*** 90 ブリュンハルト商会 ***
そして翌日。
(ダイチさま、ブリュンハルト男爵さまのご用意が整ったそうでございます)
「そうか、それじゃあタマちゃん行こうか」
「にゃっ」
タマちゃんはまた大地の頭に飛び乗って『隠蔽』で姿を消した。
「あれ? やっぱり姿は消すの?
今日は食事もご馳走になるだろうし、お腹すいちゃうよ」
「お腹すいたらまた村に帰って来て食べるにゃ」
「そんなこと言って、また食べ過ぎで寝ちゃわないでよね」
「にゃははは、あれはつい……」
「それじゃあ行こうか。
シスくん、ブリュンハルト商会まで転移させてくれ」
「はい」
一瞬の後、大地は石畳の広い庭に転移した。
周囲は大きな石造りの建物に囲まれていて、一方には大きな木製の門がある。
前方にはガリオルン・ブリュンハルト男爵を先頭に5人の男女がいた。
護衛隊長のバルガスをはじめ、護衛たちや侍女らしき一団も後ろに控えている。
「やあダイチ、ようこそ我が商会へ」
「やあガリル、5日ぶりかな」
「ほ、本当にどこからともなく突然現れた……」
「はは、親父殿、昨日説明したじゃないか。
ダイチ、こちらは俺の父のギラオルンだ。
その横にいるのが母のミニエル」
小柄な女性が頭を下げた。
「初めまして、ダイチ・ホクトと申します」
「はは、ここには身内しかいないからな。
いつもの調子で構わないよ」
「それじゃあ、お言葉に甘えてそうさせて貰おうか」
「ダイチ殿、この度は息子の商隊をお助け下さって誠にありがとうございました。
盗賊ごときはものともしない屈強な護衛たちとはいえ、ワイバーンなどに襲われてはひとたまりもなかったでしょう。
本当にありがとうございます」
「いえいえ、どうかお気になさらずに」
(ほう、やはりこの男もE階梯は3.0もあるのか……)
「それじゃあ俺の家族を紹介しよう。
こちらが妻のミッシェルだ。
その後ろにいるのが長男のアリオルン5歳、長女のマリエル8歳だ」
大人しそうな子供たちが大地にぺこりと頭を下げた。
「それからジョシュア、前に出て来てお礼を言いなさい」
ワイバーンに攫われかけたジョシュア分隊長が前に出て来て、大地の前で片膝をついた。
「ダイチ・ホクト殿。
先日は御身の危険を顧みずに私を助けて下さいまして、誠にありがとうございました。
本日こうしてお礼を申し上げられるのも、全てはあなた様のおかげであります」
「やあジョシュア分隊長さん。
もう怪我の具合はいいんですか」
「はい、あの後は血を失ったせいでしばらく意識が朦朧としておりましたが、今はもうなんともございません」
「それはよかった」
「さあさあ、こんなところで立ち話もなんだから、テーブルにつこうじゃないか。
今日は天気もいいから中庭に席を設けさせてもらったよ。
まあダイチのテーブルや椅子ほどじゃあないけど、どうか座ってくれ」
そこには8人が余裕で座れるほどの大きなテーブルセットがあった。
テーブルには美しい布が掛けられていて、武骨な椅子の上にはクッションも乗っている。
ガリルの家族と大地が席に着くと、護衛たちは周囲に散らばり、侍女たちがお茶をサーブし始めた。
「ダイチとはもう毒味は気にしないことにしてるんだ。
そのまま注いでくれ」
「ありがとう。
うーん、実に香り高い美味しいお茶ですね」
ギラオルンが微笑んだ。
「わしと妻の唯一の趣味が茶でしてな。
毎日茶を喫して楽しんでおるのですよ。
この茶葉は遠国の産で、水は無理を言ってここから歩いて1時間ほどの川の支流の水を取って来てもらっておりますのじゃ。
どうも井戸水では茶の味が旨く出ませんでの」
(あ、それって井戸水は硬水で川の水は軟水だっていうことだよな)
「それじゃあガリオ、まずは献上品のお披露目をさせてもらおうか。
まずはあのとき約束したテーブルと椅子だ。
この横に出しても構わないかな」
「もちろん」
その場にテーブルと椅子4脚が出現した。
あの時使った、細部にまで彫刻が施された淳の木工所製の作品である。
「ほ、本当になにもないところからテーブルと椅子が……」
「はは、親父殿、昨日説明した様にダイチはアイテムボックスの魔法持ちなんだよ」
「そ、そんなことは伝説上のものだとばかり……
それにしても、なんという美しい意匠と細工のテーブルセットだろうか……
ガリル、おまえは金貨8枚の値を付けたというが、それでは足りんのではないか?」
「はは、根付けではまだ親父殿に敵わないからな」
「それでは次は、ギラオルン殿のためにお持ちしたティーセットになります」
大地が出したテーブルの上に高級ティーセットが現れた。
白磁に花が描かれ、金色の縁取りが為された美しいティーポットの周りに6客の同じデザインのカップとソーサーが並ぶ。
茶こしの取っ手や砂時計、ティーコジーやティーマットにも同じ意匠の模様が描かれていた。
「こ、こここ、これは……
ガリルから貰ったあのカップも真っ白で実に美しかったが、こちらには花の絵と金の縁取りが……
な、なんと美しい……
だ、ダイチ殿!
こ、これはダイチ殿の村で作られたものなのですかの!」
「いや実際には非常に遠方にある私の祖国から持って来たものなのです」
「そ、それはどこにある国なのですかな……」
「私の祖国の説明は後で詳しくさせて頂くことでよろしいでしょうか」
「う、うむ。そうしてくだされ」
はは、あまりにも綺麗なティーセットを見て、侍女さんたちが引き攣ってるよ。
洗うときに落として割ったりするのが恐ろしいんだろうな……
「侍女の皆さん。
このティーセットは実に壊れにくいんで安心してください」
(ストレー、白磁のティーカップを)
(はい)
大地の手の上にティーカップが現れた。
その場の全員がぎょっとしている。
「今日お持ちしたティーセットには、壊れにくくする魔法をかけてあるんです。
実演してお見せしましょう」
大地が手からカップを落とした。
ぽん。
大地は地面で軽く跳ねた後転がっているカップを持ち上げた。
「ほら、このように石の上に落としたとしても傷一つついていません。
ですから洗う際にも安心して洗えますよ」
「だ、ダイチ殿……
それも魔法なのですかの?」
「そうです」
「ふう、魔法とは戦争の道具ばかりではなかったんですの……」
「はは、もともとは生活を便利にするためのものでしたから。
さてみなさん、それでは献上品というかお土産のご披露を続けさせて頂いてよろしいでしょうか」
「う、うむ。失礼した」
(ストレー、テーブルをもうひとつと、その上にご婦人向けの大きなネックレスを2つと中ぐらいのネックレスを1つ。
それから、ファンシーセット3つと男の子向けのおもちゃもだ)
(はい)
またその場にテーブルと、その上に小さな箱が3つと大きな箱が4つ現れた。
「この紙で覆われた箱には、ご婦人向けの品が入っております。
もしよろしければ、お手に取って中をご覧頂けませんでしょうか」
「「 ありがとうございます 」」
ご婦人方がネックレスの入った箱の包み紙を剥がし始めた。
リボンを解いてしげしげと眺めた後は、包み紙も丁寧に外している。
(はは、こうした紙も珍しいんだろうな)
少女の箱は侍女が開けてあげていた。
「「 ま、まあっ! 」」
ご婦人方が声を上げた。
震える手に真珠のネックレスを取って凝視している。
「こ、これはまさか真珠のネックレス……」
「ええ、真珠になります」
「ここまで大きな粒の真珠がこんなにたくさん……」
「そ、それにお義母さま…… 粒の大きさが皆揃って……」
(まあ天然真珠しか採れない世界では、粒のそろった真珠はかえって珍しいだろうからな……)
ひとまわり小さなネックレスをつけてもらった少女が嬉しそうに微笑んだ。
「うふふ、おばあさまとお母さまとお揃いなのね♪」
そのおばあさまとお母さまは、引きつった笑みを浮かべているだけである。
「それでは、こちらの箱をひとつ開けさせていただいてもよろしいでしょうか」
「ぜ、是非お願いいたしますわ。
それにしても、なんと美しい包みなのでしょう……」
老婦人の目が、まだなにかあるのかと輝いている。
大地はリボンを解き、包装紙を丁寧に剥がして中身を取り出していった。
「こちらはリンスインシャンプーというものです。
髪を洗うときに使うと髪が美しく仕上がります。
髪を洗ったあとは、よくお湯で洗い流してくださいね。
それからこちらは石鹸です。
こちらはタオルですね。
3色ずつご用意させていただきました」
「まあ! そのタオルを見せていただけますか!」
「どうぞ」
「な、なんという、なんという柔らかなタオルでしょう……」
「それになんて綺麗な色……」
「喜んでいただけてなによりです。
それからこちらが髪を梳くブラシ、こちらが髪を纏めるシュシュというもので、こちらが髪飾りになります」
「まあ…… まあ……」
(はは、ご婦人方が涙目になって感激してくれてるよ)
「お母さま、このとっても綺麗な髪飾り、着けてくださいませんか?」
(ははは、やっぱり女の子も8歳になると、こういうものに興味を持ち始めるんだな……)
「それじゃあこれは息子さんに」
大きな箱を開けると、積み木セットと独楽が出て来た。
ややつまらなそうにしていた男の子の目が輝く。
「まずこの積み木はこうやって重ねたりして遊ぶんだ。
ほら、家が出来た」
男の子がとてとて走って来て椅子に膝立ちで座り、夢中で積み木を重ね始めている。
「それからね。
これは独楽っていって、こうやって遊ぶものなんだよ」
大地は独楽に紐を巻き付けて、その場で地面で回してみた。
男の子はその独楽を目を真ん丸にして見ている。
いや、その場の全員の目が真ん丸になっていた。
「あ、『こま』…… 止まっちゃった……」
「だいじょうぶだよ、これは何度でも回せるから。
もういちど回してあげようか」
「うん!」
大地は独楽を回すときに、大きく上に飛ばして独楽を手のひらに落とした。
独楽は大地の手のひらの上で回っている。
(子供の頃じいちゃんに教わった技はまだ覚えてたか……)
男の子は大地に近寄って来て、背伸びして手のひらで回っている独楽をキラキラした目で見つめている。
その場の全員の目もキラキラしていた。
「なあ、ガリル。
あとで独楽の回し方を書いた紙を渡すから、一緒に回して遊んでやってくれるか」
「あ、ああ……」
大地が止まった独楽を渡すと、男の子は独楽を大事そうに抱えて積み木のところに戻って行った。