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タイムリミット

 クレセントと戦いを繰り広げながら、リーシェは知らず自嘲気味な笑みを作っていた。

 つくづく戦いづくしの人生だったなと、今更になって思ったのだ。


 棺の中で眠っている間、何度も考えた。

 もしあの時、スティから逃げることを選ばなかったらどうなっていただろう。

 もしあの時、川に流された先がセルタじゃなかったらどうなっていただろう。

 もしあの時、ラピスを一目見ようと町に降りなかったらどうなっていただろう。

 もしあの時、もしあの時と何度もあったかもしれない未来を想像した。


 行き着く結論はいつも一緒だ。

 もしあの時ああしていなくても、こうなる運命は変わらなかった。

 望みに手が届かず、もがき続ける人生は何も変わらずそこにあっただろう。

 変わることがあるとすれば、その人生に大切な人たちがいないこと。共に苦難を乗り越えて笑い合えた仲間たちが、隣に並び立たないこと。


 そう考えれば、リーシェという少女の人生は最高の形であると言える。


 愛する人。かけがえのない仲間。守りたいと思った友。

 贅沢な人生だった。幸運に満ち溢れた人生だった。


 自嘲的な笑みは三度目のクレセントとの拮抗で誇らしげなものへ変わる。

 その表情にクレセントは最大限の警戒をした。


『月』の『管理者』は知っている。

 この魂を観測していた間の統計データで、リーシェの顔から憑き物が取れた時が一番危険だということを。

 人型衛星は脳内にけたたましく警鐘を鳴らし、後退する形で距離をとる。


 正しい判断だった。

 一瞬前まで青年がいた場所には、巨大な杭が突き刺さっていたから。


「これは……杭?」


 何の支えもなく宙に突き立つ棒を、雷槌を左手に持ち替えたリーシェが抜き取った。

 杭の中央は赤く刃の部分は金色に輝く武器は気まぐれに黒い稲妻を走らせている。


「あなたとの戦いで生き残り、その後も何事もなくアキラを世界へ返したら……私の役目はそこで終わりです」


 杭が何も無い空間を引き裂く。

 距離をとったクレセントにはもちろん届かない。しかし、新たな二本目の杭が降りリーシェの動きに気を取られていたクレセントの左足を貫く。


 実体のない金の鎖が杭を起点にして青年の足を絡めとった。


「……!()()に片足を突っ込んでる分際で俺の魂を繋ぎ止めるとか生意気」


「冥界に片足を突っ込んでるからこそ、生者の魂を操作できるのでしょう」


 杭の刃がリーシェの皮膚を一枚目切り裂く。

 滴り落ちた血が空中で波紋を描き、小さな波のように空全体に広がった。

 じわじわと接近していた月も動きを停止し、クレセントの思惑が阻止された。


「月とアースを衝突させて、確実な支配権が欲しかったのでしょうが、そう思い通りにはさせません」


 リーシェは眠っている間、欠落している『知の力』を少しでも補うために様々な事を勉強していた。

 利用できる事柄や好奇心で調べたことの中から、『月』と『アース』の関係性にある程度の予想をつけていた。


 人が地上に住み始めるよりずっと昔。

『アース』に巨大な隕石が落ちた。容赦なく『アース』の一部が砕け、やがて星の破片は衛星になった。

 衛星は後に『月』の名を賜り、人が誕生した地上を観察し始めた。『アース』の状況をより見やすくするために、『唯一絶対神』と結託。やがて『唯一絶対神』は後継者を見出すために『伝説の存在』というシステムを作り出した。

 困難を乗り越える力を気まぐれに与えて、力以上の困難を運命的に仕込む。挫ける者は見捨てて、ダメなら次の命に手を伸ばす。


 魂そのものに手を出す行為は『神』とて簡単に成せることではない。運命を定め宿命を背負わせる直接的な行為は、『月』ならではの権限だ。『神』にできるのはせいぜい間接的に影響を与えることくらいだろう。


 シュウナを苦しめた不老不死の呪いと『伝説の力』。

 ラピスに孤独を背負わせた『知の力』。

 リーシェの人生を普通とは大きく変えた。『技の力』。

 各種族の固有能力も恐らく『伝説の存在』に、より辛い境遇を与えるためのトリガーの側面もある。


 暁のタトゥーが描かれた頬を涼しげに保たせたまま、クレセントは杭を勢いよく引き抜いた。鎖は足に絡みついたままだ。

 杭引き抜いても『月』の接近は再開されない。因果を作り出すために刺した杭はすでに魂を穿っている。何をしても、彼は宙にも大地にも帰れないのだ。

 巨大なクレーターが幻想的な満月はこれ以上どこにも行けない。


「神に頼らず、地上に根を下ろし、全生物の命を掌握する?反抗する者は淘汰し、自分にとって都合のいい存在を利用する?……少し調子に乗りすぎなんじゃないですか」


「それは俺の台詞だよ。おまえこそ、偶然成り上がった『神』のくせに俺の進行を阻むとか調子に乗りすぎ」


 一歩も引かない両者の間にバチバチと火花が爆ぜる。


「枯渇した『神性』。冥界の杭。おまえ、もう生きようなんて思ってないでしょ。恩人から貰った命とやらはどうした?亡き両親が守り抜いた自分が大好きなんじゃないのか?おまえが成しえていることはどれも『生きる』とは真逆の技だよ」


 リーシェの状態の核心をついたクレセントの声はやたら空に響いた。覆しようのない事実だから耳に残ったのかもしれない。


「平穏に暮らしたいんでしょ?なら黙って寝るか殺されるかしなよ。死にたがりの足掻きは無駄で無意味でそれ以上に滑稽だからさ」


「可哀想に」


「は?」


 ポツリと告げられた一言。憐れみのこもった青い瞳は青年の心の波を荒立たせた。


「この命は今だって変わらず宝物です。平穏な暮らしももっとたくさん送ってみたかった。でもね、クレセント」


 リーシェはニコリと笑った。

 達観しているような苦労人の笑みでもなく、何もかもを見透かしていそうな神の笑みでもない。

 一人の人間の女の子が、恋に花を咲かせている時のような。または何も気にせず友人と語り合っている時のような。

 幸せそうで。満足そうで。嬉しそうで。とても眩しい、無邪気な笑顔だった。


「それ以上に。私の命よりも大事なものができたの。スティさんが守ろうとした停滞の先に、素敵なものがあったんです」


 それは仲間。

 手を借りあって。手を貸しあって。時には対立し、力でぶつかった時もあった。間違いを犯したら罰を与えて、間違いを指摘されたら罪を償う。本音でぶつかり合える特別な友達。


 それは恋人。

 辛い時は隣で一緒に泣きたい。嬉しい時は何も考えずに大口を開けて笑って、道に迷いそうな時は手を繋いで共に歩く。同じ場所にいても、彼が今何をしているのか気になって。手の届かない離れた場所にいたらそっと無事を祈る。


 それは自然。

 いつだって見守ってくれた大きな母のような存在。ままならないもどかしさも、上手く成功した時の嬉しさも、色々なことを時間をかけて教えてくれた。


 そっと地上を見下ろせば、人々の笑顔が見えるようだ。

 東でも西でも笑い声が響いて、北でも南でも涙を拭って強くあろうとする人がいる。


 良い星になった。

 楽しさばかりがあってもきっとつまらない。少しの苦しさが時には必要で、一人じゃ乗り越えられない時はみんなで手を取り合う。


 簡単じゃないか、と笑みを深めた。


「私の平穏はここに成りました」


「……」


「三千年前成し遂げられなかった悲願を、今ようやく達成したのです」


 夜明けが来る。

 輝きを失う月に怯えていた顔を出すように、地上でポツリポツリと灯りが点っていく。

 朝靄のかかる薄暗い朝の清々しい空気を肺に取り込んで、星はまた朝を迎えた。


「見なさい、クレセント。これが私の『アース』、いいえ……生命の独壇場。この星にあなたが介入する余地は微塵もない」


「知らないよ、そんなこと。ここは俺の独壇場だ」


 四度目の拮抗。

 杭とクレセントの白銀の鎌が交差する。

 リーシェが左腕を振れば雷光が降り注ぐ。クレセントが足を振り抜けば躱したリーシェの背後で雲が割れた。


 五度目の拮抗でクレセントの口が言葉を紡ぐ。


「"十六夜(いざよい)"」


 瞬間、『管理者』の動きが爆発的に加速した。

 目では追えても体が思う早さで動かず、リーシェは察する。

 クレセントが早くなったのではなく、リーシェが遅くなったのだ。


 十六夜。本来はゆっくり上る月に対して使われる言葉。しかしクレセントは現象を逆転させ、リーシェの動きを緩慢にさせた。


 クレセントから見たリーシェは恐らくナマケモノくらいに見えているはずだ。


 凄まじい速度でクレセントの踵が振り下ろされる。竜の体すら容易く破壊した脅威の脚が容赦なくリーシェの首に叩き込まれた。


 ゴキン、と嫌な音が響き薄明に朱が加わる。

 速度の制御を解除された少女が力なく項垂れピクリとも動かなくなる。


 地面に叩きつけようと再度降ろされた足首を、絶命したはずのリーシェが勢いよく掴んだ。


「一瞬視界が暗くなりましたが……さすが冥界に半分飲み込まれているだけのことはあります。一回殺したくらいじゃ死にませんよ」


 足首を折るつもりで振り回す。途中、鎌が首を刈り取ろうと銀光を閃かせるが、綺麗に避けつつ遠心力を使って青年を放り投げる。

 平衡感覚を失ったクレセントが復帰するより早く、リーシェがとっておきを披露する。


「回した目でとくと照覧しなさい!これが私自身の力です!」


 杭も槌もクレセントに向かって適当に投げつけてから、空いた両手の指を交差させて組む。

 祈っているようにも、格子のようにも見える組み方を胸の前で強く握りしめた。


「スピカっ!!」


 空が震えた。

 いくつもの流星が明けの明星を照らし出す。

 金色の飛翔体が連なって降り注いでくる様は、秋空を背景にした稲穂のようだった。


「星座の一部を操った……!?」


 さすがに驚愕したクレセント。驚き顔はみるみる照らし出され、やがて彼の姿を溶かしてしまう。

 光の中に消えた青年が次に見えたのは、全ての穂が命中し爆発的な威力を発揮し終えた数分後だった。


 これほどの攻撃をしてなお、クレセントは息をしていた。

 ほぼ虫の息だが、放っておいても瀕死の状態を何とか維持し続けるだろう。


「終わりですね」


 淡々とリーシェが言えば、血が溢れ出るのも構わず青年は肩を揺らして笑った。


「終わり?違うよ、これからだ。真の戦い。真の蹂躙は。おまえらはやりすぎたんだ。宇宙の平定を壊してしまったから……俺たちの主神が判決を下す。迎えが来るまで俺は『月』で休んでいるとしよう」


 相手の体が月光を彷彿させる青白い光の粒子になって消えていく。捕縛を検討していたリーシェが慌てて制止しようと伸ばした腕が光線に焼き貫かれた。

 上を見上げれば、遥か彼方に七人の影があった。シルエットだけで顔は見えず、しかし圧倒的な存在感を感じ取れる。


「スピカ……乙女座、穀物、おまえの前世。誕生月と人生の象徴と前世が偶然一致するとか……。本当に運頼みの女だな」


 その言葉を最後にクレセントの体が完全に消える。

 長年の敵を打ち倒したというのに、七人のシルエットのせいでリーシェの心は少しも晴れなかった。

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