133話 何をおいても
今、ここに立っている。
ユネがその場を離れたのを見計らい、ヴァルエは真新しい軍刀を構える。目の前にいるシドとは何度か戦っているが、勝敗は有耶無耶で、今のままでは戦果を挙げたとは言いにくい。だが、前回ヴァルエはシドに軍刀を、それより以前は、シドがヴァルエに腕を折られている。
お互いに屈辱的な思い出があるのは同じだった。
シドも銃口をヴァルエにきっちりと向けている。この距離では拳銃のほうが優位だ。だが、一筋縄でいくような相手ではないことは理解している。短く息を吸うと、わずかに銃口の位置を調節し、慣れた手つきで引き金を引いた。何百回、何千回と繰り返してきた動作は呼吸をするように無意識のうちに行われる。元からヴァルエに当てる気がなかった銃弾は近くの地面に正確に撃ち込まれた。
わざと外された弾道を見切ったと思い込んでいたヴァルエは右手の軍刀を頭上高く振り上げた。その降り下ろされた一撃をシドは左手に持ち替えていた拳銃で受け流し、がら空きになった腹部へ拳を叩き込む。
しまったと思ったのもつかの間、ヴァルエは背中から倒れ込むように回転しながら態勢を整え直し、すぐさま立ち上がった。内臓から聞いたこともないような悲鳴が聞こえた気がして、一度大きく咳き込む。
間髪入れずシドは銃弾を放つが、完璧に先を読んでいたヴァルエの軍刀に弾かれて視界から消え去った。
その一瞬、散った極小の火花を目くらましに、ヴァルエはシドの手首を掴み行動を封じる。再び降り下ろされた軍刀をシドは身体を反らして避け、下方から勢いをつけて戻って来た刀身を手で握って止めた。
「刃握るの、癖になってるならやめたほうがいいと思うぞ」
「忠告のつもりか? 手で止められるほどの鈍らごときで、俺は切れない」
シドはヴァルエの軍刀を、ヴァルエはシドの手首を掴んだまま睨み合う。込められた力が振動のように伝わる。
このまま睨み合いが続くかと思われたが、ヴァルエは刹那にも満たない瞬間、己の背後に気を取られた。殺したと思い込んでいたチャコが息を吹き返し、そこに立っていた。脳天でも撃ち抜いておくんだったと後悔したその気の緩みから腹をシドに蹴られ、身体を引き離された。
数歩後退しながら、空いた手に己の拳銃を握る。軍刀よりも拳銃のほうが幾分か成果が上がりそうな距離だ。
シドはチャコが生きていたことに何の興味も示さない。確かに気付いているはずなのに、まるでその世界には存在していないかのように見向きもしなかった。その燃え盛る瞳にはヴァルエしか映っていない。
ちらりと後方を見たヴァルエは、そこに立っているチャコが魂を抜かれた身体だけのように見え、ぞっとした。
ユネは悠々と歩きながら冷めた声で無線を飛ばす。その足が向かうのはヤンとヒデがいる建物だ。
「ヴァンは多分、というか高確率で死んでるんだよ。嫌な音がした」
近くでその生の幕引きを見届けた自分がヴァンの死を悼むことはない。一応「仲間」ではあるが、深い付き合いをしていたわけでも、私生活を知っていたわけでもない。本名すら聞いたはずだがあやふやだ。死に面して思ったことと言えば、本来ヴァンに割り当てられるはずだった任務が自分に回って来そうで面倒だな、ということぐらいだった。
無線の相手であるロイヤル・カーテスを束ねるジエイとケイも恐らくヴァンの死に対する態度は自分と同じだろう。死亡を伝える通信すら一方的で、返事どころか息遣いさえも聞こえてこない。当然、今の居場所はおろか、顔さえわからない。かろうじて声は聞いたことがあるが、それも数えられる程度だ。安全な場所から自分たちを使役するだけのジエイたちがユネはいささか気に食わなかった。
ヴァンの死体を見たであろうヴァルエも動揺した様子はなく、それどころか、近くにいたチャコを倒した。生死は不明だが、ヴァルエが軍刀を手にしていたところを見ると、深手を負わせたに違いない。
ユネは誰のことも人間的に好いてはいないが、軍刀を持つことを許されているヴァルエ、レナ、ルワは秀でた存在であることを認めていた。後ろを振り返って戦況を確認することもできるが、今はそんなことを気にする必要はない。
広くもない敷地は、歩いていてもあっという間に目的地となった。
与えられた任務はこの町工場にある密輸用の部品を見つけることだ。だが、ロイヤル・カーテスに於いては、それよりも既死軍や蜉蒼と出会えばそちらの殲滅が優先される。今、ユネが探すべきは部品ではなく既死軍の人間だ。
そこでユネははたと足を止める。
馬鹿正直にヴァルエとシドを対峙させる必要は、果たして本当にあるのだろうか。話の端々に聞く限りでは、どうやら二人には晴らさねばならない因縁があるらしい。そんな美談のような戦いをわざわざさせるなんて、自分にしては素直すぎる選択だったなと、再び拳銃を手にして踵を返した。
狭い部屋で、ケイは眉をひそめた。
ヴァルエが現れたと同時にチャコからの無線が途絶えた。最後に短いうめき声が聞こえたことを考えると、その身に何かが起こったのは明白だった。普段、任務中の行動はその場にいる誘に一任しているケイだが、傍観を決め込んでいる場合ではないと無線を飛ばす。
『先にロイヤル・カーテスを止めろ。チャコ、ヴァン共に戦闘不能、生死不明。ヴァルエが合流してシドと戦闘中。ユネがヤンたちのほうに向かっている。現時刻を以って任務の最優先をロイヤル・カーテスとする』
ケイからの無線にヤンとヒデは手を止め、我先にとそれぞれの部屋を飛び出した。目的の物はまだ見つかっていないが、ケイからの無線は非常事態であることを示している。
一階にいたヒデはガラスの扉を割れるかと思うほどの勢いで開け、外に出た。見えたのは、戦っている二人と、そこに向かって走るユネの後ろ姿だ。
シドに声をかけるのも、走って向かうのも間に合わない。シドのことだから、ユネの行動に気付いてはいるのだろうが、ヴァルエと戦いながら、どこから繰り出されるかわからないユネの攻撃を躱すことはできるのだろうか。
ヒデは弓矢を手にする。
時を同じくして、二階の窓から身を乗り出していたヤンは考えるが早いか、窓から飛び降りていた。ヒデを一瞥すると「援護頼む!」と、着地した衝撃もないかのようにシドのほうへと走って行く。
シドを守るためにヤンが走るのはこれが初めてではない。今までどれほどの距離を、たった一人のために走ってきたのだろうか。何度繰り返したところで、待ち受けているのは涼しい顔をしたシドだった。まるで助けなど端から必要としていなかったかのように、平然とケイに任務の終了を告げる姿を見てきた。
血を流しているところも、不愉快そうな表情も、数え切れないほど見てきた。だが、ヤンの中にいるのは、闇とは対照的な真っ白い制服を着て、闇に溶けそうなほど真っ黒い髪を風になびかせた完全無欠で孤高のシドだけだった。
それを誰かに穢されるわけにはいかない。
ヤンが走るのはその一心で、他に理由などいらなかった。どうせ、自分が息を切らして助けに行ったところで、待っているのはいつも通りのシドだろう。それでも、足を止めることなどあり得ない。
既死軍の誘である以上、最優先は任務だ。命令されたことだけを実行していればいい。そんな当然のことをかなぐり捨ててでも、ヤンは走らなければならない。
足を止めたら、自分の生きている意味がなくなってしまう。
あと少し、あと数十歩でユネに一撃を加えられる。シドを狙うその拳銃を鞭で叩き落とし、そのまま絞め殺してしまえばいい。自分にはそれができる。もうすぐだ。
そんなとき、ユネの手元が火を噴いた。
「シド!!」
共鳴するかのような絶叫とともに、空中に赤い飛沫が飛び散る。
まるで打ち上げ花火の火の粉が地面に舞い落ちるように、わずかな光を反射させて煌めくように、合間に入ったチャコの視界を埋め尽くしたのは、己が創り出した美しい光景だった。
ユネがシドに向けて放った最後の弾丸は、チャコの身体によって防がれた。それとほぼ同時にヒデの矢がユネの足を貫く。舌打ちをしたユネは軍刀でふくらはぎに突き刺さった部分を切り落とし、倒れているヴァンに向かって走りだす。
ぴくりとも動かないヴァンの様子を一瞥したチャコは崩れるように膝と手を地面につく。しかし、その表情はどこか満足げだ。
「俺の勝ちやで、ヴァン」
片手で腹部を触ってみると、手袋の乾ききった赤黒いしみが再びぬめるような液体で濡らされた。全てを悟ったかのようにチャコは身体を支えるだけの力を失い、うつぶせに倒れる。
一足どころか、悔やみきれないほど遅かったとヤンはチャコのそばで足を止め、しゃがみ込む。辛うじて息はあるが、堅洲村まで、少なくともヤヨイが待機しているであろうルキの事務所までもつだろうかと一抹の不安を覚えた。不安は徐々に大きくなり、ヤンを飲み込もうと大きな口を開けて段々と近づいてくる。そんな幻覚を強がりのように鼻で笑い飛ばし、簡易的な止血を始める。希望は最後まで捨てるべきではない。
手を動かしながらふいに見上げたシドは、いつもと変わらない涼しい顔をしているように見えた。