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少女と調律器

 それはリーシェしか知らない二百年のお話。

 地下最奥部で全てが終わった戦場で一人だけ目を覚ました、生まれたての神のお話。正義感と責任感が強く、死と孤独を嫌う普通の少女であったはずの人間のお話。


 友の亡骸が伏す最下層で少女は絶望と共に目を開けた。

 意識は明瞭で記憶もはっきりしている。何一つ淀みも霞もない記憶が、少女がしたことを無慈悲に教えてくれた。


 仲間を、友を。殺してしまったのだ。悲しみと、苛立ちと、焦燥と、怒り。何もかもが綯い交ぜになった心は耐えきれず激情のままにあるスキルを発動させた。

 若草髪の青年を省き、他全員の戦友の命を刈り取った力の名は『アポカリプス』。術者に明確な敵意と殺意を顕にしていた者の魂を強制的に奪い去る、絶対禁忌のスキル。

 あの瞬間、新たな神として能力を次々に付与されていたリーシェは無意識で禁術を使った。


 その結果がこれだ。

 みんな死んだ。『アポカリプス』の対象ではなかったアズリカも、彼の願いで魂を凍結させた。……彼の願いで、なんてただの甘えだ。リーシェは青年から『普通』を奪ってしまった。


 奪ってばかりだ。状況を都合のいいように解釈し、身勝手に奪ってきた。

 共に生きたいと言ってくれたラピスとアズリカからは、『平穏』を奪った。結果、彼らは生傷の絶えない戦いの道を歩むことになった。リーシェが戦うことをやめなかったから。

 共に戦いたいと言ってくれたキリヤたちからは、『日常』と『命』を奪った。今、この場に集った者たちはみんな、それぞれの種族にとって中心となるべき人物たちばかりだ。各大陸から指導者を奪い、世界は混沌とするだろう。


 神になった体からは涙も溢れない。心はどうしようもなく荒れ狂っているのに、感情の捌け口がない。

 あるいは……泣く資格なんてないのだと、世界が言っているのかもしれない。

 奪った張本人が。世紀の大犯罪者が、泣いて楽になろうなんて許されない。


 なんでリーシェだったのだろう。他の誰でも良かったはずだ。こんな運命を背負うのも、こんな結末を迎えるのもリーシェじゃなくて良かったはずだ。

 生きたいだけだった。面白くなくていいから、試練なんてなくていいから、ただ楽しく平和に生きたいだけだった。

 晴れた春は野菜を植えて。暑い夏は水浴びをして。紅い秋は山の恵みをもらって。寒い冬は誰かと寄り添って暖を取る。

 そんな風に生きてみたかった。

 美しいものに心が踊るように。晴れやかな気分に心遊ばせるように。どこにでもいる一人の人間として、この命を終わらせたかった。穏やかに歳を取って、穏やかに死んでいきたかった。


 何度だって考えた。たまには口にも出した。

 悩みは言葉にすると楽になると言うけれど、ちっとも楽にはならなかった。むしろ余計に変わらない現実に気が狂いそうになった。


 だから笑っていた。

 穏やかに。真っ直ぐに。何も悩みなんてないみたいに。

 気を張って。空っぽに。誰も真意に気づかないように。


 うまく騙せていたのだろう。

 ラピスもアズリカも、他の誰もがリーシェに対し正義の執行者かのように接していたから。


 その結果がこれだ。

 何も報われなかった現状に我を失った。何もかもを喪った。


 最初、少女のあらゆる情報が世界から消えると聞いて嬉しかった。

 もう無理をしなくていいのだと。孤独は嫌だけれど、もう楽になれるのだと思ったから。

 でもやっぱり、寂しかった。心にぽっかりと穴が空いたみたいだった。

 矛盾だらけの少女。答えを出していたようで何も決めていなかった愚かな小娘。


「……なんだ。当然の終わり方じゃない」


 何も選ばなかったから何も残らなかった。

 シンプルな最後だけがリーシェの隣にいた。


「私は、命に相応しくなかった。生きることに向いていなかった。ただ、それだけの事だった」


 もとよりこの命は人殺し。真っ当な人生なんて歩けるはずもなかった。

 ならばやるべきことは決まっている。

 こんな命で良ければ何もかも差し出そう。どれだけの代償を払おうと……いや代償ですらない。贖罪だ。少女は持てる力の全てを使って世界を元通りに調律してみせる。


 フッと心が軽くなる。嵐のようだった心が凪のように落ち着いていく。あらゆる感情が欠落していく。結局、心の奥底で神になることを最後まで拒んでいた少女が出した答えは『生贄』だった。


 感情なんていらない。だけど人間の価値観を残した観察眼は必要。だから感情を欠片だけ持たせた分霊を作る。

 同じ空間に倒れる仲間たちの体を丁寧に氷の棺に閉じ込める。いつか力が戻った時、魂を輪廻から取り返すと約束して。

 いずれ目を覚ます可能性のあるアズリカは、魂に負担が生じないように体を小さくさせた。


 心は静謐を保ち、体は黙々と『後始末』と『準備』を始める。

 できることを全てやり終えてリーシェは完全に『人』をで手放した。


「おやすみなさい。リーシェ」


 次目覚める時は完全無欠の神として。

 自発的に意識を失う直前、今すぐ会いたい少年の笑顔が瞼に浮かんで消えていった。


 ☆*☆*☆*


「それから、世界は荒れました。統率者を失った全大陸は私利私欲を持つ者たちの行動で、『終末戦争』が引き起こされたのです」


「……ラグナロク」


 戦いに参加したほとんどの者が死に絶えたという戦争。これはアキラの世界でも神話として残っている。神々の戦い、ではないがこの世界の人は皆、普通の人間とは大きく能力値が異なる。そういう意味では『終末戦争』という名称は相応しい。


「私が眠りについてわずか二年後のことです。この戦争の直前にアイラは生まれ、戦争の最中でラーズは命を落とし、東の大陸に攻め込まれたことでアネロも亡き人になりました。アズリカも北の大陸の防衛に参加しましたが、南の大陸の猛攻により魔人族は大きく数を減らしました」


 アズリカが地上に出たのは、あの件から一週間も経たない頃だと本人から聞いている。彼から聞いていた情報と辻褄を合わせながらラピスは静かにリーシェの言葉を聞いていた。


「『終末戦争』が終わったのは戦争開始から三年後です。両親を失ったアイラはこの時まだ五歳にもなっていなかった。『世界のシステム』が星の王にしようと見定めた人物はあまりにも幼かった。だから、その後もしばらく世界は混沌としていました」


 この世界は王を欲している。個々の力が強いため、それを統率する人物が必要だった。

 見出されたのは唯一五体満足で生き残っていた王の名はディル・ラズリ。西の大陸の王だった。


「父さんが……?」


「えぇ。当時のディルは既に六十を過ぎた年齢で、心労も祟って心が壊れかけていたけれど彼しか生き残った王族がいなかった。魔人族のアクレガリアイン王家も滅ぼされていましたから。世界王に担がれたディルはいろいろな術で寿命を超えても生かされ続けました。その期間、実に三百年」


 なんて惨い。ディルは普通の人間だ。寿命は七十を過ぎれば後は本人の体力次第。心も病んでいたのならほとんど限界だっただろう。それなのに三百年も生かされたなんて、言葉が出ない。


「……と、父さんは正気だったのか……?」


 震える声の問いにリーシェはかぶりを振る。


「残念ながら正気は最初から失われていました。百年間は酒と女に溺れる王であり、二百年目は圧政を敷く王であり、三百年目は自分が人であることを忘れたただの獣に成り果てた……私が目覚めたのはちょうどその頃です」


「それで、ラズリを滅ぼしたのか」


「どうでしょう。三百年目に目覚めた私は感情のない調律器。ディルがそういう状態だったからなのか、単に唯一の世界王が目障りだったのか。私にはもう分かりませんが、結果的にラズリは私の手で滅ぼされました。その時には既にラズリの住人は疎開したり生活の苦しさから亡くなっていたりしていたので、ラズリは空っぽの王都になっていました」


 自身の心の内を全て語った後だからか、リーシェの口からは意外と棘のある言葉が出てきた。これがリーシェの本当に本当の素の姿なのだと思うと、ラピスも複雑ながら嬉しくなってくる。


「荒れに荒れた世界を平定するために私は分霊に命じて世界を回らせました。整えるべき場所、残すべき場所、必要なこと。リストにまとめ一つ一つ実行していきました。著しく数を減らした世界人口を取り戻すため、ダンジョンからモンスターを放ったのも必要なことに挙がっていたからです」


 そうして五百年目。自我を持ったモンスターが現在のエルフなどになった。ここまではアズリカに教えてもらったことと相違なかった。六百年目で進化の見込みがない怪物は迷宮に回収された。この時のことをアズリカは、優れた種を残す選別作業のようだったと語っている。


「進化を終えた者を望みの環境に行かせるために、四つの大陸を統一しました。これには私のスキルというより、『星の権能』を用いています。結果的にそれまでの行動が『月』の管理者であるクレセントに見咎められて『ノヴァ』が送り込まれる原因になりました。これから咲こうとする世界を守るために、私はやっとキリヤたちの魂を取り戻しました」


 できることならもっと早く蘇生させたかった、と少女は言った。

 しかし一度輪廻の輪に還った魂を探し出し、因果を歪めてまで取り戻すのはかなりの『神性』を必要としたため、七百年もの歳月がかかってしまったのだという。


「八百年目。『神性』を莫大に消費した私は再び眠り、地上の統治をアズリカたちに丸投げしました。その間も調律器としての仕組みは働かせていたのですが、アズリカたちからしたら微々たる効果しか無かったと思います」


 ここまではアズリカから聞いている。八百年以降も色々あった、と青年が省いた部分をリーシェは語ろうとしていた。


「九百年目。これはアズリカも知りませんし、私も後から知ったことですが『使徒』の一人が迷宮の最奥部に突如として現れました」


「はっ?」


「驚きますよね。私も記録を参照した時びっくりしました。『使徒』の外見は深い緑色の髪に氷青色の瞳。口元には黒いヴェールをつけていました。その『使徒』は先日、彼らの中心に立っていた人物です」


 リーシェの言葉にラピスは会議の時に見た映像を思い出す。確かにいた。


「いや、待てよ?」


「ラピス?」


「そいつ、多分三千年前にディルにも会ってるはずだ」


「それは本当ですか?」


「ああ。ラズリで土地の記憶を閲覧した時、父さんに『伝説の存在』についてあれこれ吹き込んでいた男がいた。顔ははっきり見えなかったが、ヴェールをしていたなら当然だろうし、何より映像越しでも纏っている雰囲気が一緒だった」


 つまり、ラピスとリーシェが出会ったきっかけである『殺し合い』を作り出した人物は『使徒』の中心的存在だった可能性が高いということだ。


「……それはきっちりお礼をしなければなりませんね」


「そうだな。最奥部に来た『使徒』は何をして行ったんだ?」


「それが何もしなかったのです。一言も発さず、ただ水晶の中で眠る私をじっと見て忽然と姿を消しました。私……というか調律器はその直後に星全体を守るバリアを張ったので、もしかしたら今の状況を予見していたのかもしれません」


 はっきりした言い方じゃないのは、調律器であった間はリーシェに意識がないからだ。いわば眠っている間にやったこと。夢遊病と同じような感覚という認識で合っているだろう。


「千年目。今の世界に至るベースが完成し、そこから二千年は文明の発展が続きました。小さな戦いもあったようですが、アズリカたちの活躍によって犠牲を最小限に沈静化されています」


 文明を一度全て破壊し、構築し直すのに二千年。

 まるでアキラが育った世界のようだ。発展に費やした期間も、文明の方向性も。

 セルタの高層ビル。『バベル』のエレベーター。金銭の価値観や罪の認識の在り方まで。あの世界を模倣しているみたいだとつくづく思っていた。

 もしかしたらリーシェも調律器も知らないうちに、アキラの世界を目標にしていたのかもしれない。


「ラピス。気づいているでしょう?この世界はあなたがいた世界によく似ている」


「あ、ああ」


「きっとあなたがいたからです。あなたを見守っているうちに、私もあの世界を好きになってたんです。ラピスがあちらの世界で退屈そうにしながらも楽しそうに平穏に生きていたから」


「俺、楽しそうだったか?」


 自分では全然分からなかった感情にリーシェは笑いながら頷いた。


「ええ、とっても。アキラと出会ってからはもちろん、出会う前も……。戻りたいと思いますか?」


 少しだけ不安そうに少女はラピスを下から覗き込む。

 前の世界の生活を思い出し、楽しかったかもしれないと思った。そのうえで少年は揺るがない結論を出す。


「いいや。アキラの世界も楽しかった。でも、あれはちょっとした旅行みたいなものだ。俺が生まれた世界はここで、俺が生きたい場所はリーシェが見つけた『平穏に暮らせる』場所だよ」


「でも、それではラピスの人生が……!」


 棒に振られてしまうのではないか、と続けようとしたリーシェの唇にそっと人差し指を乗せる。

 リーシェが全てを語ってくれたなら、次は自分の番だ。


「リーシェ。俺の話も聞いてくれるか?」


「……聞きます。教えてくださいラピス。あなたが考えていることを、全部」


「俺はな、リーシェ。生まれた時からずっと死にたかったんだ」


 出だしの言葉に目を大きくさせる少女。

 もうずっと遠い昔のことのように思える過去を思い出しながら、ラピスはありのままの自分を曝け出していった。


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