雨の雷
打ち付けられた全身の痛みを強引に意識から引き剥がし、ラピスは瓦礫を押しのけて立ち上がる。
一瞬前まで上空にいたジュピターは既に目の前に降り立ちこちらを睥睨していた。
「フン、意識を刈り取る気で攻撃したが頑丈だな」
「昔から痛めつけられることには慣れてるからな」
かっこよくも何ともない返しをしながらほくそ笑む。精一杯虚勢を張った笑みの上を冷や汗が伝った。
正直エンチャントをしていなければ即死していた。攻撃を受ける寸前で咄嗟に、防御にステータスを全振りしたおかげで立つことができているのが現実だ。実際左肩は外れズキズキと熱を持っていた。
歯を食いしばって外れた肩を嵌める。
「俺とリーシェをわざと分断したな。俺たち二人を同時に相手取るのは怖かったのか?」
「戯言を。貴様らがどれだけ集まったところで所詮は巣に集る蜂程度の存在。引き離したのは『アース』の調律神に用事があっただけに過ぎぬ」
「俺は邪魔だったってことか。要はお前はただの露払い役ってことだろ。ご苦労なことだ」
「ラピス・ラズリ。貴様、何か勘違いをしていないか?」
「勘違い?」
ジュピターの動きに全神経を注ぎ観察し会話を長引かせて隙を狙う。
それでも次の瞬間、背後で熱が爆ぜるのを感じた。本能的な動きで回避したその場所で雷が真横に走っていく。
ジュピターは何もしていない。虚空から勝手に雷が発生したのだと理解する。
遅れて感じる恐怖にゾッとしていると、敵は鎌を軽く揺らす。たったそれだけの動きで空からいくつもの落雷が降り注いだ。
「っ!?」
「『使徒』の誰もが貴様の力を認めている。だからこそ我が来たのだ。……最初から手っ取り早く全力で潰させてもらうぞ」
ジュピターからしてみれば格下に過ぎない少年。だが成長は著しく、何かのきっかけで驚くほどの力を発揮することは、三千年前からの戦いを見てすでに了解している。
ならば確実にその芽を潰す。万が一にも取りこぼすことがないように、容易く踏み潰せる今のうちに徹底的に狙い撃つ。
ラピスの視界が白く染まる。視覚に頼らず全ての感覚を使って全力で雨の雷光を躱す。避けることしかできず、街や逃げ遅れた人々の心配をしている余裕はなかった。
断言できる。確信がある。この攻撃に一度でも当たれば自分はもう動けなくなると。痺れるのか、燃え尽きるのか、または動きが制限されたところを集中的に穿たれるのか。いずれにせよ結末は死だ。
けれどキリがない。どれだけ避けても雨は止まない。肺が痛い。足の感覚が消える。精神が削られ雷の落下地点の予測ができなくなる。
「……っ!"ヒューマンエンチャント!ノーム"!」
大地の力を借り受けた装備を纏い、地面を泥のように持ち上げドーム型の盾を作る。
両腕で支えているドームの天井が激しく揺れた。強い振動が伝わってきて、攻撃の激しさを物語っている。
しかし狙い通り、雷光が土のドームを貫通してくることは無かった。
雷撃に耐えつつ息を整えていると不意に足元に嫌な気配を感じる。
「……は?」
降り注いでいた稲妻と比較すれば細い、それでもラピスの横幅と同じくらいある白い槍が瞬きのうちに体を貫いていた。
「グッ……!ガハッ!!」
喉にせり上ってきた大量の血を口から吐き、ドームを維持できなくなりエンチャントごと防御が消えた。
地面から生えた稲妻はラピスの右足の甲を貫き、体内を焼きながら右肩へ真っ直ぐ抜けていた。高電圧が流れた心臓が一瞬不規則な動きをし激しく脈打つ。
痛い、という域を超えた衝撃に指先を動かすこともままならず地面に伏した。
出血はさほどない。傷口が焼かれたおかげと言っていいのか複雑だが、裂傷と火傷に面した血管はほとんど焼き潰されていた。
貫かれたのが右側で良かったと漠然と考えながら、目だけでジュピターの姿を探す。
恐ろしい攻撃を涼しい顔でやって見せた『使徒』は、すでに地面ではなくラピスの真上にいた。
「まだ息があるか。しぶといな」
先程までは叩けていた減らず口も言う余裕が無い。
正しく虫の息になっている哀れな少年を前に、ジュピターは考える素振りを見せた。
「……ふむ。ラピス・ラズリ、貴様は知っているか?」
真上からゆっくり降下しながら問われる。
立ち上がろうと藻掻くこともできないラピスの上に着地する寸前で、降下を止めたジュピターは緑の髪を揺らしながら小首を傾げた。
「調律神……リーシェという名の娘の生がなぜ『平穏』を許されないのか」
誰もが願う平凡な願いからいつも遠ざかっていく赤髪の少女の笑顔が思い起こされる。
「アレは罪人なのだ。我らが王より賜りし使命を忘れ、存在意義を忘れ、何もかもを忘却した上で生に足掻く。それこそが罪。故に夢も願いも見ることなど許されぬ。手が届きそうなところでいつも絶望に叩き落とされる。これこそが罰」
「グフッ……!そんなわけ……あるかっ。平和に生きることをっ……願うことが、罪なんて……そんなことっ、あるわけ!ないだろ……!」
リーシェはいつも信じていた。
この世界を平和にすればきっと自分も平穏を得られると。今は辛くたって、後で幸せが倍になって返ってくると。
顔が血まみれになったって。体が傷だからになったって。心が闇にのまれかけても、いつだって願いを見失うことは無かった。
春は草木を愛でよう。夏は土の上に寝転ぼう。秋は自然の恵みをいっぱいもらおう。冬は静かな雪に耳を澄まそう。
あの丘の上の家で、かけがえのない日常を何よりも愛していた。
それでも、他人の痛みが許せないから、ずっと戦い続けてきた。
いつ終わるか分からない役割を背負い、自らを石の中に閉ざしてまで、彼女は世界のために走り続けた。
そんなリーシェの生き様が罪?苦しむことが罰?
怒りで腹の底がスッと冷えていく。
怒りを原動力にして指先が震える。
「この星で、リーシェという名で生まれたこと自体が、何を捧げても許されない巨悪。挙句の果てに調律神をうたい、我らに敵対するという更なる大罪を犯した。通常ならば、即刻処刑するところだが我らの王は最後の慈悲を与えた」
ジュピターが天を仰ぐ。雷雲が覆い尽くす空に先にある何かを見つめながら、アイスブルーの瞳を眇めている。
「もう一度、本来の役割に身を投じるのならば、願いを叶える機会を許そう、と」
「許すとか、許さないとか……ガハッ!誰に、そんな権利がある!?リーシェは自由だ!俺たちは自由だ!!俺たちの未来は俺たちが決める!!」
「ほざくな」
左胸が熱い。息が上手く吸えない。吐くこともできない。
意識が保てなくなる。
「……あぁ、慈悲深い我らの王の言葉を、アレはまたしても蹴ったようだ」
遠くで聞こえるジュピターの言葉の内容が理解できない。言葉は分かるのに脳が処理してくれない。
視界が真っ暗になる。
……温かな日差しが降り注いだ気がした。
……柔らかい草が頬を撫でた気がした。
……優しい花の香りが肺に流れ込む。
可憐な赤いポピーの花が目の前で揺れている。
シャットアウトされた意識が急激に浮上する。
「……"ヒューマンエンチャント。ハデス”」
ひび割れた唇が勝手にそう呟いた。
背中から驚愕している気配を感じ取る。緩慢な動きで状態を起こし、まだ震えが残る膝で体を支えた。その様子を前方に移動した『使徒』が目を見開いて見つめる。
先ほどのジュピターのように天を仰いだ。
雷雲はもうどこにも見当たらない。代わりにあるのは、金色の空と空を走る無数の白銀の流れ星。
雷撃で更地になってしまった街は、一帯が野原になり、色とりどりの草花が咲き誇っている。
淡く黄緑色に発光する地面から次々と植物が顔を出し、致命傷ごと損耗を癒していた。
また、赤髪の少女の笑顔が思い起こされる。
「お前らが骨の髄まで分かるまで、何度でも言ってやる」
黒い瘴気のような羽衣。
メインカラーは漆黒。差し色は赤。装飾は緑。
冥界の王、ハデスの能力を纏ったラピスは口元の血を拭いながら、双眼を爛々と光らせる。
「俺たちの自由は俺たちが決める!俺たちの平穏にお前らは、邪魔だ!!」
ようやく初めて、ジュピターの目元が明確な敵意を見せた。




