127話 雲の峰
短夜に、色を塗る。
夏が盛りを迎えたうだるような暑さの日中、ミヤは珍しく自分が所属する陸軍の駐屯地にいた。大佐として部隊に所属してはいるものの、それも名ばかりで、基本的には「元帥の側近」として自由行動が許されている。
昼の休憩時間が終わった誰もいない食堂で一人携帯電話を見ながら、どうすれば今からの予定を効率よくこなし、堅洲村へ帰れるだろうかと考え込む。頬杖をついたその表情は軍の人間なら見慣れた仏頂面で、大したことを考えているわけではないのに、他人を寄せ付けない雰囲気をまとっている。
冷房は効いているものの、自動販売機で買った冷たいコーヒーが徐々にぬるくなっていく。頭主、もとい元帥の元へ行くまではまだ時間があるが、かと言って急いで済ませなければならない用事もない。こんな場所では既死軍の無線を無駄遣いしてケイをからかう暇つぶしもできない。
誰かが入って来た気配を感じたが、気にせず画面を見ていると、「大佐殿」とすぐ前の椅子を動かす音がした。
「ここは俺とお前しかいない。そんな畏まる必要もないだろ」
にこにこと笑顔を見せる正面の男に視線を向け、ミヤは携帯電話を伏せてテーブルに置いた。
「ですが大佐殿、規則は守らないと」
「じゃあ命令だ。その呼び方と話し方をやめろ」
そう言われて、男は誰もいないのをいいことに声を漏らして笑った。
「久しぶりだな、樹弥」
「わざわざこんな人気のない所へ来て、何か用か? 恭介。今は課業の時間だろ」
「今日は代休だ。けど、樹弥がここにいるって小耳にはさんでな。出世頭の同期に胡麻をすりに来た」
「お前の出世は人事部次第だ。胡麻をする人選を誤ってる時点で、お前はその程度だよ」
「相変わらず、手厳しいやつだ」
ミヤは鼻で笑いながら「俺は出世頭だからな」と適当に返事をする。
同期であるこの男、五十嵐恭介との出会いは戦時中だった。ただ我武者羅に戦争を生き抜いたような世代だ。軍に入ってすぐのころは、寝食を共にし、同じ時間を長く過ごした。戦争が終わってからやっと軍人としての教育を受けたときは、試験前に数人で集まって深夜まで勉強をしたこともある。
だが、戦後すぐから既死軍としても生きていたミヤにしてみれば、同期とはいえ、そこまで仲良くしていたつもりもなかった。
「ところで何だ、その袋は。夜逃げでもするつもりか」
そう言われて、日に焼けた軍人らしい体格の五十嵐は隣の椅子に置いた大きな紙袋に視線を向ける。小さな子供一人ぐらいならすっぽりおさまるだろう。やっと話題になったかと五十嵐はにかっと歯を見せて笑う。
「樹弥、確か子供いたよな」
「いないってずっと言ってるだろ。それ、情報の出どころをいい加減教えろ」
「風の噂ってやつ」
ミヤは安っぽい椅子の背もたれに身体を預け、腕組みをする。ため息をつくほどでもないが、声と一緒に呆れたような息が漏れた。
「恭介は噂を鵜呑みにするバカってことか。情報部へは出禁だな。残念だが、これで出世も遠のいたぞ」
「いやいや、話を逸らすな。別に、離婚して親権取られたって言われても驚かないから、素直に言ってくれてもいいんだぞ」
「俺の綺麗な戸籍でも見ないと満足しないのか? お前は」
「だって二十年ぐらい前の樹弥、疲れ方が異常だっただろ。あと、急にタバコもやめたし。先輩が『あれは女じゃなくて子供だ』って」
「恭介の馬鹿さ加減に目眩がしてきた」
そう言ってミヤは片手で眼前を覆って天井を仰ぐ。だが、それは言葉通り目眩がしたからではない。
二十年前と言えば、確かに生まれたてのシドを頭主から預けられたころだ。本来シドを育てるはずの母親もおらず、当然子育てなどしたこともないミヤにしてみれば、軍の仕事をこなしながらの育児は睡眠時間もないほどの忙しさだった。
だが、その噂を肯定するわけにはいかない。迷惑な噂を流してくれたものだと、鋭い観察眼を持ったどこの誰とも知れない先輩とやらに時空を超えて舌打ちをする。
「で、これ、寮の掃除をしてたら出てきた花火なんだけどさ」
話を戻しながら、五十嵐は大きな紙袋をテーブルに載せる。その膨らみ方から、それなりの量が入っていることがわかる。
「何年か前から寮は火気厳禁になったはずだろ。そもそも、何で花火なんて持ってるんだ」
「去年みんなでやろうって言ってたんだけどな。見つかってひどく怒られたからしまい込んでたんだ」
「規則は守るもんじゃなかったのか」
先ほど自分が言った言葉と相反する言い訳に、五十嵐は「規則は破るためにある、ってな」と笑い飛ばす。うんざりした顔でミヤは目を覆ったまま何度目かのため息をつく。
「その言葉、上に伝えておく」
「樹弥だって昔は一緒にやったじゃないか」
「当時は許されてただけだ」
「お前、考え方が年取ったな」
「当然だ。恭介こそ、いい年して何言ってんだ」
目元を隠していた手を動かし、頬杖をつく。これで重たく感じる頭も多少は支えられる。ここ最近の話し相手と言えば頭主も含め、既死軍の誰かだ。悪態を突くことはあれ、中身のない会話は随分と久しぶりに感じられた。
「けど、捨てるのも結構手順が面倒でな」
「可燃ゴミにでも出せばいいだろ」
「流石に火薬だからな。何かあっても焼却施設を弁償する貯金はない。市の環境課によると、未使用の花火は水に一週間ぐらい浸してから捨てるのを推奨、だとよ」
「つまり、捨てるのが面倒だから、たまたま見つけた俺に押し付けようって魂胆だな」
再び腕組みをして、先ほどと同じく椅子の背にもたれかかる。つきたくもないため息が不意に出た。
「それで俺に子供がいるかって話に戻るわけか」
「話が早い」
「察しがいいのも考え物だな」
紙袋を五十嵐のほうに押し返し、ミヤは渋い顔をする。
「仮に俺に子供がいたとして、お前の言い分が正しければ二十歳前後だ。そんなデカい倅と親子水入らずで花火しろってか」
「いくつになっても子供は子供で可愛いもんだろ」
「恭介も未婚の独身寮暮らしのくせに、どの立場で言ってんだよ」
豪快に笑い飛ばした五十嵐はその笑い声でミヤの返事を有耶無耶にする。
「まぁまぁ、同期からの胡麻すりついでの賄賂ってことで」
「ゴミは賄賂とは言わん」
不服そうな表情のミヤを気にも留めず、五十嵐は立ち上がった。
「じゃ、またここに来るときは連絡ぐらいくれよな。数少ない同期だ」
「恭介にだけは絶対しない」
同期の後ろ姿を睨みながら見送ったミヤはいつの間にか冷たさを失っていた缶コーヒーを飲み干した。
降り注ぐような蝉の音が窓の外から聞こえ、隙間から見える突き抜けるような青空には、真っ白な入道雲が美しく形どられている。
珍しく居間に座ったケイの正面には冷たい緑茶と、子供が入りそうなほど大きな茶色い紙袋が置かれている。横ではイチが興味津々に中身を取り出している。
「もらったのはわかったけど、それで、ミヤはそれを馬鹿正直に堅洲村に持ち帰って来たってわけか」
「不審物は入ってなかった。純粋に花火だけだ」
浴衣姿のミヤは出されたお茶を飲み、自分がしていたのと同じように渋い顔をしたケイを見る。知人からもらったと言っただけで、ケイはこの花火の出所を察したのだろう。
一度は処分してしまおうかと陸軍本部の近くにある自宅に持ち帰ったが、その量の多さに辟易した。携帯電話で調べてみると、確かに五十嵐の言う通り、そのままゴミとして捨てるのは問題がありそうに思えた。翌朝までには堅洲村へ帰らなければならないことを考えると、早々に処分してしまいたい。そんなことを考えていると、ふいに記憶がよみがえった。
まだ軍人になって数年も経たないころ、上官だった葉山たちが買ってきたときだ。今よりも多少規律が緩く、許可さえ取れば大体のことは許されていた。
記憶の中の花火は、いやにきれいだった。
そう言えば、シドにはさせたことがなかったなとゴミ袋に入れかけていた手を止めた。
「どう思う、イチ」
「僕は花火ってしたことないから、できたら嬉しいですよ。ケイさんはしたことありますか?」
「ある。大昔の話だ」
ケイはそう言いながら当時を思い出していた。まだ既死軍が成立する前、既に知り合いだったミヤに誘われて軍の駐屯地に行った時だった。ミヤとケイが思い出している記憶は同じ時間のことだ。
机の上に並べられたのは、どこにでも手に入る家庭用の手持ち花火だ。様々な種類が入っている大袋が十もあった。
ケイはちらりと横目で並べられていく大袋を見る。
既死軍にいる人間の生い立ちを考えれば、花火をしたことがあるのは少数派だろう。恐らく、イチも例外ではない。それならば、確かにミヤの言う通り、捨てるぐらいなら使ってしまったほうがいいのかもしれない。
完全に賛成したわけではないが、拒否するほどのことでもないだろうとケイは口を開く。
「打ち上げじゃなければいいんじゃないか。去年のなら湿気て使えない可能性も大いにあるだろうけどな」
「花火ってそんなに使える期限短いんですか?」
珍しそうにまじまじとカラフルなパッケージを見ているイチが視線を上げないまま問いかける。機械音声だというのに、その声はどこか弾んでいるように錯覚する。
「いや、花火に使われている火薬は基本的に劣化しにくいから、使用期限ってものは設けられていない。が、一般的には十年が使用の目安だ。保存方法によってはもっと短いだろうけど、湿気ている物も一日程度天日干しすれば使えるとは言われている」
「何でも知ってますね」
「そこまで詳しいなら、あとは頼んだ」
湯呑を空にしたミヤはにやりと笑い、仕事を押し付けて腰を上げた。ケイの「はぁ?」という怒りにも涼しい顔を返す。
「誘にでもやらせてやれ。全員が堅洲村にいる日を把握してるのはケイぐらいだからな」
「俺はそれどころじゃないんだよ」
「僕が手伝います」
「そういう意味じゃないんだ、イチ」
「誘に限らず、やりたければ宿家親でもいい。こんな娯楽もない生活、花火ごときでも息抜きぐらいにはなるだろ」
イチは目を輝かせてミヤを見ている。その視線が礼を言っているのはミヤにもケイにもよくわかった。
その表情にケイは言い返す気が失せてしまった。イチに机の上を片付けるように指示をする。
「あとでちゃんと確認するが、全員いるのは確か三日後だ。ミヤも参加するか?」
「気が向けばな」
曖昧な約束を残して、ミヤは居間をあとにした。