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リーシェと彗星

 星域外の生命体。『使徒』とは惑星の化身であり神であり象徴である者。どこまでも広がっている宇宙を知り尽くし、彼らの目に見通せないものは無い。魂そのものが理に極めて近い存在。


 リーシェはどこから来たのか。リーシェとは何者なのか。

 安直に考えれば、母ディアナから生まれた父ガルタの娘。魔人族の王家の血が混ざった人間の少女。平和を尊び、安穏を好み、平穏を乞い続けた結果、『使徒』とは別種の惑星神に至った者。


 けれど彼らの問いに対する答えは、これだと不正解な気がする。ジュピターとプルトンが聞きたいのは、リーシェとして名前を持つ前からある魂の本質。すなわち……彗星であった頃の名前だ。星の問いには星の名で答えるものなのだと、リーシェは漠然と感じ取った。二人が『伝説の存在』であるリーシェに問いかけるなら、隣にいるラピスにも同じことを聞いたはずだから。


「私は……」


 前世での名前など見当もつかない。何しろ、彗星だった頃は自我がなかったのだし、覚えているのは爆散する間際ことだけだ。ラピスの前世であった青年が乗る船と天文学的な確率で衝突してしまった、たった一瞬のことだけだ。


「分からぬか」


 言い淀む少女に少し残念そうにプルトンが言った。


「我らと戦えば必然と思い出すだろう」


 虚空から大地色の大鎌を出現させ振り回しながらジュピターが言った。ブンブンと空気を切り裂く音が響き、切っ先がラピスに向けられる。

 少年は既に換装を終えていた。赤い配色が目立つ纏っている衣の形状から察するに、付与した神は『アグニ』辺りだろう。火と稲妻を自在に操る攻撃特化の神だと、異世界の神話を参照しているリーシェの頭が勝手に解析した。


「お前たちはいつも面倒事ばかり口にする」


 ラピスは燃え盛る剣をゆるりと構え顎を引く。焔の紋様が浮かぶ横顔は、苛立った声音とは裏腹に笑みがこぼれていた。


「敵地で問答とは気を抜き過ぎじゃないか?」


「ラピス・ラズリ。貴様の言う通りだ。我らは油断している。隙も見せているし、余裕をこいている。なのに貴様らは地を這うモグラのように様子を伺うことしかできずにいる。これが力の差であり勝敗の結果だ。無意味なる戦いを我らは良しとしない。つまりは──」


「ジュピター、だったか。お前の武器はその口か?挑発しか能がないのか?違うよな、あるんだろ?神話最高と名高いご立派な雷が」


 笑いながらこめかみに青筋を立てる少年の言葉にジュピターは瞠目した。ラピスに向けていた鎌の切っ先をが僅かに震える。


「然様」


 開いた瞼から覗いた双眼には稲光が揺らめいていた。


「これが望みか」


 パァン、と聴覚が一瞬機能しなくなるほどの轟音が響き渡った。高い耳鳴りがリーシェの耳を支配し、瞬きにも満たない刹那のうちにラピスの体が掻き消える。ほぼ同時に、はるか下の地上から土煙が上がり血の気が一気に引く。


「ラピスっっ!!?」


「余所見をしている暇はないぞ」


 五十階の高さから容赦なく撃ち落とされた少年の安否を確かめようと足を踏み込んだ瞬間、『バベル』が砕け散った。

 比喩でも誇張でもなく文字通り、塔が粉々に砕けて瓦礫となって街に降り注ぐ。セルタにはまだ何万人も民衆が残っていたはずだ。このままではセルタの民の大半が犠牲になってしまう。


 落下しながらもバリアを張ろうとしたリーシェを嘲笑う様にプルトンが飛来する。落下するリーシェより早く地上に降り、守護か防御かで判断が遅れた少女を蹴り上げ空へと打ち上げる。


 途方もない重さの蹴りをまともに受け顔が苦悶に歪む。まともに吸えなくなった息を強引に吸い込み、生理的な涙が浮かぶ目を開けば既にプルトンが肉薄していた。


「ぬるい」


 再度の蹴りに一言添えられ、体が飛ばされる方向が九十度変わる。目まぐるしく地上の景色が変わって、戦闘場所を無理やり街から森に変えられた。

 ラピスと分断され、痛みに喘ぎながら読みが甘過ぎたことを自覚する。

 球技のボールにでもなったかのように蹴られ殴られを繰り返した後、リーシェの体はようやく地面に落下した。

 落下などと生ぬるい衝撃ではなかったが、抵抗も何も出来ず森の中に落ちた少女は口から勢いよく血を吐き出す。


「ほう。息があったか。途中から反射的な抵抗も無くなったものだから、息絶えたかと思っていたが、少々侮っていたようだ」


 攻撃の度に吹っ飛ばされる速さが増していたというのに、数秒の差もなく追いついてくる『使徒』が死神に見えた。

 勝ち目が一切見えない。希望が潰えていく。


「私は……」


「どうだ?まだ思い出せぬか」


 視界が霞む。真っ白い靄がかかっていく。……どこか遠いところで見たことがある景色だった。

 体の感覚が消え失せていく。……いつか遠き日に味わったことがある感触だった。

 意識が不明瞭になって思考がまとまらない。……すでに遠い彼方の空でも同じような状態だった気がする。


「……あぁ」


 神になってから無限にも等しい『スキル』を与えられた。全知全能を称するに相応しくあれと言わんばかりに、毎分毎時『スキル』を獲得させられ続けた。明らかに不必要なもの。今となっては必要のないもの。例えばあの時あったら、と思うもの。

 そのうちの一つが、死にかけた体を少しづつ修復させていく。


 内蔵の傷もひしゃげた骨も腫れ上がった皮膚も。時間を巻き戻していくみたいに、傷を消していく。魂の中の欠けた部分もパズルのようにピースが組み立てられていく。


「そっか……それで『スピカ』なのね……」


 腫れと内出血が治まった頬を少しだけ持ち上げる。

 そのスキルはクレセントに致命傷を負わせた時に叫んだ名前と同じものだった。

 スピカ。

 それは黄金の麦穂でもあり、二対の白真珠である。攻撃で使うなら天を穿つ麦の穂が顕現し、防御に用いるならば真珠星が心身に癒しをもたらす。

 正義の女神アストレアや豊穣の女神デメテルが持つ、星が導く繁栄の象徴。不自由のない世界を先導する旗印。


「でも、違う。私はそんな大層な魂、持ってない」


 世界はスピカを『スキル』として与えた。『スキル』とは本人の気質に合った能力だ。気づいていないだけで備わっている能力を強化し引き出したもの、とも言える。

 逆を言えば、元々魂が所持していた属性だろいうことだ。つまり『スキル』として顕現した『スピカ』という能力を、リーシェの魂は最初から有していたことになる。

 神になって『世界のシステム』と魂が密接になったことで、『伝説の力』と『魔法』と『前世の記憶喪失』により隠れていた『スピカ』を引き出されたのだ。


 だが能力や属性であり魂の本質ではない。あくまでも付属物に過ぎないのだ。

 だが魂の名前を明かすには大きなヒントになったし、真珠星の効果が喪失していた記憶を埋めてくれた。

 リーシェがリーシェになる以前より賜っていた名前。


「私は……。私は『()()()()()()』より生み出された彗星。女神セレスの後継となるため宙を飛んだ箒星。そして……この地にてセレスの資格を得た準惑星の『使徒』……になるべきであった者」


「我らが王が創造した星神の後継者。()()()。己が役目を思い出した今、問おう。雲へ戻り、宙を駆け、準惑星神となれ。そうして正式に真名を名乗るのだ」


 思い出した。

 前世は無意味な石ころじゃなかった。氷と塵で創られた体で自由に宇宙を走り、重力で時々寄り道をしているうちに目的地から遠ざかってしまったのだ。父であり母、オールトより与えられた使命を全うするために彗星は軌道を変えた。そのせいで地球の宇宙ロケットとぶつかってしまった。

 分かったことがある。

 前世の世界。今世の世界。そしてアキラの世界。この三つは全て繋がっている。異世界なんかじゃない。ただし時間軸があまりにも違うからほとんど異世界に近いだけだ。


 この世界は原初の世界。神話となって語られる時間軸。

 前世の世界はアキラの言う『現代』に最も近い時間軸。

 アキラの世界は前世の世界から何十年か経過した時間軸。


 ずっと転生したのだと思っていた。

 一人の命を犠牲に砕けた彗星が生まれ変わって人になったのだと。

 けれど違ったのだ。

 彗星はずっとオールトに片膝を立てていた。胸に手を当てて頭を下げていた。

 特別な力を持って生まれたことを彗星は喜んだ。馴染み深い『重力』を操れることに喜んだ。彗星は星になれると確信した。オールトからの使命を果たせると。

 でも、リーシェという少女は別の星の神になった。『スキル』になって存在を証明しようとしても、少女はずっと眠っていた。目覚めた後も、『伝説の力』に邪魔され言動や行動に僅かな影響を及ぼすことしかできなかった。


 彗星の名前は『セレス後継者』。セレスに限りなく近く、けれど不完全な豊穣の女神。冥界の女神。大地の女神。

 クレセントに首を折られた時。確実に死んだはずなのに蘇生できたのは、冥界の女神としての権能が働いたからだ。

 プルトンに痛めつけられても死ななかったのは、大地の女神の側面が『星の権能』と結びつき絶え間なく回復させていたからだ。

 リーシェが幼い頃から農業全般に才能を発揮していたのは、豊穣の女神の力の一端を受け継いでいたからだ。


 ならばリーシェとは何だ?


 浮かびかけた恐れにも似た疑問をため息と共に空気に濾過する。

 めんどくさく考える必要は無い。


 ここまで必死に生きてきた。苦しいことの方が多かった。得たものは片っ端から失ってきた。

 それでも前世も今も変わらぬ願いがある。


 生きたい。


 彗星から星になって、セレスとして星を開拓したかった。

 美しい世界を見ながら穏やかに畑を耕していたかった。


 何も変わらない。相反するようで、どちらも同じ魂。今更分かれる必要はない。


「私は私。彗星で準惑星の『使徒』で『アース』の調律神なのが私。リーシェ・フィリアル・アクレガリアインです」


『オールトの雲』から貰った氷の力。宇宙で薪を焚べた炎の力。この世の森羅万象。ディアナから贈られた『重力魔法』。『世界のシステム』と『月』が与えた『技の力』。彗星の魂が奏でる麦浪のさざめき。

 なにもかもリーシェが持っているものだ。全てリーシェの手札だ。


「ラピスの言った通りですね。あなたたちはいつも面倒臭いことばかり口にする」


 完全にダメージが回復した体を起こして、表情が読めないプルトンを不敵に睨む。

 服の乱れは心の乱れ。ならば心が正されれば服も正される。


 リーシェの服装が変わる。

 より今の少女に相応しい形に変わる。

 水色と黄緑を基調にした裾長のドレス。両側頭部と後頭部には角度四十五度に傾いた天輪。


「さぁ、自己紹介はここまで。プルトン、我が兄よ。覚悟、よろしいでしょうか?『アース』調律神、『セレス』後継者。二惑星の神がお相手します」


「思い上がるなよ、愚妹」


 ようやく初めて、プルトンの涼し気な目元がピクリと震えた。

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