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星の祈り

『アース』各地に散らばった眷属たちは、誰も彼もがキージスと似たような戦いの展開を迎えていた。

 常識が通じず強大すぎる敵を目の前に傷だらけになり、ある者は絶望しかけ、ある者は悔しさに戦意を振り絞った。


 殴られ蹴られ、貫かれて吹き飛ばされる。

 防御に長けた者は辛うじて急所を免れるが、そうでない者は身を削りながら相手に報いる一矢を探る。


 戦場には一方的な蹂躙の痕跡と真っ赤な血が残され、今この瞬間もその範囲は拡大を続けていた。

 眷属を相手取ってもなお余力を存分に残している『使徒』が、片手間に戦力外の人々を虐殺するため惑星上の人型生命体は著しく数を減らし続けていた。


 そんな中、比較的戦況を有利とまでは行かずとも逆転が可能な状況に留めおいている眷属が一人だけいた。

 アズリカだ。

 若草の髪は血に濡れて、体にはいくつもの傷が稲妻のごとく走っているが、その表情は少しも余裕を欠いていない。

 青年と相対している桃色髪の『使徒』も、アズリカ程ではなくてもいたる所が傷だらけだった。優美な女性を彷彿とさせる無性の『使徒』は厳しい顔つきで弓を構え、アズリカの出方を注意深く観察している。


 なぜアズリカが他の眷属とは違い、『使徒』に対抗できているのか。その秘密は彼が持つ『魔法』にあった。


「最初の余裕はどこに行ったんだ。さっぱり仕掛けてこないじゃないか」


 得意の煽りまでかます余裕があるアズリカが片頬を持ち上げる。

 それに対し『使徒』は何も答えない。ただひたすら、問いただすような視線をアズリカに向けるだけだ。

 睨み合いを続けていると、桜色の唇が一言発した。


「ムカつく」


 吐き捨てられた言葉は優美な外見からはかけ離れたものだった。

 面積が広い裾に着いた土埃を払いながら『使徒』は悪態を続ける。


「なんで自由に矢を放てないの。妙に体が重いし」


「さあな。この星にお前の体質が合わないんじゃないのか」


「そんなわけないでしょ。ボクがこんな生温い(なまぬる)環境に影響されるはずないんだから」


 そう言いつつも体が重いことに不快感を示し、弓で肩をコツコツを叩いている。首を回してみたり、関節を伸ばしたりしてみても症状は改善されないようだ。

 それもそうだろう。先程までの攻防の間に『使徒』に気づかれないように、『拘束魔法』の効果をつけた極細の針を体内に何本も埋め込んでおいたのだから。


 魔人族の魔法やどんな強者でも容易く力を封じてみせた『拘束魔法』は、アズリカという魂に与えられた特別な魔法だ。最初は鎖の形状でしか扱えなかったが、今ではどんな形にでも変化させて応用することができる。

 アズリカの作戦では、体内に針を埋め込んで『使徒』を無力化し、最も近い戦場に加勢するつもりだった。


 しかし実際、針を十本以上刺して今の状況である。

 多少の力の制限。やや体が怠重い程度。


 この結果を見てアズリカは『使徒』の情報を一部だけ正確に読み取った。

 人の形をしているだけで、中身の質量は想像がつかないほど強大なものである、と。


 どれだけ針を刺しても、巨大すぎる風船には張力で跳ね返されてしまうことがあるように、人型の惑星には些細な影響しか与えることができないのだ。

 ちなみに針一本だけでも短時間であればリーシェの力ですら拘束することが可能だろう。

 拘束に用いている精製武器の耐久が保つ限り、一度刺さった『拘束魔法』は簡単に無効化できるものではない。


 かと言って目立つ剣などを使えば、視覚的に脅威を感じた『使徒』は警戒し間合いに入らなくなるだろう。こちらも数十本の武器を同時に精製し発射することができるが、弓相手では分が悪い。

 特に、クレセントとライザを諸共消し飛ばした攻撃には警戒しなければならない。


 あの、雨のように矢が降り注いでくる攻撃自体は既にアスモデウスで経験済みなので対処は可能だ。しかしアスモデウスの銃撃に比べ一射が途方もなく重い。下手な武器で迎え撃とうものならたちまち砕かれアズリカの体は無惨に貫かれる。いや恐らく灰になる。分厚い光線のような一射はいつだって簡単にアズリカの命に手をかけることができる。

 瀕死だったとはいえ、『月』の管理者をいとも容易く灰に変えたのだから。


 警戒すべきことはまだある。

 あの弓使いの『使徒』は驚いたことに近接戦闘もできるのだ。

 弓矢を槍に変形させて攻撃してくるものだから、近距離も中距離も攻撃範囲内ということになる。

 遠距離攻撃はほぼ完璧に凌いでみせるアズリカが傷だらけになっているのは、不意を突かれた槍の連撃が理由である。


「なぁお前、このままだと決着がつかないから一時撤退とか……」


「は?そんなことするわけないじゃん。まさか君、自分が優勢だとか思ってる?」


「いや、そうじゃないけど……劣勢ってわけでもないだろ?」


「バッカじゃないの?君みたいな雑魚、ボクがちょっと本気を出せば潰されちゃうんだから」


 優しい面立ちからかけ離れた中性的な声と煽り口調。

 声はともかく、こういう言い方をする人物の名称を以前ゼキアに教えてもらった気がする。

 そう、確か────。


「クソガキ」


「……ぶっ殺す」


 声に出すんじゃなかったと後悔した時には、頬のギリギリを掠めて一射が通過した後だった。運悪く当たった髪の一部がパラパラと切断されて落ちていく。

 怒らせてしまったようだが、脳の一角がそんなに怒ることかよ、と引き気味に考えるのを強引に思考の外に追いやる。

 体の自由をある程度拘束しているはずなのに、猛スピードで接近した『使徒』もといクソガキ。こちらが反応できるギリギリの速さで突き出された槍を状態を捻って躱し、視界の端で次の行動を収めた瞬間戦慄した。


 武器の形状は槍。一本の硬質で真っ直ぐな槍である。

 しかし、『使徒』はその槍を()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ありえない。弓という武器の特性上、ある程度の(しな)りと矢を押し出す弦が必要だ。これらがなければ矢を発射する力は生まれない。

 しかし『使徒』は迷うことなく、瞳孔を開いた両目でアズリカに照準を定め空の矢を放った。


 戸惑いを乗り越え最初に訪れたのは『何かが抜け落ちた感覚』だった。命と同じくらい大切な何かを一息に喪失し、理解が追いつかない感覚。

 口いっぱいに広がる鉄の味を吐き出せば、顎から胸にかけて真紅の液体が濡らした。吐血したのだと気づき、流れる血の行方を目で追うと、左胸にぽっかりと丸い穴が空いているのが見えた。


 ちょうど心臓の位置に当たる場所。

 理解と同時に押し寄せる息苦しさ。激痛と目眩が津波となって思考をかき流す。


「この有様のどこが互角だって?」


「……ゲホッ……互角とは、言ってない」


 自分の口から出た声に驚く。どうせ声が出るはずもないと思い、心の中で突っ込む気でいたのだ。

 驚いたのは相手も同じなようで、毛を逆立てながら僅かに距離を取っている。

 アズリカはまだ二本の足で立っている。撃ち抜かれた衝撃で状態を崩しかけはしたが、倒れることなくその場に立っていた。左胸に穴を開けながら。


『眷属』として生きてきて長いが、不死身では無いことは知っている。特に魂が本体に戻った今、肉体が耐えきれない深手を負い対処が間に合わなかった場合、普通に死亡するはずだ。アズリカの魂は他の『眷属』とは違って寿命を凍結させていただけなので、多少の頑丈さを除けば生身と変わらない。


 もちろん今の状態が一時的なもので、時間が来れば普通に死ぬ可能性も十分にある。というかこちらの可能性の方が高い。そして恐らく、この場合あまり時間は残されていないだろう。


 アズリカがこの場を切り抜けるには、味方陣営の誰かによる超回復のスキルを使ってもらう必要がある。

 挙げられる人物はリーシェ、ラピス、シュウナの三名。

 だがもちろん今すぐにということは不可能だ。今は誰もが同じような状況だろうから。


 撤退という選択肢は無い。アズリカがこの『使徒』を野放しにすれば、敵はさらなる混乱と虐殺を招く。


 顎から滴る血を拭い『使徒』を睨みつける。

 戦意を失わないアズリカに何を感じ取ったのか、薄桃色の長髪を指で払ったクソガキは口上を垂れた。


「奇妙で生意気で不気味で勇気ある命へ少しだけ敬意を示そう。我が名はウェヌス。金星の主。美を司る女神の名を抱く者。勇敢なる命よ、その名を問おう」


「アズリカだ」


「アズリカ、その名を明星に刻むことを誉とし潔く散れ」


「断る。どうせならお前を倒した者として覚えてくれよ」


 アズリカの背後に十を超える魔法陣が浮かび上がる。その一つ一つから殺意を滲ませた武器が鋭く『使徒』ウェヌスに矛を向ける。

 一振一振が優れた攻撃力を持ち、それぞれに神をも拘束できる魔法が仕込まれた刃は小手調べと言わんばかりにウェヌスへ発射された。

 激しい破壊音と土埃が舞う。

 金星はその異名に違わず眩く輝き存在感を示し、槍と弓を器用に使いこなして確実に迎撃していった。


 長年の戦闘経験で培った勘がアズリカに警鐘を鳴らす。

 直感のままに回避行動を取った時、左胸を貫いた不可視の一撃が撃ち込まれた。

 十以上の武器を迎え撃ってなお余裕のある攻撃に心の中で「化け物が」と悪態をついた。


 土埃は晴れない。中距離攻撃に転じたアズリカにも、弓を使い槍で肉薄するウェヌスにも平等に不便さを齎す自然の煙幕の中で激しい打ち合いに発展した。


 火花が散る。時節、赤い血飛沫が舞う。肉を抉る音。骨が絶たれる感触。


 視覚に頼れないからこそ、両者の耳は研ぎ澄まされ戦いの描写をより立体的に感じ取り処理していく。

 激しいぶつかり合いに煙幕が途切れることはなく、この視界が晴れた時こそどちらかが倒れた時だ。


 名を明かし雰囲気をガラリと変えたウェヌス。

 心臓を奪われなりふり構わぬ全力戦闘に思考を切り替えたアズリカ。


 星の侵略者と星の守護者は互いに一歩も譲らず、相手を倒すことにのみ神経を集中させる。

『拘束魔法』で精製された一撃はウェヌスの力を削ぎ落とす。

 正確に急所を狙う一撃はアズリカの精神を摩耗させる。


 数分にも数十分にも感じられた拮抗は、一際大きく響いた断骨の音によって途切れた。


 土埃が晴れる。


 ドロリと血が滝のように流れ落ち真下の地面に血溜まりを作る。

 失った左腕を抑えフラりと状態を危うげに揺らしたのはアズリカだった。

 胸を貫かれたこと。躱し切れずに受けた攻撃による負傷。さらに左腕を真っ二つに裁断されたことが致命傷となり、人の身で耐えられる出血の許容量を超えたのである。

 少し前から視覚はまともに機能していない。激しい耳鳴りもしている。頭はズキズキと痛むくせにボーッとするし、体には驚くほど力が入らない。

 少しでも気を抜けばこのまま死んでしまいそうだ。


 心臓を失っても動いていた体は呼吸を必要としなかった。

 普通だったら肩で息をしている状態なのに、酸素を巡らせる心臓がないアズリカは無呼吸状態で落ちた左腕を見つめていた。


「終わりだね」


 前方から中性的な声が聞こえる。

 激戦の中でウェヌスも消耗し、頭から血を流し、抉られた片目は力無く閉じられ、脇腹は大きく切り裂かれていた。臓器がこぼれ落ちていないのは、アレが人の形をしただけの人外だからだ。

 アズリカとは別の理由で呼吸を必要としないウェヌスは、最後の一射を手向けようと矢に指をかける。


「最後になにか、言いたいことは?特別に聞いてあげる」


 聞くだけ聞いて誰にも伝えてくれないくせに、慈悲深い女神を気取ってウェヌスは微笑んだ。

 二の腕から先が消えた腕を見て、随分と昔のことを思い出す。


(そういえば、リーシェも前に左腕を失ってたな……あの時は自分で切り落としたんだったか。ちくしょう、めちゃくちゃ痛いじゃねえかよ。リーシェはちょっと痛がってすぐに平静を取り戻してたっのに……情けない)


「……あぁ、俺……あの時のお礼、まだリーシェに言えてなかったな……」


 あの時……。

 魔人族の国から連れ出してくれたこと。

 初対面でひどいことをしたのに、少しも起こらずに同じ家に住まわせてくれたこと。

 季節折々の楽しみ方を教えてくれたこと。

 汗と土に汚れるやりがいを教えてくれたこと。

 雪でかまくらを作ったこともあった。

 ラピスと二人羽織させられたこともあった。

 どんな時だって信じてくれた。

 間違えた時はちゃんと導いてくれた。

 自分の方が遥かに辛かっただろうに、迷宮の最下層で願いを聞き届けてくれた。

 こんなに長い刻を一緒にすぐ近くを歩かせてくれた。


「何も、言えてないじゃないか……」


 都市の営みは消失し、荒れ果てた荒廃地に赤い花が揺れている。空を見上げれば無数の流星がぼやけた視界でも美しく煌めいている。

 周りを取り巻く全ての自然にあの少女の気配を感じ取って、穏やかな気持ちに心が澄んだ。


「死ねないな」


「?」


「俺にはやり残したことがある。だからまだ、こんなところで死ねないんだよ」


「いいや、現実を見なよ。君は死ぬ。まだ生きていることこそ奇跡だ。そして奇跡は二度も起こらない」


「それはどうだろうな。確かに既に奇跡は起こっている。でも次に奇跡が起きるとするなら、それは誰かの奇跡だ」


「訳分かんない。もう死になよ」


 ウェヌスが矢を引き絞る。

 ギリギリと軋む弦がアズリカに死のカウントダウンを始める。


 アズリカは動けない。動こうとしても体はピクリとも動かない。立っているだけで精一杯だ。

 ついに最期となる一射が一直線に放たれる。


 何もしない。何もできない。ただ目だけは逸らさず死の一撃を迎える。

 額を正確に貫こうと飛来した次の瞬間。


 誰かが、奇跡を起こした。


 大地が(そそ)り立つ。

 矢は半ばから折れその攻撃力を無に帰す。

 アズリカの足元から地平の彼方まで淡い光が満ち渡り、その光景は星全体が息をしているかのようだった。

 傷が癒える。失われた臓器は修復され、傷一つない左腕が生える。流失した血液すらも元の量まで戻り、状態が一気に回復したことで軽くなった足は軽くよろけた。


「何が起こってるの……?」


 唖然としたウェヌスと目が合う。

 アズリカも状況を正しく理解できていないが、それでも仲間に誇りを感じて不敵に笑った。


「な?奇跡は起きただろ」


 この場面で最大の煽りとも取れる発言に、ウェヌスの表情が分かりやすく怒りに染まる。

 優美な少女の顔が見せた激しい感情はゾッとするほど恐ろしかった。

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