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Blackish Dance  作者: ジュンち
122/208

122話 不可分

その手を、もう一度。

 ヒデはチャコを背負って、一段一段を踏みしめながら階段を三階まで上る。いつもは何も感じないこの階段が今は恨めしく思えた。

 チャコの出血は止まっているものの、一刻を争うことに変わりはない。そして、いまだに気絶したままだ。

 足音を聞きつけてか、入り口のドアを開けて待っていたルキは「お帰り~!」と、そのままヒデを事務所の隣にある自室へと促す。ヒデが恐る恐る入ると、たった一つしかない簡易的な椅子にヤヨイが待ちくたびれように足を組んで座っていた。室内は窓とドアが開いているというのにたばこの煙が充満し、頬杖をついている机には吸い殻の山が築かれた灰皿がこれ見よがしに置かれている。燻ぶった紫煙は、既に明るくなり始めた部屋では幻想的な霧のように見えた。

「死んでないのか。めんどくせぇな」

 ベッドに寝かされたチャコの脈をとったヤヨイは気だるげにタバコを灰皿に潰す。心配そうに見ていたルキとヒデだったが、邪魔だからと部屋から乱暴に放り出され、ドアを閉められた。

「まぁヤヨイのことは信用してるし、任せるとして~」

 仕事用の椅子に座ったルキはデスクに足を乗せ、タバコに火をつけた。ヤヨイとは違った匂いがする。

 シドはルキのデスクにチャコのハリセンとヴァルエの銃を置いて既に退室していた。その銃を手にしたルキはまるで手遊びかのように分解を始める。

「任務の顛末はケイからあらかた聞いてるよ~。これで国家転覆を企てた悪者は全員捕まえたっぽいよ~。よかったね~。でさ~、それよりもロイヤル・カーテスはどうだった~?」

 来客用のソファに座ったヒデは腕組みをする。自分はディスと戦ったが、お互いに大きな成果はなく、取り立てて言うほどのケガもしなかった。だが、チャコはヤヨイの世話になっている状態で、どうやらシドもヴァルエが原因でケガをしているらしい。

「全員強いですね」

 ため息とともにヒデは言葉を吐き出す。今日は全員が互角だったと言えるだろう。ロイヤル・カーテスは人数が多い分、誰が任務に現れるかはわからない。だが、やはり軍刀を持っているヴァルエはヴァンやディスと一線を画している気がした。

「それなら、もっと強くなってね~」

 他人事のようにけらけらと笑ったルキは煙を吐き出す。

「ルキさんが(イザナ)やってる時ってさ~、ロイヤル・カーテスみたいによく会ういつもの敵、っていうのいなかったからさ~。ヒデたちにしてみれば面倒な相手かもしんないけど、ルキさん的には何か、羨ましいっていうか~」

 タバコを咥えたまま、言葉を選ぶように指を顎に当てて思案顔をする。

「ほら、宿敵っていうの? 好敵手っていうの? そういうの、何かいいよね~」

「そう、ですかね」

 同意しかねるといった渋い表情でヒデは首をかしげる。

既死軍(キシグン)の中でも切磋琢磨はできるけどさ~、流石に殺し合うわけにはいかないじゃん? まぁ、たまにはあるけど。だったらさ~、やっぱりちゃんと戦える相手がいるっていいことだと思うよ~」

 少し不穏な言葉を交えながらルキはにこにこと笑顔を見せる。

「ルキさんってどんな(イザナ)だったんですか?」

「どんな、って今と変わんないかな~。あ、ちなみにルキさんが既死軍(キシグン)に来たときはもうヤヨイがいたからさ~、みんなの気持ちはよくわかるよ~」

 ちらりと左の自室を一瞥したルキは再び笑みを見せ、短くなったタバコを灰皿の山に加える。

 ルキはチャコが気を失っていることには羨ましさを感じた。探偵役になってから大層なケガをしたことはないが、大ケガをして帰って来た(イザナ)を見る度、不憫な気持ちになる。生死をさまようような死闘を繰り広げ、やっとの思いで戻って来た先に待っているのが罵詈雑言を浴びせられながらの痛みを伴う治療だ。腕が確かなことは既死軍(キシグン)の全員が理解しているが、好き好んでヤヨイの世話になりたい人間はいないに違いない。

「荒療治って、ヤヨイのために作られた言葉だと思わない?」

「同意するのは辞めておきます」

 ヒデもつられて笑ったが、慌てて両手で口を覆う。ルキの言葉にうっかり乗せられてしまうと、隣室にいるヤヨイに何をされるかわかったものではない。ヤヨイがチャコに手を取られている内に、さっさと退散するのが吉だとヒデは立ち上がる。

「そろそろ帰りますね」

 ルキはヒデの考えを察したのか、「お疲れ様」と頷き手を振った。


 まだ太陽が南中には至らないころ、シドは宿(イエ)へ戻り玄関を開けた。居間は伽藍堂で誰もいない。そのまま、居間から続く自室へ入り寝間着代わりの浴衣に着替える。手袋を外した無防備な右の手のひらにざっくりと開いた傷口が目に付いた。手袋で守られてはいたが、軍刀の柄ではなく刃を握ればこうなって然るべきだ。痛みも違和感もあるが、わざわざヤヨイに小言を言われてまで治療してもらうほどでもないだろうと、手を握った。見なかったことにすれば、気付かないふりをしていれば、それで何事も済んでいた。

 一旦文机に置いた自分の拳銃と工具を持つと、襖を開けて縁側に出る。そこにやっとミヤを見つけた。縁側で折った座布団を枕代わりにうたた寝をしているミヤの周りには空になった湯飲みや読みかけらしい本、まだ半分ほど燃え残っている蚊取り線香がある。

 時折吹く風がミヤの短い前髪を揺らす。

 シドは縁側から足を投げ出して隣に座った。いつもなら少しの物音がしただけで目を覚ますのに、今日は一向にその気配を見せない。余程疲れているのだろうかと、あまり見ることはないミヤの寝顔をただ呆っと見つめる。手の中にある拳銃はすぐにでも修理しなければならない。だが、この場所では何となくする気になれなかった。

 しばらく青空に流れていく雲を眺めながら時間を過ごしていると、ミヤがやっと目を覚ました。体を起こしてシドの顔を一瞥すると、すぐさまその手元に視線を落とす。

「どうした。そんな物騒なもん持って」

「壊れた」

 そう言って拳銃を差し出してきたシドに、ミヤは「自分で直せるだろ」と言いかけた。だが、その言葉を飲み込んで、代わりにふっと小さく笑った。

「貸してみろ」

 他の(イザナ)が持っている拳銃は自動式だが、シドのは古ぼけた回転式だ。装填できる弾数や連射性、サイレンサーがつけられないことから考えれば、自動式を持ったほうがいいとは常々思っている。だが、最初にこの回転式を手渡してしまった自分が言い出すのもおかしな話だとミヤはそのままにしていた。

 あっという間に分解をして不具合の個所を探す。一体どんな任務内容だったのかと壊れた経緯を想像してみた。シドが拳銃を手渡すときに一瞬見えた手のひらの傷も、どうせ理由を語りはしないのだろう。

 多くを語らないのはお互い様だ。

「風呂でも行ってこい」

「眠い」

 噛み合っていない返事にミヤは思わず出た笑みをこらえる。シドの顔は見なくとも、いつもの不機嫌そうな無表情をしているに決まっている。元々会話は少なかったが、年末の一件があってからはこれほど会話をするのは初めてだった。お互いに思うことはあるのだろう。

 だが、いつまでも終わったことを引きずる必要はないと、ミヤは視線を落としたまま、極めて自然に話を続ける。

「寝るなら晩飯のときに起こしてやる。何がいい」

「何でも」

「その答えが一番困る」

 遂に表情に笑みを見せながらミヤは拳銃を正常な状態に直していく。器用に動くその手を、まるで壊れたおもちゃを親に修理してもらっているようなまなざしでシドはじっと見ていた。

「なぁケイ、お前のとこ、晩飯は何だ」

『それ、わざわざ無線で聞くことか?』

 呆れたような声をしてはいるが、すぐさま返事が返って来る。そして続けざまに無線の奥で小さくイチを呼ぶ声が聞こえた。ケイはいつまで経ってもお人好しというか、馬鹿正直というか、この世界に引きずり込んだのは自分とは言え、よく生きているなとミヤは思う。その間、会話らしい声が聞こえていた。

『特に考えてないってさ。で、どうせ持って来いって言うんだろ?』

「そうだな」

『たまには自分で作れよ。それも宿家親(オヤ)の仕事の内だろ』

「どの口が言ってるんだ。少なくとも、お前に言われたくない」

 自分から話しかけたミヤだったが、その後のケイの言葉は全て無視を決め込む。日々の鬱憤を晴らすように小言を続けていたケイだったが、ミヤの会話対象がシドに変わったところで、無駄だと悟ったのか、最後に一言悪態をついて無線を切った。

「まぁ、イチに期待ってとこだな」

 シドは返事をするでもなく、小さくあくびをしながら姿勢を変えて胡坐をかいた。

「これ、直しといてやるから寝てきていいぞ」

「終わるまで待つ」

 ミヤが短く「そうか」と返すと、沈黙が流れた。部品が触れ合う音だけが静かに聞こえる。

 空は晴れ渡り、夏の訪れを感じさせる。ここでシドと迎える夏は何度目になるのだろうか。そして、あと何回迎えることができるのだろうか。

 わざと修理の手を遅くしながら、ミヤはそんなことを考えた。

 すべての物事には等しく終わりがある。その違いは遅いか、早いか、たったそれだけだ。当然、どちらかがカタスムラを去る日は、いつかやってくる。

 思い出などわざわざ作ったつもりはないが、この村には風景や物に宿る記憶が多すぎる。この縁側から見る景色がその最たるものだ。遮るもののない空がどんな色に染まっていくのか、青々とした背の低い垣根に何の花が咲くのか、すべてが予定調和のように変化していく。

 だが、未来永劫変わらないものなど、この世にはない。

「もう俺が持ってた期間より、シドが持ってるほうが長くなったな」

 そうミヤは拳銃を手のひらに乗せ、シドのほうに差し出す。その手のひらに視線を落としたまま、シドは受け取った。冷たいはずの無機物が仄かに温かみを帯びている。

「壊れたら直せばいい。今までだって、俺たちはそうしてきただろ。なぁ、シド」

 その言葉にシドは顔を上げる。やっとミヤと目が合った。

 すっかり元通りになった拳銃が伝えたのは、温かさだけではなかった。

 シドは何も言わないが、一番近くで見続けてきたミヤには、その表情だけで十分だった。

「これからも大事に使ってくれよ。俺の身代わりだ」


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