四つの衛星
冥王ハデスの衣の恩恵は、語られる神話に劣らないほど素晴らしいものだった。
無生物への『死』の付与を筆頭に、『死』という概念に対する様々な効果を持っていた。
そのうちの一つに「死したことがある者へ対し遠隔で影響を及ぼせられる」というものがある。
死したことがある者。味方陣営の中で一度も落命した事がない者はたったの四人。アズリカ、アイラ、『墓守』の眷属マルス、アキラだけである。
リーシェは『セブンスロード』との戦いの際に、シュウナたちは迷宮の最奥で、『唯一絶対神』の旧『眷属』たちも戦いの中でみんな絶命している経歴がある。
よって、冥王ハデスの権能によって四人を除いた全員ヘの『付与』と情報伝達が可能となっていた。
ラピスはジュピターとの戦いと並行して、各人へ強化の『付与』と惑星ごとの特徴を共有していた。
頭で処理する情報量は相当なものになるがその間、ジュピターの攻撃にはすべて危うげなく対処できていた。頭の回転の速さと処理能力こそがラピスにとって最大の長所である。
頭を別の方に使いながら応戦する少年に対し『使徒』の槍は段々と手加減を忘れていった。ジュピターに与えられている任務は『アース』の破壊ではなく、『アース』全人類と全生物の抹殺だ。故に、惑星の力を全力で使ってしまうと『アース』が耐え切れず崩壊してしまう。結果は任務失敗となり『オールトの雲』の命令に違反することになる。
精一杯手加減した一撃ですら大地を割った。
これ以上加減を忘れると、他の『使徒』諸共惑星が壊滅する。
放った攻撃が空を切り裂いたのを見て、ジュピターはようやく我に返った。
金色の空に虹色の鋭利な剣筋が刻まれている。物体では無いはずの空に罅を入れた一閃は、その部分のみを『木星』の特徴で上書きしてしまったのだ。
苛立つなどらしくもないと嘆息する。
しかしその隙を少年が見逃すはずもない。ジュピターに『死』を自覚させる力を存分に使い、その槍捌きは見事なもの。
惑星内での熾烈な戦いに身を置き続けたその実力は間違いなく本物だ。だからこそ確実に始末するためにジュピターが相手をしている。
彼の一振りは同時に二回の衝撃を与えてくる。見極めて防御しなければ、最初にもらった一撃の二の舞になる。
恐ろしいことだが、ジュピターの体を斜めに分断しかけた攻撃はいまだに痛みを与え続けている。
スリップダメージとも言うべきか。『木星』の本質を傷つけられたせいなのか、感情の制御が思うようにできない。
惑星そのものであるため、傷つけられると再生も治療もできない。初めての焦燥と恐怖が理性を削っていた。感情は嫌いだ。不確定で曖昧で判断の妨げになる。
ジュピターは、このままでは万が一の事態が起こる可能性があると驕りなく考えた。
よって下した決断は、数の利で戦況を立て直し主導権を再びこちらに戻すこと。
既に『アース』に到着している部下たちを空気を震わせる超音波で呼び寄せる。
《召喚に応じ参上せよ。我が衛星たちよ》
瞬時に集まる四つの人影。
姿を靄に包み実体化させる様をジュピターは口角を上げて見守る。
迂闊に手を出せないラピスも、『木星』の声を聞いて一瞬で正解を導き出した。
「まさか、惑星にとっての衛星は本来なら忠実な戦力になるはずだったのか」
『アース』の衛星は『月』。『月』の『管理者』とはジュピターたちと同じ括りに位置する存在だ。
惑星は雲からの命令を執行する。しかし衛星は惑星からの命令で行動できる。最重要は『オールト』からの命令であるが、最優先は主となる『惑星』からの命令であるためだ。
よってクレセントは本来、『アース』の『使徒』つまり主神であるリーシェからの命令には従わなければならない立場だった。もし生きていれば、太陽系の中でも特殊な衛星である『月』は戦いの盤面を大きく変えていただろう。『アース』側にとっては強大な戦力になり、『惑星』側にとっては厄介な障害になり得ていた。
だがそうはならなかった。
愚かな『アース』の者たちは自分たちの戦力を自ら追い詰め、『使徒』が簡単に殺せる状況を作ってしまったのだ。
そんな状況になったのはなぜか。簡単なことで、最優先となる命令はなく、最重要となる命令があったからである。
リーシェは戦いの中でクレセントの存在理由を見出せなかった。まさか少女の指示系統の中にいるとは思わず「命令」はしなかった。したのは「拒絶」と「警告」だ。
もしあの時、リーシェがクレセントに対し「命令」をしていれば、それに抗う権限を『月の管理者』もとい『月』の『使徒』は持ち合わせていなかった。
まさに自分出自分の首を絞める結果になっていたのだ。
最初にこの惑星に『使徒』が来訪した時、真っ先に実行したのはリーシェへの挨拶ではなくクレセントの抹殺だった。
命なき命を芽吹かせ無意識下で統制する彼の権能は非常に面倒だった。
だから、『アース』殲滅に必要となる鍵の一つが『月』の無力化だったのだ。
「貴様たちは選択を違えた。敗因の一つを挙げるとするならば無知であることだ」
四つの人型がはっきりと形を示す。
男型が一人。女型が二人。中性型が一人。
無性であるからこそ自由な姿を持つ彼らは、『惑星の使徒』と違い感情に富んでいて、自我を確立させている。それこそが命令の優先度と重要度を見定める柔軟性を与えるからだ。
「待たせたな、主神」
右目を紺と緋の二色の髪で覆っている唯一の男型が、不敵な笑顔をジュピターに向ける。名前は衛星カリスト。
「ちょっと遅れちゃったこと怒ってる?ごめんね〜!」
束感のあるクリーム色の髪の下で、茶目っ気たっぷりに破顔する女型の衛生の名前はエウロパ。
「命令に従い参上しました。次の命令をください、我が主」
前述の二人とはガラリと態度が違く、金髪を肩甲骨まで垂らしているエウロパと同じ女型の衛星。彼女の名前はイオだ。
「これでも十分急いだんだけど、もしかして危ない状況だったかな」
中性的な声。中性的な見た目。ごく薄い色素でありながら、ほんの僅かに銀に緑色が含まれている髪を指先で整えながら言った衛星はガニメデだ。
全員が『オールトの雲』から人型を与えられた、『木星』にとって特別な『衛星』たちだった。
信用している忠実な部下たちの視線をラピスへと誘導させ、一言端的に告げた。
「殺せ」
四人の答えはピタリと重なる。
「「「「御意」」」」
ジュピターが本気を出すことがないように、役目を与えられた『衛星』たちは新たな獲物に戦意を漲らせる。
一人一人が油断できない実力を持っていることを見抜き、ラピスは冷や汗を流した。
権能が優秀でも対処できなければ効果は半減してしまう。
負けの二文字が脳内でハッキリと形作る直前、どこからか余裕を含んだ声が聞こえた。
「大変そうね、ラピス」
空から降り立ったのは、エメラルド色の髪を腰まで伸ばした美しい女性。肩越しにラピスを見る瞳は、温かさを含んだ真紅。
こんな状況でも微笑を絶やさず、白磁の肌にも傷は一つもない。
『慈愛』の『眷属』スティが助太刀に参上した。
「みんなで寄って集って血の雨を降らせようって?困るわね、この子は愛娘の大切なお婿さんなのに」
艶のある声は突然正反対の声音へと変化する。
母の側面より『眷属』の側面を前面に出したスティは、恐れることなく五人の敵を威圧した。
「片腹痛いわ。汝、ジュピターと言ったか。随分と地上を滅茶苦茶にしてくれたものだな。あの子が愛する星をこれ以上損なうことは許さん」
白い拳を握り締め、彼女はラピスに告げる。
「あの三下共は私に任せておけ。汝はこれ以上の被害を出さずにあの『使徒』を滅ぼせ」
「……大丈夫なのか?」
「ハッ!『アース』からの加護を受けられないことを言っているのか?馬鹿め、そんなものに頼らずとも私は戦える」
それ以上の追求は許さないとでも言うように、スティはラピスの頭を軽く小突いた。
「あの子の宝物をもう誰にも奪わせるな」
言い終わるなり、無駄のない体術を使って『衛星』たちを離れた場所へ吹っ飛ばすスティ。
せっかく呼んだのにすぐにいなくなってしまった四人を見送り、ジュピターは何回目かも分からない溜息を吐く。
当然、不安だとか怖いだとかそう言った感情からの吐息ではない。
ただひたすらに「面倒」だと思っていた。
『アース』は破壊するな、という命令に背くことになるジュピターは『オールト』にどう謝罪しようかと、そんなことが頭の大部分を占めていた。




