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過去から未来へ

 上空八十キロメートル地点。

 この数字はシュウナが現在浮遊している高度である。地上とは全く違う温度や風量も、空を領土とする少女にとっては瑣末な事だ。


 主神よりも長い時を生きてきた。何千年。下手すれは何万年。一度は終わったはずの呪いの人生は、瓜二つの少女の力で再開された。

 思い返せば、怒りや悲しみばかり感じてきた気がする。

 隣で大切な人が一緒に座っている喜び。何も言えないもどかしさ。それすらも胸の高鳴りに変換してしまう乙女のような心。しかしこれは長い人生を振り返ってみれば、割合的に随分と小さな機微だ。


 いつも何かが気に入らなくて。

 いつも何かに苛立っていて。

 いつも生きていることに辟易していた。


 三千年以上も昔。昨日の事のように思い出せるあの日。禍々しいほど真っ赤な炎と共に幸せを失った。恩人が、初恋の相手が、分かりかけてたはずの優しさが。巨大な失望と怒りに押し潰されるように失われて、何も見たくなくなった。


 生まれ持った強さだけで国の王になり、ずっと一人で眠るように時を過ごしてきた。

 生きることに興味はなく、他人の不幸に興味はなく。生気のない目でぼんやりと天井を見つめる日々。前神が与えた『不老不死』に呪われているシュウナは、何もせず無為に時間を消費し続けた。

 足元にどれだけの屍が積み重なっても、哀れみすら湧き上がらなかった。


 陽光も月光も意味をなさない部屋に、赤髪緑目の少女が現れるまでは。


「……思い返せば、腐れ縁のような関係じゃの」


 昔のように上を見上げる。かつての視界には天井しか映らなかった。しかし今はどうだろう。

 宵闇を背景にして美しいオーロラが輝いている。虹とはまた違う七色の煌めきは、何度見ても魅入ってしまう。


 リーシェが眠るダンジョンが存在している『魔境谷』の上空はよく冷える。

 吐く息は白く普通の人間であれば十分も持たない、シュウナだけの特等席。


 もう何回、この美しい光景に魅了されただろう。

 あと何回、あの虹のカーテンに会えるのだろう。


「なんてガラにもなく感傷に浸ってしまったのう……ま、今日くらいは仕方がなかろうな」


 目を閉じて思い返されるのは黄金色の髪を雑に流した青年だ。

 髪に無頓着な彼の髪を梳くのが好きだった。

 乱暴な口調で諭してもらうのが好きだった。

 刀を握る男らしい手は時々頭を優しく撫でてくれる。

 素直になれない者同士、あまり会えない距離感が心地良かった。


 一度は失われた大きな手。かつて、はぐれないように握っていた手。名前を呼ぶ声を忘れたことは無い。彼を失って虚無になっていたシュウナが、それでも国に居続けたのは未練がましく待っていたからかもしれない。

 迷子になった自分にまた彼が手を差し伸べてくれるんじゃないかと。実際、差し向けられたのは叛逆の牙だったが些細なことだ。


 ああ。オーロラが欠けていく。

 空を覆い尽くそうとする白い生命体が、シュウナの好きな景色を塗りつぶしていく。


 それはまるで、「お前にこの先はない」と暗に告げているようだった。


 仮初の体が砕け散り、本来の体に戻れたとしても万に一つの勝利の可能性はなく。そして結局は時間稼ぎの駒として消費されていくのだと、現実を突きつけてくるようだった。


 右手には漆黒の直剣。左手には禍々しい瘴気のようなオーラ。

 大地を守る者には見えない力を溢れさせて、シュウナは真白の空を睨みつける。


 上等だと口の端を吊り上げた。運命も宿命も全て壊して進む。今までそうやって生き抜いてきた者が何人もいる。所詮は形のないもの。乗り越えるのは容易いと、震える体で虚勢を張る。


 恐怖を感じるのはずいぶん久しぶりのことだった。

 前神が消え『不老不死』の呪いが消えた今、限界を迎えれば呆気なく体は散ってしまう。明確な『死』の気配に怖気が戦意を削ごうとする。

 或いは……。


「伝えれば良かったか。最期だとはっきりしない予感で奮い立ち、この気持ちを告げればいくらかは満足いく死に方になっただろうか?」


 死ぬ気は無い。昔と違って生きる理由がある。どうしようもなければその時は潔く死のう。

 長く生きすぎた。未練ばかりだ。後悔ばかりだ。そんなものは無いと高を括っていたはずなのに。

 好きだ、と伝えていれば恐れは消えていただろうか。


「なんて、あるはずがないじゃろう。余計に死が恐ろしくなるだけじゃ」


 邪剣を振るう。『伝説の力』を上乗せされた一撃は、大海原の波のように衝撃波を起こし迫っていた『ノヴァ』を数百と消し飛ばしていく。


 夜空が白く照らされる。『白夜』を合図に戦いの幕は落とされた。


 ☆*☆*☆*


「始まったか」


 激しい戦闘で色を変えた空を確認したゼキアは、木々の隙間から衝撃の余波を感じ取っていた。

 鞘に収めた刀を肩で支えながら司祭を各ポイントへ送り込んでいく。

 ゼキアが今いる場所は『魔境谷』から遠く離れた『ペデリアン』だ。大陸が統合される前は『シルビア』という大きな国が栄えていた場所とほぼ同じ位置にある。


 ゼキアの統治地域である。この近辺で戦闘を行う司祭のサポートを行うべく、粗方の準備が終わり次第とんぼ返りしてきていた。ついでに調べものがある。


 西の大陸。戦人族の国として再興を果たしていた『シルビア』の頃に保存された貴重な資料が、『バベル』の資料室に残されている。

 飽きるほど閲覧した資料ばかりだが、今になって再確認したい書物があった。


 手入れの行き届いた本棚をいくつも通り過ぎ、目的の棚に迷うことなくたどり着く。

 何冊もの分厚い本に埋もれるように、探していた資料は並べられていた。


「『()()()()()()()()()』。まさか三千年も経ってこれが頼みの綱になるとはな」


 三千年前。稀代の占い師として有名になった、戦人族にしては珍しいほとんど物理で戦わない系の女性。薄紅色の羽織りに良く似合う桃色の髪を揺らしていた彼女は、よく突拍子もないことを占っては日誌として本に書き記していた。

 外れることがない奇跡の占いの代償にジュアンは若くして亡くなっている。


 手に取った本はジュアンが短い生涯の中で見た全ての占いの結果が書き記されたもの。つまり、もしかしたら今この状況に関することもなにか見通している可能性があるのだ。


 残念ながら椅子に座ってゆっくり眺めている余裕はない。

 貴重な資料を懐にしまうと、戦線に参加すべく再び歩を進め始めた。


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