はもっぱらクラスメイトや教師、学校の噂話や、見聞きした面白い話の共有で、白河の個人的なことを探るのには時間がかかりそうだった。しばらくは二人きりになれそうな場面はないかと様子をうかがう日々になるんだろうなと、クラスメイトの話を聞いているふりをしながら考える。ケイからは潜入は一か月程度と言われているが、その間にただ白河を監視するだけで終わるわけにはいかない。何か有益な情報の一つでも掴みたかった。
「そう言えば、来週の奉仕活動ってやつ、何するか先輩に聞いたんだけどさ」
いつの間にか学校行事の話になっていたらしい。一年生の白河たちは全てが初めての経験で、行事ごとは定期的に話題に上がる。今回の行事はどうも面白くなさそうなものだ。しかし、ヒデにとっては渡りに船だった。
「二人一組で校内の掃除するんだって」
「奉仕活動って社会にじゃなくて学校になんだ」
「は? 掃除なら毎朝やってるじゃん」
「それより大規模で、先生たちももっと口うるさいってよ」
「最悪」