*** 94 大地の目的と手段 ***
「そうして、今のところ俺には2つの目標がある」
「聞かせてくれ」
「ひとつ目は、ヒト族の権力者たちに虐げられている者たちを保護することだ。
つまり、大森林内部に追いやられている非力な獣人種族なんかをダンジョン村に移住させることだな。
そのために、ダンジョン内にはモンスターが出てこない階層も作ったし、挑戦者がダンジョン内で死んでも行き返るようにダンジョンの設定を変えさせてもらっている」
「なるほど……」
「もちろん、保護するのは大森林の獣人種族だけではない。
ヒト族社会で奴隷にされている獣人族、おなじく奴隷や奴隷同然の境遇にいる孤児たちもだ。
俺は、たぶん数百万から1千万人はいるこうした連中を、全員ダンジョン村に避難させてやりたいと思っている」
「だが、それにはもちろん膨大な量の食料が要るだろうに……」
「そのために今ダンジョンの内外にたくさんの畑を作らせている。
実はダンジョン内は特殊な空間でな。
直径100メートルほどの岩山の中に、作ろうと思えば100キロ四方の畑も作れるんだよ」
「すごいな。
それにあの『収納』の魔法もあるから、作物を大量に保存していても傷まないのか……」
「そうだ、それでも足りない分は、地球から商品を持ち込んででも俺が稼がなければならないんだ。
そうそう、地球はアルスと違って金属資源が豊富なんだよ。
特に鉄は大量にあるんだ」
「なんと……」
「ここアルスでは、鉄を金に変えようとすると5倍の重さの金になるだろ」
「そうだ」
「それが地球では逆に、金を鉄に変えようとすれば5万倍の重さの鉄が手に入るんだ」
「ご、5万倍だと……
そ、それじゃあ、地球から鉄を持ち込んでアルスで金貨に換えて、その金貨を地球に持ち帰れば25万倍の儲けになるということか!」
「その通りだ。
これが己の力とダンジョンの権能しか持たない俺の最大の武器だな。
だが、これにも大きな問題がある」
「なるほど、アルスにあまりたくさんの鉄を持ち込むと、王侯貴族共がそれを溶かして武器を作ってまた戦争を始めてしまうということか……」
「そうだ。
まあ一応安全措置は講じてあるがな」
「安全措置?」
「さっき見せた鉄貨は、鉄にクロムという物質を混ぜてステンレスという材にしてあるために錆びにくくなっていると言ったろ。
そのクロムの量が少ないと、温度が475℃近辺や600℃から800℃の範囲では、ステンレスは急激に脆くなるんだよ。
だからもしこの鉄貨を鋳溶かして剣を作ったとしても、太い青銅の剣なんかと打ち合ったら、ステンレスの剣は砕けるだろうな」
「なあ、475℃っていうのはどれぐらいの温度なんだ?」
「水が凍り始める温度を0℃、沸騰し始める温度を100℃と定義してある。
鉄が完全に溶ける温度は約1500℃だな。
木炭なんかで1000℃近くまで熱すれば、鉄は赤くなり始めて叩いて加工出来るようになるが」
「木炭か……
ドワーフ族の秘伝だということだが、ダイチは木炭も作れるのか?」
「ああ、作れるし、地球から買ってくることも出来るぞ」
「でもそうか、仮に木炭が作れたとしても、その475℃や600℃から800℃の間にある時間が長いために、脆い剣になってしまうということなのか」
「そうだ。
だがそれだけでは十分ではないだろう。
そのうちに誰かが温度帯の秘密に気づくかもしれないし、その温度帯にいる時間が短ければ脆くもならないし。
だから俺は、武器になりにくいものを売りたかったんだ」
「なるほど、それがあの真珠のネックレスであり、茶器であり、それから砂糖や塩やクッキーだったわけだな……」
「実は砂糖も地球では安くてな。
だいたい1キロで銅貨2枚半分かな」
「そ、そんなに安いのか……
それなら、地球から持ち込んだ品で大儲けして、そのカネで奴隷を買って保護するというのも納得出来るな。
特に砂糖や塩やクッキーは消耗品だから永久に儲かり続けるだろう。
だが、貴族や王族はどうするんだ?
殺すのか?」
「いや、俺も一応神界から派遣された使徒だから、殺しは出来ないんだ。
だから襲われたときなんかに正当防衛として戦って、ダンジョンの牢獄に入れることになるだろう」
「正当防衛ってなんだ?」
「誰かが俺を殺して財物を奪おうとしたとするだろ。
そのときに、自分の身を守るために、そいつと戦って傷を負わせたとしても許されるという考え方だ」
それまで黙って真剣に聞いていた会頭が口を開いた。
「なるほど。
ダイチ殿は、我らの身内をダンジョンに避難させて安全を確保した上で、護衛たちをダンジョンで鍛え、そうして我が商会で地球の品を売りたいと仰るのですな。
そうすれば大儲けして金貨を大量に得られ、同時に財物を狙って襲って来た貴族や王族どもを正当防衛で撃退し、すべて牢獄に押し込めてしまえると……」
「さすがは会頭さんだ。その通りだよ」
「それでは最後に一つだけお聞きしたいことがございます……」
「聞かせてくれ」
「なぜ我々なのでしょうか……」
「はは、やはりそこが気になるか」
「はい」
「俺には魔法でその人物の経歴や能力を見る力がある。
例えば、その人物の強さとか、過去に犯した殺人の数とかもだ。
その殺人も、戦場に於けるものと単なる強盗のための殺人も区別して知ることも出来るんだ。
最近では、この能力も進化して正当防衛殺人数も分かるようになったが。
それからもう一つ、俺にはその人物のE階梯というものも見る事が出来る」
「『いーかいてい』ですかの?」
「これは簡単に言うと、『他人を思い遣ることの出来る能力』の尺度だな。
例えば、その辺にいるミミズや虫のE階梯はゼロだ。
彼らには他者を思い遣る心は無いからな。
最高は神さまたちの10になる。
アルスの住民の平均は0.3だ」
「や、やはりそこまで低かったのですか……」
「他人を害することでしか自分を満足されられない輩は、E階梯もマイナスになるからだ。
あのゴンゾ准男爵のE階梯はマイナス10だったし、その息子はマイナス15だったよ。
それ以外にも、ギルドの幹部たちも軒並みマイナスだったな。
どうやら、権力を持つものほどE階梯は低いようだ。
そういう奴しか権力は持てないのか、それとも権力を持つと増長してE階梯が低くなるのかはわからんが。
だが、明らかに弱者ほどE階梯は高い。
あのゴンゾの街の孤児たちは軒並み3以上だったし。
きっと皆で助け合って生きて来たからだろう」
「なるほど……」
「それではさっきの会頭さんの質問に答えよう。
ガリルのE階梯は3.0、会頭さんのE階梯は3.1、そうしてバルガス隊長のE階梯は3.3もあるんだよ。
多分バルガス隊長も、10歳の時に先代会頭に買われてきたときにはそれほどE階梯も高くはなかっただろう。
だが、この商会で充分に飯を喰わせてもらって大事にされ、訓練を重ねて部下を持ち、その部下を大事にすることで自然とE階梯を上げていったんだろう。
ジョシュア分隊長も同じだ。
彼のE階梯は2.9だ。
そして、彼はワイバーンに襲われたときに隊長に命じられて俺を監視する際に、俺を最も遮蔽された位置に置いたろう。
これが、ワイバーンの襲撃を教えて貰った恩義に報いようとする『他者を思い遣る心』だ。
だから俺は分隊長さんを取り返すためにワイバーンと戦ったんだ。
まあワイバーンの攻撃能力を甘く見ていた俺の落ち度でもあったし」
「「「 ……………… 」」」
「それにだな。
もしワイバーンに襲われたのが、その辺の貴族軍だったとしようか。
だとすれば、その軍は奴隷兵たちを遮蔽の無い場所に立たせてワイバーンに襲わせ、自分たちは助かろうとしたんじゃないか?」
「まず間違いなくそうするでしょうな……」
「だが、ジョシュア分隊長は俺を最も遮蔽の厚いところに避難させた。
そして、分隊長を連れ戻した俺にみんなが礼を言った。
それにガリルは、『俺たちが子供奴隷を買えばその子は死なずに済む』と言ったろ。
これはE階梯の高い者にしか出来ない発想なんだ。
だからまあ、俺もこの商会なら信用出来るって思ったんだよ」
「「「 ……………… 」」」
「ということは、わしらが今までやってきたことが、神界からの使徒さまのお目に適ったということなのですかの……」
「まあ、偉そうな物言いを許してもらうとすれば、そういうことだ」
「わしは納得致しましたぞ。
後で皆の意見も聞かねばなりませぬが、わし自身は生い先短い生を全て使徒さまのために尽くさせて頂きとうございます……」
あー、会頭さん、泣いちゃったよ……
「いや会頭さん、それはいくらなんでも気が早すぎるぞ。
まずは俺の村を視察してからにした方がいいんじゃないか?」
「はは、それもそうでしたな……」
そのとき、執事の1人が近づいて来て、ガリルに耳打ちした。
「ダイチ、昼食の用意が出来たようだ。
村の視察はその後でいいかな」
「もちろん」
(ダイチ、話も順調に進んでるみたいにゃし、あちしは村に帰ってお昼を食べてくるにゃ)
(食べ過ぎないようにね)
(にゃはははは、気をつけるにゃ)
邸の中のダイニングには、豪勢な料理が並んでいた。
女性たちは皆髪が艶々になっていて誇らし気である。
3人とも真珠のネックレスまで身に着けていた。
(早速リンスインシャンプーを使ったようだな……
そうそう、女性や子供たちには少し丁寧な口調にするか……)
「みなさまもうシャンプーを使って下さったようですね。
失礼ながら髪が見違えるように綺麗になっておられる。
それに真珠のネックレスもよくお似合いですよ」
ガリルの奥さんが嬉しそうに微笑んだ後、咎めるような目でガリルを見た。
ガリルはしまったという顔をしている。
(ほう、やっぱり屋内では床に座って食事をするのか。
それにしても大した料理だな……)
昼食の場では、その後の視察に備えてワインは出なかった。
だが、塩も十分に使った料理は全て丁寧に作られている。
ガリルの長男の嬉しそうな食べっぷりを見ても、いつもより遥かに豪勢な料理なのは間違いないだろう。
「使徒さま、お代わりはいかがですかの」
「いや、もう十分に頂いた。
実に手の込んだ料理で大変に美味しかったよ」
侍女たちが嬉しそうな顔をしていた……