苦悩
リーシェと合流すべく、アズリカとアキラは乾いた荒野を疾走していた。
針葉樹林で『怠惰』のベルゼハブを見つけたはいいものの、目が合うなり「おっけー」と言われて立ち去られてしまった。
水の球体を目標に走っていたのだがそれも先程霧になって消えている。司祭の繋がりがアイラが生きていることを教えてくれているが、同時にシノブが死んだことも察した。
胸に迫る焦燥をエネルギー源にして二人は全力で足を動かす。
その目の前に空気を切って飛来する何かが現れた。
自分で派手に土煙を上げて煙たそうに出てきたのはリーシェだった。その腕には血まみれのアイラが抱えられている。
「アイラ……!」
血相を変えて少女を覗き込むアキラ。血まみれの割に傷は全く見当たらない。まさか返り血なのだろうか。
「リーシェ、戦況は?」
僅かに咳き込むリーシェにアズリカは問う。
「とりあえず私たちの勝利です。『怠惰』はこちらの味方になり、『貪食』と『嫉妬』は撃破。『強欲』はマルスに任せ、スティさんはマルス到着までの間『強欲』を見張ってもらっています」
現状の報告を聞いて安堵に息を吐く。最初はどうなることかと思ったが、かなり理想に近い決着になった。マルスの到着が遅いのが少し懸念されるがいざとなったら引き摺って来ればいいだろう。
「ラピスは?」
「ラピスは……一足先に大陸の状況を確認しに行ってもらっています。フェンリルも別行動でそちらの方に」
「じゃ、俺たちもとりあえず孤島を離れて次の戦いの準備に入るか」
これで終わりでは無い。そもそもこれは予想されていなかった戦いだ。惑星の『使徒』が侵攻をズラしてくれなければ全滅の可能性は大いにあっただろう。
そこまで考えてアズリカは気づいてしまった。
リーシェの神性があまりにも薄くなっていることに。
「リーシェ、お前戦ったのか?」
質問の意図を瞬時に理解した少女はかぶりを振る。
最後に別れた時よりも神性が減っていることに対して、リーシェは原因ではなく解決案を提示した。
「さすがにこの状態では『使徒』と戦えません。なのでキリヤたちから少しだけ神性を分けていただきたいのです」
申し訳なさそうに言うリーシェ。その提案はアズリカたちにとって特に大きな影響を及ぼすものでは無い。要は抜け殻になった義体を分解するということだ。リーシェによって作られた義体はいわば神性の塊。
義体を用いていないアズリカはもちろん魂が本体に戻った今、他の眷属たちも快く賛成するはずだ。
「アキラ、アズリカと一緒にアイラを『貞潔』のバベルに送り届けてください。その後の会議で使う集会場所は……セルタのバベルを使います。他の人たちには私から伝えておくので、アイラを送った後、二人はセルタへ向かってください」
「分かった」
リーシェからアイラを引き取ったアキラが神妙な面持ちで頷く。
今後の動きを確認すると、リーシェは『異次元空間』を開くとどこかへ消えてしまった。
「よし、じゃあ行くか」
アズリカも『異次元空間』を開く。目の前に広がった白い空間に足を踏み入れて、二人は『リズィグル』へ向かった。
☆*☆*☆*
アズリカたちと分かれたリーシェが行ったのは、迷宮の最奥だった。半日離れただけなのに随分と懐かしい感じがする。
眠っている時間が長かったとはいえ、リーシェにとってこの空間は実家のようなものだった。
強引に破壊した水晶の破片を集めその身に取り込む。神性が少しだけ回復する。
少し奥まで歩くと何も無い隅っこで膝を抱えて座るマルスがいた。やはりまだ何の行動もしていなかったらしい。
「マルス」
名前を呼べばピクリと肩が揺れる。ゆっくりとした動きで顔だけをリーシェに向けた。憔悴、という言葉が最も似合う表情に思わず溜息を吐く。
「何をしているんですか?『傲慢』が今もあなたを待っているというのに」
「……主神は『愛』を信じるか?」
脈絡のない問いかけに首を傾げる。
数秒考えて答えた。
「さぁ……でも、できれば信じたいと思いますよ」
「まあそうだろうな……。マモンだってそうだろうさ」
いまいち意図の読めない言葉の後に続くのは沈黙のみ。マルスの中で渦巻いている葛藤を尊重しリーシェは彼の答えを待つ。
静寂を破ったのは女性の声だった。
「邪魔するぞ」
視線を向ければスティがいた。その左手にはすっかり伸びたマモンが引き摺られている。『異次元空間』を使ってやって来たようで、棺が元々あった場所からこの端まで『強欲』を雑巾のように使った形跡が見られる。
「ああ……最悪だ。重症の人間にこんな仕打ち……悪魔だ……」
ズタボロの体をされるがままにされて脱力しているマモンの口から、抜け出そうな魂が見えるような気がする。
リーシェの背後でさらに小さくなる青年の気配を感じた。振り向けば蓑虫のように小さくなったマルスがいた。
「待てども待ち人は来ないし、これ以上暇つぶししたら玩具が壊れてしまうゆえ直接出向いてやったぞ」
フフン、と自慢気に鼻を高くするスティ。
道理でリーシェとの戦闘後よりボロボロになっていると思った。暇つぶしがてらマモンをいたぶっていたらしい。死なないのを良いことに相当手酷く遊んだらしい。
「おい、そこな元『傲慢』。さっさと決着をつけぬか。こやつへの言霊が何か、汝ならすぐに分かるであろう」
軽い動きでマルスの目の前にマモンを放り投げる『慈愛』の眷属。痛々しい音と潰れたような声と共にスティから解放されたマモンは、涙目でマルスに抱きついた。
「うわぁぁん……!ルシファー助けてー!アスモデウスがいじめてくる〜!!」
蓑虫状態のマルスに覆い被さるように縋り付くマモン。どちらが守っているのか分からない構図ができあがった。
「……マモン……俺はもう『ルシファー』じゃないんだ」
「え、そうなの?眷属やめちゃった?じゃあこっちで呼ぶよ」
マルスの耳元で刻みつけるようにマモンは名を呼ぶ。
「助けて、フェル」
「……っ!マグヌス……」
「そうだよ、マグヌスだよ」
フェル。それがルシファーであり今はマルスである彼の本名。
マグヌス。それが『強欲』の眷属としてマモンの名を授かった彼の本名。
本来生きていた世界で呼び合っていた特別な名前。
三千年前。七つの大罪を冠する眷属たちとの戦いで、マモンは『鬼王メイデーア』と戦った後敗北。潔く消滅するかわりに、当時ルシファーだった青年の命の保証を要求した。交渉が成立したことでルシファーは生き永らえ、その後『墓守』として眠るリーシェ護衛の任についた。
護衛とは言っても、この場所まで来る者は身内くらいだしリーシェはが強固な氷の棺の中にいる。特にすることのなかったマルスの生きがいは一体なんだったのか。
ろくに話をしたこともないリーシェは先程の問いを思い返す。
マルスは言った。「愛を信じるか」と。
リーシェに向けられた質問は、きっとマルス自身にも幾度もしてきたことなのだろう。
一方が命を犠牲にしてまで守りたい関係。その名前を少女は知っている。けれどわざわざ言葉にする必要はないと思う。それはきっと、他人が干渉することではないと思うから。
「またこうして会えるなんて、夢にも思わなかった。俺たちはずっと一緒にいるものだと思ってたから。ねぇ、顔を上げて。久々の再会なのに、君の顔が見えないなんて寂しいじゃないか」
そっとマモン……マグヌスの指先がマルスの顎に触れる。導かれるようにようやく顔を上げたマルスがその双眸にマグヌスを映した。
交わり合う四つの赤。リーシェには伺い知れない感情を交錯させる二人は、数秒無言で互いを見つめ続けた。やがてマグヌスの傷だらけの顔に、花が咲いたように笑みが広がる。
「ああ、変わらないなフェルは。神秘的で美しくてそれなのにどこか棘を隠してる。薔薇……ではないけど月光の下のサボテンみたいだ」
「……。サボテン……?」
マグヌスを除いた三人の脳裏に、柔らかい棘を無数に生やす緑の植物が思い浮かぶ。可憐な花を咲かす植物だがどうしてもマルスにイメージが繋がらない。
当の本人も同じ気持ちのようで、微妙な顔をしていた。
「うん。サボテン」
「……そういうお前は栗みたいだ」
「今完全に俺の髪色で判断しただろ」
「そんなことは無い」
「ゴホン」
収拾のつかなくなりそうな仲良しの会話に、わざとらしいスティの咳払いが強引に割り込む。口元に拳を握った左手を当てがった女性は結論を急かした。時間は有限。急かすのは当然だ。
「あんたら、いつまで喋ってるつもり?死ぬの?死なないの?」
「スティさん言い方……。ですが、結論を急ぎたいのは私も同じです。マルス、決断を」
あけすけなスティに苦笑し、二人に視線を戻したリーシェは真剣な顔で決着を求めた。
マルスであるフェルがマグヌスに有効な言霊を発すれば、ライザの召喚術は効力を失う。スティに「死んで」と言われたレヴィアタンのように光となって消えるだろう。
逆にフェルがマグヌスの消滅を拒否した場合。その時は何も出来ないように『強欲』を幽閉するか、監視付きで味方にすることになる。
なぜ『怠惰』の眷属と違って『強欲』にここまで警戒するのかにはちゃんと理由がある。
それは彼が『強欲』であるからに他ならない。
したいからする。やりたいからやった。見たい状況があったから仕向けた。
そんなに自由に動かれては、味方にしてもおちおち背中も預けられない。
ベルゼハブをそれほど警戒していないのは、あの少年は裏切るなんて『面倒』なこと絶対にしないという確信があるから。いつだって『裏切る』という行為は面倒で手間がかかる。バレてはならない。実行した後、訪れる窮地を脱しなければならない。
言っては何だが、ベルゼハブにそれほどの気力はない。
ベルゼハブとマモンの決定的な違いはただその一点だった。
さらに言うなら、マモンが『強欲』の人格を捨てマグヌスとして行動するなら生かしてあげることもできる。
この場合、どのようにして人格を捨てるかが問題になってくる。
かつて『色欲』であった『アスモデウス』が『慈愛』に変わり『スティ』になったのは、何年にも渡る彼女の葛藤があったからだ。
意思の強いスティですら人格の解除に時間がかかった。マグヌスにも同じ方法で解除が可能だとしても、あいにくと何年も待てるほど時間は残っていない。
リーシェの予想だと『使徒』たちが『アース』に攻撃を仕掛けるまで、猶予は二日ほど。どんな攻撃をしてくるか分からない以上、磐石の対策をとる必要がある。
よってこれ以上彼らに構ってあげるわけにもいかないのだ。
リーシェの思考を読み取るように、しばらくこちらを見上げていたマグヌス。目が合うと、彼はフェルから体を離しスッと立ち上がった。いつの間にか傷は癒えている。「なりたいようになる」という『強欲』の権能を使ったらしい。
「ねえ」
「はい」
「もしも俺が君らの力になるよって言ったら、その首、快諾してくれる?」
「あなたが『マモン』のままであれば容認はできません」
「じゃあ、俺が正真正銘のマグヌスになったら?」
本当に思考を読まれたのか、と軽く目を見開く。
しかしすぐにそうでは無いと気づいた。マグヌスは頭が悪くない。どうすれば相手が望む状況になるのか自然に分かってしまう。望む状況に持っていくことは『強欲』にとって重要なことだ。
「それは、あなたが眷属の人格を捨てるという認識で合っていますか?」
「うん。そう。俺はマグヌスとして。フェルは……まぁルシファーでもマルスでもフェルでもいいか。とにかく俺が『強欲』と別の存在になれば君の信用は得られるかい?」
「まぁラピスやアズリカたちが十だとすれば四くらいは信じてあげてもいいですよ。第一、人格の解除はそれほど簡単にできるものでもないでしょう。このスティさんですら年月が必要だったんですよ」
「そうだ。貴様、私を見くびっているのか?」
鋭い目で『強欲』を睨むスティ。その瞳にはありありと敵意が浮かんでいる。
「別にアスモデウスを見くびってるわけじゃないよ。君こそ俺の事見くびってるんじゃない。俺はすべてを思うがままにできる『強欲』だぜ?」
「そう言うからには具体的な方法があるんでしょう?」
半信半疑でそう言えば、マグヌスはニヤッと皮肉に笑った。そして予想もつかない方法を明かす。
「簡単。『強欲』を捨てることを強く願えばいいのさ」
「……は?」
誰のものか分からない間の抜けた声が出た。綺麗に被っただけで実際は三人とも同じ声を出したかもしれない。




