彼方の雲から
『止まれ』
極光がキリヤの意識を刈り取った直後、ウラヌスは天が割れそうなほどのプレッシャーを知覚した。父と呼び、主と見定めた存在の短い一声に身を固くし一切の動きをやめたのは条件反射のようなものだ。
『アース』ごと爆発しようとしていたマーズもその過程を強引に中断したことで、内側で小さくないエネルギーを暴発させて倒れ伏す。
主を探そうと辺りに目を凝らしても、神秘を凝縮したかの姿は見ることが叶わず遥か彼方から声のみを届けていると瞬時に察した。
辛うじて意識を保っていたマーズは、しかし首を持ち上げるまでには至らず地面に向かって謝罪を落とした。
「言いつけを破ったこと、反省している」
『赦す。しかしマーズよ、お前はもう戦える状態ではないようだ』
「いえ。人を象ったこの身は動かずとも、火星の力は未だ健在だ。まだ戦えます」
『我が声を聞いている全惑星に重ねて告げる。『アース』に対し存続に関わる深刻な損傷を与えることは許さない。お前たちに命じたのは"掃除"であり破壊ではない』
「……だが王よ。『アース』の防衛者たちの実力は予想を上回っている。これまでを振り返ってもここまで抵抗できた生命は存在していなかった」
『加減ができない相手であり、滅ぼすには本来の力の一端を使うしかないと、そう言いたいのか』
マーズの反論。主の意訳。それらのやり取りをウラヌスは間近で見る羽目になった。オールトの機嫌が悪ければマーズの破壊する余波でこちらまで消されかねないため、この場からの離脱を検討し始める。
しかし間の悪いことに、オールトの意識はウラヌスに移ってしまった。
『ウラヌス。面白いことをしているな』
「は、はひ……」
『遅かれ早かれお前の行いはバレるというのに、何をそんなに怯えているのか』
「怒られるにも、こ……心の準備というものがあって……」
『全力で他の惑星と交戦したのなら仕置が必要だったところだが、お前がやった事は精々ちょっかいを出す程度だろう』
明らかな離反を悪戯扱いされて少々ムッとした。ウラヌスとしては一世一代の裏切りのはずだったのに、父にとっては子供の成長か何かにしか見えていなかったらしい。
だからなのか、普段であれば絶対に選ばない選択をする。
「父上。オレは……『アース』の侵略は間違っていると思う」
それは反抗。父であり主と仰ぎ続けてきた絶対的存在への反発。みっともなく声が震えていようが、姿が見えない主人を見上げた両目が固く瞼で閉ざされていても、ウラヌスにとって一世一代の意思表明だった。
ウラヌスとオールトの会話を伏したまま傍聴人に徹していたマーズも、覆しようのない明確な離反に目を見開く。仲間意識などないが、ウラヌスは『使徒』の中でも軽快愉快な性格で気がつけば軽口を許してしまう。そんな相手だった。主への忠誠心以外に何も無かった自身の中に、嵐のように吹き荒れる不愉快な感情。
人間の言葉で表すなら、その感情の名は「心配」だった。そして不愉快な感情に戸惑い、荒れる心に苛立ちを覚えた。
天からの返答はなく、しかしプレッシャーは変わらずある。オールトの沈黙を罪人のような気持ちで享受しつつウラヌスは目を開き再度開口した。
「『使徒』たちは今まであなたの命令に従って、あなたの意志のままに多くの星々を侵略してきた。オレは色んな顔を見てきた。その顔を見ていると、形でしかないはずの体の真ん中がギュッと苦しくなって、あるはずのない心臓が早鐘を打った」
悲しい顔。怒っている顔。諦めた顔。恐怖している顔。何の感情もない顔。
『使徒』の歴史は侵略の歴史だ。随分と長い間、人型の彼らと顔を合わせてきた。オールトから命令を受けられたことと、それを完遂できたことで誇らしげだった嬉しそうだった。その顔を見るとウラヌスも嬉しくなった。
仲間たちとは真逆の表情を見るのが段々と辛くなった。
侵略に意味を求めてはいけない。意味を見出すのはオールトの役目であり自分たちが思考を介入させる余地すらない。
けれど、どんな意味があったとしても『アース』の滅亡は間違っていると思った。
「これまでの無抵抗で殺された侵略対象であれば、生命の成長余地がないんだと思って受け入れたさ。でも『アース』は……この星に住まう命は絶望的な状況でも足掻いてる!少なくとも、あなたがわざわざ直接声を届けてくる状況に至るほど『使徒』が苦戦して」
『何か勘違いしているらしい』
プレッシャーが膨れ上がる。必死で叫んでいたウラヌスは気づかなかったが、最初の声の時から重圧はジワジワと増していた。それが意味することは『オールトの雲』が声だけでなく直接この星に出向こうとしているのだ。
『これまでお前たちに侵略を命じた星々は何も、未来性がなかったから滅ぼしたのでは無い』
「っ!ではなぜ、彼らは滅びなければならなかったのか?!」
『寿命だ』
「……え?」
『お前たちにも、その他の星々にも、もしかしたら我にも。命のあるなしに関わらず、万物には全て終わりが定められている』
「その終わりとは時間の経過で自然と迎えるものであり、第三者が引導を渡すように決めるものでは無いはずだ」
『然り。しかしただ二つ、例外がある。マーズ、何だと思う?』
気まぐれで話を振られたマーズは少しも考えないうちに答えを言った。
「さぁ、俺には見当もつきません」
『少しは考えないか、つまらん。例外その一。惑星が我とは別の方向に運命の舵を切った時』
オールトは言った。全ての星は大小関わらず雲の中から宙へ飛来し、その時に銀河の秩序を整えるための役割を与えられているのだと。
小惑星が大惑星に突撃し吸収されようが、惑星が爆発を経て天命を尽きるのも、終わり方がオールトの定めた通りであれば何ら問題は無い。
しかし時々まぐれか必然か、結末を少し変えて生まれるはずがなかった文明を作り出す星がいる。一つ一つは些細な変更でも、何がどう絡まって因果を結ぶか分からない以上"想定外"は無くす必要がある。
オールトは独自の運命を辿ることを『汚染』と呼び、秩序維持のために排除を実行した。それこそが『使徒』たちが行ってきた侵略の正体だったのだ。
『生命に未来性がなくとも、それが定義された運命であるのなら我は観察を決める。先行きの見えない命も秩序に他ならない』
「ならば例外の二つ目は?」
『まさにこの星のことだ。惑星自体を上書きしかねないイレギュラーが発生した時。まぁそんなこと前例がないから、我もかなり驚いた』
オールトは聞き分けのない子供を相手にするように語った。星の誕生当初はもちろん、その後に続いた人類の発達と文明の発展は定められた運命だった。『魔法』も原初から枝分かれした種族ごとの『固有能力』も『唯一神』の統治ですら、星の生まれから定められた路だった。
『アース』と『月』が互いに影響を及ぼすのも、『使徒』と『衛星』たちの関係性を鑑みれば珍しいことではない。しかしこの事象自体は看過できても、衛星が惑星を管理することは意識の片隅に置いておかなければならない懸念点だった。
『お前たちと周りを浮遊する『衛星』の関係性はあくまでも主従関係であり、偶々近くに扱いやすい道具があったから利用しているに過ぎないものだ。自星よりはるかに小さいからこそ、その間にある圧倒的な力量差で従えている』
だが『アース』と『月』は違う。そもそも『アース』そのものに人格も人型も与えていないため、主従関係も発生する可能性は低かった。
しかしオールトにとって最大の見落としがあった。
惑星内で芽吹いた『神秘』の数々が『唯一神』を発生させた一連の流れ全てが現状の始まりだったのだ。
『全ては定められた運命、これは間違いではない。生命の星たるこの惑星にはありとあらゆる可能性があった。しかし我の演算の中で起こり得るはずがないと思考から切り捨てたごく僅かな可能性の奇跡に、『アース』の民は到達した。到達してしまった』
だが……とオールトは続ける。
『我が関与していない星の人格以外の統治機構。管理しようとした星の付属品。異世界からの漂流者たち。記憶を持ったまま生まれ落ちた転生者。思い出すはずのない、記憶しているはずのない過去を抱く"降臨者"。そして"降臨者"が我が内から送った彗星であったこと』
レウス。クレセント。七つの大罪の名を背負った者たち。ラピス。リーシェ。
一人一人が『発生するはずのない事象』の存在。互いに接触しなければ。あるいは事象に至るきっかけの出来事さえなければ。『アース』は生命の無限の可能性を検証するただの青い星だった。
無数の演算の果てにこの帰結になると予測していたら、オールトはきっと神が発生した時点で神の存在を抹消していた。神が『人間性』を愛し性質を分離させてレウスという個体を創造していなければ、『侵略』することもなかった。
『たらればの話は考えても仕方がない。それでも我は後悔している』
オールトの声が近くなる。存在感に肺と心臓が痛む。
それもそのはず。かの存在はすでに、人型を模して上空に顕現していた。
「あのとき、神秘も、人類も、文明も、あらゆる森羅万象をリセットし、もう一度惑星の歴史を始めてしまえば良かった。運命をやり直してしまえば良かった。そして今度は片時も目を離さず、果実を詰むように我の不安要素を取り除けば良かったのだと」
あのときとは、いつなのか。星の路は正確にどの地点から父の手から離れていたのか。オールトの目を持ってしても『アース』の未来は見通せない。
けれどこの思考は無意味なものだ。
「故に今すぐに実行するのだ。我が娘『アース』をもう一度やり直す。そのために生命と文明の何もかもを消去する」
これがオールトの雲の主張。手が届かない天そのものたる万物の王は決定事項を告げた。
確固たる意志を表明した主にウラヌスは瞠目しやがて息を吐く。それは冤罪の咎人が無罪を主張する様とよく似ていた。
「要するにアンタは子が親離れするのが怖いんだ。だから『アース』が進み始めたレールを敷き直すんだろ」
酷薄に指摘する『天王星』は言葉に冷気を纏う。彼の周りの空気は白く凍り、感情に呼応した風がオールトの髪を微かに揺らす。
雲は目を眇める。口元は笑んだまま。横に開いた瞳孔の両目は明確に「不愉快だ」と言っていた。マーズの息が白く濁る。『火星』の象徴たる火よりも赤い髪に霜が降りる。
「どこから路を違えていたのか?そんな路は最初からなかったとは考えないんだな」
「ウラヌス、お前は少し"おいた"が過ぎるようだ」
「だったらどうする。オレのこともリセットするか?生命も文明もオレの中には何も無いが、一体何を消去する。『天王星』自体を消すことはアンタにとっても避けたい状況だろ?」
問いの形をとった脅迫にオールトは何も答えない。図星だからだ。
惑星の『使徒』を人型として召喚し、仮に人型が塵一つ残さず消え去っても惑星本体に大きな影響は起きない。せいぜいクレーターが一つ二つできる程度で星そのものは変わらず宙にあり続ける。この仕組みを作ったのはオールト自身だ。
付属物たる『衛星』はともかく、巨大な『惑星』が突然影も形も消え失せる事態は宇宙の秩序を乱すからだ。
「惑星内で起こったことすべては、その星の過去であり現在でありそして未来だ。アンタは言ったな。『アース』には人格を備え付けてないと。ならオレたちと違って、あるがままの状態がこの惑星の路だ。生命の海。可能性の大地。奇跡を抱く青い空。良いじゃないか、黙って見届けろよ」
風が吹き、結晶が舞い、水色の髪の上で転輪を形成する。瑞々しく健康的だった褐色の肌に罅が入り、罅の内側から白い光がこぼれ出る。チョーカーは体表から青緑色の宝石が浮き出た手で強引に引きちぎられ、オールトを見上げ続ける瞳はオーロラを宿す。
「第一段階解除。原初の天に誓おう。この星を汚染させはしない」
☆*☆*☆*
オールトの顕現と時を同じくして。
リーシェは血反吐を吐いていた。
血反吐の原因は分からない。思い当たることがないのではなく、思い当たることがありすぎて分からなかった。
何度か切り離された両腕のダメージだろうか。
幾度も砕かれた肋骨のせいだろうか。
半分離れた首を強引に戻したからだろうか。
貫かれた頭から血が逆流したからだろうか。
分からないを分からないままにするのは好まないが、とりあえず胸に刺さった爪先をどかさ
なければ苦しい。
真空の刃で胸を抉る足首の切断を試みる。乱暴に爪先が引き抜かれ攻撃は回避されるが目的は達成できた。
傷が快復する。流した血は星の力で補充され、消耗した体力も同様に全快する。リーシェが移植した『星の権能』より負担なく負傷が無かったことになる。
アキラが書き換えてくれた星の特性に最も恩恵を感じているのはリーシェだった。
治り続ける傷。減らない体力。大変にありがたい。『自動防御』だけはわざと使っていない。回避できない攻撃から守ってくれるという代物だが、回避しない攻撃には反応しない。そのためリーシェはプルトンの攻撃をすべて認識し、体を消し飛ばしかねない攻撃以外は受け止めていた。
同じようなことをマモンとの戦闘でやった時はラピスに怒られたが、あの時はあからさまに傷が残っていたからバレてしまったのだ。傷も痕跡も残らなければ知られるはずもない。
とは言っても今回の言わば「自傷行為」は前回と目的が違う。
『不完全なる不死性の付与』はリーシェが一番相性が良かった。元々、リーシェは半分死んでいるようなものだ。何度か死んでいると言われればそれまでなのだが、それとこれとは別の話である。
クレセントと相対するために強引に目覚めた時、リーシェは自身に『星の権能』を移植した。空っぽの器では権能に耐えきれない。充実した器では権能を収められない。だから削った。器の中の大切なものを。
命?違う。魂?否。感情?……せいかい。
一度目に死んだ時、命を失った。
二度目に永眠した時、魂が砕けた。
三度目、少女は『人間性』を削った。
過去の『少女リーシェ』を再現できるだけの感情を残し、人間味を形だけ留めさせ、自己の容量を開けた。おかげで膨大な情報の塊とも言える『星の権能』を格納できた。
これと自傷行為がどう関係しているのかと言うと……。
「貴様、───にでもなる気か?」
だいせいかい。
思惑を正確に読み取ったプルトンに拍手を送る。雲に最も近い『使徒』にうっそりと笑う。
「彗星はセレス。死を超克し命を司る」
「神はアース。森羅を循環させる」
「リーシェは……まだ何も出来ない。虚ろな未熟者」
少女はまだ少女のまま。彗星のわたし。調律神のわたし。もう一つ。あと一息。ただ一歩を。
材料もやり方も分かる。状況も揃った。覚悟なんて、決める感情は削ったばかり。
後は実行するだけ。
リーシェを大地にする。大地でもいいし、大地でもいい。
「大地は海になり、空になり。外敵を排除する守護者になる」
ラピスとの約束は覚えている。破る気はない。破れるはずもない。星も神も地に死の概念はなく、成功すれば「わたし」に死は訪れない。永遠に、無限の寿命が尽きるまで平穏な世界を作り、平穏に時を過ごす。
この肉体は人型を保ったまま、少女は悠久の平穏を享受し贈与する。
転輪が回る。幾度もの蘇生を経て既に輪廻を外れた存在の何もかもが、望むままに変質し生まれ変わる。
髪色は変わらない。これは生命と同じ色。ただし毛先は日の出のような金色。
目色も変わらない。これは平和と同じ色。ただし瞳孔は白く。
肌も陶器のように白いまま。指先は少し尖っただけ。
大きく決定的な差異は顔立ち。
リーシェとして生まれ持った顔をベースに、冥界の女神らしい冷たい目。少女の側面はもうどこにもない。……もしもラピスやアズリカたちがこの顔を気に入らなかったら、元の顔に戻してしまえば良いだろう。
「第三段階抜錨。わたしは原初になる。侵略者を残らず排除する」




