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漆黒と木星

 ラピスは自覚している。

 自分がこれまで生き残ってこれたのは運が良かったからだと。


 父ディルに接触したジュピターの意思がどうであれ、リーシェと出会うことがなければラピスはとっくに死んでいた。

 ディルの思うがままに執政し、国を守護する便利な道具として一生を終えていたに違いない。

 ラピスにとって最大の幸運はリーシェと出会ったことであり、彼女と共に肩を並べることができたことだ。

 判断を間違えた時も、決断を鈍らせた時も、リーシェがいたからこうしてあの時から遠い未来を生きている。

 その後もアズリカに会い、友人として、時にはライバルとしてあの日々を駆け抜けた。その道中で多くの仲間に出会い、今に至っている。


 知識も知恵も勇気も努力も持ち合わせている。

 けれど、どんな天才でもいつかは足を掬われてしまうのが常だ。


 冥王ハデスの衣はラピスの『大切』を詰め込んだような意匠だった。

 最愛の『赤』も、最高の『緑』も、夢そのものである『星』も、派手にならない程度に散りばめられている。

 ラピスの全てを注ぎ込んでいると言っても過言では無い。

 両拳に四つの星の装飾が煌めく。

 緩く開いていた拳を握り締め緩く開けば伝わる心地よい重さ。冥王ハデスのメイン武器である二叉の槍が実像を結ぶ。


 今際の際で親友の偉業により復活したラピスは、血の跡が残る顎を拭い眼前の敵を睨みつけた。


「俺は運がいい。まだお前と戦うことができるようだ」


 少年の身に起きた変化、すなわち『アース』の変質を読み取ったジュピターは隠す素振りもなく舌打ちをする。

「面倒なことになった」と、ヴェールに隠されていない目元が雄弁に語っていた。


「貴様は昔から何も変わらない」


 ラピスが物心着く前から少年を知る『使徒』は短く息を吐くと、気怠く空を見上げた。

 今だ流星が降り続ける金の空を鬱陶しそうに仰ぎ見て、目だけがギロリとこちらを睥睨する。


「新たな力を得てすぐ調子に乗るのは、貴様を含めた全生物の悪しき癖だ」


 人型を取っているが厳密には生物ではない、言わば人型惑星は辟易としている様子だ。

 しかしそんなことはどうでもいいラピスはゆるりと二叉槍の切っ先を向けた。


「知らないな、そんなことは。俺はお前を倒せればそれでいい」


「愚者め。たかが『アース』如きの加護なぞ我らの前では何の役にも立たぬ」


 唐突に、ジュピターの威圧感が大幅に増す。息苦しくなるほどの重圧を覚え最大限に警戒をした。

 アイスグレーの視線は空へと戻り、ヴェールの下の口から大気を揺るがす声が発せられる。


 《聞け、我が兄弟たちよ。父よりの命令を完遂するため、力の一端を解放せよ。早急に『アース』の生命を根絶やしにするのだ》


 超音波のように響いたその声を皮切りに大地が揺れた。

 リーシェの流星とは別の異質な物が合計で四つ地上に降り注ぐ。それは隕石のようであり、星を抉る威力と共に衝撃波を発生させ、耐え切れなかった惑星の生物を無慈悲に灰へと変えた。


「一体……何を……」


 一分のうちに焦土と成り果てた大地を視認して、困惑と怒りが綯い交ぜになった呟きが落ちる。


「知る必要は無い」


 ジュピターが口元の黒いヴェールを乱雑に外す。以外にも端正に引き締められた口元に、笑みの類は一切浮かんでいない。

 冷たい無表情がラピスに向けられていた。


「どうせこれから消える命。貴様が前にしている者がどういう存在か、貴様ら『アース』の民はどれほど脆弱で矮小か、魂に刻んで砕けろ」


 ジュピターの槍はもう雷を纏っていない。

 代わりに殺意を具現化させているのは極限まで圧縮されていると思われる『風』だった。時節、光に反射し虹色の輝きを見せているのはその風が雲……正確にはガスからできているからだ。


 先程までラピスを追い詰めていた雷霆は、『ジュピター』という固有名詞の能力であり『木星』そのもの能力ではなかったようだ。


 つまり神の力ではなく惑星の力で戦いを仕切り直し、一瞬で決着をつける気でいるのだろう。


 人の姿をした惑星を前にして、少年は怯えるどころか歓喜に表情を輝かせた。

 憧憬の相手に向けるものと同じ、キラキラとした視線は真っ直ぐにジュピターへ注がれている。


「なんだ、その顔は」


 相手の表情に興味は無いが、想像と正反対の顔をされれば気にもなるというもの。眩しいほどの視線を浴しているジュピターは、やや戸惑い気味にラピスを問うた。

 恍惚としていた少年は一瞬で我に返り短い咳払いを一つ。引き締め直した表情は、しかしまだ口元に余韻が残っていた。


「宇宙に浮かぶ星の数々を見るのが夢だったんだ」


 ラピスがまだセト ダイキだった時に、あと少しのところで届かなかった夢。

 目前にいるのは敵でしかも人型。しかし『木星』そのものの性質を内包し、それを間近で目にしたとなれば抑えきれない喜びが湧き上がってくる。

 ジュピターが神の側面の力を使っていた時は気にならなかった星の側面に、ラピスは興奮を隠し切れなかった。


「木星の表面を見ることができないのは残念だが、代わりにその武器……あぁすごく気になる」


 狂気すら滲む喜色の笑みで頬は紅潮している。


「人類の技術では観測と予測はできても、実際の目と体で体感するのは物理的にも不可能。雲を掴むような話し止まりだった星の内情が、その槍に宿っているんだろう?密度は?質量は?持ってる感じはどんな感触なんだ?!」


 その熱量に憧れの惑星がドン引きしていることにラピスは気づいていない。

 オタクの早口が一区切りしたところで気を取り直し、『侵略者』の仮面を被り直す。


「いつまでその余裕が続くか……自分の好奇心によって死ね」


 二叉槍を構え直したラピスに向けて、気まぐれの一撃を放つ。力も意思も乗っていない無造作な一振りは、星の力を一端を見せるには十分すぎた。


 圧縮されていた風が振りと同時に前方に解放され、反射的に防御ではなく回避をとったラピスがいた場所諸共、真っ二つに大地が割れた。


 辛うじて残っていた都市の痕跡を余波で消し飛ばし、衝撃波がはるか彼方へと走っていく。底の見えない地割れを発生させた攻撃に、ラピスは冷や汗を垂らし焦りを覚えながらもやはり興奮してしまった。

 しかし頭はすっかり戦闘に切り替えている。笑みだけは抑えることができず、お返しと言わんばかりに少年も槍を一薙ぎした。


 ジュピターは避けなかった。防御姿勢すら取らなかった。先程までの蹂躙で、少年の力量は見極めており、どんな進化を遂げようと人の身のままであるラピスには、自身を害せないと確信していたからだ。

 ──それがジュピターにとって最大の悪手になるとも知らずに。


 惑星を人型に収めただけの『木星』が、二叉の槍から薙ぎ払われた黒い斬撃によって真っ二つに切り裂かれる。

 流れているはずのない鮮血が『使徒』の口から吐き出され、元の姿に近しい気体へ戻った断面が判断に抗議するように激しく波打っていた。


 生まれてこのかた隕石衝突でしか感じなかった痛みを味わう羽目になり、それを可能にした少年にジュピターは灰青色の目を剥いた。


「貴様!何をした……?!」


 奇しくも数分前のラピスと似たような台詞を吐く。

 槍を薙いだ状態で静止していたラピスは体勢を戻すと、金色の瞳の奥で黒い星を瞬かせていた。


「敵にホイホイ手の内を教えるわけないだろう」


 冥王ハデスの権能によって、攻撃命中時に無生物への死を付与させることができることをラピスは喋らなかった。

 ラピスの戸惑いに返したジュピターの言葉と理由は同じ。


「知る必要はないからな」

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