110話 散ればこそ
うき世に、何か久しかるべき。
蜉蒼が予告した爆破時刻は日没直後だ。今の季節であれば六時過ぎ、まだもう少しは時間に余裕がある。
坂の上にある古い家屋が並ぶ観光地をしらみつぶしに探しながらヤンは昔を思い出していた。まだ「ヤン」と名乗る以前のことだ。ここへは何度か来たことがあった。最後に訪れたのは十年近く前になるだろう。どこを見たのか、どうして来ることになったのか、はっきりした記憶はない。だが、来たことだけは覚えている。
連れて来てくれたのは近所に住んでいる幼馴染とその母親だった。週末や長期休暇はここ以外にも、色々なところへ連れて行ってくれた。家にも何度も泊まらせてくれた。自分もこの家族の一員だったらと何度願っただろう。今でも、ふとそんな考えが頭をよぎる。もし、そんな途方もない願いが叶うなら、自分はこんなところにいなかった。きっと今日も幼馴染と平穏に過ごしていただろう。
もう二度と見ることは叶わない優しい笑顔にヤンは視線を落とした。
ケイから明言はされていないが、ジュダイとヒデも、「生前」はここで生きていたはずだ。二人は今、一体どんな心境でこの町を駆け回っているのだろうか。もしかすると自分ほど感傷的ではないのかもしれない。
「土地勘がある人間を寄越したのはわかってる。けど」
人混みを抜け、一人になったところで無線を介してケイに呼びかける。
「そのお陰で、吐きそうだ」
『お前の感情など任務には不必要だ。俺の知ったことではない』
淡々とした声色の返事に、吐き捨てたように笑ったヤンは「その通りだな」と答えると、人の気配を感じて再び黙った。だが、ケイの言葉は続く。
『望むと望まざるとにかかわらず、思い出は美化される』
立ち止まったヤンは唇を噛んだ。確かに、ケイの言うとおり、必要以上に美化されているのかもしれない。キラキラと輝くような記憶が「思い出」の大半を占めているが、実際はそうではなかった。既死軍にいる他の人間と比較すれば自分の傷は浅いだろう。それでも、自分の人生を送っているのは自分しかいない。
追い打ちをかけるようなケイの声が耳にこだまする。
『お前の過去は美しくない。そうだろ』
目を閉じて深く息を吐いたヤンは足を止めた。正面から来た観光客らしきカップルが心配そうに具合の悪そうなヤンを一瞥し、その脇を通り過ぎていく。続いてツアーの団体客が視界に映った。
「その通りだ。だから、ここにいる」
ヤンはそう呟き、再び歩き出す。未だに探知機は爆発物に反応しない。
「徹ー! こっちこっち!」
そう呼ばれたほうへヒデは視線を向ける。全国展開している百貨店の前でジュダイが大きく手を振っていた。何枚もあるガラスのドアは大きく開かれ、買い物客の往来で出入り口付近は込み合っている。
「何かわかった?」
そう問われたジュダイは「何にも」と頭を掻き、質問を返す。今まで通った道も、百貨店の中も収穫はなかったらしい。
「徹はロイヤル・カーテスに会ったんだろ?」
「あいつらっていうか、会ったのは一人だけ。けど、あっちも三人はいるっぽい」
「競わせられてるみたいで何かムカつくな」
二人は百貨店には入らず、少し歩いて高級ブランド店が立ち並ぶエリアに向かった。街路樹は青々と茂り、きれいに手入れされた花壇は色とりどりの花でにぎわっている。開け放たれている入り口から見える店内は煌びやかに輝いているようで、非日常的な別世界に見えた。蜉蒼が何も考えずに狙うならこの辺りじゃないのかなと、ヒデは黎裔のことを思い出す。貧民街である黎裔を拠点にする蜉蒼にしてみれば、逆恨みや八つ当たりをするには格好の場所のように思えた。
「悠理はどこにあると思う?」
「そうだなぁ。少なくとも、ここら辺にはないんじゃないか? 百貨店とかこういう店の探知機って結構何にでも反応するし」
「わかるわかる。駅のより店のほうが厳しいもんね」
ヒデはたまに引っかかっていた駅の保安検査を思い出していた。それは改札と一体化していて、通るだけで手荷物の中身が透過検査されるようになっている。また、一定量以上であれば爆発物にも反応する。その保安検査機械が不審な点を検知すれば、改札に立っている駅員がすぐに駆け付けて中身を問いただされ、時間を浪費することになる。
駅の場合は利用人数が多すぎるため、ある程度の大雑把さがある。それでも、これまでに何度か未然に事件を防いだことがある。
だが高級店においては、簡単に保安検査が破られたとあっては会社の威信が失墜する。出入り口や店内の安全対策には社命すらかかっている。これを突破するのはいくら蜉蒼でも骨が折れるだろう。
二人は高級店が立ち並ぶ道をゆっくりと歩いてはみたものの、相変わらず探知機が反応することはなかった。ようやく普通の街並みと溶け合った交差点につき、ジュダイは電話を取り出してヤンに話しかけた。
「隼人のほうはどうだ?」
こちらの会話を無線で聞いていたようで、すぐに要領を得た返事があった。
『今のところ特に変わったことはないけど、そっちも何もないんだろ? じゃあ、あるとしたら俺側だろうな。特に手荷物検査も厳しくない』
「俺と徹も合流するか。隼人が通ってないところ歩きながら向かう。ここからだったら三十分ぐらいか?」
『それなら、北小野坂は通ってない。まぁ三十分と言わず、一時間ぐらいかけて来てくれてもいいぞ。こっちに着いたらまた連絡くれ。じゃあな』
携帯電話をしまったジュダイは会話内容を説明することもなく踵を返す。
「北小野坂、ここら辺だと一番勾配キツいよね」
「徹、発想が凡人になってる」
不満そうヒデな声のヒデにジュダイは笑いをかみ殺したような表情になる。今は、普段着を着てカタスムラにいる時とも、既死軍の制服を着て任務をしている時とも違う、少し異質な時間だ。
初めはジュダイの言葉にきょとんとしていたヒデだったが、泥だらけになりながら山道を走ったり、倉庫の窓をよじ登ったりしている自分がわざわざ言うようなことではなかったなと気付いて笑った。
「確かに」
「言いたくなる気持ちもわからんでもないけどな」
一本隣の通りを引き返しながら、のらりくらりとヤンとの集合場所へと向かう。三十分とは言ったが、この歩調だとヤンの言うとおり一時間はかかるかもしれない。
すれ違ったり、追い抜いたりしていく人々をヒデは目で追ってみた。既死軍のおかげで、この中の誰かは助かったのかもしれない。もしかすると、これから助けるのかもしれない。反対に、一切のかかわりなく天寿を全うする人もいるだろう。今日の爆発物予告も、もし本当なら間違いなくこの人たちは大なり小なり被害に遭うだろう。
「今日、無駄足のまま終わればいいね」
「そうだな。ただの散歩日和っていうのも悪くはない」
太陽は先ほどよりも少し傾いている。
ヤンは坂の上にある観光地から、更に六十段もの階段を上った先の神社へと来ていた。そこはちょうど桜が満開で、参拝というよりも花見を目的に来ている人の方が多かった。高さがあるため、街並みを一望できる場所ということも、わざわざ石段を上る人が多い一因だろう。
観光客に紛れてヤンも街を見下ろしてみる。現世から長く離れている間に、街の様子も少し変わっていた。再開発でも行われているようで、見覚えのないビルがいくつか建っていた。
流石に住んでいたところはここから遠く、見えはしない。それでも、ビルの隙間からかすかに見える電車はその場所へ続いている。戻ったところで、そこには何も残っていない。家族すら、今はどこで暮らしているのかわからない。今もまだ同じ家に住み続けている可能性は低いように思えた。幼馴染の一家もきっと引っ越してしまったことだろう。誰も、何も、残っていないなら、思い出も残す必要はない。
「ねぇ、名前、何ていうの?」
突然背後から声をかけられ、振り向く。そこで笑っているのは、ヒデから聞いた通りの服装をしているルワだった。担当範囲が同じことは知っていたが、まさか本当に会うことになるとはと渋い顔をした。
「コウ、だな」
「あれ? 徹から聞いてた? まぁ情報共有は当然か。で、そっちは?」
しばらく呆っと立ち尽くしていたのか、声をかけられた時には既に日が傾き始めていた。周りにある観光施設の閉館時間もだんだんと迫っている。ツアー客や子供連れは徐々に減り、足早に神社や桜を見て立ち去る人も増えた。
「教える必要もないだろ。どうせ今日だけのもんだ」
「えー。でも名前呼ばれたら困るんでしょ。それで徹も名前教えてくれたし。俺バカだから大声で本当の名前叫んじゃうよ」
そう顔を覗き込まれ、呆れたように「隼人だ」と返事をした。それに満足したのか、ルワはヤンの隣に立って同じく眼下を眺める。
「お前、うちの徹と随分仲いいみたいだな」
「いいヤツだよね。会えたら嬉しいっていうかさ」
「その台詞、何の他意もない、とでも言うつもりか?」
「さて、どうだろうね」
「仲良くするのはお互いの勝手だが、徹はお前らになびいたりしないからな」
「どういう意味?」
張り付いたような微笑みでルワは問い返す。
「懐柔できるとでも思ってるなら大間違いだ」
「そんなこと思ってない。ただのいいヤツ、だな」
どこまでが本心なのか、ヤンは訝し気にその表情を睨みつける。
「それより」
ヤンの視線から逃げるようにルワは目をそらし、風に舞う桜に向ける。
「隼人くんがここで悠長にお花見してるってことは、お目当てが見つからなかった無駄足を嘆いてるって感じ?」
「始末後かもしれねぇだろ」
「それならさっさと帰るでしょ」
ヤンがルワと話すのはほとんど初めてだった。ルキみたいな飄々としたやつだと話には聞いていたが、確かに似通った部分がある。さっさと会話を切り上げたいが、ここでは別れたところで再び鉢合わせするに違いない。
「まぁ俺たちに見つけられない物が、既死軍に見つけられる訳ないか」
「ケンカ売ってるつもりなら買うぞ」
睨むこともない淡々とした返事が逆にそれらしく聞こえたのか、慌ててルワは否定する。
「いやいや、そういうつもりじゃなくて」
「じゃあどういうつもりだよ」
「多分、見て回ってるところほとんど同じでしょ。なのに片方だけ見つけられるわけないかなって。探知機だってきっと性能は同じぐらいだろうし」
無視を決め込もうと思っていたヤンだったが、耳元でケイが珍しく会話に介入してきた。どうやらルワの繰り返す「同じ」という言葉が癪に障ったらしい。ヤンは言われた通りの台詞をルワに突き付ける。
「俺たちの積み重ねてきた物を、昨日今日で集められたお前らと同等に扱われては困る」
声に出して笑ったルワは一歩下がった。
「プライドってやつ?」
ヤンは振り返る。いつの間にか人影は見当たらず、ここには二人だけしかいない。
「なら、そのプライドを俺たちは徹底的に叩き潰してやる。忘れるな。俺たちはお前らと敵対する組織」
今まで話には聞いたことのない表情に、ヤンはルワがロイヤル・カーテスの「王」であることを思い出した。この表情こそが、その証だ。
「この帝国の不穏分子。皇の思想から外れた存在。全員、例外なく、敵だ」