120話 喰い合い
共に歩んだ物は、相棒になる。
ヒデと二手に分かれたチャコはハリセンで軽く肩を叩き、ヴァンの前に立つ。
「なんや、もうやられとるんかいな。ほな、話は早そうやな」
シド足首から手を離してふらふらと立ち上がったヴァンは、遅れて登場したヴァルエにシドの一切を任せることにしたらしい。全身が痛むのをものともせず、新しく現れた敵を睨みつける。
「その軽口、後悔させてやるよ」
「けど任務は俺らが終わらせとるし、ロイヤル・カーテスはどうせ尻尾巻いて逃げるんやろ」
「戦略的撤退って知ってるか?」
「そんな日和った言葉、俺の辞書には無いな」
降り下ろされたハリセンをヴァンは危なげなく左手で掴む。
「じゃあ、今から載せといてくれよ。俺の名前付きで」
ハリセンをいくら引いてもヴァンの手から抜けない。チャコは仕方がなく手を離して距離を取ろうとしたが、それよりも早くヴァンの拳がチャコの頬に叩きつけられた。
チャコは地面に左半身を擦りながら後方に飛ばされる。左頬は全体が擦り傷で赤くなり、血が滲んでいる。頬を手の甲で拭うと白い手袋に赤色が移った。じわじわとした痛みと、武器を相手に渡してしまった自分への怒りがチャコの導火線に火をつけた。
「えぇ気になっとんちゃうぞ」
「れっきとした実力差じゃない?」
ヴァンはハリセンを手にして何度か手のひらを叩いてみせる。その挑発的な行動にチャコは走り出した。背があまり高くないチャコはするりとヴァンの懐に入り込むように腹部を殴りつけ、そのまま二発目を叩きこむ。三発目を続けようとしたところで、脳天にハリセンを降り下ろされた。だが、チャコの持たないハリセンはただの紙束にしかすぎず、風の抵抗に負けて弱々しくしなるだけだった。
ふわりと頭に当たっただけのハリセンに舌打ちをすると、たかが紙だと破り捨てようとした。だが、手触りは紙なのに、少しも裂けようとしない。
「破れへんで。普通の紙ちゃうからな」
ハリセンを掴み返したチャコは歯を見せて笑う。
「俺は負けへん。だから、俺の分身もやぶれへん。なぁ、林火白水。せやろ」
林火白水、それがチャコが持つ武器の名前だ。既死軍に入って早数年、片時も離れたことがないこの武器は自分の片割れにも等しい。兄弟に話しかけでもするかのような表情で、チャコは名前を呼んだ。
「ハリセンは最強の打撃武器やけど、元を辿れば扇の一種や」
そう言いながら、ハリセンを扇のように広げて見せる。そして大きくひねった身体を回転させて風をおこす。その強風にはなすすべもなく、煽られたヴァンは後ろ向きに何度か転がり、コンテナで頭を強打した。
「お前には、ちょっと優雅すぎたな」
めまいを覚えたヴァンだったが、喰いしばった歯の隙間から息を吐き出し、立ち上がる。その手には銃が握られていた。
「けど、紙は鉄には勝てないだろ」
とどめを刺そうとハリセンを振りかぶっていたチャコは、そのがら空きの腹部に銃弾を受けた。至近距離では防御は間に合わなかった。ドクドクと脈打つように血が広がっていく。思わず膝をついて腹を押さえるも、手袋が血に塗れるだけだった。今にも倒れそうなのはチャコもヴァンも同じで、互いに気力だけで意識を留めている。
ヴァンはチャコの額に銃口をぴったりと当てる。勝ち誇ったような顔で別れの言葉でも口にしようとしたが、横から聞こえてきたディスの声に自分の負けが確定したことを知った。
手にしていたはずの拳銃は、光のように真っすぐ音もなく飛んできた矢に射抜かれ、そのまま軌道に沿って連れ去られる。それを視認するが早いか、遠くで地面に矢ごと落ちた音が同時に聞こえた。
銃の行方に気を取られたその一瞬が徒となった。チャコは勢いよくハリセンをヴァンに叩きこむ。
「けど、ヒデの勝ちやな」
そう吐き捨てるように笑うと、ヴァンより一歩遅れてチャコは気絶した。
ヴァンが倒れたのを見たディスはずり落ちた眼鏡を親指と中指で元の位置に戻した。この距離から正確にヴァンの拳銃を貫いたヒデの腕は称賛に値する。だが、相手を褒めている場合ではない。相打ちで既死軍のチャコも倒れたとはいえ、負傷者が出てしまっては今後の任務に差し支える。
「ヴァンが気絶しました。即時撤退を求めます」
そう無線でヴァルエに話しかけるも、「断る」と短い返事が帰って来ただけだった。
ロイヤル・カーテスはそれぞれの名前が数字を表している。任務中は数字が大きい者の命令に従うのがルールだ。ヴァルエに反対することのできないディスは小さくため息をつく。
その様子を見ていたヒデは弓矢を手にしたまま「続けますか? 終わりますか?」と問いかける。ディスは弾を再装填しながら二度目のため息をつく。
「続行です。私にはこの戦いは無意味に思えるのですが、続けるからには勝たなければなりません。それはそうと」
装填を終えたディスは親指で倒れているチャコ達を指す。
「うちのは恐らく脳震盪か何かで気絶してるだけですけど、そちらの、出血は大丈夫なんですか?」
「大丈夫だと信じるしかないです。僕らには命令が絶対です」
「もう任務は終わったんじゃないですか? お互いに今日は密航者を捕まえに来たんですよね」
「それは終わりましたが、今は別の任務中です」
軍帽をかぶり直したディスは鼻で笑い飛ばした。
「私たちの殲滅、ってところですか」
ディスは自分の言葉を言い終わる前に引き金を引き、それをヒデは矢で迎え撃つ。乾いた音を立てて地面に落ちた銃弾と矢は風に吹かれて二人から離れるように転がっていく。
弾数に余裕があるのを見せつけでもするかのようにディスは間髪入れずに二発目、三発目を撃つ。その攻撃を予想はしていたものの、ヒデの身体は銃弾の機械的な速さに追い立てられ、ギリギリのところで何とかかわしていく。追加で数発を避けると、何とか凶弾の届かないコンテナの陰に隠れることができた。
つかの間の安堵を得たからか急に腕が痛み始め、触ってみるとうっすらと手袋に血がついた。一発かすったようだが、ケガと言うほどでもない。
しかし、ため息をつく間もなく、近くで次の発砲に備える音がした。静かにディスが迫ってきているらしかった。
弓と拳銃しか持たないヒデは接近戦には向いていない。一定の距離を取るために、気付かれないようにコンテナの間を縫って走る。先ほど船から管理棟まで移動したのが奏功して、立体的な迷路のように入り組んでいるが、思う通りに走ることができた。
再びコンテナの上によじ登り腹ばいになって身を隠し、端から少しだけ顔をのぞかせてディスの動向を観察してみる。しばらくはキョロキョロと辺りを見て回っていたが、やがて足を止めた。人は意外と目線より上には意識がいかないようで、ヒデはしばらくの間気付かれることはなかった。
チャコとヴァン、ヒデとディスが対峙していたころ、同じく、シドとヴァルエも睨み合っていた。振り返ったシドの首筋には軍刀が触れたままだ。
「俺に折られた腕はきれいに治ったか?」
挑発するような口ぶりにシドは無表情を返す。ひやりとした刃が少しずつ首の肉に食い込んでいき、やがて切り口に玉のように溜まっていた血液が生ぬるい筋を作って首を流れた。
「今日も俺が叩き折ってやるよ。お前の腕も、心も」
その言葉に、鎮まっていた怒りの炎が身体を焦がしきった。シドが静かに口を開く。
「俺の首も切れない人間に、何ができる」
左手で切っ先を握り、頸動脈の位置まで動かして離す。
「ほら、ここだ。ここを狙え」
ヴァルエは自分に真っすぐ向けられた眼光に一瞬怯む。シドの目の奥では暗い闇が業火のごとく渦巻いている。目の前にいるのは死を覚悟した人間ではない。幾重にも死を纏った人間だ。その人数は自分が葬ってきた命の比ではない。シドの鼓動が軍刀を介して伝わってくる。確かに生きているのに、このシドという男は常に死の淵に立っているようだった。
シドは自分の首に流れたねっとりとした赤黒い血を指で絡め取ると、刃に伸ばすように塗り付けた。
「俺のこの血で満足か? お前の心は満たされたか?」
ヴァルエは恐怖さえ覚えた。まるで何かの呪いをかけられたかのように、脳では命令をしているのに身体は動こうとしない。
少し間をおいて、自分に言い聞かせでもするようにヴァルエはやっとのことで口を動かした。
「お望み通り、殺してやるよ」
刃は首に沿わせたままだ。このまま引いてしまえば、すっぱりと頸動脈が切れる。そうすれば、こんな手当もできないような場所では失血死しか待っていない。
このシドという男は始末しておかなければならない。今が絶好の機会だ。ヴァルエは迷うことなく、一瞬で軍刀を引く。自分の動作なのに、いやに動きが早く思えた。だが、目の前では思い描いていた通りに狂ったように血が舞っている。勝った。そう思ったのもつかの間、はたとシドの左右の手元に視線が向いた。シドが手にしているのは拳銃と、つい先ほどまでは軍刀の一部だった刀身だ。さっきよりも血に塗れている。
その血が自分のものだと気付くのには数秒を要した。
状況から察するに、シドは右手で刃側を掴んで固定し、拳銃のグリップ部分を棟側に叩きつけたようだ。軍刀は折れることはほとんどないが、唯一の弱点らしい事と言えば、棟側からの衝撃だ。
そこまで考えたところで、遅れて痛みが全身を駆け巡る。視線を自分の身体に落とすと、肩口から斜め下に向かって胴体を切りつけられていた。
自分がただ軍刀を引くという一動作をしている間に、シドは一体いくつのことを成し遂げたというのだろうか。今になって軽さを感じた軍刀の残された柄と一部の刀身を鞘に納める。軽く金属音が鳴った。