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満月と望月

 眷属が所有するバベルの塔は地上四十階建てで、最上階には例外なく眷属の居住スペースが設けられている。

『貞潔のバベル』の場合、一階から十階までは一般の市民も出入りできる共同スペースになっていて、図書館や遊技場などがある。十一階から三十九階までは司祭の居住スペースとなっているが現在は空き部屋の方が多い。


 最古の眷属、最も主神に近い眷属と名高い貞潔の眷属の司祭は、先日新たに加わった二人の少年を合わせても五人しかいない。

『司祭登録所』が存在するセルタから最も近い場所に位置する塔でありながら司祭が少ないのには、二つの理由がある。


 まず、距離の割に険しすぎる道のりだ。

 薄い酸素と切り立った崖。道無き道を乗り越えても獰猛な獣がうじゃうじゃ潜む秘境に阻まれる。司祭として力を与えられる前はただの人である挑戦者にとって、選択を一つ間違えれば死に繋がる要素ばかりだ。設定されている制限日数も、実際に踏破できる時間と釣り合わない。

 これは余談だが、新入り二人がわずか一日半で到達できたのは、過保護な主神(リーシェ)が道程を空間ごとすっ飛ばして少年たちを案内したためだ。反則もいい所だが、三日以内に到達という条件は満たしているため司祭として認めることにした。


 次の理由が貞潔の眷属であるアズリカの見た目が幼いためである。

 毎朝鏡を見ているから自覚はある。その鏡を見る際に踏み台が必要な事実ももう慣れた。何せこの体になって三千年。実際の身長よりも長い時間を、百三十センチ後半ほどの目線の高さで過ごしている。

 人々は小さい者を非力な存在として認識する節がある。いくら眷属だと言われたところで、十歳前後の見た目の少年には畏怖より先に別の感情が生まれる。孫を見守る年寄りが抱く庇護欲だったり。弟を可愛がる家族愛に似た何かだったり。


 そんな理由をアズリカはぼんやりと頭の片隅に置きながら、白い椅子に座って目の前の光景を眺める。


『貞潔のバベル』十五階に作られた『サンルーム』は全面ガラス張りの実に見晴らしが良い空間だ。

 五階建て以上の建物がないため、障害物に阻まれることなく景色を一望できる。今日のような快晴の日は眩しいくらいの空間に、三人の司祭が頭を寄せ合っていた。


 闇のように黒く星空のように日光に艶を放つ黒髪を揺らすのは、今は記憶のないアズリカの大切な仲間であるラピス。

 ラピスと比べればやや茶色寄りの猫っ毛を雑にゴムで括っているのは、ラピスの友人のアキラ。

 橙色の長い髪を編み込んでから二つに結び、前髪の下から琥珀色の瞳を覗かせる少女は名前をアイラという。アイラの頭からは三角の耳が生え、腰からは一本の太い尾が伸びている。彼女はアネロとラーズの実の娘だ。三千年も前に生まれた少女が未だに健在なのは深い訳があるが今回は割愛するとしよう。


 仲良く頭を並べて何をしているのかと言えば答えは簡単だ。この世界について何も知らない新入り二人に、大先輩のアイラが学を授けているのである。アズリカがいるのは単に暇だっただけだ。


「なぁ〜お前らさー」


 椅子の背もたれに胸を預けるように座ったアズリカの口から気だるげな声が出る。「またか……」というダルそうな視線がアキラから飛ばされた。


「何だよアズリカ」


「アキラさん、アズリカ様に失礼ですよ。敬称をつけてくださいと注意するのは、これで十二回目ですが」


「げっ……数数えてたの?」


 手に持っていた指示棒でアキラの頭を軽くつつくアイラ。二人がここに来て四日が経つが早くも仲良くなったようだ。

 アイラお手製の書面から顔を上げたラピスは、アキラより幾分か柔らかい視線を注いできた。


「どうしたんだ?アズリカ」


「問題!デデン!ここに退屈してる眷属がいます。司祭がやるべきことは何でしょう?」


 半ば投げやりとも言えるし、子供じみているとも言える様に金色の瞳が笑みの形に細められた。記憶がある状態のラピスならこういう時どんな顔をしただろう。考えるまでもない。きっと冷ややかな視線を向けた後、馬鹿にしたように眉を寄せて笑うはずだ。

 ふざけたアズリカに向かって彼が優しく笑うのは、少年の記憶が何も戻っていない確かな証拠だ。


 ここ数日間ですっかり覚えてしまった胸の痛みを、子供の無邪気な仮面で隠して司祭たちの回答を待つ。


「執務はどうなさったのです?山のような紙束を机に重ねておいたはずですが」


「暇なら寝てれば〜。俺たちは勉強で忙しいから」


 あぁ、悲しきかな。可愛い司祭たちが冷たい。アイラは良くも悪くもアズリカをちゃんと眷属として認識しているから、子供の姿をしていたって容赦がない。

 若草色の瞳を潤ませて最後の砦を凝視する。


 あまりに必死な様子に、しばらく外を見つめていたラピスが穏やかに微笑んだ。リーシェが浮かべるものとよく似ていた。


「じゃあ街を散策するのはどうだ?ずっと塔の中にいたから、勉強にもなると思うぞ」


「それもそうだな。息抜きも大事だろ」


「……仕方ありませんね。ただし帰ったら溜まっているお仕事をきっちり片付けてくださいね」


 ……悲しきかな。ラピスの一声で世論が傾いてしまった。あんなに冷たかったのにすんなりと外出を認めた少年少女。


「俺……眷属なのに……」


 眷属なのに世論が厳しい。

 この上手く言えない悲しみは街遊びで発散するとして……アズリカはチラリと外出の準備を始めるラピスの横顔を盗み見る。


『ラピス・ラズリ』の記憶が自発的に戻ることはありえない。


 二千年ほど前に水晶から目覚めたリーシェに告げられた言葉を脳内で反芻する。

 眷属ができたきっかけや、司祭を集める目的と同時に教えられた事実は、アズリカの顔色を変えるには十分だった。


 視線を空に薄く見える月に移す。


 三千年前は、全ての悲劇の元凶があの小さな星だとは思わなかった。

 この世界を調律する神すらも抵抗できなかった『世界のシステム』は、空の彼方に存在していたのだ。

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