アスモデウス
アキラが見慣れているアズリカは身長が百三十センチ程しかなく、声も子供の外見にピタリと合う中性的な高さだった。
それが今はどうだろう。
魂の凍結を解除され、目の前で戦っている姿は今まで見てきたどのアズリカにも当てはまらなかった。
百八十センチ程に伸びた身長よりも長い銀の鎖を自由自在に扱い、栗色の髪の青年と戦う様は他のどの眷属よりも見劣りしていない。
雄々しく、生き生きと舞うように戦い、接戦であるはずなのにその口元には楽しそうな笑みすら刻まれている。
あれこそがアズリカの本当の姿で、これこそが最古の眷属の本領発揮なのだと知った。
そして離れたところでは見慣れた黒髪が、激しい動きに合わせて慌ただしく踊っている。
常の黒いロングコートから、騎士のような格好へと装いは変化していた。口元に笑みは無いが、金の瞳は余裕そうに和らいでいる。
相対している相手から至近距離で弾丸を撃ち込まれようと、全て刀身の腹で受け止めたり、弾丸を切り落としたりしていた。
アキラの隣で答案用紙と向き合っているよりも遥かに様になっている。
親友が遠いところに行ってしまったような感覚に陥って胸にチクリと痛みが生じる。しかしそれ以上の誇らしさがアキラの表情を明るくさせた。
アキラに気づいたラピスが愕然とその目を見開く。隣にいたリーシェを見て何かを納得したように微笑んだ。
それを隙と見たのか、銃使いの旧眷属が空高く銃口を掲げる。
アズリカと鍔迫り合いになっていた眷属も勢いよく後退した瞬間、金髪の旧眷属が叫んだ。
「”ホーリーバレット”!!」
快晴の空に無数の光が瞬く。技名の通り雨のように光弾が一斉に降り注いだ。
ラピスの手がアキラに伸ばされる。アズリカが全弾迎撃の姿勢を取る。
二人の目の前でアキラは場に似合わぬ緩慢さで歩を進めた。
アキラの頭に光弾が着弾する直前。
鉄同士がぶつかったような音と共に着弾する予定だった弾丸が全て霧散していった。薄黄緑色の膜が揺るがぬ盾となりアキラを守っていた。
隣を見ればリーシェも盾の範囲内に入っていたらしく、余裕そうな顔で銃使いの眷属を見つめていた。
「久しぶりですね、レヴィアタン。死人らしからぬ元気な姿を見て驚きました」
レヴィアタンと呼ばれた旧眷属が忌々しそうに相貌を歪めた。美人の怒り顔は凄まじい迫力があった。
「人のことを言える立場なんですの?あなたこそ、随分しぶとく生きているようですわね」
「ええ。あなたのお友達が助けてくれたので」
リーシェの視線がチラリと別の場所へ向けられる。釣られてアキラも視線を逸らすと肩口にナイフが突き立った状態の女性が座り込んでいた。
雨の弾丸もその場所だけは綺麗に避けていて、周囲の地面は不自然な程に無傷のままだ。
アズリカの髪色ともまた違うクリームグリーン色の髪を切り揃えた女性の名前を、リーシェは噛み締めるように呼んだ。
「スティさん」
時節黒い稲妻を走らせるナイフを鬱陶しそうに睨んでいたスティは、少女神の顔を見てフッと表情を緩ませた。
「リーシェ……できればもう会いたくなかったんだけどねぇ」
「私はいつでも会いたかったですよ。ただ、スティさんがどんな状態で復活しているのか予想ができないのですが知っていますか?」
聞いた話だと一度絶命したリーシェが今も動いているのは、スティが命を贈ってくれたからだ。
他の旧眷属はキリヤたちのように魂を呼び出しているのと同じ原理だろうが、スティの命は変わらずここにある。
呼び出す魂がなければ復活もできないはずだ、というのがリーシェの考えだった。
アズリカとラピスが旧眷属を牽制している間に聞き出そうとする少女は、少しずつスティに近づいていく。そっと伸ばした指がスティに刺さっている短剣を抜こうとした時、事の元凶が現れた。
スティのすぐ頭上の虚空から突如として現れたライザが荒々しい動きで腕を伸ばす。鋭く尖った爪がリーシェの首元に吸い込まれていく。
スティに気を取られていたリーシェが目を見開き回避の姿勢を取ろうとするが間に合わない。
その爪が首を抉る寸前、スティの体がブレた。
「……っ!?」
驚愕と怒りが入り交じった息を詰める音がやけに響く。
短剣に動きを封じられていたはずの旧眷属が、サマーソルトでライザを退けていた。
「殺せると、そう思ったか?こんな短剣如きが私を繋げるとでも?随分と舐め腐られたものだ」
リーシェに掛けていた声とは雲泥の差の冷酷な声が発せられる。依然として短剣は刺さったままだが、驚きの精神力で支配を跳ね除けてみせた。
大切そうに少女の頭を胸元に抱き寄せた女性はライザと真っ向から相対している。我に返ったリーシェが苦しそうに肩を叩くのも構わす女狐に啖呵を切った。
「『慈愛』の眷属を甘く見るな。汝の思い通りにはさせん」
「……。なぜ楔の束縛から逃れられたの?」
「汝は『色欲』の眷属として私を呼び出しただろう。正確には死した時の私は『色欲』ではなく『慈愛』だったゆえ、誤差が生じたの」
魂の操作は歯車をピタリと合わせるように少しのズレも許されない。ズレれば召喚者の思い通りに動かすことが難しくなる。
他の旧眷属たちが思惑がどうであれ最終的にライザの意向に従っているのはそういった背景があるからだ。
豊満な胸から顔を出したリーシェはスティの答え合わせに納得したように頷いていた。
主神がただの子供のように抱きしめられ守られている構図を、ライザは「侮られている」と受け取ったらしい。表情をさらにキツくさせると、少し離れたところで牽制されていた旧眷属を招集した。
日傘を差して歩いてくるレヴィアタンと、アズリカに一撃与えてから戻ってきた栗色の青年。
あと四人いるはずの旧眷属は別の場所にいるのかライザの周りに集まったのは、最初からいた二人だけだった。
「演技だったんですの?」
リーシェを抱き寄せているスティに少し悲しそうにレヴィアタンが言う。切り揃えた色違いの互いの前髪が風に揺れ、殺伐とした空気が漂った。
栗色の旧眷属すらも静観する中、スティの顔がそっと和らぐ。
「演技などではないわ。あなたが庇ってくれたこと、とても嬉しかった」
リーシェにもライザにもかけていた声と違う声音。
人格が不安定なのか、逆に安定しすぎているから使い分けられるのか。金髪の少女と対等な様にスティは言葉を投げかけた。
「私はもう演じないと決めたのよ。踊らされるだけの道化の時間は幕を閉じ、誰にも操られない私だけの舞台を作るの。だから、ね?レヴィ」
言葉の続きは響かなかった。
口パクで、しかしハッキリと彼女はこう告げた。
「死んで」と。
ショックを受けたようにレヴィアタンが目元を赤くさせる。
アキラはもちろん、リーシェや他に誰もがあの少女たちの関係を知らない。しかし動けないスティを庇う程度には二人は親交があった。
そんな相手から宣告された一言は深く鋭く、金髪の少女の心を傷つけた。
棘を感じさせる美貌がクシャクシャに歪んで、華奢な肢体が地面に崩れ落ちる。
「あああああぁ……!!?」
日傘を投げ出し髪を掻き乱して悲鳴とも嗚咽とも取れない呻吟を漏らした。
ライザはその様子を唖然と見つめ、もう一人の旧眷属は愉しそうに足元で転がる少女の様子を見つめている。
四人が見守る中、レヴィアタンの白い肌がボロボロとヒビ割れていった。陶器で作られた人形が砕けていくようだった。
「これは?」
崩れていく少女を見下ろしながらリーシェが首を傾げる。
スティはすぐには答えず、レヴィアタンが完全に消えてなくなるまで無言で見つめていた。
「あああああぁぁっ!なんでよ!?どうしていっつも私ばっかり……!!嫌、消えたくない!私たちこれからだったじゃない!これからやり直せるはずだったのにっ……!」
小さな片喰と金の欠片を残してレヴィアタンが消滅する。砂金のように淡く輝く欠片を拾い上げた『慈愛』の眷属は寂しそうに呟いた。
「レヴィ……もう終わったのよ。私たちの夢はこの世界に来た時点で、終わっていたの」
意味深な言葉が鎮魂歌になったのか、しばらく聞こえていた泣き声が徐々に消えて完全に聞こえなくなった。
「スティさん……大丈夫ですか?」
控えめにリーシェが声をかける。振り向いたスティの顔からは既に寂しそうな色が抜けていた。
「見ただろう?リーシェ。これが旧眷属を消す方法よ。相手が最も恐れている言葉を言うだけで、脆い存在はすぐ崩れ落ちる。我らはそれだけ不安定な状態なの」
言いながら短剣を乱雑に引き抜く。無造作に捨てられた楔はもう黒稲妻を走らせなかった。
「戦いの中で魂の本質を見抜くのよ。そうすれば亡者は消えるから」
「簡単に言ってみせるけど結構難しいと思うよ?」
事態を不気味なほど静かに見ていた栗色髪の眷属が軽薄に笑う。
「ねぇライザ。アスモデウス、君に従う気が全くないようだよ?」
眷属名でスティを呼んだ青年はチラリとライザに視線を飛ばす。その瞳には僅かに侮蔑の色が込められており、青年自身も置かれている状況にやや不満げな様子だった。
「あの子も来ないしアスモデウスで遊んでていいかな」
「……フン、勝手にしなさい」
「ありがとー。さてアスモデウスちゃん、あの子が来るまでちょっと顔貸してよ」
「マモン、申し訳ないが汝の相手は私じゃない」
言うなりリーシェの腕を引っ張るスティ。
いつの間にか合流していたラピスとアズリカも身を硬くし、容易に想像できた未来に汗を垂らしていた。
「眷属最強と名高い『強欲』と、私が手塩にかけて育てた大切な『娘』、どちらが強いのか興味がある」
浮かべられた笑みは実に意地の悪いものだった。
単純に、成長したリーシェの戦いっぷりと見たいだけなのが明白だ。
慣れたもので少女はため息を一つ吐いただけで、言われるがままマモンと向き合った。
「ということでルシファーが来るまで私が戦います」
聞き慣れない名前が出てアズリカに視線を向ける。背が伸びた『貞潔』の眷属は小声で教えてくれた。
「マルスのことだ。元々旧眷属で『傲慢』を司ってたヤツだからな。スティとレヴィアタンの掛け合いを見る限り、マモンに対して有効打になるのは恐らくマルスだけだろ」
マモンの不満そうな顔はどうやら待ち人がなかなか現れないのが理由だったらしい。
「アズリカ、アキラを連れて他の応援に行ってください」
「ああ。行くぞアキラ。来たって事は秘策を用意してきたんだろ?」
ニヤッと笑うアズリカに腕を引かれた。
咄嗟に振り向けば、腰の辺りで小さく手を振るラピスと目が合った。
リーシェとラピス。二人が並んでいる姿は初めて見るのに、なぜかとても馴染んで映った。




