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Blackish Dance  作者: ジュンち
132/208

132話 三十七度

熱中の、さなか。

 シドとユネから少し離れたところで、チャコとヴァンは睨み合っていた。攻撃を(かわ)(かわ)され、決定的な一打を与えられないまま、息だけが上がっている。だが、たった一か月ほどで再会できるとはお互い思っていなかったようで、雪辱を果たす機会が早々に巡ってきたことを喜んでいるように見えた。

「なぁヴァン。先に()うといたるわ。そのほうが公平やからな。俺もあの後倒れて一晩気絶しとった。やからこの前のは引き分けや。どや、やる気出たやろ」

「だから? いつまで過去の話するつもり?」

「先に倒れたお前が俺に引け目感じてたら悪いなって思っただけや。俺の優しさがわからんならえぇわ。忘れてくれ」

「忘れるも何も、最初っからお前の話なんて聞いてないよ」

 接近戦を得意とするチャコにヴァンは姿勢を低くして飛び掛かる。拳銃しか持たないヴァンはチャコの身体に風穴を開ける機会をうかがう。予備の銃弾はあるとはいえ、当然数に限りはある。既死軍(キシグン)が四人もいることを考えると、無暗に使うのは得策でないという考えだ。

 チャコは隙を作らないようにハリセンを振りかぶると、ちょうど自分の胴体に拳を叩きこもうと近づいていたヴァンの脳天に叩き下ろした。すんでのところで攻撃の手を防御に回したが、間に合わなかった。

 勢いよく顎から全身をコンクリートの地面に叩きつけられ、ヴァンの脳内には鈍い音が駆け巡った。刹那にも満たない時間、記憶が消し飛んだようにも思う。だがいつまでも地べたに這いつくばっているわけにはいかない。

「威勢だけはえぇみたいやけどな、俺も負けてへんで」

 立ち上がろうとヴァンが手のひらに力を込めた矢先、それはチャコの真っ白なブーツに踏みつけられた。

「お前らって、結局何がしたいんや? 任務ごっこか、軍隊ごっこか。それとも、俺らの敵ごっこか?」

「全部だ」

「昔の人は二兎追うものは何とやらって、よぉ()うたもんやな。その通りやと思うわ」

 ブーツの下にある手をねじるように足元を動かす。ヴァンは声こそ出さないものの、痛みに耐えているような歪んだ表情を一瞬作った。

「俺ら既死軍(キシグン)の最優先事項は任務や。その邪魔をするからお前らは排除されるし、理想だけが一丁(いっちょ)前やから勝たれへん」

「理想は現実と地続きだ。理想も語れないやつに、現実を語る資格はない」

「吠え面かいとんはどっちやろなぁ」

 靴底を這わせるように手の甲から腕へと動かしたチャコは膝を上げると、再び勢いよく踏みつける。何かが呆気なく折れる音がして、ヴァンは断末魔のような悲鳴を短く上げた。食いしばった歯の隙間から震えるように息を吐き出し、痛みをこらえる。自分が今、無様な様子を晒しているという自覚はあった。それでも、このまま負け戦をするつもりは微塵もなかった。目の前に既死軍(キシグン)がいる限り、戦いが終わる最後のその瞬間まで己の勝利を信じなければならない。

「もう一回聞こか? 吠え面かいとんは、どっちやろな」

「お前だよ」

 利き腕を折ってやったという安心感からか、チャコは完全に油断していた。無事だったほうの手で拳銃を取り出していたヴァンは近づいていたチャコの心臓を目掛けて引き金を引いた。

 全身を打ち付けた衝撃と、骨折した痛みで視界がいつもの世界と違って見える。身体を動かすと、骨が体内に突き刺さるような痛みが全身に走り、気付かないうちに照準を外していた。放たれた弾はチャコの肩のあたりを貫通して遥か後方へと飛び去った。その勢いに合わせてチャコも仰向けに倒れ込む。勝ったと思っていたチャコは不意の攻撃に、肩を押さえて短くうめき声を上げた。

 ふらふらと立ち上がったヴァンは、今度はチャコの頭に照準を合わせる。

「お前が敵にするのは俺じゃなくて油断だったみたいだな。油断大敵とは、先人もよく言ったものだ」

 先ほどのチャコの言葉を引用しながらヴァンは歪んだ顔で笑った。夏の暑さとは違う玉のような汗が頬を伝う。折れた腕が燃えるように熱い。荒い呼吸に呼応するように、銃を持つ手が小刻みに震えている。必死に止めようとしているのが目に見えてわかった。

 その震えにチャコは口元だけで笑う。

「お前、人殺したことないやろ」

 ヴァンの目が一段と大きく開かれる。直接の返事はなくとも、それが答えのように思えた。

「だったら何だよ。殺した人の数で優位に立ったつもりか?」

「いや、(ちゃ)う。お前がどんだけ強い言葉使(つこ)ても、一線越えられへんのやったら、ヴァンの言い分も、信条も、全部はったりで、ただの受け売りや」

 チャコに馬乗りになったヴァンは眉間にぴったりと銃口をつける。見開かれたままの瞳は殺気立ち、先ほどまでの単純な怒りを凌駕している。

 倒れた衝撃でハリセンは手元から遠く離れてしまった。位置を探るために視線や手を動かそうものなら、すぐさま次の行動を気取(けど)られてしまうだろう。そうなれば、今のヴァンであれば引き金にかけた指を動かすに違いない。だが、その引き金と指の間には、わずかな心の揺らぎが挟まっている。恐らく脳からの指令とは裏腹に指は動きはしない。

 勝機はここにある。

 視線を合わせたまま、チャコは言葉を続ける。

「何ちゅうか、相打ちした仲やし、こんなすぐ再会したのも何かの縁やろ。やからお前にやられたってもえぇんやけどな、ヴァン」

「それならお望みどおりにしてやるよ」

「えぇけど、その前に聞かせてくれ。ロイヤル・カーテスは既死軍(キシグン)を目の敵にしとるやろ。そういう組織やもんな。けど、お前はどないしたいんや。ホンマに俺を殺したいんか?」

 ヴァンは言葉を返す代わりに唇を噛んだ。

「即答できひんみたいやな」

 にやりと笑ったチャコは両手でヴァンを突き飛ばし、自由を取り戻す。

 ハリセンはすぐ近くに落ちていた。走るまでもなく、たった数歩で再び手中に収める。

 ヴァンは迫真の表情でチャコに向けて弾を発した。それを見切っていたかのように回転しながら避け、ヴァンの元へ舞い戻る。

「なぁ、ヴァン。既死軍(おれら)に迷いはない。だって俺らは」

 ハリセンを構えて体重を軸足の方へ移動させ、下半身をひねるようにして前の足を上げる。腰の回転を利用して、ハリセンを上から下へと振り下ろした。

「元から人殺しや」

 離れていたユネが思わず振り返ってしまうほどの音があたりに響き渡った。

 地面にうつぶせに倒れ込んだヴァンは赤黒い血をじわじわと広げる。地面が持っていた元々の温度なのか、それとも血液が持つ温度なのか、チャコの足元からじっとりとした生ぬるい温かさが立ち上ってきた。


「死んだか」

 ユネは声には出さず、心の中でつぶやいた。ロイヤル・カーテスから死人が出るのは初めてのことだった。最弱(ヴァン)であれば妥当かと、黙祷を捧げることも、冥福を祈ることも、その儚い人生に思いを馳せてやることもしなかった。

 それよりも、目の前にいるシドのほうがユネにとっては一大事だった。軍刀も拳銃も持っている自分のほうが有利なはずなのに、一向に決着がつかない。それどころか、形勢は不利に思えてしかたがなかった。

 ロイヤル・カーテスでは最強(ユネ)の名を冠し、戦闘で右に出る者はいない。(ルワ)でさえ戦えば善戦はするだろうが、勝てる見込みはないだろう。

 そんな自分がシドとは互角だ。この状況でヴァンとの戦いに勝利して勢いづいているチャコが加わるとどうなるか、考えなくても明白だった。

 目の前のシドは少し息を上げてはいるが、その白い服はきれいなままで、それが自分に対する当て付けのようで気に食わなかった。

 残弾数は一。予備の弾を含めれば弾数自体に余裕はあるが、悠長に再装填する隙を与えてくれるとは思えない。この一弾と軍刀の一振りで形勢を逆転させなければならない。どうにかして切り抜けなければとシドからの素手での攻撃を避けていると、ドサリと後方で人が倒れる音がした。

「俺の手助けがいるって素直に言えるなら助太刀してやる」

家来(ヴァルエ)のくせに生意気なんだよ」

 ヴァルエの視線は一点に注がれている。足元に倒れているチャコを跨いでユネに近づくと、その肩をぐいと掴んで立ち位置を無理矢理代わらせた。

「というか、代わってくれ。俺はそこのシドに用事がある」

 攻撃の体勢を解いたシドはその声の主を睨みつける。ヴァルエとは何度か戦ったが、いまだに決着はついていなかった。シドにとっては誰と戦おうが、決着がどうなろうが、任務に関係のないことだと執着する必要はなかった。自分の意思など持ってはならない。感情など表に出してはならない。既死軍(キシグン)が望む通りに任務を遂行し、邪魔者は排除することが何よりも優先されるべきだ。だから、今は目の前にいるユネもヴァルエも、どちらも倒さなければならない。そんなことは百も承知だった。

 この暗闇の世界に自由はない。

 それなのに、シドの目にユネは映っていなかった。記憶が怨みがましく右腕を疼かせる。きっとこの感情は目の前の男が、向かうところ敵なしだと思っていた自分に唯一深い傷をつけたこのヴァルエという人間が息絶える瞬間まで朽ちることはないだろう。

 熱に浮かされたように、シドは呟く。

「ヴァルエ、お前はこの俺が殺す」

 その言葉が届いたようだった。少しだけ笑ったヴァルエも「俺のセリフだ」と、いつかと同じ言葉を返した。


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