強欲の極意
「『強欲』を捨てることに『強欲』を使うことは可能なんですか?」
誰よりも早く驚きから立ち直ったリーシェは、それでも困惑を隠し切れずに聞き返す。二人の心の声を代弁した少女にマグヌスは飄々と片眉を上げた。
「もちろん。タイミングの問題さ。解除するまでは能力を使えるんだからね」
確かにそうなのだが随分と簡単に言う。理論上は可能なのだろうが難易度は極めて高いはずだ。
例えば翼を生やしたい人間がバンジージャンプをするとする。飛び降りる直前までは命綱をつけ、落下中に命綱を切って翼を生やそうとする。翼を生やしてから命綱を切るのなら、羽で空気を掴みさえすれば何の棄権もない。しかしこの人間は命綱を切ってから翼を生やそうとしている。当然命綱から離れた体はただの落下物となり、翼を生やせるかどうかで命の有無は変わってくる。
そんな危険極まりないことをマグヌスはやろうとしているのだ。眷属の人格は命綱。マグヌスの挑戦は翼と考えれば、如何に無謀なことを言っているか簡単に分かるだろう。
リーシェからしてみればマグヌスの生死はあまり気にしないが、もし結末が死ではなく『変貌』だった場合。つまり、自我のないバーサーカーに変わり果てた場合は少々面倒なことになる。
果たしてその時、言霊の対処は通じるのか。果たしてその時、無力化にどれだけの時間が消費されるのか。そしてその時、リーシェの『神性』はどの程度使われるものなのか。
少しでも体力を温存しておきたい今、マグヌスの危険な提案を飲むのはリスクが大き過ぎた。
よって少女が出した答えは『拒絶』だった。それを伝えようと口を開きかけた時、マルスがよろめきながら立ち上がった。
「主神。信じてくれ、マグヌスなら大丈夫だ」
「……身内だから無条件に信じたくなるのでしょう」
「そうじゃない!いや、それもあるのだろうが……マグヌスがなぜ『強欲』を与えられたのかアスモデウスなら分かるだろう?」
マルスの視線がスティに移る。
話を振られたスティは深い溜息を吐いた。
「ハァ……。確かに我々に与えられた眷属の『人格』は、元々本人に最も合致しているものだ。唯一絶対神は異世界から『人格』に見合った人間を選んでいた。レヴィが『嫉妬』を司ったのも、元の世界での彼女の嫉妬の感情が一番強かったからだ」
「その理論でいけば、『強欲』を司ったマグヌスも元の世界では強欲だった、ということですか?」
「そういうことになる」
「何でも手に入れたい。何でも思い通りにしたい。その意志の強さなら『強欲』にだって負けないよ」
胸を張って誇らしげに鼻を伸ばすマグヌス。威張ることではないと、三人の心の声が重なった。
「フェルが『傲慢』を司ったのだって俺が道連れにしたからだしね」
「は?」
リーシェと一緒に目を点にするスティ。
何やら複雑(?)な事情があるようだがそれをここで話している場合では無い。
ここは一つ、マグヌスの自信を信じてみることにした。
「良いでしょう。そこまで言うなら私はあなたを信じます」
「あ、ちょっと待って。『強欲』の権能があるうちにやりたいことやる」
「そこまでの自由は……!」
許した覚えはない、と言おうとしたリーシェの制止も間に合わずマグヌスは少女の額に強烈なデコピンを放った。ただのデコピンなのにこれがやたらと痛い。
衝撃で仰け反ったリーシェは痛む額を涙目で抑えた。そしてキッとマグヌスを睨みつける。
「何の真似ですか!?とっても痛いんですが!!?」
怒りを顕に声を荒くさせる少女に青年は満足そうに笑った。
「うん。やっぱりこっちの方が良いね、人間味がある」
「ハァ!?いきなりデコピンされて怒らないわけが……怒らない……わけが……。……私、怒ってます」
「そのようだね」
「すごく腹が立ってます」
「そうだろうとも」
「もっと言えばデコピン返しをしたいくらい」
「それは遠慮しとこうかな」
隣で黙って二人のアホのようなやり取りを見ていたスティは、しばらく考えると合点がいったように両手を叩いた。
「なるほど。神として感情を抑制されていたのを元に戻したのか」
「そゆこと」
マグヌスが言うには、人形みたいに淡々と話すリーシェが気に食わなかったらしい。故に『強欲』の権能を使って感情を元通り豊かに出せるようにした、ということだ。デコピンにしたのはそれが一番手っ取り早かっただけ。
「うう……まだ痛いです。本当にムカついてきました」
赤くなったおでこを擦りながら目を据わらせるリーシェ。それを宥めるスティ。
「そう怒ってやるな。『伝説の力』は『神性』も大事だが、感情の力が最も効果的に威力を発揮する。今より効率的に戦えるようになったはずだ」
スティがそう言うなら水に流そう。
少し寄り道をしてしまったがマグヌスはようやく『強欲』を捨てることに挑戦し始めた。
腕をブンブン振り回して気合いを入れている。
「よぅし!やるぞ〜!」
回し終えた腕を真っ直ぐ正面に伸ばし、さっきまでとは打って変わった真剣な顔つきで詠唱を開始した。
「銀の器は我が前に
金の杯は我が腕に
世界の全ては我が内にあり
仇なすものは全て我が外にある
祈りは要らず
森羅万象を我が今証明しよう
“ソロモン・オブ・ワールド”」
魔力が極限まで高まっていく。しかし、大気を震わす風も目を焼きそうな光も一切ない。ただ声が響き、膨大な権能は全て青年の体の中で渦をまく。
詠唱の終わりと同時に渦は爆心になり、マグヌスを起点に大爆発が起こった。
咳き込みながら、失敗したのかと目をうっすら開ける。黒煙が晴れて来ると爆心地になった青年も咳き込んでいるのが見えた。
フェルが不安そうに見守る中、青年は栗色の髪を揺らしてピースサインをした。
「大成功さ」
☆*☆*☆*
セルタのバベルは主不在のため建設当時からずっと封鎖されていた。近代的な都市に聳え立つ石造りの塔は一種の信仰対象でもあった。
開かずの塔。他の主要都市もバベルとは違い塔の持ち主は世界の神。
その事実を誇りに思っている都民たちは、その塔の前に集まった眷属の面々を見ていつもと違う喧騒を奏でていた。
「戦いは終わったはずなのになぜ眷属様たちが集まってるんだ?」
「しかも、主神様のバベルに……」
それらのざわめきを背中に受けながら、グレイスはそっと息を吐いた。
「すっかり見世物になってしまったな」
「仕方がないわ。『月』との戦いが終わって民たちはすべてが終わったと思っているのよ?それなのに私たちが集まっているんだもの」
その横で憂いを滲ませるのはグレイスの母であり、リーシェの祖母であり、『克己』を司る眷属のレイラだ。
二人揃って赤髪赤目をやれやれと振る。レイラもグレイスも、まさかリーシェが目覚めてすぐにこんなに急に事態が動くなんて思っていなかった。コピーでは無いリーシェ本人に、この世界をゆっくりと見せてあげたかった気持ちが大きかった。束の間でも平穏を実感してほしかった。
主神になっても、グレイスにとっては大切な姪であり、レイラにとっては愛する孫娘なのだ。
この世界の神様はリーシェだけれどそれでもこう思わざるを得ない。神様は本当に残酷なことをする、と。
「我々の『反重力バリア』がいとも簡単に破られた時は己の不甲斐なさを呪ったものです」
シュウナが撃ち漏らした『ノヴァ』は、既成の個体よりはるかに力を増していた。それでも時間を稼ぐつもりでいたのだが、まさか『ノヴァ』に『重力』が効かなくなっていたとは思わなかった。
力を増す前であれは問題なく『過重力』で粉砕できていたにも関わらず、あの時の『ノヴァ』は『重力』など知らないみたいにいとも簡単にバリアを通過してみせた。
「母上、もしかすると空の彼方から来る者には『重力魔法』が通用しないのかもしれません」
悔しいが目をそらすわけにはいかない可能性だった。
グレイスとレイラは血に宿った『固有能力』で戦う『魔人族』であり、逆を言えばそれ以外の戦闘方法は無い。剣も多少の心得があるとはいえ、この最終局面に至っては気休めにもならないだろう。
眷属の誰もが「勝てる」と断言できない戦いが控えている。それなのに『重力魔法』が無効化されるなんて話、正直ふざけるなと叫びたい。
「……あの空の向こうには『重力』が存在しないと聞いたわ。それが関係しているんだわ、きっと」
二人でそんな会話をしていると、重苦しい音を立ててバベルの扉が開放された。塔の所有者はまだ姿が見えないが、先に入って待機していろということだろう。
「ゲートは開いたが……キリヤがまだ見えないな」
「ラピスもだわ。アズリカ」
ちょっと離れたところにいる青年の名前を呼べば彼はチラリと視線を向けた。
「はい?」
「ラピスとキリヤの姿がないのだけれど、あなた何か知らないかしら?」
「さあ。二人ともリーシェが来る前には来ると思うが……」
そう言いながらぞろぞろとバベルに入っていくアズリカたち。塔の前には行先の不透明さに不安を抱く都民たちだけが取り残される。これから何が起こるのか、自分たちは何をしたらいいのか、と喧騒が大きくなっていく中、遅れてキリヤが登場した。その後ろにはラピスもいる。
「キリヤ様……!我らはどうなってしまうのですか!?なぜあなた方が主神様のバベルに集まっているのですか!?」
ワッと集まる民衆を前に金髪の青年は見た者を安心させる笑みを浮かべる。
「落ち着いてください。僕たちは皆さんを守るためにここにいます。ですから今日はいつも通りの日常を送っていただくことが僕たちも助かりますし、主神もお喜びになるでしょう」
ニコニコと聖者のような笑顔を振りまくキリヤ。
ひとまず彼らが安堵したのを見てとるとラピスと共にバベルへ足を踏み入れる。
もう少しで最後の戦いに向けた会議が始まろうとしていた。




