緊急事態
はるか上空で開幕した戦闘の気配に、アキラの肩が分かりやすく震えた。生い茂る木々すら通り抜けて聞こえてくる破裂音を頭上に、茶髪の髪を落ち着きなくいじった。
現在アキラが待機している場所は、シュウナが防衛戦を繰り広げる大空の真下。『魔境谷』の最奥部である。シュウナが示した防衛のタイムリミットを過ぎれば、『ノヴァ』たちは迷宮を階層関係なく攻め主神を無力化するだろう予想の結果だった。
刻一刻と迫ってきている衝突の時に手汗をじっとりと湿らせる。すぐ近くで緊張した面持ちだが平然と準備をしているラピスとアズリカを見て、やはり住む世界が違うと再度実感してしまった。
多少の苦難はあれど、アキラは普通の人間だった。
お金のために必死になって働いて、勉強して、色々な技術を身につけた。妹が元気になれるように身を尽くしてきた。
この世界に転移されていなければアキラは死んでいたのは紛れもない事実。
しかし無責任な転移やその後の説明不足により、今まで築き上げてきた生活が崩壊しかけているのもまた、紛れのない事実である。
こんな世界、アキラは馴染めない。
戦える者は戦うのが当たり前。他人のために命をかけるのは珍しいことじゃない。悪用すれば容易く人を殺せる力を持った人々が、そんな事考えもせずに暮らす世界。
綺麗すぎて逆に気持ち悪いと思うのは、きっとアキラだけではないはずだ。
汚い水に住んでいた魚が急に綺麗な水に移されて死んでしまうのと同じ。
規律があるから秩序がある。規律がなければ平和は瞬く間に消え失せる。ルールで縛られた安全な自由。金で動く単純な世の中。本音を明かす者はおらず、笑いながら嘘をつく……まるでサーカスのような世界。火の輪くぐりも綱渡りも『安全装置』という規則に管理されて実行される。規則という檻が無くなれば、中の猛獣は躊躇なく他者を攻撃するのだ。
何もかも、根底から違うのだ。
気持ち悪い。気色悪い。不気味で不可解。心底吐き気がする。
だけど……こんな世界でラピスは生まれた。
何があっても結局は大事な親友は、この世界で生を受けたのだ。
アキラが妹を守りたいのと同じくらい、ラピスは眷属たちや主神。彼らが守ってきた星を守りたいのだ。
だからついラピスの無茶ぶりに乗ってしまった。
『月』が認識するラピスの存在を上書きして書き換える。
魔法が何かも分かっていないのに、そんな器用なことできるわけが無い。
奪うのは簡単だ。相手から剥奪させたいものを強く念じればあとはスキルが勝手にやってくれる。
でも、『世界のシステム』の認識にエラーを起こしてラピスを別の何者かにするというのは、深く考えなくても複雑なことだと分かった。
精神の在り方に『スキル』は作用される?自分自身と向き合うことがアキラが住む世界の住人にとっては、何よりも難しく苦しいことだ。
自分が何かなんて考えたって分からない。そんな抽象的で漠然としたこと、どんな天才でも答えを出せない。
周りに合わせて生きることに必死になっているうちに、他人の人間性は把握できるのに肝心な部分は分からなくなってしまった。それが『現代人』だ。
「……俺は、ただの高校生なんだ」
「こうこうせい?」
考えていたことがいつの間にか口から零れていたのか、アキラの言葉をすぐ横でアズリカが反芻した。聞き馴染みのない言葉だったのか、コテンと首を傾げている。
「学校に通ってる奴の称号?みたいなもんだ。俺くらいの歳の人間はだいたい高校生だぞ」
「学校ってことは勉強する場所だよな。何を勉強するんだ?」
そういえば『リズィグル』では学校はあったが、『小学校』『中学校』と言ったような細かい分け方はされていなかった。学びを得たい人が自由に出入りする図書館のような建物だったと記憶している。
「色々だ。将来に必要なこともいらないこともとりあえず覚えて、学校を卒業したら生きるために身を削って働く。少ない給料でやり繰りして生活して、娯楽は我慢することの方が多い」
「そうか。アキラはすごいな」
「は?」
思いもよらなかった言葉に目を見開いてアズリカを見る。アキラが驚いたことに驚いたらしい少年はやや目を丸くしながら補足した。
「特に深い意味は無いぞ!?ただ純粋に俺には真似できないなって思っただけだ」
「嘘つけ。最古の眷属のお前が真似できないわけないだろ」
少し離れたところで木の幹に座っているラピスに聞こえないように会話を続けていく。
やや皮肉交じりのアキラの言い様に、心外だとアズリカは言い返してきた。
「あのなぁ、俺だって最初から眷属だったんじゃないって言っただろ。俺はリーシェに会うずっと前は、路地裏で泥水啜って生きてたんだ」
「……なにかの比喩か?」
「そのままの意味だ。食うものなくて、なんの力も無くて、褒められたこともなかった。自分が誰の腹から生まれたのかすら分からない。俺の人生の最初の記憶は、盗みがバレた時に飛んできた顔よりデカい骨太の拳だ」
今の姿からでは到底想像ができない悲惨な内容に言葉が出ない。
アキラの世界に比べて犯罪が圧倒的に少ないこの世界で、そんなに治安が悪い時代があったことが衝撃だった。
「よく生きてるな、お前……」
「次の日には死ぬかもしれない状況で発現させた魔法が当たりでな。能力を買われてやっとまともな生活にありつけたんだ。まぁその後は、強さを象徴にした集団の一人に数えられてつまらなく生きてたんだが……」
白い雷鳴と耳を劈く轟音によってアズリカの言葉が強引に中断される。焦げ臭い匂いに周りを見れば、どうやらそう離れていないところに雷が落ちたらしい。
十中八九、上空の戦いの流れ弾と見ていいだろう。
他の司祭達が慌てて消火活動に移る傍ら、ラピスがじっと足元に視線を注いでいた。
黒いブーツの近くには雷で即死したと思われる『ノヴァ』の破片が落ちている。膝を曲げてしげしげと観察していたラピスだったが、突如顔を青ざめさせた。
「アズリカ!予定を二十時間早めろ!」
「何!?」
「この『ノヴァ』は今までのとは違う!強化種だ!シュウナが示した四十八時間は刻限前に突破される可能性が高い!」
「あのシュウナが一日で破られるっていうのか!?そんな強化されてるなら司祭はもちろん眷属も下手すれば全滅するぞ!!」
基本的に実力が拮抗している眷属の中で、頭二つ分抜きん得た存在。それがシュウナだ。主神が持っている力と同じものを保有し、戦闘に特化した種族。そんな彼女だからこそ、防衛線を張るという作戦に名乗りを上げ承諾された。
絶対的な実力で信頼を勝ち取っていた眷属が、想像の二倍のスピードで突破される現実が見えている。
ラピスの悲鳴にも似た警告にアズリカの焦燥を隠しきれない叫び。
緊張しつつも穏やかだった森の空気が一瞬で入れ替わり、各地で混乱のざわめきが広がる。
唇を噛み一度深く息を吸ったアズリカは、一秒後には動揺を全て隠していた。
「聞いていただろ、お前ら!これは星の命運をかけた戦い!訓練のように流れ通りに進むとは限らない。窮地に立たされた今こそ眷属に与えられた力を存分に奮え!これより臨戦態勢に入る!総員!配置につけ!」
地を震わす大声の掛け声。下がりかけた士気を立て直し、堂々と喝を入れるその姿からは泥水を啜って生きた過去をどうしても彷彿させられなかった。
思わず毅然とした少年の横顔を食い入るように気つけていると、自然な動作でアズリカがアキラを見る。
「思ったより時間が取れなくてごめんな。アキラ、お前の出番だ」
ラピスへの認識を上書きしてくれ、という作戦の要とも言える命令にアキラは生唾を飲み込むことしかできなかった。




