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クトゥルフ

 各地で『使徒』を迎え撃っている者すべてが、その強烈な変化を感じ取る。

 致命傷が癒えて体の奥底から力が漲ってくるような感覚に、「まだ戦える」と安堵の吐息をこぼした。


 プルトンとの戦闘の舞台を地上から空に移していたリーシェも、高所からはっきりと目視できる惑星の変化に目を見張った。

『アース』の性質に関与できるのは、星の主神であるリーシェだけのはずだ。関与と言っても範囲内の天変地異や生命を操る程度で、一度に星全体に影響を与えることはできない。


 リーシェですら不可能なことをやってのけた者がいる。この惑星に生まれ『システム』に管理されてきた者では無い誰かが。


 情報が塗り替えられていく『アース』を見て、一人の顔が思い浮かんだ。

 完全なる外側から訪れた異邦者、アキラ。


 彼が持つスキル『創造者』を使って、惑星の情報を読み取り戦況が少しでも有利になるように書き換えたのだ。

『アース』自体と密接に繋がっているリーシェの脳内にも、改変された情報がダイレクトに伝わってくる。


 ただそこにあるだけの無垢なる慈悲深き命の母は、『不完全なる不死性を付与する惑星』へと変化した。生命の母である限り命を無限にすることはできない。けれど生命の母だからこそ惑星内の子供たちの命を操作することができる。

 そのように改変された結果、『無限回復』、『返り咲き』、『魂の数値化』、『自動防御』というスキルを『システム』自身が星に付与したのである。


 大地に触れている限り、星の恵みが傷を癒す。

 致命傷を負い命を落としても、手遅れになる寸前で体と意識を全快復させる。

 魂そのものの限界を数値化させ、一定のラインに達したら大地に触れていなくても回復を開始する。

 回避しきれない攻撃に対し、『システム』が対処可能な場合は自動的に防御を行う。


 抜け穴はある。絶対的な優勢にはならない。

 けれど勝利する可能性は格段に跳ね上がる。


 リーシェが感じ取れる『眷属』と司祭の主要メンバーの気配はまだ消えていない。消えかかっていた命も惑星の対処で全回復している。残念ながら、既に息絶えていた人々の復活は叶わなかったのが唯一の手遅れだった。


 失われてしまった多くの命に短く謝罪をこぼし、同じく惑星の変化に気を留めていたプルトンを見やる。

 惑星同士、リーシェとは別のネットワークでもあるのかこちらとほぼ同じタイミングで彼は状況を把握していた。


「なるほど、()()()()()か」


 耳慣れない言葉に怪訝な表情をしてしまい、慌てて気を引き締め直す。

 クトゥルフ。聞いたことがない言葉だ。三千年の間にアキラの世界の神話も齧っていたが、まだ知識の吸収が足りなかったようだ。

 プルトンは意外にも言葉の意味を教えてくれた。


「惑星外生命体。我らの間では宇宙外生命体と呼んでいる。異次元・異世界から来た者の総称だ」


 そう言われてリーシェはゾッとする。

 惑星の変化を読み取っただけでなく、一言も教えた覚えのないアキラの存在まで看破し変化の元凶を突き止めたのだ。


「クトゥルフは我らの予想もつかぬ事をする。行動動機も動機の発端も曖昧で不明瞭だ。我らに不測の事態を起こす者の多くはクトゥルフであり、貴様のような一惑星の主神より警戒せねばならない」


「まるで多くのクトゥルフを見てきたような言い方ですね」


「見てきたとも。我らは『オールト』より宇宙の秩序を乱す惑星を粛清するように言われている。これまで粛清してきた星のほとんどにクトゥルフがいた」


「……彼らをどうしたのですか?」


「殺したさ。目に入り次第、徹底的にな」


 頭に血が上る。

 偶然か策略か、わけも分からないまま元いた世界を離れ別の世界で過ごしていた異世界人を、彼らには全く関係ない理由で殺した。

『アース』の異世界人はアキラだけ。

 何人か魂だけ異世界から来た者や、異世界にいた頃の記憶を断片的に持つ者はいるが、恐らくクトゥルフと呼ばれる存在は生身のまま来たアキラだけだろう。


「クトゥルフは気配も存在も希薄だ。視界に入らなければどこにいるのかさえ掴めん」


「この星のクトゥルフも殺すのですか?」


「他人の心配をしている場合か?こんな状況になった以上、『使徒』たちは己の星の力を全て解放し攻勢に転じるぞ。クトゥルフどころか小さく脆い『アース』が最後まで原型を保っているとは思えないな」


「させません。私があなたを、仲間が他の『使徒』を必ず倒しますから」


 金色の空。光る大地。

 輝きが満ち溢れた戦場で両勢力のリーダーは、互いの最大の攻撃をぶつけ合った。


 ☆*☆*☆*


 抱えきれなかった情報が血液となって目から流れ落ちる。

 脳の異常に心拍は急激に跳ね上がり、人の限界を超えた早すぎる変化に全身が悲鳴を上げる。耐え切れなかった皮膚や血管が切れ、ビリビリとした痛みとともに至る所が生暖かい液体を溢れさせる。

 泥のように黒い血を吐き出した後、爛れた手を大地から離した。

 星の情報を吸収した両手は動かすこともままらなない。あまりの激痛に殴りつけたくなってくるほどだ。


 ガンガンと音が鳴る頭を持ち上げて、近くの戦闘の行方を見る。

 異形と化したキージスと赤髪の『使徒』の戦いは、それでもキージスの方が劣勢だった。アキラの改変があと少しでも遅く『使徒』の気を引けなければ、次の一撃でキージスは死んでいたはずだ。

 フェンリルの姿は見えない。気配は随分前から消えていた。

 タイムリミットが来てしまったのだろうか。


 この場にいる味方二人の心配をしていると、星の変化に動きを止めていた『使徒』が突然こちらを見た。

 確実に目が合う。強烈な敵意と殺意を感じて戦慄する。

 逃げなきゃ、と思った時には遅かった。


 瞬きのうちに、『使徒』が目の前で槍を振りかざしていたから────。


 アキラは怪我を負えば回復できない。厳密にはこの惑星の子供ではないからだ。

 だから本当に死を覚悟する。

 何も出来ない。もう満身創痍だ。


 切っ先が心臓を貫こうとする。

 服が薄く引き裂かれ、全身が冷え切った。


「させるかぁ!!」


 漆黒の影が槍の軌道を逸らす。

 胸の薄皮一枚を切り裂いた槍は影に絡め取られ、『使徒』の意志とは無関係に上へと放り投げられた。

 呆然と見ていることしかできなかったアキラを、漆黒の長い髪が流れる背中が守っている。

 フェンリルだった。


 キージスと共闘した際の攻防により体は傷だらけで、今にも消えそうなほど息は弱々しいが、それでも確かに生きていた。

 しかし限界は限界。

 すぐに膝から崩れ落ちてしまう。


 槍を失った『使徒』マーズは視線を空からアキラへ戻した。

 温度を感じない赤い瞳に動けなくなる。

 膝をつきながらもアキラを庇う姿勢を崩そうとしないフェンリルは、意外にも肩頬を持ち上げていた。


「ハッ!今さら危険因子を殺そうってか?馬鹿が!おせぇんだよっ!」


 表情以外は余裕がないようで言葉は荒々しい。


「アキラ、よく成し遂げたな。俺とキージスでコイツは抑えておくから、何とかここから退避しろ」


 いつの間にかマーズの後ろには、同じく傷だらけのキージスがフラフラの状態で立っている。

 アキラは二人の治らない傷を見て泣きたくなった。


 よりによって、アキラを守ってくれたキージスとフェンリルは惑星の保護の対象にならなかったのだ。

 二人とも、寿命というものを最初から持っていなかった。つまり正当に生まれた命ではなかった。言い表すなら惑星にとっては『出現または発生した何か』だったのである。


 だから大地に立っていても傷は治らないし、死んでしまえばそのまま消えてしまう。

 不甲斐なさと申し訳なさに唇を噛み締めると、様子を見ていたフェンリルが破顔した。


「偉業を達成したのにそんな顔するなよ。俺たちのことは気にするな。本来ずっと昔に滅んで、お前に会うことはなかったんだ」


「そうですよ。わたくしたちは過去の権威の残滓に過ぎません。むしろ、これ以上ない最期の晴れ舞台を用意していただき非常に嬉しく思います」


 キージスまでも歪みのない真っ直ぐな笑みを向けてくるものだから、アキラはもう何を言うこともやめた。

 出血する腕を抑えながら緩慢に立ち上がり、マーズを正面から睨みつける。


 涼しい表情を崩さないマーズがアキラを見下ろし何かを呟く。


「クトゥルフよ」


 聞き覚えのある言葉だった。

 正式な神話ではなく、人間によって創り出された異質な神話の名前。

 なぜアキラをその名称で呼んだのか知るよしもない。


 踵を返し一言だけ、アキラだけの二人の英雄に笑いかける。


「ありがとう」


 返ってきたのは穏やかで嬉しそうな笑顔と別れの言葉だった。


「じゃあな、アキラ」


「お元気で、アキラさん」


 その後の戦いの行方は知らない。

 アキラは一度も振り返らず、今できる全力でその場から逃走した。

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