不死身の狼王
フェンリルの突拍子もない提案にアキラはイラつきながら息を吐きだした。
ガシガシと頭を掻き、望んでもいない契約を持ち掛ける青年に胡乱げな視線を送る。
「どうでもいい。俺は一刻も早く元の世界に帰りたいだけなんだ」
時間を無駄に消費していることへの苛立ちに恐怖心すら薄れて、フェンリルとすれ違うようにライザの元へ向かう。会話中もずっと戦闘を続けていた二人の少女は、アキラの接近に戦いをやめ互いに距離を取った。
持ちかけた契約に対して特に追及もされなかったフェンリルはやや残念そうな顔をしている。
跳躍したライザがアキラの隣に立ったとこで、司祭二人に挟み込まれる形になった。
「本当にいいのか?」
無意味な確認の声にアキラは何も返さない。
元の世界との時間の流れが分からない以上、一分一秒も無駄にできない。もしも妹がいる世界よりこの世界の方が時間の経過がゆっくりだった場合、妹は何年も一人で取り残されている可能性がある。ダンジョン最下層に乗り込んで眠っている主神の隙をついて力を無理やり別世界への道を拓く。アキラは妹の下に帰還でき、ライザは月から言い渡されている「任務」を達成できるらしい。
『アース』の主神を無力化することに『世界のシステム』は力を注いでいる。そのためライザには月から直接能力を与えられているらしい。戦いの中で力が足りなければその都度システムからスキルを与えられるという。
不完全でありながらもっとも完全に近い存在。ライザは自身のことをそう語っていた。味方にするなら一定の強さに達しているアズリカたちより、状況に合わせて進化するライザの側についた方が効率がいい。
「時間の無駄だ。何を言われても俺はそっち側にはつかない。これ以上の会話は時間の無駄だ」
感情の読めない顔をしたフェンリルに向かってアキラは左手をかざす。
アズリカが仕向けた司祭を手っ取り早く排除する。方法は実に簡単だ。親友に対して行ったように、移動する手段や目的を奪ってしまえばいい。ただ一言発するだけで、相手からアキラが望むものを一つだけ奪える。『記録者』は記録に関するすべてに干渉できるスキルだとライザが言っていた。与えることも奪うことも得ることも失うことも。メモリーに関することであれば地齋に操作することができる。その大雑把な能力故、理解し使いこなすのには相当な時間と胆力がいる。
今回フェンリルから奪うのは、身体機能ではなく行動理由だ。なぜアキラを捕縛するように言われているのか。なぜライザと闘わなければならないのか。つまり、さきほどのアズリカとのアミュレットでの会話に関する『記録』……『記憶』を奪うのだ。
意識を集中させスキル発動の単語を発する。
「ロスト」
フェンリルの体がぐらりと揺れる。背後のシノブはライザと睨みあいを続け碌に動けない。
頭を押さえて顔をわずかに歪めていた青年は数秒後に何事もなかったように顔を上げた。そして、ゆっくりと口角を上げる。
「残念。俺には月が与えた能力は一切効かない」
嘘にも虚勢にも聞こえない青年の言葉に誰よりも驚愕を露にしたのは、月の絶対的な信者とも言えるライザだった。
「戯れたことを……!『アース』に住む生命体はみな、『世界のシステム』によって魂から管理されています!あなたもこの星に住まう生き物であれば当然その例には漏れません!」
驚愕と怒りが五分五分に混じった声音。これまで見聞した中でも間違えのない事実を根本から覆すフェンリルの発言に、場の緊迫感はより一層高まった。
仮にフェンリルの言ったことが紛れもない真実だった場合、ライザは彼を無視することは出来ないだろう。彼女は月が定める不穏分子を排除するために遣わされた密偵であり、フェンリルは正しく月にとってのイレギュラーだからだ。
目を釣りあげて敵意を明確に示すライザに対し、アキラの時とは打って変わって無表情になったフェンリルは顎を僅かに上げた。
「俺が月の管理から外れた生命体なだけのこと。有り得ない話じゃない。現に主神……リーシェもシステムの枠から外れ、限定的ではあるが眷属たちも支配を逃れている。いつまでも我らの上に立っていると思ったら大間違いだ。能力に見合わぬ足りない頭で考えてみるといい。真に有利な状況にあるのはどちらの勢力であり、貴様はこの渦の中でどの立ち位置にいるのかをな」
辛辣であり挑発的な物言いだった。彼が言った言葉の内容がどんな意味を含むのかまだアキラには分からない。しかし、フェンリルの発言が決定的にライザを大きく刺激したことは確かだった。
犬歯を剥き出しにし獣のような怒りの唸り声を上げてライザが拳を握りしめる。どうやら青年は、アキラには話していないライザの事情を真っ向から弄んだようだ。
「役目が終われば機能を停止する木偶が。今のうちにその息の根を止めておいた方が、貴様も安らかな眠りにつけるだろう」
言いながら、フェンリルの体が大きく変化する。背中が大きく盛り上がり長い漆黒の髪は全身を覆うようにしてさらに伸びていく。端正な顔は形を変えて縦長になり、引き締まった筋肉は獣の如き逞しさをつけながら変化していく。
数秒も経たないうちに青年は人型から狼へ姿を変えていた。
さっき言っていた本来の姿とはこの形態のことだろう。北欧神話に登場するフェンリルの名に相応しい雄々しさを携えて、狼王は臨戦態勢に入った。
「来るがいい。その少年を置いて立ち去れば今は見逃してやろう。この要望に応えなければ、その首、食いちぎって地底深くに埋めてやる」
朗々と告げられた最終通告。
躊躇せず実行することは一目瞭然。あの真珠色の牙がライザの血に汚れる結末が見たくないアキラは、視線をライザに向けた。
目に入った少女の表情は意外にも一瞬前より感情が落ち着いていた。彼の姿を見て思い当たる節があったのか、小さな口には小さな微笑みが戻ってきている。
「システムから外れた獣……。そういう事ですか」
「ライザ?」
アキラの呼び掛けにライザはいつも通り笑みを返すばかりだ。そのまま何も言わず戦場に背を向けてしまった。
ついて行こうとしたアキラを留めるように白く細い腕が真横に伸ばされる。意図を把握できないアキラに教えるように、ライザはフェンリルへ向けて視線を投げた。
「此度は私が引くとしましょう。……どうせあなたは近いうちに消えてしまう様ですし」
限りなく小さな声で続けられた後半の内容は、狼であるフェンリルにしか届かず状況が正しく判断できないアキラに月の間者はニッコリと笑った。
「アキラさん、そこの獣が消えた時またお迎えに上がりますね」
空気が揺れる。風に吹かれるように姿を消したライザを確認し、シノブが口を開いた。
「ではアキラ殿。不満は理解するが今は大人しく我々に着いてきて頂きたい。あなたが知りたいことや心配していることはすぐに分かるだろう」
褐色の肌。真紅の眼。フェンリルと瓜二つの少女に手に引かれ、居場所が無くなったアキラは半ば放心状態で深い森を後にした。




