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親子の絆

 痛い、という感覚に頭を支配されるのはいつ以来だろうか。

『ノヴァ』の爆死に巻き込まれて致命傷を受けたシュウナは、落下しながらまるで他人事のようにそんなことを考えていた。


 左腕は爆発で吹き飛び、右腕の指には刀身が半ばから折れた刀が辛うじて引っかかっている。背中は抉れているが、爆発の火で傷口が焦げて出血していないのは不幸中の幸いと言える。しかし『幻刻』を使う余力も残っていない。


 恐らく無理に動けばすぐに背骨が空気に晒されてしまう。思考が未だにできることが異常だが、眷属ゆえの頑丈さが発揮されている証拠だ。


(……結局、半日しか時間を稼げなかったか……)


 もうシュウナは満足に動けない。中途半端に体が残ったせいで、『月』の手で魂を弄られるのも時間の問題だろう。いっそ木っ端微塵になってしまえば肉体を介して干渉されることもなかったのに。


 シュウナが敗れた今、抑えていた『ノヴァ』は『アース』全土に侵攻を開始する。リーシェがいる迷宮を集中的に攻撃しつつ、他の地上の生命体を支配下に置くつもりだろう。そうなれば『アース』全土の生き物が『世界のシステム』の操り人形になる。勝ち目はゼロになる。


『重力魔法』のバリアも長くは持たない。数時間もしないうちに地上のあちこちで戦いが始まるはずだ。


 その戦いに備える時間を二日稼ぐのがシュウナの役割だった。

『ノヴァ』の迎撃と『アース』の防衛はもちろん、『月』側の管理者を引きずり出すつもりでもいたのに、なんという無様な有り様か。最強の女王と称えられ恐れられ知らないうちに驕っていたのかもしれない。


 ぼやけた視界が少しずつ近づく地面を移す。

 普段ならどうってことない高度からの落下だが、この傷では一溜りもない。

『魂』は地底の本体に戻り、抜け殻になった体は『月』に奪われて痕跡を辿られて『魂』を掌握される。


 雨がのぼっていた。

 先程までの戦場を見上げながら落下していたシュウナを雨雲に見立てて、水滴が一つ二つと空へ上っていく。


 それは涙だった。


 痛みも悔しさも悲しさも恐ろしさも全て込められた透明な水滴が次々と溢れてこぼれていく。


(……っ止まれ!敵に負けて涙を流すなど、屈辱でしかなかろうが!止まれ!!)


 止まらない。

 ぼやけた視界が余計に像を結ばなくなっていく。顔が熱くて顔をクシャクシャに歪ませる。


 だからシュウナはすぐには気づけなかった。


 落ちるシュウナに向かって伸ばされる白い腕と、それを遮るように翼を広げる紫黒の竜に。


 緩やかに落下が止まる。

 これ以上のダメージが入らないように気遣われたのか、極めて緩やかに体は上空に留まった。


 辛うじて動く右腕で目元を擦ってようやく、対峙する黒髪の青年と紫黒の巨竜を認識した。

 シュウナを背に守るように相対する竜。その後ろ姿は見覚えがあった。


(ぬしは……レウス)


 声も出せない少女の呼び声に答える代わりに竜は噛み合わせた牙の隙間から唸り声をあげた。


 レウス。それは唯一絶対神の人間の部分を集めて作り出されたかの神の半身。リーシェが絶対神を撃破したのと同時に、神に引っ張られるようにして命を散らした最強の竜であり最強の王者。

 そして竜が幼い頃『家族の愛』に飢えて放浪の旅に出ていたシュウナが、幻馬と一緒に世話をしたこともある……子供のような存在。


 動きやすいからと人型で動くことが多かったレウスが、竜の姿で飛び回っているのが確認されたのは五百年ほど前。比較的最近だ。


 自我はあるのか。目的はあるのか。そもそもなぜ復活できているのか。


 不明な点は多いが特別な調査は行わなかった。


 そっとしておいてやれ、と他の眷属をシュウナが説得したのだ。

 唯一絶対神は確かに地上の生命に対して少々実験的な部分はあった。しかし害そうという明確な思惑があったわけではなく、あくまでも『神』の尺度で物事を解決させようとしただけ。

 その半身であるレウスにも攻撃する意思はないだろうと。そう思ったのだ。絶対神の半身であれば残滓のようなものであっても『世界のシステム』に簡単には干渉されないはずだ。だからシュウナはレウス自由に過ごさせていた。


 世界を転々と飛び回っていたレウスは、やがて霧の深い湿地の森に居を構えた。深い森の木のうろで長い時間眠り、時々姿を見せて忽然と消える。


 最近ではラピスに接触していたはずだ。


(レウス、逃げるのじゃ……今のぬしでは前のようには戦えんじゃろう。わしのことは放っていけ)


 思考を読む力があるのだと一瞬で理解できたシュウナは、念じてレウスに退却を願う。強く命じることができないのは、今の状況に少なからず安堵しているからかもしれない。


 頼もしくなった背中に、遠い遠い昔の頼りなかった背中を重ねる。

 蜥蜴と間違えてしまいそうな小さな竜は、まるで母親を労わるようにシュウナを紫色の半透明な球体に入れた。

 どうやら球体には『幻刻』と似たような能力があるようで、じんわりと傷が塞がっていく。完治には至らない範囲の交換だが、雲泥の差だった。


 声を出そうと喉に力を入れれば、体が叱責するように喉奥から血がせり上がってきた。内臓の傷はまだまだ重症らしい。


 黙って状況を見守ることにしたシュウナの目の前で、レウスを見下ろす青年が眉間に皺を寄せた。

 灰色のヴェールからこぼれる前髪の下で、黄赤の虹彩がギラりと眇られる。


「何、おまえ。データベースに情報がないってことは、おまえも僕の目を欺いてるってことだよね」


 首の白いチョーカーに触れながら青年はそれっきり口を閉ざした。ただしやや半目だった目は大きく見開かれ、余すことなくレウスを観察している。


 隙が一切ない『月』側の人物にシュウナを庇う竜は迂闊に動けない。

 数秒後、青年はレウスの存在にある程度の『あたり』をつけていた。


「見てもさっぱりだけど、僕の目に移らない『アース』の生命は限られてる。バグ以外の何かで見えないなら、"そういう契約"をした命と同じ『魂』ってこと。それなら簡単だ。おまえ、唯一絶対神の『人間的な部分』でしょ?」


 青年の問いかけより遥かに衝撃的な事がシュウナの目の前で起きていた。

『ノヴァ』が散った漆黒の夜空を埋めるように、圧倒的な存在感を放つ巨大な月が浮かんでいた。月面の窪みすら視認できる距離にまで、『月』が接近してきていた。


「どういう……ことだ」


 体が悲鳴を上げるのも忘れて、シュウナの血まみれの口から呟きが落とされる。

 耳ざとく声を拾い上げた青年がやや口角を綻ばせた。目はまったく笑っていなかった。


「おまえたちは不思議に思ったことないのかな。なぜ『アース』の支配権を宇宙空間を介した『月』が持っているのか。その理由を」


 声はもう出せない。ダメージも驚きも大きすぎて、目を見開くことしかできなかった。

 青年の問いを考えたことはあった。眷属間で話し合い、様々な憶測を立てたが確定的な推測はできなかった。


 地上を観察するなら離れたところから俯瞰的に見るのではなく、同じ地点から満遍なく見た方が確実にバグを見つけられる。万が一の時、ロスタイムなく侵略できるし、システムへの反逆者をすぐに始末できる。


 結局答えを出せなかった問題に対し、ようやく『月』から解答を用意された。

 と、思ったが。


「もうすぐ人形にするおまえには話すだけ無駄だから教えないけどね。教えるのはただ一つ。今から、解答を"再現"してあげるっていうことだけ」


 次の瞬間、青年の体が音もなく消える。

 掻き消えるとかそういう次元じゃなく、元からいなかったみたいにパッと消えた。

 不意にシュウナの頭上に影が指す。

 緩慢な動きで見上げた先には、振り下ろされた踵が迫ってきていた。球体に入っているシュウナに逃げ場はなく、あっても動けない。落とされる踵を見上げることしかできないシュウナと真顔で蹴り落とそうとする『管理者』。

 その間に太い尾が割り込み、間一髪でシュウナへの攻撃を防いだ。


「邪魔だよ」


 小さい子に言い聞かせるような声音で青年が呟く。

 鋭い蹴りがレウスの脇腹に入り、巨体がくの字に曲がるのを見た。

 骨が折れる嫌な音が響き一撃の重さを思い知らされる。


 牙の隙間から血を吐いたレウスは、しかし強引に体勢を整えると獰猛に『管理者』に顎を開いた。

 噛み砕こうと迫る竜を極めて冷静に見つめ、月を背景に青年は霞む勢いで右腕を一閃させた。


 限界まで開かれた竜の口がどんどん大きく裂けていく。下の顎はがくりと落ちて一筋入った赤い線は首の下の肉を全て切り落とした。

 明るい月のせいで影絵のようにはっきりと決定的な光景が翡翠の瞳に移される。飛沫をあげる鮮血が、それでも維持される球体に降り掛かってくる。


 崩れ落ちて、もがきながら落ちていく背中にかつての小さな背中が重なる。

 思い出されるのは、互いに庇護を必要とした薄暗くも温かさがあったあの日々だ。


 幼い人型の幻馬の方がシュウナより料理が上手だった。世話上手で、言葉の使い方も上手だった。

 幼い人型の竜の方がシュウナよりずっと人間らしかった。世渡り上手で、感情の出し方が上手だった。

 けれど彼らよりずっとシュウナの方が強かった。


 守って。守って。守り抜いて。

 やがて彼らは庇護を必要としなくなり、二人揃って仲良く巣立っていった。


(やめて……)


 シュウナの大事な子供たち。


(お願い)


 短い時間だったが、シュウナに『愛』を教えてくれた初めての子供たち。

 三千年前に別れを済ませたのに、彼らはまだシュウナに世話を焼いてくれるのだ。

 放浪する竜も、突然目覚めた『幻刻』も、最初はお節介だと思って、最後には嬉しくて笑っていた。


 仲良く去っていった後ろ姿を見送って、強く願ったことを今になった思い出す。

 それは普通の母親なら当たり前に抱く思いだった。


(元気でいて……死ななないで……)


 全身から力を振り絞る。

 竜の限界を叩きつけるように球体が消えて、シュウナの体も落下を再開する。


 痛いとか。怖いとか。くだらない、らしくない感情は空に置き去りにしてシュウナは血を吐いて叫んだ。


「お願い……兄弟を守って!『幻刻』!!!」


『ああ。アイツはいつも無茶をする』


 耳元でそんな声が聞こえた気がした。

 白い閃光がシュウナよりずっと早い速度で落ちていく巨体を追いかける。すぐに追いついて、即死級の致命傷をみるみるうちに癒していった。同時に小さな小竜に大きさを変えたレウスを包み込み、地上に無事に着陸する。


 シュウナの意識が霞む。

 今度こそ本当に動けない。体力も『神性』も空っぽだ。

 命の刻限と秒針を合わせて暗くなる視界に、動かずこちらを見下ろす青年が目に入った。


 なぜ『洗脳』のために追ってこないのか。小さな疑問が心を埋め尽くす。


 地上の気配が近い。

 叩きつけられる衝撃に身を硬くした直後、体がなにかに抱き抱えられた。


(?)


「おい!目ぇ開けろ!!」


 鼓膜を震わせるのは大好きな声。機能を失いつつあった聴覚が拾った声の主を見納めようと、視覚が僅かに回復する。

 美しい黄金色の神。同じ色の瞳。可愛らしい三本傷。荒い口調と荒い息。抱き抱える体温は高く、鼓動はバクバクと伝わってくる。


 辛うじて目を開けたシュウナを覗き込んでいたのはゼキアだった。


「……ゆ、め……?」


「この際夢だって構わねぇ。もう喋んな」


 なぜ彼がここにいるのだろう。

『魂』が掌握される前に会いたかったシュウナの願いを、誰かが聞き届けてくれたのだろうか。

 親切な誰かには申し訳ないがシュウナはもう長くは持たない。


 喋るなと言われたことを無視して、球体の中で再生した左手でゼキアの頬にそっと触れた。


「愛して……いる」


「っ!」


「ゼキアが、覚えて……いない……ずっと昔から……、ぬしのこと、を……好いて、おった……」


「分かったからもう喋んな!」


「すぐに……ここを離れろ……『管理者』が、降りて……きて……」


 伝えたいことをすべて言い終えて代償として血反吐を吐く。ゼキアの白い羽織を汚したことになぜか満足感を感じて、弱々しく微笑んだ。


「ゲホッ……!わしを、置いていけ……」


「黙ってろ!!お前を奪われる気は毛頭ねぇ!」


 ゼキアの言葉を聞きながら、いつまで経っても青年が降りてこないことに再度疑問を抱く。

 目に力を込めて空を見れば、誰かが『管理者』を引き止めていた。


 あれは自分だろうか。心だけ体に残したまま、最後の執念で『魂』が相対しているのだろうか。

 朦朧とした意識ではちゃんと思考が回らない。

 普通に考えればありえない発想に一人納得したシュウナは、一言零してから意識を手放した。


「馬鹿じゃな……」


『魂』だけの状態じゃすぐに『洗脳』されて終わりだろうに……。

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