神と異世界の少年
アキラがラピスとの別れの余韻に浸っていると、不意に地面が淡く輝き出した。
朝の清涼な空気が漂う森は途端に神秘的になり、好奇心から光源へ向かうと赤髪の少女の背中が視界に映った。声をかけようとした瞬間、少女の口から耳を疑う。
「どういうことだよ?旅は終わりって……!?」
戦いが終わったらラピスたちには平穏が待っているのではないのか。アキラは元の世界で、ラピスはこっちの世界で幸せに生きるのではないのか。
せっかく生き延びて平穏がすぐそこにあるというのに、なぜ『終わり』という言葉が出てくるのか。
「主神も一緒に平和に暮らすんだろ!?」
「……。アキラ、あなたは優しいのですね」
「話を逸らすな!俺の事なんか今はどうでもいいんだよ!」
僅かに表情を曇らせた後得意の微笑を乗せたリーシェを怒鳴り散らす。幼子の癇癪のようにも見える様子に少女神は何とも言えない顔をする。
「あなたも知っているかと思いますが、私について来てくれた眷属はみんな本来なら生きているはずがない人たちです」
アズリカから既に聞かされている真実に驚くことなく、しかし一定のやるせなさを覚えながら続きに耳を傾ける。
「私が殺したのです。あの時、我が身可愛さに私がみんなを殺して、アズリカの魂を凍結させました」
「は……?殺したって……そんなことアズリカは……」
アキラが聞いていたのは、眷属たちが死人であること。そしてリーシェのために力を貸してくれていることくらいだ。思ってもみなかった真実の中の事実にアキラは激しく混乱する。
そんな少年の様子に少女は瞠目しながら真相を語っていく。
「私はこの谷で、罪人の父と王族の母との間に生まれた人間でした。私が普通なら父と母と三人仲良く穏やかに暮らしていたでしょう。ですが、この身に宿った『伝説の力』がそれを許しませんでした」
淡々と語られていく主神がまだ普通の少女だった頃の話。
幼少期から波乱に満ちた生き方は、恐らく他の誰であっても死を選んでしまいそうな壮絶な内容だった。捨て子、虐待。傷だらけの体で願ったことはひたすらに『平穏』だった。
せっかく逃げ延びた先で願いを叶えようとしたリーシェの元に訪れたのが、王族としてやってきたラピスだったという。
「ラピスの目的は、不完全な『伝説の力』を完成させるために私を殺すことでした。……後にそう仕向けたのは惑星の使徒の一人だったことが判明していますが、当時の私にとっては悲しい事だった」
伏せられていた目がそっと開かれる。微かに森の木漏れ日のような虹彩を浮かべたオッドアイは、ゆっくりと空を見上げた。
木々で狭められた青空の向こうに何を見ているのか、リーシェの横顔はひたすら穏やかだった。
「その後、色々あってラピスとは和解して、アズリカと出会いました。多くの旅の途中で今の仲間と出会えました。旅が終わりに近づいた頃、私は当時の眷属の手で一度殺されました」
話の多くは省かれながら、要所要所をリーシェは語っていく。アキラの常識の範疇を超えた生き様に言葉も出なかった。
「その時は別に死んでも良かったんです。罪悪感とか虚無感とかで色々限界だったので。死と生の世界の狭間でスティさんに会いました」
十年間少女を虐待し、何度も立ち塞がった女性の名前を彼女はとても愛おしそうに呼んだ。
「スティさんは信じられないほどすごく不器用で、鞭と飴の配分をかなり間違えていただけでした。私のことを実は愛してくれていて、自身の本質を変化させてまで、私を守ってくれた。それに気づかず彼女を殺してしまった私の中にもしもの時に備えて、命の欠片まで残しておいてくれました」
スティに発破をかけられ新たな命を受け取ってリーシェは復活できたらしい。その時点で既にリーシェは『世界のシステム』から弾き出されていた。同時に『神』と同じ存在に至った。
「多くの不幸の元凶であった『唯一絶対神』を一人で討伐するために、私は単独行動を取りました。その間に一つずつ確実に……私が生きた記憶は地上から抹消されていきました」
「!?」
そこまで聞いてアキラは思い至った。以前眷属たちが口を揃えて言っていた『罪滅ぼし』や『贖罪』の意味がようやく理解できたからだ。
「死んだことで私は人間ではなくなった。『神』の後継者として『伝説の力』を与えられた死に戻りの私についた肩書きは『神』でした。単独行動をしたのも目の前で友人の記憶から私が消えるのが怖かったから。私は寂しがり屋で孤独が大嫌いで、スティさんから貰った命の次にラピス達のことが大事だったから」
世界を遊び半分で統治していた『唯一絶対神』との戦いはまるで遊ばれているようだったという。
相手がリーシェを殺そうと思えば簡単に殺せる状況で、『神』は何かを待っていた。すなわち、ラピス達の到着を。
最も少女が遠ざけたかった展開を、笑いながら招き寄せたのだ。
「そして『絶対神』の思惑通り、私はラピスたちと邂逅しました。顔を合わせて話しているうちに、心の繋がりが遅かった者から順に私を忘れて攻撃してきました。攻撃された私を庇った人が次の一瞬には一緒になって斬りかかってきました。怖くて、悲しくて、心が痛くて……気づいたら私はラピスとアズリカ以外の仲間の命を奪っていました」
当時の感情を思い起こしているのか、少女の華奢な体が震えていた。声には嗚咽が混じり、ようやく見えた人間らしい主神の様子にアキラは何も言えなくなる。
一際強く目元を歪めた後、リーシェは言った。
「そしてついに、ラピスの記憶から私が消えました」
アズリカより先にラピスに影響があったのは、心の底から本音でぶつかったのがラピスの方が後だったからだと言った。
「アズリカは、私が記憶から消える前に魂を凍結させて欲しいと言いました。成長も止まり、不老も死も無くなる一種の『死』を望まれて一人になりたくない一心で私は実行しました」
だからアズリカは他の眷属と違って『死者』にカウントされていない。しかし魂は限りなく死に近い状態を保っている。そのため、凍結させていた魂を本来の状態に戻した時途端に寿命が進むらしい。
他の眷属たちの場合、主神によって呼び寄せられた魂が与えられた役目を終えれば、死の世界に返還されるという。
だからこその『終わり』だと、リーシェは告げた。
過去の亡霊は消えて、在るべき世界に戻る。リーシェとアズリカたちの『終わり』は、新世界の『始まり』なのだと言った。
「ラピスは……?ラピスはどうなるんだよ!?」
「ラピスは、魂を異世界に避難させただけです。記憶がどうなるかは私にも分かりませんが、新しい世界で生きていくでしょう」
「勝手すぎるだろ!そんな結末じゃラピスが辛いだけだ!アイツが何のために頑張ってきたのか、主神にだって分かってるんだろ!?」
激しい怒りのままに問い質す。目頭が熱くなり、あまりにも可哀想な親友を思って胸が苦しくなる。
アキラを見て主神の表情は能面のようになった。そして吐き捨てるようにぶつけられた言葉に、少年の頭は真っ白になった。
「元の世界に帰るあなたには関係ないでしょう?」
「……っ!」
視界が真っ赤に染まる。
一気に沸点を飛び越えた怒りのままにスキルを行使した。
「捕らえろ!!」
たったそれだけ。少女を締め上げたい一心で叫んだ言葉通りに、幾本もの蔦や葦が神体に絡みつき捕縛した。
抵抗することなく捕まったリーシェは、しかし不愉快そうに眉を寄せている。
「これは……そうですか、これがアキラのスキルの本当の効果なのですね」
アキラが引きずり出したスキルの本質を『創造者』と名付けたリーシェは、表情を僅かに和らげた。
「自由に事柄を書き換える能力。あなたがイメージした相手に陥らせたい状況に、魂の状態を強制的に書き換える力……。自分の力で道を拓いてきたあなたにピッタリなスキルですね」
「うるさい!お前なんかにラピスを預けられるか!」
空気を思い切り吸い込んでアキラは叫んだ。
「ラピスがこの世界で幸せに暮らせるように、俺が結末を変えてやる!帰るのはその後だ!!」
豪語に目を大きくさせるリーシェ。
ずっと帰りたがっていたアキラの変わり様に首を傾げていた。
戸惑いついでに蔦を燃やされて自由を得た少女神は、早すぎる切り替えをした後ニコリと笑った。
「では早速頼みたいことがあるのですが」
「図太い!メンタルが強すぎる!」
「それが私の取り柄ですから。アキラ、結末を変えたくば『創造者』の能力をさらに開花させてください。手始めに蘇った旧眷属の魂を在るべき形に書き直すところからです」
ついてきてくださいとでも言うように、アキラの方を振り返りつつ道の先を行く少女。置き去りにされても何が出来るわけでもなく、非常に癪だが大人しくついて行くことにした。
連れてこられたのは、墓前だった。
寄り添うように並び立った簡素な墓は、作りの割には全く老朽していなかった。木の棒を立てただけなのに、世界から切り取られたみたいに真新しかった。
「ここは?」
「私の両親のお墓です」
サラッと言われた正体に足が止まる。謎に緊張するアキラを気にもせず、少女はそっと左側の墓に手をかけた。
「『我が父へ願い奉る どうかこの者へ勇気の剣を』」
不意に右手がずっしりと重くなった。驚いて見下ろせば、いつの間にかアキラの手には細身の刀が握られていた。
リーシェは次に、右側の墓に手をかける。
「『我が母へ願い奉る どうかこの者へ友愛の翼を』」
フッと体が軽くなった。今なら空中でバク転を三回はできそうである。
リーシェは振り向くと自身の胸に手を乗せた。
「『我が力へ願い奉る どうかこの者へ守護の盾を』」
三回目は大きな変化は感じられなかった。
首を傾げていると、少女が微笑みながら教えてくれる。
「あなたは絶対に元の世界に帰します。そのためには当然あなたが無事でなければなりません。故に、戦うための武器とさらなる身体能力。そして決して攻撃を通さない絶対の防御力を与えました」
「なんでそこまでして……」
俺を気遣ってくれるのか、という問いは彼女の満面の笑みに吸い込まれるように途切れた。
「ラピスの大切なお友達ですから」
理由はそれだけで十分だとリーシェは笑う。
「私と両親からの贈り物です。……私も誰もが消える結末は回避したい。そのために異世界から来たあなたの力は必要です。どうか、無茶だけはしないように。勝って、望んだとおりのシナリオにしましょう」
リーシェが指先で空間を切り裂く。
すっかり見慣れた真っ白の『裏側』に飛び込む。後ろでリーシェも『裏側』に入り、彼女の先導で『神殿』へ向かう。
お互い無言のまま、数分も歩かないうちに『神殿』の座標へ到着した。
笑んだまま神は出口を開いた。
真白の空間を裂いた向こう側で、背の伸びたアズリカが戦いを繰り広げていた。




