対『月』作戦会議
膠着していた状況の変化は、大きな胎動のように唐突に訪れた。
誰もが当たり前のように送っていた日常が実は細い糸のような道のりだった。そんな現実を突きつけるように異変は起こった。
最初に異変に気づいたのは、フェンリルたちと夕飯を摂ろうとしていたアズリカ。伝播するようにキルスも異常を察知し、遠く離れた各眷属らが戦慄を走らせた。
大きな骨付き肉に豪快にかぶりつこうとしていたアズリカが不自然に動きを止める。
中途半端に開かれた口が何かを呟くが声は発せられなかった。しかし、真横で少年の不自然さに気づいたフェンリルは口の動きで本能的に状況を察してみせた。
「リーシェ、と。今そう言ったな。何があった?」
神体の目覚めは近いがまだ早いはずだ。『兆し』はまだ第一段階。霊体を維持できる形でしか、はっきりと存在を主張することができないほど神体の神性は消耗している。
何かあったとすればホログラフ体……云わばコピーされた精神体の方と検討をつけたフェンリル。
面倒なことになりそうだと見切りをつけて、皿に盛られていた肉山をあっという間に平らげた。
「……確証はない」
少しして震える声でアズリカが言う。だが、と言葉が続くのと墓守が現れるのはほぼ同時だった。
「気の所為じゃなければマルスが飛んでくるはずだ」
「生憎だが気の所為ではない。ここで言うのは二度手間ゆえ、『リズィグル』のバベルに眷属を緊急招集したぞ」
月光を彷彿させる銀髪を揺らしてマルスがアズリカとキルスを『バベル』へ招集する。声音は落ち着いているが額には玉のような汗が浮かんでいた。
念話が使えない墓守の眷属は、各地の眷属の元へ慌ただしく移動し事態の深刻さを伝え回ったのだろう。
見栄を張って息を切らしてないあたり、流石は『傲慢』と言うだけのことはある。『傲慢』とは『慢心』と『見栄っ張り』を足して二で割ったようなものだ。
「フェンリル、シノブ。今回はお前たちの同席も許可する。ほかの眷属共にも主力司祭の同席を許しているからな」
「俺が出るとなれば必然的にラピスは出られなくなるぞ。今後のことを考えれば俺よりラピスを出席させろ」
ラピスが世界のどこにも存在しない、というイレギュラーで生存を許されているフェンリル。二人が会えば何が起こるか分からないという危険性を指摘し、狼王は参加権を譲渡した。
「私も辞退する。きっと私の席はアキラ殿が出た方が物事が上手く進むだろう。何があっても私はアズリカ殿の指示に従う故、事後報告で構わない」
「分かった。二人はゆっくり食べててくれ。キルスは俺と『バベル』に向かうぞ」
「嫌な予感がビリビリと肌を刺してます。急ぎましょうかぁ」
先行するマルスの後を追い慌ただしく店を出る。街にいる間は抑制している身体能力を解放し、地面を蹴り砕く勢いで疾走した。
行き交う人々を避けながら疾駆し、『バベル』の昇降盤も使わずに『会議室』へ向かった。
五十階地点にある部屋まで体を引き上げた鎖をしまい勢いよく扉を蹴り開けた。
五人の眷属たちは厳しい表情で既に着席していた。その中にラピスとアキラの姿も確認する。
これほど短期間で全眷属が一同に介するのは初めてのことだった。
所定の椅子に座り詰めていた息を吐き出してから、アズリカはマルスに詳しい説明を求めた。
長い話し合いに煩わしさを感じているマルスは単刀直入に告げる。
「ホログラフ体のリーシェの消滅が確認された」
驚くほど胸にストンと落ち着いた異変の答え。
頭の冷静なところでは悟っていた事態の重さに、アズリカを含めた眷属が唇を噛む。誰よりもショックを受け狼狽したのはやはりラピスだった。
「リーシェが消滅って、し……死んだってことか……?」
「ホログラフ体にとっては死と同義だが、あの精神体の上書きに使われた本体は存命している。お前が語らっていたリーシェは、あくまでも本体の本質に限りなく近づけたコピーだからな」
激しい衝撃を掻い潜って発せられた問いにマルスは事務的に淡々と答えた。冷たいように感じるかもしれないが、今話すべき論点はそこではないからだ。
「『月』の戦力に対抗していたホログラフ体は最前線の防御線だった。それが破られた今、『アース』の大地を守るのは上空二キロ地点に貼られたバリアのみ。ライザの事例がある通り、当然抜け道がある気休め程度の障壁だ。代替案を考えねばあっという間に侵攻されるだろう」
現実を突きつける言葉に声を荒らげる愚者はいない。
いち早く対策を打ち出したのはシュウナだった。
「リーシェが担っていた最前線防御線はわしが受け持とう。大気圏ギリギリの高さまでが自領土じゃからな。……もちろん長くは持たん」
「神になる資格を十分に持っている眷属よ。驕りなく考えれば何日持たせられる?」
「有象無象なら敵ではない。しかし、相対するのが『ノヴァ』であるならば二日が限界じゃな」
この広い星の空を相性の悪い敵相手に守れる時間は四十八時間。その間にさらなる対抗手段を実行できなけれは『アース』は『世界のシステム』の傀儡に逆戻りだ。
高いプライドを捨てて決して長くは無い時間を提示したシュウナの次に、レイラが手を挙げた。
眷属となる前はリーシェの祖母として影ながら少女を支えた眷属は、似た容姿のシュウナを気遣うように微笑みかける。
「主神が張ったバリアには及ばないけれど、『重力』の膜を用意しておきます。もし撃ち漏らしがあっても、侵攻方向に反発する『重力バリア』で大地には近づけさせないわ。グレイス、手伝いなさい」
「星の防衛の強化は母上と私で何とかしよう。だが守ってばかりでは底が見えるぞ」
攻めの一手を思案するグレイスの横でキリヤがマルスへ言葉を投げる。
「リーシェ様の目覚めは早められませんか?」
二千年もの長い時間、『ノヴァ』に対して一歩も譲らなかったホログラフ体。その本体さえ目覚めてくれれば状況の回復は十分に可能だ。むしろ今までよりも積極的に攻めに転じることができるだろう。
『兆し』が起こっている今、異変を神体が察知すれば覚醒を早めることができるかもしれない。
「この会議が終わり次第、墓守として棺に呼び掛けをするつもりだ。慎重だが大胆な主神のことだから、多少の無理をしてでも這い出てくる……と考えたいところだが」
「それができたらこの場に飛んできてるだろ。あいつに頼りっぱなしなのは癪だが、しばらくは司祭で持ちこたえさせるしかねぇな。元々、司祭は対『ノヴァ』戦力だからな」
切れ長の鋭い視線を集った主力司祭たちへ向けたのはゼキアだった。刀の鞘を肩に乗せているのを見ると彼も戦う気のようだ。
ゼキアに視線を配られた者の中から一人進み出る者がいた。
「『ノヴァ』への攻撃は俺に任せて欲しい」
黒い髪。赤い目。数分前までの動揺を全て隠したラピスが堂々たる面持ちで申し出た。
これに対し難色を示したのはキルスだ。最もキルスの難色は全眷属に言えることだった。
「あなたには『月』側の勢力との接触は最小限に控えてもらいたいのですが」
「お前たちが考えている危惧は全て把握している。そのうえで俺は言っているんだ。任せてくれと」
「つまりテメェは諸々の問題を解決できる秘策を用意できるって言ってんのか?」
眉間に皺を寄せてゼキアが睨みつける。普通の人が向けられれば震え上がる顔にも一切怯むことなくラピスは言い切ってみせた。
「ある。……アキラ、お前が『月』側の俺に対する認識を何かにすり替えるんだ」
何人かの司祭を挟んで真横にいた少年は突然の名指しに肩を大きく揺らした。
最悪の別れ方をしてから今に至るまで、二人はろくに顔も合わせていない。言葉も交わしていない中、曇りなき信頼の目と視線をかち合わせたアキラ。その背中が居心地が悪そうに小さくなる。
「……無理だ。俺は記憶や記録を『奪う』ことしかできない」
聞き取るのにギリギリの声量でアキラは首を横に振る。弱気な友人に対しラピスはキッパリと否定の声をかけた。
「それは違う。お前のスキルは『簒奪者』の皮を被らされただけだ。本質は変わっていない」
「何言って……」
「良いか。この世界では心の在り方が全てに影響を及ぼさせる。お前が『奪う』ことしか考えていなければ間違いなく『簒奪者』だ。だけど別の力を強く望めばスキルはその通りに変化する」
何かを『奪う』こと。決して良い意味ではない『簒奪者』というスキル。神から与えられる能力が人物の本質に深く関わるものなら、このスキルほどアキラに似合わないものは無い。
アキラは『与える』者。誰かのために一生懸命になれる者。目的のために正面から立ち向かえる者。大切な者のために笑うことができる優しい人だ。
奪うことしかできないと視野が狭くなれば、スキルの一部分しか発揮できないのは当然のことだ。決まった能力がなく、自らが思い描く未来に最適な答えを用意する。『記録者』とは、少年が存在した痕跡をこの世界に残すためのインクに過ぎない。本のページを捲る勇気はいつだってアキラが持っている。
「アキラ。大丈夫だ、お前ならできる。俺はアキラを信じてる」
何も言えず押し黙るアキラ。やがて変わらず小さな声で意志を決定させる。
「この世界のことはどうでもいい。俺は妹の元に帰れれば文句はない。……だけど、ラピスが傷つくのを見るのは嫌だ」
「ああ!頼んだぞ!ということで『ノヴァ』を押し返すのは俺とアキラが中心になって実行する。一番『ノヴァ』の攻撃が集中しそうな場所に俺たちを配置してくれ」
意気揚々と笑うラピスに対しアズリカは安堵混じりのため息を吐いた。アキラとの関係に肝を冷やしていたが、見ていた限りあまり心配は無さそうだ。
ラピスにしては雑な案だったが、実際彼に相手をしてもらうのが一番効果的な手段ではあった。ラピスと『ノヴァ』を接触させる危険性さえクリアできるなら、フェンリルも不安なく戦線に参加できるだろう。
「よろしい。『ノヴァ』による攻撃は今のところ確認できていない。おそらく少しばかり猶予があるはずだ」
話をまとめるためにマルスが音高く手を一回叩いた。
「作戦の確認をする。まず抜けたリーシェの穴を限界までシュウナに抑えてもらう。万が一の撃ち漏らしへの対処はレイラとグレイスが担当しろ。司祭の配置は眷属同士で連携し一日で済ませろ。戦いが熾烈になりそうなポイントは追って通達する。司祭の戦闘中、眷属共は戦いのサポートを行え。ただし必要以上に『月』側に近づくことがないように。また、ライザの介入も考えられる。あのスパイの姿が確認でき次第、フェンリルを女狐の場所に送り込む。アズリカ、お前は他の眷属と違って『洗脳』の心配がない。思う存分暴れるといい」
「リーシェを殺した時点で俺はとっくに暴れる準備ができてる」
指の骨を鳴らすアズリカを見てマルスはフッと表情を和らげた。きっとキツい戦場に送って馬車馬のように戦ってもらい使い回そうとでも考えているのだろう。
マルスの高圧的な物言いの総括が終わると、人々は次々と動き出した。それぞれの戦う場所へ向けて足を踏み出し、主神のいない『星間戦争』が始まろうとしていた。




