『愛郷心』と『忍耐』
三人分の靴音だけが響く白亜の空間。そこは眷属が許可した者でないと存在を知ることすらない神秘の空間だった。いっそ恐怖さえ感じてしまうほどここには何も無い。
見渡す限りの白、白、白。天井と地面の境目がなく、慣れるまでは足を踏み出すことすら躊躇する純白。『裏側』と呼称されるこの場所に来た時、ラピスは酷い悪寒に襲われた。
自分すら分からなくなってしまうような恐怖よりも先に、脳髄を掻き回すような既視感が心に嵐を巻き起こした。ザワザワと気分が落ち着かず、吐き気すらする始末。
思わず縋るように視線を向けた先には『貞潔』の眷属がいて。
「あぁ……裏側だから月の影響力が弱まったのか」と一人納得していた。
進めているのかすら分からないまま歩数を重ねるうちに、既視感は薄れていき吐き気も治まった。しかし代わりに、なぜ自分だけがこんな状態に陥るのだろうと疑問に思った。
この世界に来てから、激しい頭痛に襲われたのも、胸を焦がす焦燥感を感じたのもラピスだけだ。アキラはいつも苦しむラピスを心配していた。
だが今回ばかりは親友にもラピスを慮る余裕はないらしい。原因は先程聞かされた内容にある。
眷属はなぜ作られて、司祭はなぜ必要なのか。
アズリカから聞かされたことを結論から先に言うとこうだ。
『司祭は侵略者と戦うための手駒』。
町で見つけた白い生き物……『ノヴァ』を殲滅することで主神の目的を達成させること。要は時間稼ぎの戦力だ。
今はたった一人で無限に増え続ける『ノヴァ』を相手取っている主神が、『月を破壊する』ことを恙無く実行するために司祭は徴兵されるのだ。
その話を聞いた時、ラピスは真っ先に疑問を投げかけた。
「わざわざ戦力的に不安な司祭を戦力にしなくても、遥かに強いであろう眷属に『ノヴァ』を任せればいいんじゃないか?」と。
聞けば眷属たちは全員、一騎当千の実力者揃いでどれだけ司祭が強くなろうと赤子の手をひねるように敗北するそうだ。
予想していた質問にアズリカは真顔で答えた。
「俺たち眷属が『ノヴァ』を殲滅することはできない。俺は例外だが、他の奴らは最悪敵側に回る可能性があるからな」
それ以上は詳しく話そうとしないアズリカの様子に、全てを知るのはひとまず諦めることにした。
次に問いを投げたのはアキラだ。
「主神はなんで月を壊したいんだ?」
回答はただ一言だった。
「取り戻したい運命があるからだ」
それっきり眷属は口を閉ざした。
そして今、三人は白亜の世界を通って会議が行われる『愛郷心』のバベルへ道を急いでいる。
先の一件で会議の日時が早められ、急遽明日の昼から開催されることになったのだ。
普通の道で行っては間に合わないからと、今回特別に神秘のショートカットを使っている。
一時間ほど誰も喋らずに歩いていると、先頭を歩いていたアズリカがピタリと足を止めた。
「ここだな」
呟いて、入ってきた時と同じように虚空に息を吹きかける。音もなく『裏側』の空間が割れて、向こう側に『表側』の景色が見えた。
大きな円卓に背の高い椅子が合計で十個並べられている。椅子には既に眷属と思われる者が三名ほど腰掛けていた。
「なんだお前ら、もう来てたのか。集合時間は明日だろ」
空間の境目を跨ぎながらアズリカが小首を傾げる。先に反応したのは一番手前の椅子に座っていた少年だった。わざわざ立ち上がって穏やかな物腰で笑む。
「アズリカさんこそお早い到着ですね。きっと皆さん早く来るだろうと思って、世間話でもしようかと先に待っていました」
顔の左横の髪を長く垂れ流して、後ろの髪は真っ直ぐと背中を流れている。淡い金色はサラサラと靡く様は砂金の川のようだった。
アズリカとの会話もそこそこに、髪と同じ色の瞳が後方にいたラピスたちに向けられた。
「初めまして、アズリカさんの司祭のお方。僕の名前はキリヤ。主神より『愛郷心』の眷属として役目を与えられた者です。此度の会議の主催を務めさせていただきます」
白い着流しが良く似合う少年だった。男のラピスが言うのもアレだが、色気がすごい。肌は透き通っているし、鎖骨はスッと浮き出ているし、しなやかだが男らしい骨ばった指は綺麗に整えられている。しかし手のひらにある蛸から、修行を怠らない人なのだと分かった。
物腰から想像していたよりも遥かに礼儀正しい眷属に、ラピスは気後れしつつも自己紹介をする。
「あ、『貞潔』の司祭のラピスです。こっちは同じく『貞潔』の司祭のアキラです」
「えぇ、存じ上げていますよ」
「え……?」
ニッコリと笑ったキリヤになぜだか焦った。彼は穏やかに笑っているはずなのに、内心ではひどく怒っているように感じた。
言葉と笑顔の意図を汲みかねていると、キリヤが会話を再開させる。
「今回の主な議題となる『ノヴァ』を最初に発見してくださった方ですよね。『裏側』を使ったとはいえ大変な道のりでしたでしょう。アズリカさん、立ち話も何ですからどうぞ席に。司祭の方々の椅子もご用意しているので、ラピスさんもアキラさんも遠慮なさらず円卓におかけになってください」
ささ、と背中を押されてアズリカの右隣にアキラが、左隣にラピスが座る。
ふとラピスは視線を感じて俯かせていた顔を上げると、先には青い髪の青年がラピスを見ていた。
癖っけなのかセットなのか、クルクルと毛先がうねっている青髪は、左耳で赤いリボンによって纏められている。ワインレッドの紐を指先で弄びながら、同じ色の真紅の瞳が非常に興味深そうにラピスを凝視している。決して暗い室内では無いにも関わらず、赤い目は昏く時折、奥で薄暗い焔がユラりと揺れる。
あの眷属はなぜ自分を見つめてくるのか。居心地の悪い数秒の後、突然頭の中に声が響いた。
『どうも。わたくし、『忍耐』を司る眷属のキルスと申します。少しお話よろしいですか?』
これが念話というものか、と目を瞬くラピスに真っ赤な双眸が二イィと細められた。




