月の間者
少しでも口を開けば首を切られてしまう。そんな錯覚を抱いてしまいそうな重苦しい空気を最初に破ったのは、年寄口調が特徴的な少女だった。
小さな眉を面倒そうに寄せて短く息を吐く。
「それを今追及してどうするのじゃ?」
アキラにとっては元の世界に変えることと同じくらい大切なこと。しかし同時に、この場で深く追求し正否を問うタイミングではないことも事実だ。分かっている。頭ではちゃんと分っていても、口は心に正直なのだ。
主神と姉妹だと言われても誰も疑わない眷属と正面から見つめあうアキラに、どこからか感嘆の声が上がる。
「おや。シュウナさんに睨まれても動じないとは……。流石ラピスさんのお友達ですねぇ」
「ゼキア、ちょっと黙らせておけ。アキラと言ったか、主が出した話題は生半可な気持ちで聞くような世間話ではない。ゆえに時をよく選ぶのじゃ。誰が月の間者か分らぬ今、話題にして良いことと駄目なことがある」
「……ならこれだけ教えてくれ。ラピスを襲っている頭痛は事が解決すればちゃんと治るのか?」
視界の端では気を失った少年がリーシャに介抱されているのが見える。リーシャの横顔は穏やかで、アキラが出した話題に気分を害した様子はない。
親友を心配した問いにラピスから目を離さずにリーシャが答える。
「ラピスの頭痛は月を破壊すれば確実に消えます。この場ですべてをお話しすることはできませんが、状況が落ち着けば必ず説明します。不信感を抱いていても構いません。ですが今はどうか協力していただけませんか?」
スッと視線が投げられた。初対面の時から今まで彼女の瞳に嘘が浮かんだことはない。しかし彼女は今までずっとアキラたちを騙していた。なぜ最初から正体を明かさなかった。ラピスの出自に関する予想が正しいものだとすれば、主神はラピスと面識がある可能性が高い。であれば、会ったその時に正体を明かしラピスの記憶が回復することもあり得たのではないか。
死んでいる人物たちを眷属として従える主神。自らもすでに命を落としている。死者が平然と世界を統治している状況に、不信感だけではなく恐怖も抱いている。
神という存在があまりにも身近過ぎて、アキラはどんな顔をして相対すればいいのか分からなくなっていった。
生唾を飲み込んだ後、神の問いに問いで返す。
「断れば殺すのか?」
「いいえ。ですがラピスの頭痛と記憶の欠如を治す確率は低くなります。無論、あなたが元の世界に帰る確率も」
優しい顔をしているがやはり神だった。人の痛いところを的確についてくる。断れないようにして敢えて問うているのだ。第一印象がどうであれ、この主神のことは好きになれないと確信した。
相手が主神で周りにいるのが眷属であることもどうでもよくなってきて、乱暴に頭をかいた。
「分かった分かった!協力させる気しかないだろ!」
「ありがとうございます。さて話を戻しましょう。私や眷属の本体が『地下迷宮』に隠されていることは、本来私たちの間でしか共有されていない事実です。それを第三者が知っているのは明らかに不自然。月の間者であろうとなかろうと、捕縛する必要があります」
有無を言わせない響きで断言したリーシェに眷属が同意を示す。
捕縛する方法を各自考え始めたとき、机に伏していた黒髪の少年が緩慢な動きで起き上がる。
「おはようございます、ラピス。今ちょうど……」
「俺たちだ」
顔を覗き込んだ主神の言葉を遮ってラピスは起き抜けにそう言った。誰もが頭の上に?マークを浮かべる中、眠そうに眼をこすったラピスが続けた。
「ライザの目的は俺たちだ。だから勝手に歩き回っていればそのうち現れる」
「てめぇ何寝ぼけたこと言ってやがる。ライザっつう女はセルタで今も受付嬢をしてるんだろ?なら手っ取り早く『司祭登録所』に殴り込めばいいじゃねぇか」
乱暴な口調のゼキアがそう反論した。恐らく誰もが考えていた手段にラピスは小さく首を振る。ようやく擦り終わった目は本来の金色から変色し、深紅に染まっていた。黒い前髪の下から赤い瞳が覗く様はさながら闇夜に浮かぶ暁のようだ。
「ライザが受付嬢をしていたのは、手っ取り早く異邦人を見つけるためだ。それが済んだ今、あいつはもうセルタにはいない」
気を失っている間に彼の身に何が起きたのか。千里先のことまで見通しているとでもいうように知りえないはずの情報を迷いなく告げていた。
金色から緋色に変わったこと何か関係があるのか、黒髪の奥で光る瞳が存在感を示す。
「ラピス、お前まさか……月の支配に抗ってるのか?」
何かを察したらしいアズリカが頬に汗を一筋垂らす。アキラや他の眷属はいまいち意味を理解できなかったが、リーシャはハッとなってラピスに呼びかけた。
「ラピス……!ラピス!!私が分かりますか!?私です!リーシェです!!」
リーシャではなくリーシェ。切羽詰まった様子で呼びかけた少女にラピスは申し訳なさそうに首を横に振った。
「記憶の欠如は変わらないままだ。この世界にとって俺はどんな存在なのかも分かってない。だけど……」
言葉はそこで切れる。ラピスは自身の右手を胸の位置まで持ち上げて、深く息を吸った。空気しかなかった右手の上に淡いエメラルドの光が灯る。それはやがて形を変えて一冊の本になる。赤い表紙が特徴的な本には題名がなかった。
十分鈍器として使えるほどの本を手馴れたように片手で弄る。ラピスのそんな様子に、場はシンと静まり返った。
物音一つしない円卓で少年の声はよく響く。
「やるべきことは理解している」
悪魔が降り立つ真夜中に浮かんでいそうな暁の奥で、少しずつ黄金色が瞬きを始める。本来なら瞳孔で黒いはずの場所は、吸い込まれるような金を纏っていた。
「……分からなくても、知らなくても良いです。ただ……戻ってきてくれてありがとう」
嗚咽混じりの声でリーシャ改めリーシェが頭を下げる。半ば項垂れるような体勢になった少女を慮るように、肩に手を置いたアズリカが不敵に笑った。
「全部思い出したら覚悟しておけよ。三千年の怒りを込めた拳をお見舞いしてやるからな」
「なぜそんな話になるのか分からないが……覚えておく」
ラピスに起きた変化によって、計画の構築は次々と進んだ。
優先されるべきは『ノヴァ』の駆除。世界中を巡って白生物を排除しつつ、知ってはならない情報を知っているライザを捜索する。
ラピスとアキラが旅をし、各統治地域の眷属と行動を共にするという案で話はまとまった。




