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祝福

 真っ赤な血溜まり。手を濡らす温かい紅。

 青い髪を汚すドロドロとした臓物と、青い瞳に映る生き物の残骸。


 月光だけが差し込む廃墟の一角で少女は嗚咽を漏らしていた。咽び泣き、穴だらけの天井を仰いで壊れたように肩を震わせる。次から次へと溢れてくる涙は血の海に沈んで、悲嘆な声諸共どこかへ消えた。


「ごめんなさい……」


 蚊が鳴くよりも小さな謝罪。聞く者は誰もいない。唯一少女の声に耳を傾けてくれた最愛の人は、目の前で無惨な死に様を晒している。

 鮮血に染った口元を歪ませて形作られたのは狂気に染った微笑だった。

 湖よりも深い孤独。火口よりも深い罪悪感。どんな暗闇よりも深い絶望。


 最愛の人の亡骸を前にして壊れた少女は、一陣の風とともにその姿を消していた。


 ☆*☆*☆*


「そうね……そうだった……ワタシ、そうだったわ」


 禍々しい三日月のような笑みを作った唇が、うわ言のように何度も言葉を繰り返す。

 少女の体から真っ黒い風が吹き出し、とどめを刺すために肉薄していたアイラの体を後方へ吹き飛ばした。


 様子が変わった旧眷属に狐の獣人は柳眉を釣り上げる。

 ベルゼバブが顔を上げた瞬間、起きていた変化に少女は動きを止めた。


 切り裂かれ視野を失っていたベルゼバブの両目は、色を真逆へ変えて完全に復活していた。真っ赤な瞳から深い青い色へと。


「あなたは誰ですか?」


 目の前にいるのは『貪食』の眷属では無いと直感したアイラが厳しい声で正体を問いただす。

 しばらく辺りを見回していた旧眷属は言い淀むことなく名を明かした。


「ワタシはアイシャ。『貪食』の人格に埋もれていたもう一人の『貪食』。お前を喰らう者」


 人そのものが入れ替わったみたいに全ての傷を快癒させた少女アイシャは、狐人に向かって鋭く尖った爪を見せる。


「告げる。今よりこの爪はお前を切り裂く武器だ」


 鋭利な爪はメキメキと音を立て残酷なまでに凶悪な巨爪へ変じた。


「告げる。今よりこの牙はお前を噛み砕く食欲だ」


 アイシャの口から覗いていた犬歯が、獰猛な狼のように唸りを上げて発達する。


「告げる。今よりこの眼はお前を捉える意志だ」


 彼女自身の本来の色である蒼碧の双眸が淡い輝きを放った。


「告げる。今よりこの命はお前を葬る燃料だ」


 相手の変化を息を飲んで見守るアイラの視界に移る敵は、さっきよりもその実力を何倍にもはね上げていた。

 まるで、眷属の人格に支配されていた故に本来の力を封じていたのだと豪語しているようだった。


「ワタシの盟約は今ここに成立した。これから始まるは荒々しい獣同士の喰らい合い。この牙が勝つか、その尾が勝つかの、純粋な力比べである。天より見守る神々よ。刃を研ぎ澄ます星々よ。どうか最後まで照覧あれ。そして願わくば、我が欲望がこれで最後となりますように」


 歌い上げるように告げられたその言葉は、天高く空に響き渡る。雲の隙間から差し込んだ光の柱がアイシャを照らす様は、アイラも知らない神々が彼女を祝福しているようだった。


「これは……」


 かなり苦戦を強いられそうだと、狐人は頬に汗を一筋垂らす。

 二人の少女の戦いは第二ラウンドへと幕を開けた。


 ☆*☆*☆*


 リーシェとラピスの元から離れたアズリカとアキラは、遠い周囲から聞こえる戦いの気配に移動する速度を早めていた。

 向かっているのは、旧眷属の中で上手く行けば味方に出来そうなある人物のところだ。気配を探り、漠然とした位置にアタリをつけて荒野を駆けていく。


「なあ」


 僅かに息を乱しながら追随するアキラが不意に声を投げる。視線だけを向けて続きを促すと、何か考え込むような表情の少年と目が合った。


「今の眷属が一度死んでて、もう三千年も昔の人だってのはとりあえず理解したんだが……」


「理解したんだが?」


「アイラは?アイツも三千年前から生きてるんだろ?死んだから寿命が無いわけじゃないなら、アイラはなんでそんなに長く生きているんだ?」


 前に少しだけ話したことがある。今となっては少しだけ珍しい純血の獣人。両親がどちらも高位の獣人族である狐人。アイラはラーズという青年とアネロという少女の間に生まれた子供だ。

 三千年前のリーシェとの戦いの後に最初に生まれた、討伐隊メンバーの子供。ラーズとアネロが王亡き獣人国を立て直す間はシノブに預けられて育った。


「アイラは……祝福を受けたんだ」


「祝福?何の?」


「……リーシェが眠りについて、俺もまだ目覚めてなかった頃、ある事件が起きた。神の気配があまりにも静かなために、世界が“神がいない”と誤認したんだ。いや……今思えばリーシェを排除しようとした『月』側の策略だったのかもしれない」


 この世界の神の仕組みについてアキラに簡単に確認する。

 神は元々はただの人間だったこと。生まれた時に『伝説の力』を与えられたただの人間が、過酷な運命を乗り越えた先に神という役割が待っていること。

『伝説の力』を持った人間は『伝説の存在』と呼ばれ、神が後継人を求めた時に生まれること。


「神がいないと錯覚した世界は、『伝説の存在』にできる人間を探した。まだ生まれていない魂に付与するのは神の仕事。星自体にできることは既に生きている魂に付与することだけだったからだ」


 アズリカも知り得ないことだが、神にできることとは別に、星ができることもある。その違いはそれぞれ『神の権能』と『星の権能』と呼ばれている。リーシェの片目がエメラルドブルーに染まったのた、『星の権能』を宿したためであった。


 当時の状況についてシノブやラーズ達から伝え聞いていただけのアズリカは、彼らを思い出しながら話を続けていく。


「神の気配が最も近く、最近生まれた子供。それがアイラだった。生まれつき『伝説の力』を持っているのと後天的に与えられるのとではかなり話が違ってくる。『伝説の力』ってのは云わば神性の塊のようなものだ。だから、少しでも神性に触れたことがある……または神性を宿す存在の近くにいた親を持つ子供である必要があったらしい」


「アイラはその条件を満たしてたってことか」


「ああ。アイラの両親、ラーズとアネロはいくつか位がある獣人の中でも高位の存在だった。高位ってのはそれだけ王に近づける機会が多いってことだ。生まれ育った国の王は、偶然にもリーシェの先代の神の片割れだった。加えて、シノブはアイラを『魔境谷』で育てていた。あまりにも神性に近い環境にいたんだ」


 つまりアズリカが言うある事件というのは、アイラが『星の権能』によって間違えて生み出された『伝説の存在』だということだ。

 しかしそれがなぜ『祝福』という言葉に繋がるのかアキラはいまいちピンと来なかった。


 走りながら首を傾げていると、一拍置いたアズリカが憂いを帯びた顔を見せる。


「結果的にそれがアイラを救ったからだ」


 アズリカが目覚めた時には全て終わっていたある事件。それを青年が語るのはもう少し先。この戦いが終わってから。

 なぜなら、今でもアズリカの精神を揺さぶるくらい辛いことが起きていたからだ。旧眷属との戦いに集中するために、アズリカは落ちていたペースを上げる。

 表情からその意図を汲み取った少年は口を噤んだ。


 前を向いたアキラの目の前には日差しが降り注ぎ、木漏れ日が美しい針葉樹林があった。



更新激遅でごめんなさい。

これからものんびり読んでいただけると嬉しいです

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