126話 禍福
世はすべて、こともなし。
「やっぱり、ケイさん疲れてるのかな。稔はどう思う?」
墓地が見渡せる場所にある斎場の屋根でヒデは小声で話しかける。念の為ということで、二人は朝まで墓地の監視を続けることになった。夜空を仰ぎながら、生乾きの髪をノアは手持ち無沙汰に触っている。
「どうせ寝てないんでしょ。幻覚か何か知らないけど、そんなのに振り回されたらたまったんもんじゃないよ。帰ったらイチとヤヨイに言わなきゃ」
ノアに同意したヒデは大きくあくびをした。
監視と言っても、そもそも何かが起こったわけではない。数時間を過ごしての変化と言えば、ただ時折風が木々をざわつかせ、時間を間違えたらしい蝉の短い鳴き声が聞こえる程度だ。
ここ数日の同居で会話のネタもなくなったからか、ヒデの横ではノアが今までに見たホラー映画のあらすじを独り言のように語っている。一体何作品分聞いたのだろうか。そろそろノイローゼにでもなりそうだと思っていると、掃除を日課にしているらしい近所のお年寄りが数人、ほうきやゴミ袋を手に現れた。気付けば空は白み始め、徐々に蝉の鳴き声も大きくなっていた。
明るくなっていく墓地は荒らされた形跡もない。ただ一つ、ケイが誰かいると言っていた場所は、無縁仏が埋葬されている所であることがわかった。
ケイはあれから一言も発さない。その目が今も見つめている虚構の画面にはまだ人影が映っているのか、二人には知る由もない。
朝日に背伸びをしながら、ノアは気だるげなあくび交じりにケイに話しかける。
「結局、ケイの言う人影って何だったの?」
『俺にもわからん。この話はもう終わりだ。振り回して悪かったな』
「それはいいけど。で、僕らの任務は終わりってことでいい?」
『そう、だな』
「ケイさん、ゆっくり休んでくださいね」
遠慮がちに気遣いの言葉をかけたヒデに素っ気ない返事をしてケイは無線を切った。その様子に、二人は顔を見合わせて首をかしげる。この任務が始まって何度目になるかわからない。
掃除をする数人に気付かれないように移動し、ノアとヒデは家へと戻った。家の造り自体は堅洲村の宿と大差ないが、インフラが整っていることの有難さにやや後ろ髪を引かれる。
「ねぇヒデ、夕方ぐらいに帰ろうよ。寝たいし、汗かいたからお風呂入りたいし、冷房の恩恵ももうちょっと受けたい」
「賛成。この時間帯に外歩く気しないよね」
「あと、朝と昼のご飯作って」
「結局、僕しか作らなかったね」
「いいじゃん。全部美味しかったよ。流石アレンさんと一緒に住んでるだけあるね」
「何か釈然としないなぁ」
ノアはいたずらっぽい笑みを浮かべ、風呂場へと向かう。ヒデは言われるまま、冷蔵庫を開けて何が作れるだろうかと残り二食分の献立を考え始めた。
それから数日後、ミヤはちょうど真上から日光が降り注ぐ時間帯にケイの宿を訪れていた。都会より幾分か涼しくはあるが、それでも真夏であることに変わりはない。扇子でわずかな涼を取りながら、玄関で下駄を脱ぎ散らかす。
「聞いたぞ、戦地の石を集めてる奇特な奴がいたらしいな」
何の前触れもなくひょっこり顔を出したミヤに振り返ることもなく、ケイは変化のない画面を見つめている。必要のなくなった墓地のカメラはまだ回収できていないが、任務が終わってからはもうモニターに映し出されることはない。書類を作成していた手を止めたケイは伸びをして息をつく。
「俺より詳細知ってるくせに、白々しいやつだな」
ケイの言葉にミヤは笑いをかみ殺しながら無遠慮に隣に座る。
「それにしても、大層面白い任務だったらしいな。珍しくヤヨイが話してたぞ。禊、幽霊見たんだってな」
遂にこらえきれなくなったのか、ミヤは笑い声を漏らした。
「イチが勝手にそう言っただけだ。俺は幽霊だなんて一言も言ってない」
「何の利益にもならん嘘をイチがつくはずないだろ。言い方にいくらかの差異はあるだろうが、嘘はよくないぞ、禊」
突拍子もない話だとは自覚しているし、馬鹿にされても仕方がないとはわかっている。だが、自分よりイチのことを信用しているような口ぶりに、ケイは少しむすっとした表情を作る。
幽霊というようなものではないが、それでも、数日経って尚はっきりと覚えている人型の影をどうしても忘れることができなかった。夏の夜が見せた夢、疲れからくる幻覚、いくらでもそれらしい説明を言い聞かせて、無理矢理自分を納得させることはできる。だが、その影が何か言いたげにじっと自分を見つめていたように思えた。ケイはぐしゃりと前髪を乱す。
「禊のことだからどうせ調べたんだろ。頭主さまが一体誰を守ろうとしたのか、そして、お前が見た幻覚が誰だったのか」
「馬鹿にしたくせに、信じるのか。俺が『見た』って話」
「間違えるな。馬鹿にはしてない。からかってるだけだ」
「同じだろ」
「まぁそんなこと、今はどうでもいい。お前のイカれた頭を診るのは俺の仕事じゃない」
不貞腐れたような目でミヤを睨んでみるも、ただ嘲笑した表情を返されるだけで、特に効果はなかった。いつまで経ってもこの男には敵わないなと次の言葉を待つ。
「それで、何かわかったのか」
「流石に限界がある。頭主さまの親族や交友関係を全て知っているわけでもないしな。というか、聞きたいことがあるのは俺のほうだ」
ケイが得ている最新情報は犯人を捕まえた翌日のことまでだ。治安維持部隊に扮したレンジたちは犯人を本物に引き渡すと撤退した。そこからは正式な手続きに則り、早々に裁判が行われる、というところで情報は止まっている。
「わざわざ俺を馬鹿にしに来たわけじゃないだろ。何か進展でもあったのか」
短く「あぁ」と返事をしたミヤからは笑顔が消えていた。
「稀に見る速さで裁判が終わった。罪状は窃盗か死体損壊、恐喝ぐらいだろうと思ってたんだが、軍をバカにしたってことで、反逆罪、無期懲役だ」
「それは、思い切ったな」
目を丸くしてケイは驚いて見せる。この帝国では軍が動けば裁判などいくらでも自由にできるのは確かだ。しかし、ここまで極端な裁判も珍しい。その表情を見て、ミヤは真相を教える。
「まぁ言わずもがな、この裁判には元帥が一枚噛んでる。死者の、ましてや英霊の安寧を乱したとあっては元帥も穏やかではいられんだろうな。逆鱗に触れた、って言うのが正しいか」
「で、動機は。遺骨で身代金を要求したっていうのはわからんでもないが、何で遺骨代わりの石は大事そうに保管してたんだ。軍に恨みでも?」
「概ねそうだな。戦地のどこかにあるはずの遺骨を回収もせず、ただの石をさも大事そうに祀ってるのが気に食わなかったんだとよ。まとめて捨てるつもりだったらしい。まぁ、俺にしてみれば、無期懲役になっても腹立たしい言い分だ」
少し怒気を帯びたため息をついたミヤは前髪を掻き上げた。ケイはその横顔をじっと見つめる。
軍人のミヤにしてみれば、確かに犯人の動機に納得はできないだろう。どの戦争であれ、その亡骸は決死の思いで連れ帰ってきたはずだ。実際に戦場に出ていたミヤにはその気持ちがよくわかるのだろう。
「だが、一般人にしてみれば何の意味も持たない、たかが石。そんなもので無期懲役、今後の人生を全て狂わされるとはな」
視線に気づいたミヤは顔を少しだけ動かしてケイを見遣る。
「そう言えば、お前もその口だったな」
ケイは唇を噛んだ。
「禊は。当時どう思った」
当時、という言葉にケイは一瞬思考が止まる。思い出すまでもなく、すぐに目の前に浮かぶ光景があった。逆光で顔がよく見えない軍人の姿だけがいやにくっきりと形どられて記憶に残っている。
「遺骨だと思ったよ。たとえ石だろうと、父さんが確かに生きていた場所の石だから、っていうのは建前で、そう納得せざるを得なかった。まぁ、母さんは違ったみたいだけどな」
ふいとケイは視線をモニターに移動させる。今は誰も任務に出ていない。画面に映し出されているのは、どこともわからない町の様子だ。人がまばらに通り過ぎたかと思うと、ぱっと別の場所に移り変わった。ミヤからの視線を遮るように、わざとそちら側の手で頬杖をつく。
「会ったことはないが、お前の母親には感謝してる。大層なことをしてくれたおかげで、今、既死軍には優秀な情報統括官がいる」
「別に、母さんがあんな凶行に走らなくても、いずれ俺と樹弥君は出会ってたんじゃないか」
「仮定の話はしない」
そう言ったミヤは「ところで」と懐から手のひらに収まるほどの石を取り出す。白い紙に大事そうに包まれていた。
「禊には、これが何に見える」
視線だけを動かし、ケイは呆れたように抑揚のない声で返事をする。
「成分的にも、人骨の要素は一切ないただの石だ。わざわざ墓も発かないだろうし、治持隊の押収物から取ってきたとも思えないからな」
「そうだ。ただの石で間違いない。そこらへんにある有象無象と変わりない」
ケイの返事に満足したのか、ミヤはおもむろに腰を上げる。その動作に、ケイは慌てて石を握っているミヤの手を掴み、「だけど」と続けて動きを止めさせた。
「俺にはどうも、骨に見える」
「お前が石だと断定したなら、このまま川にでも投げ捨てようかと思ってた」
子供のように首を横に振ったケイはすがるように掴んだ手を離そうとしない。少し浮かした腰を再び下ろし、ミヤは手のひらを開く。
「教えてやるよ」
どこからどう見ても何の変哲もない石ころだ。それなのに、ケイには違うもののように感じられた。直観なのか、それとも、ミヤがわざとらしく問いかけてきたからなのか、理由はわからなかった。
「俺にとってはただの石だ。だが、これこそ、頭主さまが今回依頼してきた理由だ。お前も、詳しいことは知らなかったんだろ」
ケイは息を呑む。鼓動が早くなり、呼吸が浅くなるように感じた。
「禊が既死軍に来た元凶だよ」
眼前に先ほどと同じ光景が広がった。太陽を背にした軍人から差し出された白い布で包まれた箱。父親「だった」というのに、いやに軽かったその箱の中身が、今、ミヤの手のひらにある。
こんな石ころに自分の人生は変えられたのかと、ケイは数十年ぶりに再会した父親代わりの石を見つめる。
確かに、ミヤの言う通りすべての「元凶」だ。これが原因で家族を失った。よく見れば、かすれた血の跡がある。自分か、母親か、それとも幼かった妹弟のものか、今となってはわからない。
母親が凶行に走った後、ケイがふと思い出したときには既にこの石の行方はわからなくなっていた。どこかに紛れて無くなってしまったとばかり思っていた。無縁仏として埋葬された経緯は不明だが、きちんと供養されていたのだと今更知って、ケイは安堵したように小さく息をつく。
「樹弥くん、俺の父さんは、どんな人だった」
「俺はかかわりが深かったわけではない。だが、頭主さまが既死軍を使ってでも死後の安寧を守ろうとした方だ」
ただじっと動かないケイにミヤは優しく声をかける。
「それだけで、人となりはわかるだろ」
静かに首を縦に動かしたケイは両手でミヤの手を包み、石を握らせた。ミヤは手中にある石が体温で段々と温かくなっていくのを感じる。
「頭主さまが、長らく無縁仏のままにしていたが、それでは申し訳ないってな。お前の家の墓に、とのお心遣いだ」
ケイと父親を会わせるため、その道中をわざわざ遠回りして堅洲村に寄ったのだろう。ケイはその手を離さず、無言で視線を落とす。
室内には蝉の声が響くだけになった。