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神喰らい

 勇猛なる戦士たちはいつ覚めるとも分からない眠りについた。

 人知れず唯一の神は交代され、新たな神もまた物言わぬ調律器へ成った。


 例えるなら化石。遠い未来で何かしらの貢献をするであろう過酷な運命を背負いし者。

 彼らを知る者は、彼らが眠りから覚めた時の世界が少しでも安寧であるようにと動いた。


 ある者は遠い未来を占い書き記し。

 ある者は地下と地上の間で奔走し。

 またある者は国のさらなる発展に尽力した。


 そうやって残された者たちは生きていく。移り変わる空と季節と共に、やがては新しい命を育む。


「おめでとう、アネロ。元気な女の子だ」


 産声が上がる。

 霧も雨もなく、よく晴れたとある秋の日。

 金に近い橙色の髪とピンと尖る耳は母から。ぼんやりと開いた琥珀の瞳は父から。


 必死に声を出して泣き己の誕生を力いっぱいに知らせる赤子。

 ふにゃふにゃの顔を覗き込んだ少女はすっかり親の顔になっていた。汗が張り付く頬をゆっくりと持ち上げて、姉が取り上げた愛しい我が子を優しく見つめる。


「……ちいさい」


 荒かった息が少し落ち着いた頃、ようやく出た言葉に姉は声を上げて笑う。


「生まれたてだからね。アネロも最初はこのくらい小さかった」


「今はすっかり大人になったが可愛さはいつまでも変わらないな」と付け足した彼女に今度はアネロが苦笑する番だった。


「私はラーズを呼んでこよう。アネロはそれまでゆっくり休んでいるといい」


 枕元のベッドに赤子をそっと下ろすとアルロは静かに部屋を出ていった。

 きっとのんびり休む暇もなく、慌ただしくラーズが入ってくるはずだ。その音でせっかく落ち着いた我が子がまた泣いて、オロオロとする夫の様が目に浮かぶ。

 容易に想像できる未来に笑みが零れる。


「リーシェ。ボク、やっと母親になったんだぜ」


 今この瞬間も荒れに荒れてる『世界のシステム』を調律している新たな神……過酷な運命の元に生まれた少女にそっと呟く。

 レウスもルキアも死んでしまったことは、迷宮を抜けて国に帰ったらすぐに分かった。一度も晴れることがなかった霧と雨が、跡形もなく消え去っていたから。

 神と竜の間にあった因縁が断ち切られたのだと悟ることができた。

 同時に、あの赤髪の少女がその座に座ったことも理解した。


 アネロたちより先行して神討伐に向かった面々が、あの後どんな状況に陥ったのかは分からないままだ。

 しかし、『邪鬼』の中で『現在視』の能力に秀でている者に頼んで、ダンジョンの最奥を覗いてもらった。『邪鬼』から伝えられたのは、『停滞』と『温存』だった。

 先行隊は三人が死亡し五人は水晶の棺で眠っている。さらに奥で一際大きな水晶の中にリーシェがいて、若草髪の少年は平屋の寝台に横たわっている。黒髪の少年の姿はどこにも見当たらない。

 そう言われた時、アネロもラーズも混乱した。


 死んだのは全員、東の大陸の獣人だった。『邪鬼』のライヴィス。『幻馬』のルキア。そして『竜王』レウス。大陸の中でもトップクラスの実力者たちは生還が叶わず、国の舵取りは揉めに揉めた結果ラーズが引き受けることになった。

 というのも、ラーズとて王の資格は十分に持っていた。ラーズは『狐』という大雑把な括りの中で最上位に進化する可能性がある『天狐』だ。ちなみに普通の『狐人』の中では『九尾』が最上位となる。

 腹黒い各獣人の長たちの誰かに『イーライ』を任せるより、己でやった方が遥かに楽……というのが引き受けた理由である。


 故にアネロの夫は多忙を極めていた。寝る間を削って働き、喚き散らす側近たちを無い頭で懸命に黙らせる。

 そんな日々の中で訪れた幸福の一時。


「本当に宝物ばかり増えていくんだ、人生って。いつか開く君の目にもそんな日々が映るといいな」


 ドタドタと騒々しい足音が聞こえる。何人かの看護師の注意の声が聞こえたあと、部屋も扉が勢いよく開かれた。


「アネロっ!!」


「ふぎゃあああああっっ!!!」


「ラーズ、静かに入ってきなよ。子供が驚いてしまうだろう?」


 予想通りの登場と結末に笑いを禁じ得ない。

 身を捩って泣き散らす赤子を胸に抱くと、しばらくして寝息を立て始めた。


「いい子、うるさいパパでごめんね」


「うっ……ごめんよぉ」


 しょげるラーズ。王の威厳はもちろんどこにもない。


「可愛いなぁ……可愛いなぁ……可愛いなぁ……」


「もっと他に感想は無いのかい?語彙力の欠片もないじゃないか」


「無茶言わないでよぉ。胸がいっぱいで頭もいっぱいいっぱいなんだからさぁ……」


 賛美の言葉が繰り返されすぎて呪詛のように聞こえるのは一種のゲシュタルト崩壊に含まれるだろうか。きっとラピスなら「そんなこと言ってやるな」と笑って返すのだろう。


「名前はもう決めたの?」


 ラーズの問いにアネロはうーんと窓の外を見つめる。

 清々しい秋晴れを見ながら数秒考えると、愛しい子にピッタリの響きの名が浮かんできた。


「アイラ」


「アイラ……アイラ……うん、いい名前だねぇ」


「だろう?いつまでも健やかに育っておくれ。ボクの可愛い宝物」


「俺はぁ?」


「はいはい。ラーズもボクの大切な宝物さ」


 そっと微笑むとラーズが腕の中の存在ごとそっと抱き寄せる。

 ひたすらに穏やかな家族を色づく紅葉だけが見つめていた。


 ☆*☆*☆*


 大いなる海はあらゆるものを平等に覆い潰す。

 幸せも厄災も何もかも。海の前には無力だ。


 空気を取り込めず苦しそうにもがく敵を、アイラは一切の油断なく観察する。

 これくらいじゃ相手は倒れない。

 酸素が取り込めない事にくらい、あの化け物はすぐに適応してみせる。


「ゲホッ……!ああ、苦しかった」


 ほら、やっぱり。

 注意深くアイシャを観察すれば、首筋にエラが造られていた。一体どんな種族に分類されるのか不明だが、彼女はどんな環境にも適応できる能力があるようだ。


「あなたは……一体何者なの?」


 冷静に、動揺も驚愕もなくアイラは問う。

 水中での呼吸をしばらく繰り返していた少女は、瞳の形を三日月にしてうっそりと笑う。何らかの影響が生じているようで、蒼碧の双眸の奥に金の光が妖しく瞬いていた。


「ワタシはかつての世界では『邪神族』と呼ばれていた。オマエの目の前にいるのは別の世界でトップに君臨していた『神』だ。独壇場に引き込んだくらいで勝った気になられても困るぞ」


 真実が虚言か。アイシャの口から明かされた言葉にむしろアイラは不敵に笑ってみせる。

 どこまでも真っ直ぐに敵を睨んだ。


「それはそれは大層なご身分なのね。でも生憎と神が最強だなんて誰が言ったの?」


 アイラは知っている。

 ただの田舎娘が死に物狂いで神に勝利したことを。

 アイラは見ている。

 いつだって理不尽はやり方次第でこちらの利になることを。

 アイラは感じている。

 相手が本当に神であっても勝利が掴めることを。

 なぜなら―――。


「私は神狐の九尾。世界の神には及ばずとも、神と称される力を持つ獣。そして……決して神にも引けを取らない実力を持つ父様と母様の娘。思い上がられては困ります」


 海が哭く。海底が慟哭を上げる。

 地鳴りは産声となり、無数の気泡は次々と弾けて海中世界を震撼させた。


「ここは私の独壇場。あなたの墓場。異世界から来た神よ。その称号が真であるならば力を出し惜しみせず、全てぶつけてきなさい。この海がその全てを押し潰してあげるわ」

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