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感謝と別れ

 ブツンとやや雑な音で繋がれた交信を受け取ったアズリカは、フェンリルのアミュレット越しに聞こえてくる喧騒に起こっている事態をすぐに理解した。

 苛立ちがはっきりと感じ取れるライザの声。聞き覚えのある声と言い争っていた。言い争っている相手の声を聴いて脳裏に浮かんだ女性の顔を、ありえないと首を横に振って打ち消そうとする。


『役に立たない人形はいらない。未練を叶えたかったら大人しく従いなさい』


『何か勘違いしているようですわね。あなたに従う?夢を見るのも大概になさいませ。神以外に我らが服従を誓う相手はおりません。少なくとも私は私の意志で動かせていただきますわ。大前提として、アスモデウスを解放していただけませんことにはまずあなたから消させていただきます』


 丁寧な口調で吐かれる毒。そしてアスモデウスという名前。間違いなく、リーシェを殺しその直後にラピスとアズリカが討伐したレヴィアタンの声だった。よく聞けばほかの眷属の声もガヤみたいに聞こえてくる。


 上空の動向を見守っていたアズリカはすぐにリーシェに念話を繋げた。


「リーシェ、緊急事態だ」


 予想よりはるかに早く表れた惑星の使徒と相対しているリーシェにも余裕がないのか、響いた声は僅かに強張っていた。


『どうしました、アズリカ』


「どんな手を使ったのか知らないが、以前撃破した前神の眷属たちが『神殿』に集結してる」


 しばらくの沈黙。この間に地上を探っていたらしくリーシェも状況を確認したようだった。


『クレセントを追い込んだことでライザの精神に影響があったようです。見たところ、全員がまとまって襲い掛かってくることはなさそう。彼らをまとめるのはあの間者には無理でしょう』


「だがライザの思惑とは外れる形でも何人かはこちらに戦いを挑んできそうだ」


『ええ、時間の問題でしょうね。残念ですが使徒と眷属を抑えられるほどこちらに戦力はありません。戦う意思を明確に表していない眷属から味方に引き込みましょう』


「説得の方法は?」


 答えが分かり切っているが一応の確認に、リーシェの声に微かに笑いに響きが滲んだ。きっと真上では不敵に笑っているのだろう。


『言葉が通じる相手ではありません。実力行使で屈服させてください。そのくらいの時間は使徒も待ってくれるでしょう』


「了解」


 念話を切る。会話を共有していたフェンリルも命令を受託し静かに通信を切った。

 リーシェ同様挑戦的に笑ったアズリカは待機していたラピスを見た。

 クレセントが去り存在がバレる危険性がなくなった少年は、『月』への抵抗の証拠として赤色に代わっていた瞳をもとの金色に戻していた。


「アズリカ。そろそろ俺も役に立たせてくれ」


 長い間アズリカの心に空いていた穴が埋まるような、泣きたくなるほどやさしい雰囲気のラピスがいた。

 クレセントの力が最弱まで弱まり、奪われていた『記憶』が少しずつ戻ってきているのだろう。苦難を乗り越えた『強さ』とラピス本来の『人格』や『精神』も一緒に。あと数時間もすれば三千年前に離別したきりだったラピスに戻るはずだ。


 そんなラピスを見て分かりやすく複雑な表情を浮かべているのはアキラだ。結局何もできなかったと先ほどまで地面を弄っていた少年は、寂しそうな顔をしていた。その目が少し潤んでいるのは見ていないことにした方が良いだろうか。


「過去の眷属が『神殿』に復活している。俺と『貞潔』の司祭は先行しているフェンリルと合流し、味方にできそうな奴を引き入れる。……アキラ、お前はどうする?」


 アズリカの司祭の一人であるアキラ。しかし彼は巻き込まれた被害者であり戦いに参加する必要はない。アキラを無事に世界に送り届けることは最重要事項の一つだ。ここで待機し、リーシェに帰してもらうのがこの少年にとって最善の策だろう。

 その上でアキラに意思を問うアズリカは内心申し訳なく思っていた。ここで待っていろと言えないのは、少しでも戦力が欲しいからだ。厳しい選択を強いていることは十分に理解している。それでもアキラのスキルはいざという時にとても役に立つ。本当にピンチの時、上書き能力ほど強力なものはない。攻撃も牽制も補助もできるのがアキラのスキルだ。


 ラピスも横で静かに見守る中、アキラが出した答えは「同行」だった。


「知らない奴らといるのはごめんだ。俺にできることなんてないけど連れて行ってくれ」


 自虐的で卑屈な言葉にアズリカは何も言うことができない。道に迷っている子供を助けるのはいつだってリーシェだったから、こういう時どんな言葉を掛けたらいいのか分からなかった。

 中途半端な励ましはアキラに失礼だ。かといって過度な期待はアキラの重荷だ。

 頷くことしかできなかったアズリカが歩き始めるのと、後頭部に衝撃が走るのは同時だった。


「勇気を振り絞って行動を起こす者に何も言わないとは何事ですか!」


 びっくりして振り向けば随分久しぶりに顔を見たアイラだった。オレンジ色のツインテール。同じ色の三角の耳は怒っているようにピンと立っていた。『ノヴァ』が地上で確認できた際に『巫女』として町の浄化を頼んでいたが、『ノヴァ』が消えたことで合流できたらしかった。


 叩いた相手がアイラだったことで驚きが三割増しになったアズリカの目が点になった。


「え?え?」


「一番大変なのはアキラ様だというのにあなたまで暗い顔をしてどうするのですか!三千年以上生きている眷属ならドンと胸を張って頼もしい背中で導いてあげるべきしょう!」


「頼もしい背中って言っても俺の上背はアイラより小さいし……」


「そんな馬鹿話をしているのではありません!」


 ギャンと怒鳴られてアズリカの体がビクッと震える。姉に怒られている弟のような構図ができあがりアイラの後ろでラピスが肩を震わせて笑っていた。

 それを鬼に変わった少女は見逃さなかった。


「あなたもです!他人ごとではありませんからね!?やっとのことで『浄化』を終えて戻ってみれば、二人してなんという無様を晒しているんです!?はっきり言ってアキラ様に対してやってることは最低です!眷属の風上にも置けません!同じ司祭であることが恥ずかしい!」


 ボロクソに言われている二人の背中がどんどん小さくなっていく。相当お冠なようでアイラの説教はシノブの咳払いが鳴るまで止まらなかった。


「アイラ殿落ち着いてください、アズリカ殿もラピス殿もそうしたくてした訳じゃないのです。アズリカ殿はともかく、ラピス殿も余裕がなかった」


「……そうでした。今は怒っている状況ではありませんね」


 シノブの宥めにようやく留飲を下げたアイラは一度深呼吸すると、ずっと居心地が悪そうにしていたアキラに歩み寄った。

 数か月前はアズリカに軽口を叩く度にアイラに怒られていたアキラは、瞳を揺らして少女を見つめた。


 アイラは幼い子供のように服の裾を摑んでいたアキラの右手を握ると、少しだけ目元を和らげた。


「大丈夫ですよ、アキラ様」


「え……?」


「あなたは十分がんばっています。目に見える成果を出すことがすべてではありません。アキラ様は生き残っているだけでとってもすごいです」


「でも俺は……」


「アキラ様。あなたがいた世界は……住んでいた場所には戦いがなかったと聞いています」


 目を逸らそうとする少年の顔を覗き込んでアイラは優しい声で語りかけていった。


「その手をどうか汚さないでください。この世界では叶えられなかった別種の平和をどうか大事にしてください。血腥い戦いに身を投じる覚悟なんてしないで。あなたは変わらずあなたのまま、妹さんの元に帰ってあげてください」


 変わらないことが何よりの勝利だとアイラは言った。変わろうと気を張って、変われずに気を病んでいたアキラは大きく目を見開き大粒の涙を流す。


「どうかこんな世界で強くなろうとしないで。アキラ様の心は一番大切なものをまだ失っていません。その尊さを捨てようとしないでください。ここに残って主神様に会えばあなたは帰れる。それでいいんです。アキラ様はもう十分頑張りましたよ」


 アキラが望んでいたのは励ましでも期待でもなく『赦し』だった。少年が欲しかった言葉を贈った少女の尾が金色に輝く。

 巨大な九つの尾が膨れ上がりうち一つが霧散して消える。稲穂を思い起こす輝きは気ままに宙を舞い、溶けるようにアキラの胸に沈み込んだ。


「ここにいて。もし何かあっても、私の一人があなたを護るから」


 アイラがそっと手を離す。最後にも一度微笑みかけて踵を返した。


「時間をありがとうございました。『神殿』に急ぎましょう」


「ありがとうなアイラ。不甲斐ない俺の代わりにアキラを助けてくれて」


「お気になさらず、アズリカ様」


 まだ怒っているのかツンと言葉を返すアイラ。アズリカはその様子に苦笑してからアキラに頭を下げた。


「アキラ、どうやらここでお別れだ。俺の司祭になってくれて嬉しかった。この世界のために頑張ってくれて嬉しかった。ありがとう」


 アズリカが『裏側』を開く。足早に出発するアズリカに続いてシノブも会釈して白亜の中に消えた。

 変わらず笑顔のアイラも後を追い、最後にラピスとアキラだけが残された。


「ラピ、ス」


「アキラ」


 大股で近寄ったラピスは力強くアキラを抱き締めた。

 アキラの涙で肩が濡れるのも構わず、思いをすべて込めるように強く強く硬い抱擁をする。


「楽しかった」


「!」


「あの世界でお前がいなかったら俺はここにいなかった。きっととっくに死を選んでいた」


 寂しくて。寂しくて仕方がなくて。その寂しさを埋める方法が分からなくて、ラピスは半分無気力になっていた。

 世界に一人取り残された気がして、両親だと刷り込まれた存在に少しの違和感を覚えていた。

 ひどく喉が渇いていて、何をしても乾きが癒えることはなかった。


 だけどアキラに会って寂しさがマシになった。渇きが気にならなくなった。あの世界でアキラはラピスにとって唯一だった。


「ありがとう、俺の前に現れてくれて。ありがとう、俺と友達になってくれて」


 もっと伝えたいことはたくさんあるのに感謝の言葉しか出てこなかった。


「帰ろう。お互いの元いた世界に。俺はこっち。お前はあっちで頑張るんだ」


 かけがえのない出会いをした。絶対に交わることのない世界同士が繋がって起きた奇跡だ。

 感極まるラピスの目からも涙がこぼれる。嗚咽交じりにアキラは言った。


「ありがとうなんて、こっちのセリフだ馬鹿!お前が俺を助けてくれたから俺は妹とまだ生きてる。お前がッ!支えてくれたから俺は頑張れたんだ……!」


「ああ。けどもう、俺がいなくても頑張れるよな?」


 ラピスの背中にも腕が回される。伝えきれない想いを流し込むように震えるほど強く抱擁した。


「ラピスこそ、俺がいないからって不貞腐れるんじゃないぞ」


 体を離してお互いに挑発し合う。これが二人の間でいつもやっていた『激励』の方法だった。

 当たり前だと笑ってラピスも『裏側』に足を踏み入れる。笑って見送る親友の姿を目に焼き付けて、黒髪の少年は本来の場所へ戻っていく。


 三千年前から今にかけての多くの物語が紡がれるに至ったすべての始まりである深い谷で、また新しい物語が始まろうとしていた。或いは再開されようとしていた。


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