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Blackish Dance  作者: ジュンち
104/208

104話 解けない

答えのない、問い。

 オレンジ色の電球が薄暗い室内をぼんやりと明るくしている。落ち着いた色合いの木製カウンターの内側では年老いたマスターが静かにグラスを拭いている。こじんまりした店内のカウンターやテーブル席には誰もいない。空間によく合う穏やかなクラシック音楽がその場を満たしているだけだ。

 会員制のバーは元から訪れる客も限られている。しかし、今日は店内の奥、会員の中でも更に特別な人間しか入れない部屋で青年が二人、数分前から口論を繰り広げていた。

 十人ほどが入れる広めの部屋は中心に楕円形のテーブルが置かれ、それを囲むように円形にソファが置かれている。部屋の奥には扉があり、どこかへ続いているようだった。

「だーから何でここにヴァードンの定理使うんですか! 馬鹿なんですかあなたは」

 頭を小突かれたルワは「はぁ!?」と食って掛かる。二人ともいつものロイヤル・カーテスの軍服ではなく、ラフな私服を着ている。その様子はどこからどう見てもただの一般人だ。

「ヴァードンの定理の美しさがわからないディスのほうが馬鹿なのではー!?」

「私の貴重な休日をルワに使って差し上げてる有難さを理解してから物を言ってください」

 低俗な口答えに、ディスは眼鏡を外してやれやれと目頭を押さえる。

 二人の背景に見えるのは、今にも相手を食い殺さんとする虎と、力いっぱい威嚇をしているハムスターの様子だった。どちらがどちらを表しているのかは言うまでもない。

「ディスは(おれ)が留年してもいいのかよ」

「任務さえこなしてくだされば、私生活は気にしませんので。お気遣いなく」

 わかりやすく憤慨したルワは、黙々と数学の問題を解いているレナに助けを求める。

「レナは困るよな!?」

「んー、別に、私もディスと同じ意見かなぁ」

 ノートから目を離すこともなく、レナは筆記具を走らせる。迷惑そうな表情を作ることすらしない。

「もっと俺に関心持ってくれよ!」

「イヤ。私、暇じゃないから」

 レナを援護するように、ディスも「私もです」と同意する。ルワは再びわかりやすく憤慨したかと思うと、すぐさま情けない声と共に机に突っ伏した。あまりの醜態を見かねたのか、ディスはため息をつく。

「去年度も前期も私たちのおかげでちゃんと単位取りましたし、まだ二年生ですし、留年はあり得ないでしょう。まぁ、私たちに頼りきりなのはどうかと思いますがね」

 救いの手でも差し伸べられたかのように、ルワは顔を上げる。

「取り敢えず、レポートは私が書くので、試験のほうは自力でどうにかしてください。問題が予告されているんですから。それにしても、何でここまで課題を貯め込んだんですか」

「だって、任務が忙しいから」

「ルワの任務が多いのは認めます。ですが、本当に任務だけが理由なんですか?」

 痛いところを突かれたらしく、ルワは苦虫を噛み潰したような表情になる。

「ディスは、任務と課題だったら、どっち取る?」

「どちらもです。要は、要領の問題ですから」

 ルワは「第壱大めー!」と頭を抱える。呆れたような顔のディスは「あなたが数学科とは信じられませんね」と再度ため息をついた。

 帝国の大学名は、わかりやすく第壱大学から学力順に番号が割り振られている。ディスが卒業した帝国第壱大学は帝国最高の学力を誇る大学で、誰でも簡単に入学できるものではない。帝国第二大学に在学しているルワが嫌味ったらしくその名を叫ぶのも尤もだった。

「新しくお淹れした紅茶です。どうぞ」

 そんな二人の会話が聞こえていたのか、いつの間にか入室していたマスターがトレイに乗せたティーカップを三人の前に置いていく。濃淡のある青色で花の模様が描かれ、金で縁どられた上品な磁器製のティーカップだ。そこに注がれた濃い赤褐色の紅茶からは熱そうに湯気が立っている。甘い芳醇な香りが部屋を包む。

「休憩なさってはいかがですか? 根を詰めすぎるのはよくないとわたくしは思います」

盡无(ジンム)さん~!」

 渡りに船だとでも言うようにルワは顔を上げた。マスターの盡无(ジンム)はとうの昔に空になっていたティーカップをトレイに乗せながらルワに微笑みかける。

「わたくしがお手伝いできるのは、これぐらいですから」

「俺、マジでロイヤル・カーテスの良心は盡无(ジンム)さんだけだと思ってる」

 ルワは目を輝かせながら拝むように手を合わせる。眉を下げて小さく笑った盡无(ジンム)は「ありがとうございます」と会釈をして部屋を後にした。

「何ですか、最後の良心って。私のお手伝いでは不満ですか」

 不機嫌に不機嫌を重ねたような声色でディスは手を止めた。薄型のノートパソコンにはルワが書くはずだった一般教養科目のレポートが途中まで作成されている。デリートキーに伸ばす指を瞬時に阻止し、ルワは苦笑いする。

「ディスにもちゃんと感謝してるから! この前の任務の時、めちゃくちゃ助かったから!」

「階段から転げ落ちたときですか? 海に頭から落ちたときですか? それとも」

 思い出したくもない赤っ恥な記憶を掘り起こされ、ルワは言うんじゃなかったと片手で頭を押さえる。任務にアクシデントはつきものだが、それでも自分のそそっかしさには自分自身で呆れた。まだ言葉を続けようとするディスに向かって、もうたくさんだと言わんばかりに首を横に振った。

 そんな大人げない会話にしびれを切らしたレナが口をとがらせる。

「私、春から受験生なんだから『落ちた』って言わないでくれる?」

「そうだっけ。志望校どこ?」

 自分に向けられていた刃をかわすように、ルワは嬉々と話題を変える。ディスは厄介払いができたと、放り出されていたレポートの作成に取り掛かった。

「今は帝国軍大学校の看護科って思ってるんだけど」

「いいじゃんいいじゃん。レナに似合ってるよ」

「けど、ロイヤル・カーテスの任務しながらできるのかなって悩んでて」

 レナは手を止め、隣にいるルワではなく、更にその隣にいるディスに目を向ける。視線に気づいたディスはレナを少しだけ見ると、すぐに画面に視線を戻した。

「先ほど言った通り、要領の問題です。私が学生の時は、学業はもちろん、就職活動もしていましたよ」

「それ、ディスの頭だからできた話でしょ?」

 二極化の激しいお手本がちょうどいたものだと、レナはにこにこと会話を聞いているルワをちらりと見遣る。

「やってもないことをできないと決めつけるのはよくないことですよ」

「そうそう、レナならできるよ。がんばれ」

 鼓舞されても尚、レナは悩んだ様子を見せる。

「本当にやりたいことなら困難は乗り越えられるものです。レナさんはどうして看護科に?」

「助けなきゃって思ったの」

「誰をですか?」

 その問いを聞くや否や、にこやかだったレナの顔は曇り、伏し目がちに目を泳がせる。

「ヒデならやめとけよ」

 それまで静かにしていたルワが低い声で制する。はっと顔を上げたレナが見たルワの表情は真剣そのものだった。

「レナだってわかってるだろ。優しいやつじゃないんだよ、ヒデは。何かの拍子に(たが)が外れて戦闘狂みたいになるのは普通じゃない」

 黙ってしまったレナは、ルワごときに言い当てられてしまうほど態度に出ていたのだろうかと、恥ずかしさから顔を両手で覆った。

「たとえヒデが普通の軍人で、レナが看護師って出会い方してたとしても、俺は上手くいくとは思えない。いつかきっとヒデはその狂気をレナに向ける」

 ルワの一言に空気が一段と重くなる。レナは指の隙間から睨むようにルワの顔を見た。何か言い返そうとしたとき、奥へと続く扉が開かれた。

「うるさいと思ったらやっぱりルワじゃん。賭けは俺の勝ちだな、ノーフ」

「残念、ユネかと思った」

 そうけらけらと笑いながら入って来たのは、男らしい顔つきのトロアと、中性的なノーフという対照的な二人組だった。

 ロイヤル・カーテスの任務はこの一室から始まり、ここで終わる。地下には一人一人小さいながらも個室が与えられ、そこにはシャワーやロッカー、仮眠用のベッドなどが備え付けられている。任務から戻って来てシャワーを浴びたばかりらしく、私服姿の二人の髪はまだ乾ききっていない。

 新しい風が入り、張り詰めていた空気が一気に弛緩する。レナは深く息を吐き出し、再び筆記具を手に取った。

 ルワも雰囲気を変えようと、話題を振る。

「トロアも助けて!」

 名指しされたトロアの視線は、そう懇願するルワの顔からすぐに机に広げられている教科書やノートなどに向けられる。そして自分には目もくれずひたすらにキーボードを叩いているディスを大変そうだなと言わんばかりの表情で見た。

 ディスの隣に座ったノーフは、テーブルに置かれているまだ温かい紅茶を飲み干し、代わりに返事をする。

「ディスがやってるんだからよくない? 僕ら戻ったばっかりで疲れてるんだけど」

「まだいっぱいあるんだよ。人海戦術ってやつでさ、お願い」

 大学よりも読者モデルとしての仕事のほうが忙しいノーフは我関せずと、ルワが山積みにしている教科書から一冊を手にして読み始めた。一方、首からタオルをかけたトロアは曖昧な返事をしながらソファに座ろうと、半分ほど腰を下ろしたところで「締め切り、いつなの」と問いかけた。

「明日の午後五時まで」

 その言葉にトロアは下ろしかけていた腰を上げる。

「徹夜すれば余裕じゃん」

「いやいや、俺たちこれから任務なんだよ」

 不愉快そうに「はぁ~?」と声を出してトロアはルワの肩を軽く叩く。

「まぁ、単位落とすのも経験だって」

(ルワ)が単位落としまくってるの見たい!?」

「私生活が自堕落でも任務さえこなしてくれてれば」

 ルワは「さっきディスにも聞いた!」とトロアの袖を引っ張り、無理矢理隣に座らせることに成功した。

「しょうがないなぁ。サンクも呼ぶ?」

 その提案にルワは顔を輝かせる。

「サンクって近所だっけ?」

「ここから電車で一時間ぐらいだったかな」

 トロアはズボンのポケットから携帯電話を取り出して何度か画面に触れたかと思うと、すぐに顔を上げた。

「用事あって来られないけど、一つぐらいなら課題の内容教えてくれたら書いて送ってくれるって」

「か、神様〜!」

 二人のやり取りを聞いていたノーフは自分に災難が降りかかっていないのをいいことに、その様子を小馬鹿にしたように笑う。

「ていうか、ルワは数学科のくせに時間配分ってできないわけ?」

「それとこれとは話が別。数学科は変わり者だからしょうがないでしょ」

「自分で言わないでよ」

「ルワ、口じゃなくて手を動かしてください」

 二人からの攻撃に、ルワは小さく返事をした。


 数時間後、ディスから託されたノートパソコンを閉じたトロアは両手を組んで高く伸びをした。正面でファッション雑誌を読んでいたノーフは「終わった?」とあくびをする。時計は既に朝の五時を指している。

 テーブルを埋め尽くしているのはトロアが付け焼き刃の知識を得るために読み漁られた教科書と、レナの解きかけの問題集、ノーフが徹夜のお供に選んだ雑誌たち、それに眠気覚ましのコーヒーだ。

「何とか」

「これでルワも心置きなく王様続行できるね」

「そうだな。まぁ単位を落とそうが、留年しようが、(ルワ)(ルワ)だよ」

「ルワが僕らの王をやってる理由、何かわかる気がする。人を使役するのが上手いと言うか、何というか」

 苦笑しながらノーフは立ち上がる。それに合わせてトロアも数時間ぶりに腰を上げた。

「愛される馬鹿ってやつだな」

「同感」

 トロアは課題が終わった旨をメモに走り書きしてノートパソコンの上に置き、二人は特別室を後にした。


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