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神体

 フェンリルたちと合流するため、アズリカはラピスとキルスを連れて裏側の空間を歩き続ける。言葉はない。

 ラピスは沈痛な顔でフヨフヨと宙を移動し、キルスも何かを考え込んでいる。

 そしてアズリカは長い間心の奥底にしまい込んでいた記憶を掘り起こしていた。


 ☆*☆*☆*


 〜二千六百年前(世界新生四百年目)〜


「……さて」


 プログラムされた環境音だけが満たしていた静謐な空間に、何の前触れもなく少女の声が響き渡った。

 抑揚のない玲瓏とした声質にぼんやりしていたアズリカの意識が引っ張られる。


「どうした?」


 必要のない時は無表情で世界の調律を行っている少女神はやはり無表情で少年を一瞥する。必要最低限の言葉で命令を下した。


「ホログラフ体を呼んで」


 特別珍しくない指示に何も言わずにその場を離れる。

 それほど遠くない場所で半透明の人物は鍬を振っていた。


 時節ノイズのような乱れが体に走っているホログラフ体の横顔は生き生きと輝いている。アズリカにとって何よりも守りたかった笑顔に、動くことが少なくなった表情筋が自然と弛む。


「リーシェ」


 神体にプログラムされた環境に適応しながら平穏に暮らす。そんなプログラムを仕込まれている少女は朗らかに笑って振り返った。


「はい、アズリカ。どうしましたか?」


 計算し尽くされた天候を微風が撫でる。ポニーテールに纏められた赤髪は素直に遊ばれていた。


「リーシェが……じゃなくて、神体が呼んでるぞ」


「分かりました。では代わりに人参の畝を耕していてもらえますか?」


「あ、ああ」


 ズイ、と小さな体にギリギリのサイズの鍬を持たされた。もうほとんど耕し終えている畝と残されてアズリカはそっと溜息を吐く。ホログラフ体のリーシェが穏やかに過ごすのは先程で最後だと漠然とした予感があった。


 既に見えなくなった半透明の背中を憂い、腰を入れて鍬を振り下ろす。

 白い服が土で汚れる頃、背後に人が立つ気配があった。


「アズリカ」


 さっきとは逆の立ち位置でアズリカは振り向いた。

 少女の顔を見た瞬間、諦念から深い溜息が漏れた。


「私はこれから迷宮を出て、神体に変わり世界中を見て回ります。家も畑も、長い間手を入れられなくなります」


「……そうか」


「アズリカともしばらく会えなくなるでしょう」


 残念そうに笑いながらリーシェはゆっくりと歩き始める。別れを惜しむように歩は小さく遅い。

 四百年間、ただ畑を耕し続けた少女。なんの変化もないその行動に何一つ疑問を抱かず、淡々と平穏を享受し続けた。一定の感情はあれど、神体の意に沿わない行動は許されていないプログラムの精神は、今初めて自発的に歩みを遅らせている。


 アズリカと離れたくない。家を畑をずっと守っていきたい。独りになりたくない。

 彼女の後ろ髪を引っ張るものは数え切れないほどあるだろう。四百年間の決められた生活は、間違いなくリーシェという少女が願い続けた『平穏な暮らし』だったのだから。

 迷宮を出るということは、また戦いの日々に戻るということ。平穏が遠ざかるということ。地下で過ごした時間の分だけ多くの死別が地上に溢れているということ。


 恐怖すら感じる旅立ちに逆らう術も権利もこのリーシェにはない。

 所詮は造られた存在だと言う事実を誰よりも真摯に深く受け止めている。


 外へ向かう足取りが遅いのは彼女に許された唯一の拒絶の意思表示だ。


 きっとアズリカが呼び止めることをホログラフ体は望んでいる。

「今すぐやめてくれ」と神体に進言すれば、もしかしたら指示は取り消されるかもしれないから。


 しかし同時にアズリカの引き止めをホログラフ体は望んでいない。

 地上に出て命の輪廻に還った者たちを追悼することは、数少ないリーシェの願望だった。


 多くに矛盾を抱えながら、ついにリーシェの背中は『神の間』から消えた。


 鍬を置いて、神体がいる場所に戻る。

 相変わらず表情のない少女神はホログラフ体を追い出した理由をポツリとこぼした。


「世界に変革を齎さなければならない」


 敬語も感情の浮き沈みもない。

 抑揚のない冷淡なリーシェの声は未だに違和感がある。

 この姿こそ、神性が意識の全面を塗り潰した状態の紛れもない唯一神だ。


「人間。魔人。戦人。獣人。彼らが築き上げた文明を精査し、不要な物、不要な者、不要な場所を淘汰する。アレはそのための斥候だ」


 生気のない昏い瞳がゆっくりとアズリカを見下ろした。あまりにも冷たい目は、優しいリーシェを強く覚えているアズリカにとっていっそ気持ち悪さすらあった。


「アズリカ。必要に応じ、地上にて手助けをしなさい。きっとあの私は優しさに絆されてまた愚かな選択をするだろうから」


「無礼を承知で神体に一つ言わせてもらおう」


 ピクリと眉を動かす彼女へ堂々とアズリカは断言する。


「あなたの優しさが俺を救ってくれた。リーシェの選択が例え愚かであったとしても、無駄だったことなんて一度もない」


 勢いよく背を向ける。

 さっき地上へ向かったリーシェは、少女の原点とよく似ている。

 多くの葛藤と矛盾を抱えて川に身を投げたあの頃に。


 今度はアズリカが、リーシェを助ける番だ。


 そう意気込んでアズリカも数年振りに迷宮を登り始めた。

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