主神と眷属
明け方に到着した『リズィグル』は、東京のようだったセルタと様相が大きく違っていた。
街は緩やかな坂の上に築かれていて、全ての坂が交差する場所に巨塔が聳え立っている。都市の最も低い地点から最も高い屋根を伸ばす姿は悠然としていた。
一際目を引く白亜の巨塔を中心に、まるで中世ヨーロッパのような街並みが展開されていた。
凹凸のある石畳の地面が、のどかな営みに生活の音を与えていた。
日が昇ったばかりで人気の少ない街道を進み、リーシャに案内されてき巨塔の目前までやって来た。
ラピスたちが追いかけてきた緋色の髪を翻して、少女は巨塔について淡々と説明してくれる。
「これは『バベル』と言って、統治地域の本拠地に置かれる眷属の職場兼自宅です。司祭の居住区もバベルの中に用意されています」
「勝手に入っても大丈夫なのか?」
一応人様の自宅にアポもなく入るのは抵抗がある。
足を進めようとしたリーシャを引き止めたアキラに彼女は穏やかに笑った。短い間しか行動を共にしていないが、この人は本当に穏やかに笑う少女だ。春の陽気のように笑む時もあれば、冬の夜空のようにどこか儚げに笑う時もある。
そしてリーシャの笑顔を見ると、全てを任せても大丈夫なような気にすらなってくる。
包み込むようなカリスマ性と不思議な安心感を醸し出しているリーシャの肯定に、アキラもラピスも何も言えず巨塔に足を踏み入れた。
吹き抜けになっているのかと予想していたラピスを裏切るように、シンプルな天井があった。窓がない内部を照らすのは、煌々と輝く青白い石だ。
開放的で明るいことを想像していたために、余計に薄暗いと感じた。
キョロキョロと辺りを見回しているうちに、目の前に塔と同じ色の扉が出現する。先程まで何も無かったはずの場所に音もなく現れた扉を、リーシャは躊躇なく潜り抜けた。
後に続いた先でラピスたちを待っていたのは、橙色の髪を二つに結い上げた少女だった。
「『貞潔のバベル』へようこそ。困難な道のりを乗り越えたことを認め、あなた方を新しい司祭として正式に登録します」
鈴のように軽やかな声音の少女だった。細い手首には若草色のアミュレットが控えめに輝き、彼女もまたアズリカの司祭なのだと悟る。
「眷属が奥にてお待ちです。先へお進みください」
またしても音もなく、壁のないエレベーターが出現する。虚空に何かが現れるのはこの世界の常識なのだろうか。
丸い昇降盤の上に乗るとエレベーターはどんどん塔の上部へと上がった。巻き上げる鎖もないのに、魔法のような力で緩やかに昇っていく。
「これはどんな仕組みなんだ……ですか?」
橙色の髪を揺らす少女にアキラが問いを投げた。年下っぽそうだが司祭では後輩なので、不自然な敬語で疑問は吐き出される。
表情があまり変わらない少女は静かな声を発した。
「『主神』の御業によって動いています。今のように昇降盤を使用する際は、通常の重力の慣性に逆らう形となります。この昇降版は『バベル』にのみ設置され、『主神』が用いる力によって上下左右無理なく移動することが可能です」
「使う度に『主神』がいちいち力を奮うんですか?」
まるでガソリンスタンドだな、という後に続く呟きが聞こえてきそうだった。
「いえ。昇降盤には『主神』の『重力魔法』が付与されているので、使用する度にお手を煩わせることはありません」
自立式で動く昇降盤について説明されているうちに、目的の階に到着したようだ。
目の前には至ってシンプルな木の扉が、訪問者を招き入れるように鎮座していた。
「お待たせ致しました。これより先は『貞潔』を司る眷属アズリカ様の執務室となります。くれぐれも不敬のないように行動願います。それと、そちらのお方」
薄桃色の少女の瞳がスッとリーシャを見た。
「私が何か?」
「司祭の仮登録が行われていないようですので、これより先の立ち入りを許可することができません」
そういえばリーシャは司祭ではなかった。竜を撃退するほどの力を笑顔の裏に秘めているが、ここまで来たのは死にかけたラピスたちを案内するため。
ラピスとアキラがアズリカに会うために彼女の時間を割くのは申し訳なかった。
改めての感謝と別れの言葉を言おうとしたアキラを遮るように、リーシャは少女に清々しく笑いかけた。
「私は眷属の知り合いです。気にしないでください」
「……。そうでしたか、了解しました」
あっさりと引き下がった少女は控えめに木製の扉をノックする。すぐに聞き覚えのある子供の声が中から聞こえた。
「アズリカ様。先日、司祭の仮登録をしたお二方がお見えになりました。時間のご都合がよろしければ、本登録の承認をお願い致します」
言葉が終わらないうちに奥がバタバタと騒がしくなる。
子供が走る小さな足音が響き勢いよく扉が開かれた。
「はぁ!?仮登録は一昨日だぞ一昨日!!ただの人間にたった二日で道を乗り越えるどころか、竜を蒔けるはずがないだろ!」
司祭登録所の前で最後に見た十歳ほどの少年が、信じられないと驚きを顕にしながらラピスを見上げた。若草色の視線とぶつかり苦笑いする。
「おいラピス!お前一体どんな手を使って……て……え"?」
「こんにちは、アズリカ。元気な顔を見れて安心しました」
アズリカの目がラピスのすぐ後ろにいるリーシャに注がれる。
にっこりと満面の笑みを浮かべるリーシャと、固まったまま動かないアズリカ。二人の間には知り合い以上の関係があるように思えてならなかった。